第061話 帰還
地上に出ると、空はすでに茜色に染まっていた。
ダンジョンに潜っていたのは五日ほど。けれど感覚的には、もっと長い月日が流れたように思える。
「ぷはーっ! やっぱ外の空気はうめえな!」
バルディアが大きく伸びをした。泥と煤にまみれた顔に、ようやく笑みが戻っている。けれどその声は、どこか空元気にも聞こえた。
「ようやく帰ってこれたな……」
「本当に……生きて帰れてよかったです」
エミルとアヤメも、張り詰めていた緊張を解いて息をつく。
だが、感傷に浸っている時間はない。【アイテムボックス】の中には、大量のドワーフたちが眠っているのだ。
「急いでギルドへ行くぞ。ドワーフたちが目を覚ましたらパニックになりかねない」
鍛冶師ギルドの扉を蹴破る勢いで飛び込むと、ウォルコットが血相を変えて飛び出してきた。
「バルディア! まさか本当に戻ってくるとは……」
「にしし、言ったろ? 必ず連れ帰るってな!」
バルディアは得意げに鼻をこする。
外であらかじめ【アイテムボックス】から出しておいたドワーフたちをギルドへ運び込むと、ウォルコットは目を丸くした。
「こ、これは……全員無事なのか!?」
「ああ。だがまだ意識が戻らねえんだ。とにかく今は休ませてやってくれ」
「分かった、すぐに治療院を手配する!」
ウォルコットが慌ただしく指示を飛ばす。ギルドの職員たちが駆け回り、あっという間にドワーフたちは運び出されていった。
エミルはその様子を眺めながら、さりげなくバルディアの横顔を見やった。師匠たちが運ばれていくのを見送る瞳には、安堵と——やはり、どこか複雑な色が滲んでいる。
「正直、こんな短期間で解決するとは思わなかったぞ。それも行方不明者を一人残らず連れて帰るなんて……。どうやらお前の目に狂いはなかったようだな」
ウォルコットの言葉に、バルディアは「へへ」と笑った。けれど、その笑みは先ほどより少し小さい。
「ドワーフたちは、提携している治療院で保護する。意識が戻るまでの警備も手配済みだ、安心しろ」
「助かるぜ。それと……ギルド長のラモンのことなんだけどよ……」
バルディアは、ラモンがアレスの変装だった可能性が高いことを報告した。急に行方不明になったラモンのことを、ギルドも訝しがっていたらしい。
本物のラモンはどこへ行ったのか。いや、そもそもそんな人物は最初から存在しなかったのかもしれない。アレスがいない今となっては、真相は闇の中だ。
「それでバルディア。今回の真犯人……アレスという人物を倒したのが……」
「ああ、ここにいるエミルだ!」
バルディアがエミルの背中をバシンと叩く。
「なるほど……。エルビラだけでなく元凶まで叩くとはな。E級の実力者、か……。ブラドさんの言っていたことに間違いはなかったようだ」
ダンジョンに潜っている間に、ラグネシアギルドのブラドに照会をしていたらしい。照会を勧めたのはこちらだが、実に隙がない動きだ。
「本当にありがとう。グロムハルトは君たちに大きな借りができた」
ウォルコットは深々と頭を下げた。
エミルは居心地悪そうに頬をかく。
「いや、いいって。それより、こいつはどうしたらいい?」
話を逸らすように、エミルは拘束したエルビラをウォルコットの前に突き出した。縄で雁字搦めにされた大男が、忌々しげにこちらを睨んでいる。
「エルビラはオラクルズに連絡し、身柄を引き取ってもらうよ。全く、問題児ってだけならよかったんだがな……」
「……だとよ。じゃあな、エロビラ。帰りは助かったよ」
「エ“ル”ビラだ、クソガキが! てめえ、わざと間違えてんだろ!」
連行されかけたエルビラが、ふと足を止めた。
振り返り、下卑た笑みを浮かべる。
「へへ、そういやよぉ。お前、面白ぇ能力使ってたなあ? 言いふらせば、興味を持つやつはごまんといるだろうぜ……?」
エミルの眉がぴくりと動いた。
だが、それより先にアヤメが一歩前に出た。
「……あなた、余計な口を開いてみなさい。わたしがあなたを斬りますよ」
アヤメは静かに、けれど底冷えするような目でエルビラを見据える。
有無を言わさぬ殺気に、エルビラの顔から一瞬で血の気が引いた。
「じょ、冗談だよ冗談! 言わねえよ、言わねえって!」
「冗談でも二度と口にしないでください。次はありません」
連行されていくエルビラの背中を、アヤメは無表情のまま見送った。
手続きを終え、ギルドを出る頃には、すっかり日は暮れていた。
「さて……ドワーフ達が目覚めるまで、一旦バルディアの家に戻るか?」
「エミル、アヤメ。……悪いんだけどよ、先に戻っててくれねえか? アタシは、師匠が目を覚ますまで傍にいたいんだ」
「それなら、わたしもバルディアちゃんと一緒に……」
「いや、これはアタシのワガママだ。オマエらまで付き合う必要はねえよ」
アヤメの言葉を、バルディアは首を振って遮った。
「え、でも……」
「気持ちだけ受け取っておくよ」
バルディアは小さく息を吐いた。夜風が、彼女の薄金色の髪を揺らす。
「正直に言うとよ……アタシ、なんもできなかったんだ。敵を倒したのも、師匠たちを運んだのもオマエらの力だ」
「バルディアちゃん……」
「だから、せめて師匠が目を覚ますときくらい、傍にいてやりてえんだ。それくらいは、させてくれ」
バルディアの声は、震えていなかった。むしろ、静かな決意に満ちていた。
「……わかった。でも、何かあったらすぐ呼べよ」
「ああ、ありがとよ」
バルディアは顔を上げ、照れ隠しのような笑みを浮かべた。
「師匠が目覚めたら、ちゃんと約束のモンは用意するからよ。それに、オマエらの旅はまだ長いんだろ? 疲れてるはずだ。急いでるとこ悪りいが……うちで休んで待っててくれ」
その言葉には、心の底からの信頼が込められていた。
—————
ダンジョンから戻って三日が過ぎた。
グロムハルトの喧騒が嘘のように、バルディアの工房は静かな時間が流れていた。
リビングのソファに深く沈み込んだまま、エミルは天井をぼんやりと眺めている。全身の痛みは、スキルと十分な休息のおかげでほぼ癒えている。だが、心の奥底にこびりついた疲労感だけは、そう簡単には拭えそうになかった。
——『追われる側のようだね』
アレスが消える間際に残した言葉が、頭から離れない。
元の世界に通じているかもしれない「扉」も、あのダンジョンにもなかった。結果的に、振り出しに戻ってしまったのだ。
母親を襲った犯人への復讐。それだけを道標に、元の世界へ帰ることだけを考えていたはずだった。なのに、気づけばこの世界の深い闇に、どっぷりと足を踏み入れようとしている。
ふと、視界の端で落ち着きなく動き回る影に気づいた。
アヤメだ。
彼女は窓辺に立ったかと思えば、今度は壁に立てかけてある武器を意味もなく握りしめる。また溜息をついて窓辺に戻る。ここ数日、ずっとこの調子だった。
エミルの視線に気づいたアヤメが、歩み寄ってきた。
「エミル様、どうかしましたか? 難しい顔してますよ」
「いや、どうかしてるのはお前の方だよ。ずっと落ち着きがないぞ」
「あ……いえ、それは、その……」
アヤメは力なく眉を下げ、視線を逸らした。
——無理もないか。
アヤメが故郷を飛び出したのは、病に倒れた父を救うため。その特効薬となりうる魔石が、このグロムハルトにあるかもしれないという、僅かな情報だけを頼りに。
バルディアが言ったとおり、ダンジョンでは結局見つからなかった。
『師匠なら知っているはず』——残る手がかりはこれだけ。アヤメはその言葉にすがるように、ヘパイストスの目覚めを待ち続けている。
もし、ヘパイストスも知らなかったら。
そんな最悪の想像がふと頭をよぎった、その時だった。
ドォン!!
突然、分厚い扉が破壊されんばかりの勢いで叩かれた。
「おい! エミル、アヤメ! いるかッ!」
鍛冶師ギルドのギルド長代理、ウォルコットが息を切らせて飛び込んできた。その顔は、興奮と安堵で紅潮している。
「ヘパイストスさんが……ヘパイストスさんが目を覚ましたぞ!」
その一言は、重苦しい空気を吹き飛ばす号砲だった。
エミルとアヤメは弾かれたように顔を見合わせ、同時に駆け出した。




