第057話 エミル VS アレス①
「余所見してんじゃねえぞ、オラァ!」
エルビラの爆炎を纏った拳が、エミルの腕にめり込んだ。
ガードの上からでも伝わる衝撃。黒いグローブから噴き出す炎が肌を灼き、視界が白く点滅した。
これは、エミルがバルディアを助けに飛び込む、ほんの少し前のこと。
「ギルドの時よりずいぶんと大人しいじゃねえか! あの威勢はハッタリだったのかよ、ああ!?」
エルビラが、勝ち誇ったように口角を歪める。
視界の端で、アヤメとバルディアの死闘が繰り広げられている。二人の助けに早く行かなければという焦りが、エミルの思考を鈍らせていた。
「アレス様にもらったこの特製グローブ。こいつにはな、火の魔石が埋め込んである。無様にやられたあの時の俺とは違うぞ、クソガキがあ!」
エルビラは黒いグローブをはめた拳を打ち合わせ、これ見よがしに笑う。
「知ったことかよ」
「口の減らねえガキだな……後悔しても遅えぞ!」
エルビラの巨体が突進してくる。左右の拳から放たれる爆炎の連打。回避に専念しながら、エミルは意識の一部を切り離していた。
——おれの目的はこいつを倒すことじゃない。
だけど、他を気にして集中しないのも、逆に時間がかかるだけだな。
「悪かったよ。お前なんかに構っているほど、こっちは暇じゃないんだ」
「ああ!? てめえ、何を言って……」
気づいた時にはもう遅い。
エルビラの攻撃を躱しながら、エミルは密かに魔力を練り上げていた。
頭上の空間に、逆円錐状の土塊が完成している。
「終わりだ、エロビラ。『黒土の落弾』!」
「お、俺はエルビ……」
ドォォォォン……!
言い終わるより早く、巨大な土塊が無慈悲に落下する。
轟音と共に地面が抉れ、土煙が舞い上がった。その中心で、白目を剥いたエルビラが完全に沈黙していた。
「……タフなやつだし、これでも死にはしないだろ」
一瞥もせず、エミルは視線を向こう側に向けた。
ボロボロになりながら戦う、小さな獣人の少女。その姿が、土煙の向こうに見える。
—————
「よく頑張ったな、バルディア。後はおれに任せろ」
アレスが振り下ろした攻撃を、エミルは片腕で受け止めていた。【硬化】スキルで極限まで硬めた腕が、命を刈り取る一撃をピタリと止める。
「エミル……!」
バルディアの声には安堵と、そして自分の不甲斐なさを悔いるような色が滲んでいた。
傷だらけのバルディアをそっと抱き上げ、アレスの攻撃が及ばない後方まで運ぶ。
「すまねえ……頼む……」
「ああ、わかってる。十分すぎるほど戦ったよ。ゆっくり休んでな」
エミルの声には、バルディアを労わる優しさと、目の前の敵に対する凍てつくような怒りが同居していた。
「アレス、お前の相手はおれが引き受けるよ」
「エルビラちゃんは足止めにはならなかったか。ま、最後は君が来ると思っていたけどね」
「あいつは頑張ってたと思うぞ」
「優しいねえ。じゃあ君の実力、じっくりと見せてもらうとしようか」
言葉と同時に、エミルの姿がかき消えた。
『空間転移』で一瞬で距離を詰め、アレスの死角へと回り込む。
「こっちも最初から全力だ!」
反応する暇など与えない。漆黒の魔力を纏った拳を、アレスの横顔に叩き込む。
「『黒焔・業』!!!」
ドプン……!
手応えはない。
拳は抵抗なくアレスの身体を通過する。
まるで水に手を突っ込んだように、泥の身体が不気味に波打つだけだった。
「ちっ……またそれか」
「学習しないねえ、エミルちゃん」
「エミル! ソイツには意識の外からの攻撃しか通じねえ!」
後方から、バルディアの掠れた叫びが飛んでくる。
その声に反応したアレスの目が、ギロリとバルディアを向いた。泥の身体の一部が鞭のようにしなり、傷ついた彼女へと襲いかかる。
「リング外からアドバイスは反則だよ、バルディアちゃん。死に損ないめ……」
「行かせないって言ってるだろ!」
アレスがバルディアに気を取られた、その一瞬。
エミルは再び転移し、無防備な背中へ黒焔を叩き込もうと踏み込んだ。
だが——。
「エミル! 危な……」
遅い。
アレスは全身を泥へと変化させ、エミルを丸ごと飲み込んだ。
「ふふふ……狙いは最初から君だよ、エミルちゃん。『泥の揺籃』」
「ぐっ……!?」
視界が閉ざされた。
光も、音も、空気さえも消える。
鼻と口を泥が塞ぎ、肺が焦げ付くような苦しみに襲われた。
——またこれか……ッ!
溺れる感覚。呼吸ができず、意識が遠のきかける。
「さっきとは違って、助ける人は誰もいないよ」
アレスの嘲笑う声が、泥を伝って直接脳内に響く。
「エミル……! くそ、身体が……っ」
バルディアが助けに動こうとするも、思うように動けない。
——大丈夫。さっきのコロシアムで対策は取れている。
エミルは冷静に、意識を研ぎ澄ませた。
全身から魔力を放出するイメージを描く。アレスごと、自身の魔力で呑み込む。
——うおおおおおおおおっ!!!
泥の球体の内側から、漆黒の光が漏れ出した。
「うぐ……な、何を!?」
アレスの声が狼狽に染まる。
自分の泥が、逆にエミルのどす黒い魔力に侵食されていく。制御を失い、形を保てなくなっていく。
耐えきれず、アレスはエミルを解放した。
慌てて距離を取り、人型へと身体を再構築する。
お互い、膝をついていた。
「はあ……はあ……嫌になるね。君、どうやったら倒せるわけ?」
「ハァ……ハァ……そりゃこっちのセリフだ」
アレスは首を振り、やれやれといった様子で泥を払った。
「うーん、参ったなあ。君を倒すのは骨が折れそうだ。かといって君も僕を倒すのも苦労してるでしょ? ……そうだ、良いことを思いついた」
アレスは芝居がかった仕草で、ポンと手を打った。
「エミルちゃん、僕らと組まない?」
「……は?」
一瞬、エミルの思考が止まった。




