第065話 ずるいだろ
エミルとアヤメが、バルディアから武器を受け取った日の夜。
工房の片隅に腰を下ろしたエミルは、新しいグローブの感触を確かめていた。指を一本ずつ曲げ伸ばしする。黒いグローブは肌に吸い付くように馴染み、魔力を流せばかすかな熱を帯びる。
少し離れた場所では、アヤメがずっと素振りを続けている。
「ふっ、はっ!」
白刃が宙を裂く。一振りごとに刀の重心を測るような、丁寧だが鋭い動き。バルディアが打った新しい刀を、アヤメは黙々と己の体に馴染ませている。
——さすがだな。
壁に寄りかかりながら、エミルはぼんやりと彼女の姿を眺める。
「どうだ、エミル。調子は」
隣で同じくアヤメを見守っていたバルディアが、声をかけてきた。
「悪くない。手に馴染む感じは想像以上だ」
「へへっ、当然だろ? あとは実戦で使いこなせよな!」
バルディアは自信満々に胸を張る。
その横顔を見て、ふと彼女の言葉を思い出した。
——『アタシ、なんもできなかったんだ。敵を倒したのも、師匠たちを運んだのもオマエらの力だ』
エミルは少し迷ってから、口を開いた。
「……なあ、バルディア」
「ん?」
「お前、この間言ってたよな。『なんもできなかった』って」
バルディアの表情が一瞬、強張った。
「な、なんだよ急に。蒸し返すなって……」
「悪い。でも、これだけはお前に伝えておきたくてさ」
バルディアは口をつぐんだ。
視線を逸らしながらも、耳だけはこちらに向けている。
「お前がどう思っているかは知らないけど、アレスを倒せたのは間違いなくお前のおかげだ」
「……え?」
「お前が追い込んでくれたから、あいつの最後の攻撃はおれに届かなかった。巨漢を止めたアヤメも、アレスを追い詰めたお前も……あの場の誰かひとりでも欠けてたら、ヘパイストスさんたちを助けることはできなかったんだ」
バルディアは目を見開いた。何か言いかけて、口をつぐむ。
「それに、ヘパイストスさんのこと、詳しくは知らないけどさ。あの人、他に弟子を取らなかったんだろ」
「……ああ。ドワーフの弟子を取れって何度も言われてたのに、ずっと断ってた」
「だったらさ。それだけお前が必要だったってことだろ。他の誰かじゃダメだったんだ」
バルディアの瞳が揺れた。
「今回だって、この武器を作ってもらった。約束通りだ。おれたちの取引は成立してる」
エミルは拳を軽く握り込んだ。
「だからさ、『なんもできなかった』なんて言うなよ。お前がお前を認めなかったら、お前のことを想ってるヘパイストスさんや、おれたちまで裏切ることになる」
沈黙が落ちる。
遠くで、アヤメの素振りの音だけが響いていた。
「——おれも、そうだったから」
ぽつりと、エミルが呟いた。
「母さんが殺されたとき、おれは何もできなかった。目の前で死んでいくのを、ただ……見てるだけだった。何もできなかったと後悔する夜を、何度迎えたかわからない。でも……それでも、自分にできることを探しながら前に進むしかないんだ。おれがここで倒れたら、母さんの気持ちを無駄にすることになってしまう」
最後の一言は、自分に言い聞かせるようでもあった。
「……っ」
バルディアは言葉が出なかった。
唇を噛み締め、拳をぎゅっと握る。鼻の奥がつんと熱くなる。
「……ば、バーカ」
震える声で、それだけ絞り出した。
「何日も経ってから言うなよな。タイミング、おせえだろ……っ」
「……悪かったな」
エミルは視線を逸らした。
その不器用な横顔を、バルディアはじっと見つめていた。胸の奥で、何かがじわりと熱を持っている。その感情に、まだ名前はつけられなかった。
——あとは、この魔石をシオン国に届けるだけか。
エミルはアヤメの方に視線を向けた。
アヤメの懐で微かな魔力を放つ紫色の魔石。あれが、彼女の父親を救う唯一の希望だ。ようやく、アヤメの旅の目的に目処が立った。
バルディアの話では、ヘパイストスの容体は順調に回復していて、明日には退院できるらしい。ヘパイストスの退院を見届けた後は、シオン国に向けて出発することになる。
アヤメと二人でまた旅を再開する。
そう、二人で。
「……なあ、エミル」
バルディアが、視線を落としたまま呟いた。
「オマエら、もうすぐ出発するんだよな」
「……ああ。ここでやることも終わったしな」
「そっか」
短い沈黙。バルディアはそれ以上何も言わなかった。
ふと気づくと、いつの間にかアヤメの素振りが止まっていた。刀を鞘に納め、少し離れた場所で夜空を見上げている。
二人の会話が聞こえていたのかどうかはわからない。ただ、その背中はどこか固く見えた。
——お前はどうするんだ、なんて聞けないな。
ヘパイストスがあんな目にあったんだ。師匠のそばにいたいに決まっている。当たり前だ。
なのに——その“当たり前”が、妙に胸に引っかかっていた。
三人とも、黙っていた。
誰かが何かを言えば、空気が変わる。そんな予感があった。でも、誰も口を開かなかった。
工房の灯りが、微かに揺れた。
そして深夜。
エミルとアヤメは、眠りについたバルディアを起こさないよう、こっそりと工房を抜け出した。
◆◇◆◇◆◇◆
バルディアの寝室。
天井を見上げたまま、バルディアは目を開けていた。
——眠れない。
エミルとの会話が、ずっと頭の中で回っている。
なんだよ……。
ずるいよ。
あんなの、ずるいだろ。
あいつだって傷だらけのくせに。
あいつだって何も癒えてないくせに。
なのに、どうしてアタシなんかに——。
ふと、気配が動いた。
足音を殺して、エミルとアヤメが外に出ていくのがわかった。
バルディアは、そっと体を起こすと、窓を覗く。
見えるのは、夜の闇に溶けていく二つの背中。
バルディアは、ぎゅっと胸元を握りしめた。




