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黒焔の復讐者は禁忌を宿して異世界を往く  作者: 美希昌希
第二章:グロムハルト編
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第067話 超える覚悟

 熱気が肌を焼く。


 グロムハルトの中央市場・ドゥルガンで最も大きい酒場「天源亭(てんげんてい)」。貸切にされた店内は、屈強なドワーフたちが樽ジョッキを片手にひしめき合い、怒号のような笑い声が飛び交っていた。


「がはははは! 飲め飲めぇ! 今日は俺達ドワーフの快気祝いだ!」

「樽が空いたぞ! 次はもっと度数の高いやつを持ってこい!」


 ジョッキがぶつかり合う鈍い音。炙られた肉汁とエールの甘く猛々しい香りが鼻を突く。


 救出されたドワーフたちだけでなく、鍛冶師ギルドの連中まで集まった宴は、いつしか街を挙げての大騒ぎとなっていた。


 かつて自分が生きた世界、会社の飲み会や、形式ばった打ち上げとはまるで違う。ここにあるのは、打算も建前もない、純度百パーセントの「生」の肯定だ。その熱量に、エミルは少しだけ圧倒されていた。


「おう、そこの兄ちゃん! 遠慮すんな、もっと食え!」

「ほら、こっちの嬢ちゃんもだ! 今日はあんたらへの礼でもあるんだからよ!」


 ドワーフたちが次々と大皿の肉を押し付けてくる。エミルは苦笑しながらそれを受け取った。


「んぐっ、んぐ……ふあぁ! 美味しいです!」


 隣ではアヤメが目を輝かせ、自分の顔ほどもある肉塊に、野生児のごとくかぶりついていた。口の周りを脂でテカらせ、リスのように頬を膨らませるその姿に、普段の礼儀正しい剣士の面影はない。


 酒や食事が一通り行き渡った頃。


 ヘパイストスを囲んでいた一団が割れ、中から恰幅のいいドワーフ三人が進み出てきた。ヘパイストスの元弟子たち——アンビル、アニー、クリンカーだ。


 彼らは、店の奥で静かに酒を舐めていたヘパイストスと、その隣で肉を頬張るバルディアの前まで歩み寄ると、レンガの床に額を擦り付ける勢いで頭を下げた。


「「「すまなかった…ッ!」」」


 悲痛な声が、酒場の喧騒を一瞬だけ切り裂く。


「本当に、すまない……! 俺たちはバルディアの実力も認めようともせず、ヘパイストスさんをギルドから追い出すような真似をしてしまった」

「あたし達、逃げ出したくせに嫉妬して、ずっと目を背けてた。でもバルディア、あんたは違ったね。あんただけが、本物の弟子だったんだ」


 アンビルとアニーが、絞り出すように言葉を紡ぐ。


 バルディアは、どこか居心地が悪そうにそっぽを向いた。


「……けっ。今更言われてもな」


 怒りというより、どう反応していいかわからない、という顔だった。手持ち無沙汰に尻尾がぱたぱたと揺れている。


「そう不貞腐れるなよ。本当に悪かったと思ってる。僕らも、立場としてはギルドに従わないといけなかったんだ」


 クリンカーが諭すように話したが、バルディアの表情は晴れない。


「急に手の平返しやがってよ……ぬぅ。おいエミル、甘いやつ持ってきてくれ! 今日はやけ飲みだ!」

「ほらよ、特製果実ジュースだ」


 エミルが差し出したジョッキを、バルディアはひったくるように受け取った。未成年で酒が飲めない彼女は、一番甘い果実ジュースをぐいっと一気に飲み干す。


「……ぷはぁっ! 甘くてうめぇ!」

「バルディアちゃん、あまり飲みすぎるとおトイレが……」

「うるせえな! おねしょなんてしねえっつの!」


 ギャーギャーと騒ぐ小柄な鍛冶師の姿に、張り詰めていた空気が緩んだ。ドッと笑いの渦が巻き起こり、元弟子たちも救われたような顔で苦笑している。


 その和やかな雰囲気の中、他のドワーフたちも次々と謝罪の言葉を述べに来た。


 当のヘパイストスは、ただ黙ってその様子を見守っている。表情は読めない。岩のように動かない横顔が、何を考えているのかはわからなかった。


 そんな時だった。


 酒場の入り口から、一人の男が入ってきた。


 鍛冶師ギルドのギルド長代理・ウォルコット。

 彼はまっすぐにヘパイストスの前まで歩み寄ると、姿勢を正した。


「……どうした小僧。今日はギルドの連中も大勢きておる。遅れて来るとは偉くなったもんじゃ」

「すみません……直前まで()()()()に追われていたもので。ヘパイストスさん……いや、ヘパイストス殿。あなたにお願いがあって参りました」


 ウォルコットの重々しい口調に、店内のざわめきが、波が引くように静まり返る。


「調査の結果、ギルド長であったラモンは、何者かが魔法で変装した『偽物』であったことが判明しました。よって、彼による不正な決定は全て無効となります。つきましては、ラモンに代わり、正式に鍛冶師ギルド長となった私ウォルコットより、鍛冶師ギルドへの正式な復帰を、心よりお願い申し上げたい……ッ!」


 ウォルコットが深々と頭を下げる。

 その場にいた全ての人物が、固唾をのんでヘパイストスの返事を待った。


「し、師匠……これ……!」


 バルディアが、弾かれたように椅子から立ち上がった。


 三年前。アレスが扮した偽りのラモンによって、ヘパイストスはギルドを追放された。仲間からも村八分にされ、どれほどの悔しさを溜め込んできたことだろう。


 その全てが、今報われようとしている。


 ヘパイストスは、無骨な手で持っていたタンカードを、ドンとテーブルに叩きつけた。


 中身のエールが跳ね、飛沫が散る。


「……揃いも揃って」


 場が凍りつくような緊張に包まれた。誰もが、彼が激昂するのだと思った。


「わしは……わしはな……」

「師匠……!」


 バルディアが、そっとヘパイストスの手を握った。


 ごつごつした、槌を振るい続けてきた手。その手を、小さな獣人の手が包み込む。


 ヘパイストスの肩から、ふっと力が抜けた。


「……ふん。もうよい。過ぎたことじゃ。それより、酒がぬるくなる。お前さんも飲め」


 その瞬間。


「「「おおおおおおおっ!!!!」」」


 先ほどまでとは比較にならないほどの大歓声が、天源亭の屋根を揺らした。祝いの言葉、安堵のため息、そしてこれからの未来への乾杯。


 そしてそれは——。


 エミルは、そっとバルディアを見た。


 彼女は、師匠の手を握ったまま、ぐっと唇を噛み締めていた。嬉し涙をこらえるように、けれどその横顔には、これまでにない「覚悟」が宿っている。


 ヘパイストスは、もう一人ではない。ギルドに戻り、仲間たちに囲まれて生きていける。


 それはつまり——バルディアが、自分の足で歩き出すための「枷」がなくなったということだ。


 宴の熱狂が最高潮に達した、その時。


「——師匠ッ!」


 喧騒を裂いて、バルディアの声が響いた。


 その場の誰もが彼女に注目し、酒場が水を打ったように静まり返る。


 バルディアはヘパイストスの正面に立ち、真っ直ぐにその瞳で師を見上げた。


「アタシ……旅に出る!」


 ヘパイストスの目が、わずかに見開かれた。


「ずっと、師匠から言われた言葉を考えてた。アタシは、師匠の背中ばっかり見て、師匠の技を盗むことだけを考えてきた。けど……それだけじゃダメなんだって、やっとわかったんだ」


 瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。だが、彼女は決してそれをこぼさなかった。


「師匠を超えるには、師匠の知らない世界を見なきゃダメなんだ。師匠が打ったことのない槌を振るわなきゃ、師匠が見たことのない鉱石に触れなきゃ……そうしなきゃ絶対にアンタを超えられねえ!」


 それは、弟子から師匠へ贈る、最高の賛辞であり、挑戦状だった。


「だから——」


 バルディアは一度息を吸い込み、店中の空気を震わせるように叫んだ。


「必ず戻ってくる! 師匠よりも、世界中の誰よりもすげえ鍛冶師になって、アンタの前に帰ってくるからな!」


 一瞬の静寂。


 誰もが、その小さな鍛冶師の魂の叫びに息を飲んでいた。


 ヘパイストスは何も言わなかった。


 ただ黙って、弟子の言葉を受け止めている。その岩のような横顔は、酒のせいか、それとも酒場の熱気のせいか——ほんのり赤く染まっているように見えた。


「バルディアの新たな門出に! 乾杯だあ!」


 アンビルが沈黙を破り、盃を高く掲げる。


 わあっと歓声が爆発した。


 エミルも、アヤメも、そして店中の誰もが、盃を高く掲げた。


「ヘパイストスさんを超えるたあ大きく出たな!」

「おうおう、こりゃ俺達も負けてらんねえな!」

「俺も若い頃は世界一の鍛冶師になるって息巻いてたもんだ! 懐かしいねえ!」


 ドワーフたちが次々にバルディアを囲み、背中を叩いたり、ジョッキを突き出したりしながら絡んでいく。


 さっきまで涙ぐんでいたバルディアは、照れ隠しのように鼻を鳴らした。


「へっ、せいぜい頑張りやがれ。アタシが戻ってきた時、引退してましたなんて言い訳は聞かねえからな!」

「言ってくれるじゃねえか!」

「がはははは! さすがヘパイストスさんの弟子だ、肝が据わってやがる!」


 ドワーフたちの豪快な笑い声が、酒場の天井を揺らす。

 

「やれやれ……なんだか浮き沈みが激しい宴だな」

「ふふふ、楽しいですね」

「……ああ、そうだな」


 ——楽しい、か。


 そう思える自分がいることに、エミルは少しだけ驚いていた。


 自分にはこういう場所がなかった。会社でも、学校でも、誰かと肩を組んで笑い合った記憶がない。いつも輪の外側にいて、早く帰りたいとばかり思っていた。


 でも今は、不思議とその輪の中にいる気がした。


 エミルはジョッキを一気に飲み干した。その表情に、もう迷いはない。


 アヤメは何も言わず、ただじっとエミルの横顔を見つめていた。翡翠色の瞳が、彼の決意を静かに映している。


 こうして、グロムハルトでの一連の事件は、一つの旅立ちと共に幕を閉じた。

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