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第006話 ブラド・ジェスタッド

「おい、アンタ」


 振り返ると、熊のような筋骨隆々の大男が、腕を組んでこちらを見下ろしていた。


「……な、何か用か?」


 身構えながら返すと、大男は呆れたように息を吐いた。


「さっき登録してた新人だろ。そんなシケた面して突っ立ってどうした。クエストは選ばねえのか?」

「選ぶも何も……これじゃあな」

「E級のクエストが気に入らねえか。まあ、無理もねえか」


 男は掲示板を一瞥し、鼻を鳴らす。


「お前、本当に冒険者なんざやるつもりか? ここはお遊戯をしに来る場所じゃねえぞ」

「……大きなお世話だ。あんたには関係ないだろう」


 反射的に、刺々しい言葉が飛び出す。


 ——またこの手のやつか。どうせ、無属性のE級だと馬鹿にしに来たんだろう。

 さっきの連中と同じだ。部屋に閉じこもっていた十年間、何度も浴びせられた視線。「お前には無理だ」「どうせ何もできない」——そういう目だ。


 社会から弾き出された人間への、無理解な蔑み。体の奥底から、ドロドロとした反発心が這い上がってくる。


 しかし、男は怒るどころか、困ったように頭をかいた。


「悪い、名乗るのが遅れたな。俺はここのギルド長、『ブラド・ジェスタッド』だ。ブラドでいい」

「……ギルド長様が何の用だ。わざわざ新人をからかいに来たのかよ?」

「気を悪くしたならすまねえ。だがな、忠告はしておく。冒険者ってのは、常に死と隣り合わせの仕事だ。クエストをこなせなけりゃ、飯も食えねえ」

「……」

「お前、訳ありみてえだが、無理に冒険者なんて危険な仕事にこだわるこたねえ。街に行きゃあ他にも仕事はいくらでもあるぞ」


 その口調はぶっきらぼうだったが、不思議と悪意は感じられなかった。むしろ、本気で心配してくれているようだ。説教臭いが、嫌な感じはしない。


 しかし、だからといって引き下がるわけにはいかない。


「忠告はありがたく受け取っておくよ。でも、おれにはやらなくちゃいけないことがあるんだ」

「……そうか。まあ、冒険者なんてのは大なり小なりそういう連中の吹き溜まりだ。詳しいことは聞かねえよ」


 ブラドはふっと息を吐くと、大きな手でエミルの肩を軽く叩いた。


「だがな、急いでるからって無茶はするな。お前、さっきの測定じゃ魔力もほとんどなかったろ。それでいきなり魔物とやり合おうなんざ、自殺行為だ」


 返す言葉がない。無属性でE級。それが今の現実だ。


「やる気があるなら止めはしねえ。ただし、最初はここからだ」


 ブラドはE級の掲示板に手を伸ばすと、一枚の依頼書を乱暴に引き剥がした。


「ほらよ。これならちょうどいいクエストだ」


 突きつけられたのは、【薬草採集】の依頼書。これしかないのか、という落胆が顔に出たのだろう。ブラドがニヤリと笑った。


「なんだ、不満か? だがな、新米のE級にやれるのはこういう地道なクエストだけだ。嫌なら冒険者登録は辞めることだ。どうする? 今ならまだ間に合うぞ」


 その問いが、胸に重く突き刺さる。


 ——辞める?

 ここで辞めてどうする。飯屋や宿屋の手伝いでもして日銭を稼ぐというのか?

 そんなので、いつになったら元の世界に戻れる?

 いつになったら、母さんを殺したあの男を見つけ出せる?


 ——『どうか……生きて……幸せに……』


 母の最期の言葉が蘇る。


 冗談じゃない。ここで諦めたら、本当にすべてが終わる。


「……わかった。その依頼、受けるよ。詳細を教えてくれ」


 絞り出した声は、自分でも驚くほどはっきりと響いた。強い意志の宿った瞳を見て、ブラドは満足したように、かすかに口の端を上げた。


「そうこなくちゃな。タルマ村って村の近くの森に群生地がある。ラグネシアからは歩いて一日、二日ってところだ。魔物もほとんど出ねえから安心しろ」

「……魔物は出ないのか」

「ああ、E級が魔物討伐なんざ十年早えよ」


 ブラドの眼光が、鋭くなった。それは叱責というより、現実を教え諭す目だった。


「どうしても魔物を狩りてえってんなら、早くD級に上がるこった。自分の等級(ランク)より上のクエストは受けられねえからな」

「実績を積めば昇級できるってことか?」

「ああ。俺たちギルド職員の推薦で昇級できる。魔法が使えねえなら体術か剣術を磨くしかねえが、実力次第でC級くらいなら上がれるからな」


 その言葉は、乾いた心に染み渡った。


 道はある。閉ざされてはいない。今はただ、目の前のことを一つずつ、着実にこなしていくしかないのだ。


「わかった。受付で手続きしてくるよ」

「ああ、それでいい。……ただ、これだけは肝に銘じておけ。自分を過信するな。俺はな、それで命を落としてきた冒険者を、それこそ両手の指じゃ足りねえくらい見てきた」


 重みのある言葉だった。彼の脳裏にはきっと今も、無謀な挑戦の末に帰らぬ人となった若者たちの顔が浮かんでいるのだろう。


「特にD級やE級なんてのはな……。正直、俺はそんな等級(ランク)自体、あってほしくねえんだ。半人前のひよっこを危険地帯に送り出すための免罪符みてえで、胸糞が悪ぃ」


 ブラドは吐き捨てるように言った。


「さ、依頼書はこれだ。薬草の見本と簡単な地図も書いといた。クエストに期限はねえが、十日くらいで戻ってきてくれると助かる」

「ありがとう、ブラド」


 差し出された書類を両手で受け取とると、自然と頭が下がっていた。


 ぶっきらぼうで、威圧的で、けれど誰よりも冒険者のことを案じている男。この世界で初めて出会った、信じられるかもしれない人間だった。


 ——いや、それは違うな。


 脳裏に、翡翠色の瞳を持つ少女の姿が浮かぶ。


 彼女も、見ず知らずの自分を助けてくれた。ポーションを押し付けて、道を教えて、何も見返りを求めずに去っていった。


 ——『今度は魔物に気をつけてくださいね』


 旅をしていれば、またどこかで会えるのだろうか。もし再会したらあの時言えなかった言葉を伝えたい。


「……さっさと行け。もう日も暮れるし出発は明日にしろ。宿くらいは確保しとけよ」

「ああ」


 エミルはギルドの重い扉に手をかけた。


 その時だ。


「おい、そこの若いの」


 しゃがれた声が、足を止めさせた。


 振り返ると、入り口近くの酒樽に寄りかかった薄汚い中年の男が、安酒の瓶を片手にこちらをじろじろと見ている。


「……おれか?」

「ああ、そうだ。お前さん、その服……」


 男の濁った瞳が、エミルの着ているワイシャツとスラックスに釘付けになっていた。血と泥で汚れているが、この世界の服とは素材も仕立ても明らかに違う。


「珍しい織りだなァ。この辺じゃ見かけねえ代物だ」

「……ああ、田舎から出てきたもんでな」


 適当に誤魔化して立ち去ろうとした。だが、男の次の言葉に——エミルの足が凍りついた。


「何年か前に会った男を思い出しちまってな。……ちょうどお前さんと同じような、妙な服を着とった。ひょっとして同郷かい?」

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