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黒焔の復讐者は禁忌を宿して異世界を往く  作者: 美希昌希
第二章:グロムハルト編
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第065話 ずるいだろ

 エミルとアヤメが、バルディアから武器を受け取った日の夜。


 工房の片隅に腰を下ろしたエミルは、新しいグローブの感触を確かめていた。指を一本ずつ曲げ伸ばしする。黒いグローブは肌に吸い付くように馴染み、魔力を流せばかすかな熱を帯びる。


 少し離れた場所では、アヤメがずっと素振りを続けている。


「ふっ、はっ!」


 白刃が宙を裂く。一振りごとに刀の重心を測るような、丁寧だが鋭い動き。バルディアが打った新しい刀を、アヤメは黙々と己の体に馴染ませている。


 ——さすがだな。


 壁に寄りかかりながら、エミルはぼんやりと彼女の姿を眺める。


「どうだ、エミル。調子は」


 隣で同じくアヤメを見守っていたバルディアが、声をかけてきた。


「悪くない。手に馴染む感じは想像以上だ」

「へへっ、当然だろ? あとは実戦で使いこなせよな!」


 バルディアは自信満々に胸を張る。


 その横顔を見て、ふと彼女の言葉を思い出した。


 ——『アタシ、なんもできなかったんだ。敵を倒したのも、師匠たちを運んだのもオマエらの力だ』


 エミルは少し迷ってから、口を開いた。


「……なあ、バルディア」

「ん?」

「お前、この間言ってたよな。『なんもできなかった』って」


 バルディアの表情が一瞬、強張った。


「な、なんだよ急に。蒸し返すなって……」

「悪い。でも、これだけはお前に伝えておきたくてさ」


 バルディアは口をつぐんだ。

 視線を逸らしながらも、耳だけはこちらに向けている。


「お前がどう思っているかは知らないけど、アレスを倒せたのは間違いなくお前のおかげだ」

「……え?」

「お前が追い込んでくれたから、あいつの最後の攻撃はおれに届かなかった。巨漢を止めたアヤメも、アレスを追い詰めたお前も……あの場の誰かひとりでも欠けてたら、ヘパイストスさんたちを助けることはできなかったんだ」


 バルディアは目を見開いた。何か言いかけて、口をつぐむ。


「それに、ヘパイストスさんのこと、詳しくは知らないけどさ。あの人、他に弟子を取らなかったんだろ」

「……ああ。ドワーフの弟子を取れって何度も言われてたのに、ずっと断ってた」

「だったらさ。それだけお前が必要だったってことだろ。他の誰かじゃダメだったんだ」


 バルディアの瞳が揺れた。


「今回だって、この武器を作ってもらった。約束通りだ。おれたちの取引は成立してる」


 エミルは拳を軽く握り込んだ。


「だからさ、『なんもできなかった』なんて言うなよ。お前がお前を認めなかったら、お前のことを想ってるヘパイストスさんや、おれたちまで裏切ることになる」


 沈黙が落ちる。


 遠くで、アヤメの素振りの音だけが響いていた。


「——おれも、そうだったから」


 ぽつりと、エミルが呟いた。


「母さんが殺されたとき、おれは何もできなかった。目の前で死んでいくのを、ただ……見てるだけだった。何もできなかったと後悔する夜を、何度迎えたかわからない。でも……それでも、自分にできることを探しながら前に進むしかないんだ。おれがここで倒れたら、母さんの気持ちを無駄にすることになってしまう」


 最後の一言は、自分に言い聞かせるようでもあった。


「……っ」


 バルディアは言葉が出なかった。


 唇を噛み締め、拳をぎゅっと握る。鼻の奥がつんと熱くなる。


「……ば、バーカ」


 震える声で、それだけ絞り出した。


「何日も経ってから言うなよな。タイミング、おせえだろ……っ」

「……悪かったな」


 エミルは視線を逸らした。


 その不器用な横顔を、バルディアはじっと見つめていた。胸の奥で、何かがじわりと熱を持っている。その感情に、まだ名前はつけられなかった。


 ——あとは、この魔石をシオン国に届けるだけか。


 エミルはアヤメの方に視線を向けた。


 アヤメの懐で微かな魔力を放つ紫色の魔石。あれが、彼女の父親を救う唯一の希望だ。ようやく、アヤメの旅の目的に目処が立った。


 バルディアの話では、ヘパイストスの容体は順調に回復していて、明日には退院できるらしい。ヘパイストスの退院を見届けた後は、シオン国に向けて出発することになる。


 アヤメと二人でまた旅を再開する。


 そう、二人で。


「……なあ、エミル」


 バルディアが、視線を落としたまま呟いた。


「オマエら、もうすぐ出発するんだよな」

「……ああ。ここでやることも終わったしな」

「そっか」


 短い沈黙。バルディアはそれ以上何も言わなかった。


 ふと気づくと、いつの間にかアヤメの素振りが止まっていた。刀を鞘に納め、少し離れた場所で夜空を見上げている。


 二人の会話が聞こえていたのかどうかはわからない。ただ、その背中はどこか固く見えた。


 ——お前はどうするんだ、なんて聞けないな。

 ヘパイストスがあんな目にあったんだ。師匠のそばにいたいに決まっている。当たり前だ。


 なのに——その“当たり前”が、妙に胸に引っかかっていた。


 三人とも、黙っていた。


 誰かが何かを言えば、空気が変わる。そんな予感があった。でも、誰も口を開かなかった。


 工房の灯りが、微かに揺れた。


 そして深夜。


 エミルとアヤメは、眠りについたバルディアを起こさないよう、こっそりと工房を抜け出した。




 ◆◇◆◇◆◇◆




 バルディアの寝室。


 天井を見上げたまま、バルディアは目を開けていた。


 ——眠れない。

 エミルとの会話が、ずっと頭の中で回っている。


 なんだよ……。


 ずるいよ。

 あんなの、ずるいだろ。


 あいつだって傷だらけのくせに。

 あいつだって何も癒えてないくせに。


 なのに、どうしてアタシなんかに——。


 ふと、気配が動いた。

 足音を殺して、エミルとアヤメが外に出ていくのがわかった。


 バルディアは、そっと体を起こすと、窓を覗く。


 見えるのは、夜の闇に溶けていく二つの背中。


 バルディアは、ぎゅっと胸元を握りしめた。

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