第055話 バルディア VS アレス
ガキィィンッ!
耳を裂くような金属音が、薄暗い広間に響き渡った。
バルディアの炎爪と、槍のように変形したアレスの腕が火花を散らしてぶつかる。
「良い武器使ってるじゃない、バルディアちゃん」
「はっ。テメエに褒められても全然嬉しくなんかねえよ」
アレスは舞うように攻撃をいなし、泥の身体で衝撃を吸収していく。
バルディアが繰り出す鋭い連撃は、ことごとく粘性の高い泥に勢いを殺され、手応えのない感触だけが腕に残った。
「『狂気掻・アプセット』ッ!!」
三本の爪が赤い閃光を描き、アレスの胴体を薙ぎ払う。
並の魔物ならば、硬い甲殻ごと両断できる必殺の一撃。
——クソッ、手応えがねえ!
肉を断つ感触も、骨を砕く抵抗も、何一つ返ってこない。
まるで水飴をかき混ぜるかのように、アレスの泥の身体を無抵抗に通過しただけ。切断面はネチャリと粘つく音を立てて、瞬時に癒着していく。
「だから、無駄だって言ってるでしょ?」
アレスの首が、ありえない角度でぐるりと回った。人間の骨格を完全に無視した動きで、嘲りの笑みを向けてくる。
「コイツはどうだ!」
一度距離を取り、今度は両腕の爪にありったけの炎を宿らせる。
内蔵された魔石が爆ぜ、魔力が臨界点まで膨れ上がった。泥ごと蒸発させるほどの高熱。
「『爆炎爪・オルソデジ』ッ!!!!」
爆音と共に、アレスの全身が紅蓮の炎に包まれた。
ゴウッ、と空気が灼ける音。泥の身体が熱せられ、水分が蒸発する音が響いた。
「やったか……!?」
確かな手応え。
しかし、その希望は、すぐに絶望へと叩き落とされる。
「僕の人形たちを倒したからいけると思ったのかな? 残念だったね」
炎の中から聞こえてきたのは、余裕綽々の声だった。
煙が晴れた先に立っていたのは、身体の表面がガラスのように硬質化し、黒く変色したアレスの姿。高熱で焼かれた泥が、陶器のように固まっている。
その表面がパキパキと音を立てて剥がれ落ちていく。その下から現れたのは、全く無傷の本体だった。
「くそ、攻撃が全く通らねえ……ッ! なんなんだオマエは……」
焦りが、心臓を鷲掴みにする。
世界一の鍛冶師に鍛えられ、自らの魂を込めて打った最高の武器。それが、全く通用しない。
その事実が、バルディアの鍛冶師としての矜持を、根底から揺るがした。
「焦ってるね、バルディアちゃん。そのご自慢の武器も、所詮は僕に届かない。武器なんてそんなものさ。人を殺すための、ただの道具だよ」
「……黙れ」
バルディアの喉から、唸るような低い声が漏れた。
「テメエみてえな外道に使われるために、アタシらは魂削ってねえんだよ!」
「ふふ、一端の口をきくねえ。……じゃあ、道具の使い方ってやつを教えてあげるよ」
アレスの身体が、またぐにゃりと歪む。両腕がみるみる膨れ上がり、粘土のようだった腕は、やがて鉄塊のような質感に変わっていく。
その先端が形成したのは、巨大なハンマー。ドワーフが魂を込めて振るうそれを、醜悪に模倣した形だった。
「ちっ、鍛冶師をバカにしてんのか、テメエ……!」
頭に血が上る。バルディアはガントレットから爆炎を噴射し、弾丸となって突っ込んだ。
「『狂気掻・アプセット』ッ!!」
火花を散らす爪が、アレスの心臓を目掛けて突き刺さる——その直前。
アレスの身体が液状化し、ずるりと床へ沈み込んでいった。
「……残念、後ろだよ」
「なッ!?」
背後から泥の渦のように湧き上がるアレスの姿。反応する間もなく、蛇のように伸びた泥の腕が、バルディアの胴体を締め上げた。
「道具の使い方を教える途中だったね……!」
アレスはハンマー状の腕を思い切り振りかぶり、バルディアの胴体目掛けて、叩きつけた。
「がっ……!!!」
壁に叩きつけられ、肺の空気が強制的に吐き出される。蜘蛛の巣状のヒビが入るほどの衝撃。
それでもバルディアは地面に転がりながら、すぐに爪を床に突き立てて跳ね起きた。
「はぁ、はぁ……ッ! マジでふざけんなよ……!」
口から血が溢れる。だが、その瞳の炎は消えていない。
ガントレットにさらなる魔力を注ぎ込む。爪が赤熱し、周囲の空気が揺らぐほどの高熱を帯びた。
「『秘露爪掻・モルタル』ッ!!!!」
視認不可能な速度での連撃。今度こそ捉えた——はずだった。
「危ない、危ない」
切り裂いたように見えた胸元は、すぐに液状になって裂け目を吸収する。物理的な切断など、水面を切るようなものだと言わんばかりに。
「いい加減学習したらどうかな、バルディアちゃん。切ったり刺したりしても、すぐ元通りになっちゃうんだよ……ね?」
アレスは両腕のハンマーを地面に叩きつけた。
ズン、と衝撃が走り、足元がぐらりと揺れる。バルディアは思わずバランスを崩した。
「くっ……」
「ほらほら、立ってられないのかい?」
よろめくバルディアを見て、アレスは心底楽しそうに笑った。
その余裕綽々の態度に、バルディアの怒りはとっくに沸点を超えていた。
「からかってんじゃねえ! 真面目に戦いやがれ!」
「僕はいたって真面目だよ? だけどそこまで言うなら仕方ない。そろそろ終わらせようか」
「あ……?」
アレスが空中に跳躍し、身体を丸める。
泥の身体が球体へと変形し、その表面から無数の棘が生え出した。巨大なウニのような、凶悪な形状。
「『粘土球・棘嵐』!!!!」
球体から無数のトゲが射出され、弾丸の雨となって降り注ぐ。
「ぐああぁぁぁぁあああ!」
逃げ場はない。
バルディアは両腕で顔を庇うのが精一杯だった。
鋭利なトゲが皮膚を裂き、全身に無数の切り傷を刻んでいく。
——痛え……!
だが、致命傷にはまだ……!
歯を食いしばり、反撃の機を窺う。
だが、アレスは攻撃の手を緩めなかった。
「んー、さすがにこれじゃ死なないか。獣人ちゃんは頑丈だねえ。じゃあ、これならどう?」
アレスの身体が、どろりと崩れ落ちた。液体のように床を這い、バルディアの足元へと迫る。
——やべえ、これはさっきエミルを包んでいた……!
回避しようと跳んだ瞬間、泥の手が足首を掴んだ。
強力な粘着質を持つ泥が、まるで蟻地獄のように引きずり込んでいく。泥が両足、腰、そして胸へと這い上がってくる。
「離せッ! 離しやがれッ!」
「ゆっくりおやすみ……『泥の揺籃』」
ぬめりと、冷たく重い感触が全身を覆う。
泥の一部が、バルディアの口と鼻をぴったりと塞いだ。
「……! んぐ……ん……!!」
息ができない。
肺が酸素を求めて収縮する。必死に吸おうとしても、気道に入ってくるのは無機質な泥の感触だけ。
「……が……ぁ……」
もがけばもがくほど、泥は身体に食い込み、拘束を強めていく。
「ふふふ、無駄だよ。今の僕の体は底なし沼と同じ。無駄な抵抗は諦めて、身体をゆっくり僕に委ねなよ。……そうしたら、苦しまずに逝かせてあげるから、ね」
視界が急速に白んでいく。
手足の感覚が麻痺し、思考が鈍くなっていく。
「ほうら、大丈夫。力を抜いて……」
アレスの声が、どこか遠くに聞こえる。
——ダメだ、このままじゃ……。
師匠も助けられず、こんなワケの分からない泥ヤロウに……。
薄れゆく意識の中、ふと、鉄を打つ音が聞こえた気がした。
カン、カン、と規則正しく響く槌の音。
熱い空気。
溶けた金属の匂い。
脳裏に、ヘパイストスの顔が浮かんだ。
初めて槌を握らせてもらった日のことを、バルディアは忘れない。
——『一度だけじゃぞ』
師匠の声は、いつも低くて、ぶっきらぼうだった。
——『声を聞け。ここを叩いてくれと、鉄が言っとる場所をな』
アタシの手を、師匠のごつごつした大きな手が包み込んだ。
あの手は、熱かった。
炉の熱じゃない。魂の熱だ。
アタシのような捨てられたガキに、本気で向き合ってくれる人の、熱だった。
左目を失っても、師匠はアタシを責めなかった。
——『お前は、その力を御する覚悟があるか?』
罪悪感で押しつぶされそうになっていたアタシを、引き上げてくれた。
師匠は、アタシに居場所をくれた。
師匠は、アタシに生きる意味をくれた。
無口で頑固で、言葉足らずで——でも、アタシのことを誰よりも信じてくれた、たった一人の家族。
——冗談じゃねえ。
消えかけた意識の底で、怒りが再燃する。
——アタシの師匠は、世界一なんだ。
その師匠が、アタシのたった一人の家族が……こんなヤツに弄ばれ、利用されていいわけがねえッ!!
ドクンッ、と心臓が跳ねた。
全身の全魔力を、ただ一点に集中させる。
心臓の奥底へと、限界を超えて圧縮していく。
この忌々しい泥を。
この理不尽を。
全て焼き尽くすために。
——燃えろッ!
『狐火』ッ!!!!
ボォッ!
くぐもった爆発音と共に、バルディアの身体から青白い炎が噴き上がった。
それはただ高温なだけの炎ではない。
魂そのものを燃料にした、全てを浄化する狐火だった。




