第071話 エルフの森・ミストリア
「……すごいな」
目の前に広がる光景に、エミルは言葉を失った。
天を突くかと思うほどの巨大な木々。その幹には、まるで自然にできたかのように家々が連なり、柔らかな光を放っている。木と木の間には吊り橋が架かり、緑の葉が生い茂る枝の上を、長い耳を持つエルフたちが行き交っていた。
「木の上に街があるぞ……どうなってやがる」
隣でバルディアが呆然と呟く。彼女は鍛冶師だ。建物の構造や強度が気になるのだろう。しきりに目をこすっては、「釘一本使ってねえぞ、アレ……」とブツブツ呟いている。
木漏れ日が降り注ぐ広場では、エルフたちが穏やかな表情で何か作業をしている。こちらに気づくと、一瞬驚いたように目を丸くしたが、敵意は見られない。先導するセルンとハルに気づき、軽く会釈を返す者もいる。
「皆様、改めてようこそ、『エルフの森・ミストリア』へ。長老様の元へご案内いたしますわ。どうぞ、ついてきてくださいませ」
セルンが優雅に微笑む。一行は、一番大きな木の根元にある入り口へと導かれた。
中は薄暗いかと思いきや、壁に生える苔やキノコが淡い光を放ち、幻想的な明るさを保っている。木の内部を螺旋状に登っていく階段は、まるで自然に道ができたかのように滑らかだった。
「この階段を上がれば、長老様のいらっしゃる場所ですわ」
「貴様ら、無礼な真似はするなよ」
ハルに釘を刺されつつ、幹に彫られた階段を上る。
やがて一行は、最も高い場所にある、ひときわ開けた空間へと通された。
巨大な枝々が天蓋のように広がる、謁見の間とでも言うべき場所。中央には複雑な木目の玉座があり、一人の老いたエルフが静かに目を閉じて座っていた。
「エミル様。こちらにおられるのが、我らエルフの長老にして、この森の統治者である『スランドル・レスカーノ』様ですわ」
セルンとハルが、その場に跪く。
「スランドル様、お客様をお連れいたしました」
「スランドル様は齢千年を超えるお方だ。通常、エルフの寿命は長くても六〜七百年。スランドル様がいかに崇高な方かわかるだろう」
ハルが胸を張って言った。
玉座の主——スランドル・レスカーノが、ゆっくりと目を開いた。
深く静かな翠色の瞳に老いてなお若々しい肌。その存在感は、これまで会った誰とも違う。ブラドやヘパイストスのような武骨な強さではなく、もっと深く、底知れないものを感じさせる。
スランドルは、セルンたちには一瞥もくれず、静かにアヤメ、バルディア、そして最後にエミルを見つめた。その視線に、エミルは無意識に背筋を伸ばしていた。魂の奥底まで見透かされそうな重圧。
「……ようこそ、ミストリアへ。異邦の旅人たちよ」
「突然のご招待、感謝いたします。わたしはアヤメ・カルフールと申します」
アヤメが一歩前に出て、緊張した面持ちながらも堂々と礼をとる。
その名を聞いた瞬間、スランドルの翠色の瞳が、わずかに細められた。
「カルフール……ほう。その若さで、その澄んだ魔力の流れ。そしてその名。シオン国の王家に連なる者か」
「え、ええ……そうですが……」
「やはり、その血筋は隠せぬもの。その身に流れるは、古き『風』の力よのう」
「古き……風……?」
アヤメは困惑の表情を浮かべた。
——アヤメは魔法が使えないと言っていた。対照的に、兄は風魔法が使えるとも。アヤメにも、風属性が使えるというのか……?
「スランドル様、あの……」
セルンがスランドルに何か耳打ちする。
「……おお、そうじゃった。つい話し込んでしまったの」
スランドルは軽く咳払いすると、改まった声で言った。
「本来、この森はエルフ以外の立ち入りを禁じておる。呼んでおいてなんじゃが、あまり長居はさせられん。早速、本題に入ろう」
「スランドル様、準備はできております」
ハルがそっと水晶のような物体を取り出し、両手で抱えて前へ進み出た。
拳二つ分ほどの大きさの透明な球体。ギルドで見た測定用の水晶とは明らかに違う、奇妙な存在感があった。
「……水晶?」
「この水晶は、その者の魔力を正確に映し出すもの。どれ、エミル殿、こちらへ来なさい」
「魔力を……? いや、でもスランドルさん。悪いが前にギルドで測定したんだ。なんか無属性判定されてしまったけど……」
「おい貴様……! スランドル様に無礼な態度を……!」
ハルが慌てて声を荒げたが、スランドルが手を上げて制した。
「良い、ハル。冒険者とは本来、自由であるべき存在。形式にとらわれる方が礼を欠くというものじゃ」
「は……失礼しました」
ハルが頭を垂れる。スランドルはエミルに向き直った。
「ギルドで使われる魔力測定水晶は、まやかしに過ぎん」
「まやかし……?」
「あれは六属性の『量』を測るだけの器。じゃが、わしらが使うこの水晶は違う。これは『質』そのものを見極めるためのもの」
まったく理解が追いつかなかった。
なぜギルドに偽物があるのか。どうしてギルドはそんな偽物を使っているのか。疑問が頭をもたげるが、スランドルは意に介さない様子だ。
「細かいことはよい。どれ、この水晶に手をかざしてみなさい」
「いや、細かいことって……」
「スランドル様が言っておられるのだ。早くしろ」
有無を言わさず、ハルがエミルの手を掴み、水晶玉に押し付けた。
ドクン。
指先が触れた瞬間、心臓を直接掴まれたかのような衝撃が走った。
そして——。
「「あ……!?」」
隣で見ていたアヤメとバルディアが、同時に息を呑むのが聞こえた。
透明だったはずの水晶が、中心から急速に染まっていく。
赤でも青でもない。それは、光の一切を拒絶するような、底なしの暗黒だった。見ているだけで吸い込まれそうになるほど、深く、禍々しい色。
「な、なんだこれ……! ギルドのときはこんな色にはならなかったぞ……!」
自分の手が触れているものが信じられず、思わず手を引こうとした。だが、水晶はまるで磁石のように手を吸い寄せ、離してくれない。
黒い光が脈動し、エミルの魔力と共鳴しているかのようにドクドクと波打つ。
静まり返った謁見の間に、スランドルの厳粛な声が響き渡った。
「……間違いない。なんということじゃ……」
スランドルはゆっくりと玉座から立ち上がった。
その翠色の瞳は、驚愕に見開かれ、わずかに震えているようにも見えた。千年を生きた存在が、こうも動揺を露わにする。それが、この場の空気をさらに張り詰めさせる。
「エミル殿。お主が持つ力は、かつてこの世界から存在ごと抹消された、失われし第七の属性……」
スランドルは、宣告するように言った。
「『闇』。お主は、禁忌の闇属性を持つ者じゃ」
その言葉は、エミルたちにとって、この世界の常識が根底から覆るほどの衝撃だった。




