第062話 父を救う手がかり
治療院の個室に飛び込んだ瞬間、むせ返るような薬草の匂いがエミルの鼻をついた。
それと……部屋の空気を震わせる号泣。
「う、うわあああああん! 師匠ぉぉぉ! よがっだぁ……! ほんとに、死ぬかと思っ、だぁ……!」
ベッドの脇で、小さな背中が激しく波打っている。
バルディアだ。
普段の生意気で強気な態度はどこへやら、今はただの迷子になった子供のように、ヘパイストスの太い腕にしがみついて泣きじゃくっている。
この三日間、彼女は一睡もせずに付き添っていたのだ。エミルたちが交代を申し出ても、「アタシがついてなきゃダメなんだ」と頑として譲らなかった。その張り詰めていた糸が、今ようやく切れたのだろう。
「バルディア、本当に心配かけたのう……。ほほ……そんなに泣くでない」
ベッドに半身を起こしたヘパイストスは、苦笑しながらも、節くれだった大きな手で弟子の頭を優しく撫でていた。その顔色はまだ蒼白だが、声にはしっかりと力がある。
ひとしきり泣き喚き、ようやくしゃくりあげる程度に落ち着いたバルディアが、ぐしゃぐしゃの顔のまま振り返った。
「お、おいエミル! アヤメ! 師匠が……師匠が生き返ったぞ!」
「勝手に殺すな、馬鹿者が」
ヘパイストスがコツンとバルディアの頭を小突くと、改めてエミルたちに向き直った。
「あの広間に来たのはお前さんたちじゃったか。……巻き込んでしまってすまんかったのう。礼を言うぞ」
「いや、そんな、とんでもない……」
「ヘパイストス様、ご無事で本当に何よりです……!」
アヤメが深く頭を下げる。
その姿を見て、エミルもそれに倣った。
「わたしはアヤメと申します。こちらはエミル様。バルディアちゃんには道中、大変お世話になりました」
「そうか、そうか。バルディアにも友達がのう……。二人とも、これからもバルディアとは仲良くしてやってくれ」
ヘパイストスは感慨深げに呟き、涙目で鼻をすすっている弟子を見下ろした。
「や、やめろよ恥ずかしいな……」
照れくさそうに顔を赤らめるバルディアの頭に、ヘパイストスが再びぽんと手を置く。バルディアはまた瞳を潤ませながらも、何かを決意したように顔を上げた。
「師匠! アタシ、この二人に武器を作ってやりてえんだ! コイツらはアタシの恩人だ。アタシが打った最高の武器で、コイツらの力になりてえ!」
唐突な宣言に、部屋の空気が変わる。
バルディアの真っ直ぐな目。さっきまで泣いていた少女とは思えない、職人としての覚悟が滲んでいた。
ヘパイストスはしばらく無言で弟子を見つめていたが、やがてニヤリと口の端を上げた。
「……ほう。言うようになったのう」
「ったりめーだ! 師匠の目ん玉飛び出るような傑作、作ってみせっからよ!」
「ならばやってみせい。ただし……」
ヘパイストスの目がすっと細まる。
「この二人はわしの恩人でもある。半端なもんは作るなよ。わしの名に泥を塗るような代物なら、その場で叩き割ると思え」
「上等だぜ」
バルディアはニカッと笑い、親指を立てた。
師弟のやり取りが一段落したのを見計らい、アヤメがおずおずと一歩前に出た。彼女の華奢な手が、祈るように胸元で組まれている。
「あの……ヘパイストス様。一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか」
「……なんじゃ、嬢ちゃん」
「わたし、父の病を治すと言われる、特殊な魔石を探してこの国に来ました。その魔石について……何か心当たりはございませんか?」
静かな病室に、祈りにも似た声が響く。エミルもバルディアも、固唾をのんでヘパイストスの答えを待った。
ヘパイストスは「ふむ」と唸り、天井を仰いだ。皺の刻まれた瞼を閉じ、記憶の底を探るような長い、長い沈黙。
アヤメの表情が緊張で固くなっていく。
もし「知らん」と言われたら、彼女の希望はここで途絶える。
一分が、一時間にも感じられた。
やがて、ヘパイストスがゆっくりと目を開いた。
「……あるぞ」
「えっ……!?」
「万病に効くかどうかはわからんが、強力な浄化の力を持つ魔石の話なら心当たりがある。……このグロムハルトの地下深くに眠る、古い鉱脈じゃ」
その瞬間、アヤメの表情がぱっと輝いた。
「ほ、本当ですか!? それはどこに……!」
「慌てるな。場所はちと厄介でな……」
ヘパイストスが語る場所と特徴を、アヤメは一言一句聞き漏らさないよう、必死にメモを取る。その手は震えていたが、それはもう恐怖ではなく、期待と興奮によるものだった。
「ありがとうございます! これで探す手がかりができました!」
「礼を言うのはこっちじゃよ。……バルディア、聞いたな?」
師匠に名を呼ばれ、バルディアが背筋を伸ばす。
「おうよ!」
「わしが動けるようになるまで、まだ少しかかる。その間、お前さんがこいつらの面倒を見てやれ。……武器の件、期待しておるぞ」
「へへっ、任せとけって!」
バルディアはパンッと景気良く自分の頬を叩くと、エミルとアヤメに向き直った。
「よし、これからが決まったな! アタシが工房に籠もって武器を打ってる間、お前らはその魔石探しだ! 準備ができたら、すぐに出発だぞ!」
その言葉に、アヤメとエミルは力強く頷き返した。
—————
工房に戻るなり、バルディアは鉱石や魔石を机一面に並べ始めた。泣き腫らした目の赤みはまだ残っているが、その瞳には職人の炎が灯っている。
「さて、これからお前たちの武器作りに取り掛かるぞ。この三日間、師匠の目覚めを待ちながら、ずっと頭ん中で構想を練ってたんだ。要望は全部吐き出せ、可能な限りブチ込んでやる!」
机に並べた素材を眺めながら、腕を組む。その横顔は、師匠の胸で泣きじゃくっていた少女のものではない。一流の職人のそれだ。
「ありがとうございます、バルディアちゃん! わたしはですね……」
早速、アヤメとの相談が始まった。剣技の癖、得意な間合い、求める斬れ味。二人の会話は次第に熱を帯び、職人と顧客のそれだ。
エミルは壁に背を預け、その様子を眺めていた。
武器の話になると、途端に口を挟む余地がなくなる。別に疎外感があるわけではない。ただ、自分には関係のない領域だと——そう割り切っている。
この拳と、まだ全貌の見えないスキル。そして新たに得た土属性の魔力。それらをどう組み合わせ、最適化していくか。他人の作った武器に頼るより、自分の身体を磨く方が性に合っている。
「エミル、オマエは武器、本当にいらないのか?」
ふと、バルディアが声をかけてきた。
「ああ。遠距離は魔法、近接はこの拳でいい」
「そっか……。ま、オマエらしいけどよ」
バルディアは顎に手を当て、エミルを値踏みするように眺める。琥珀色の瞳が、職人の目になっていた。
「もし嫌じゃなかったらよ、エルビラが使ってたみたいなグローブ、試してみないか? 魔石をはめ込んで、殴る瞬間に爆発を起こすやつ。魔法が使えないヤツでも、擬似的に属性攻撃を繰り出せる代物だ。オマエと相性がいいかと思ってな」
「なるほど……」
エルビラが付けていたグローブ。あの巨漢が振るっていた、荒々しい爆炎の拳。
エミルは自分の手のひらを見つめた。
今後、他の大地に行けば、土以外の属性も手に入るかもしれない。その時、この身体一つで複数の属性をどう制御するか。それが間違いなく課題になる。
「……それなら、属性魔法は出さなくていい。魔力の制御を効率化したり、増幅させたりはできるか?」
「はっ、誰に言ってやがる!」
バルディアは不敵に鼻を鳴らした。
「属性に依存しねえ、純粋な魔力増幅と制御……面白え、腕が鳴るぜ! アタシに任せな、オマエの拳に最高の相棒を作ってやる!」
「ああ、頼りにしてる」
「にししっ!」
その口元から覗く小さな八重歯が、彼女の笑顔をより無邪気に見せる。ヘパイストスが目覚めてから、バルディアの表情は柔らかくなった。纏う空気さえ軽い。
ずっと不安だったのだろう。師匠を失うかもしれないという恐怖。一人になってしまうかもしれないという孤独。それらから解放されて、ようやく本来の彼女に戻れたのだ。
「エミルには、魔力制御に特化したグローブ。アヤメには、切れ味と軽さを追求した刀。どっちも、アタシの全力を注ぐぜ!」
こうして、新しい武器作りがスタートした。




