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黒焔の復讐者は禁忌を宿して異世界を往く  作者: 美希昌希
第二章:グロムハルト編
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第055話 バルディア VS アレス

 ガキィィンッ!


 耳を裂くような金属音が、薄暗い広間に響き渡った。


 バルディアの炎爪と、槍のように変形したアレスの腕が火花を散らしてぶつかる。


「良い武器使ってるじゃない、バルディアちゃん」

「はっ。テメエに褒められても全然嬉しくなんかねえよ」


 アレスは舞うように攻撃をいなし、泥の身体で衝撃を吸収していく。


 バルディアが繰り出す鋭い連撃は、ことごとく粘性の高い泥に勢いを殺され、手応えのない感触だけが腕に残った。


「『狂気掻(クルペオ)・アプセット』ッ!!」


 三本の爪が赤い閃光を描き、アレスの胴体を薙ぎ払う。

 並の魔物ならば、硬い甲殻ごと両断できる必殺の一撃。


 ——クソッ、手応えがねえ!


 肉を断つ感触も、骨を砕く抵抗も、何一つ返ってこない。


 まるで水飴をかき混ぜるかのように、アレスの泥の身体を無抵抗に通過しただけ。切断面はネチャリと粘つく音を立てて、瞬時に癒着していく。


「だから、無駄だって言ってるでしょ?」


 アレスの首が、ありえない角度でぐるりと回った。人間の骨格を完全に無視した動きで、嘲りの笑みを向けてくる。


「コイツはどうだ!」


 一度距離を取り、今度は両腕の爪にありったけの炎を宿らせる。


 内蔵された魔石が爆ぜ、魔力が臨界点まで膨れ上がった。泥ごと蒸発させるほどの高熱。


「『爆炎爪(スウィフト)・オルソデジ』ッ!!!!」


 爆音と共に、アレスの全身が紅蓮の炎に包まれた。


 ゴウッ、と空気が灼ける音。泥の身体が熱せられ、水分が蒸発する音が響いた。


「やったか……!?」

 

 確かな手応え。


 しかし、その希望は、すぐに絶望へと叩き落とされる。


「僕の人形たちを倒したからいけると思ったのかな? 残念だったね」


 炎の中から聞こえてきたのは、余裕綽々の声だった。


 煙が晴れた先に立っていたのは、身体の表面がガラスのように硬質化し、黒く変色したアレスの姿。高熱で焼かれた泥が、陶器のように固まっている。


 その表面がパキパキと音を立てて剥がれ落ちていく。その下から現れたのは、全く無傷の本体だった。


「くそ、攻撃が全く通らねえ……ッ! なんなんだオマエは……」


 焦りが、心臓を鷲掴みにする。


 世界一の鍛冶師に鍛えられ、自らの魂を込めて打った最高の武器。それが、全く通用しない。


 その事実が、バルディアの鍛冶師としての矜持を、根底から揺るがした。


「焦ってるね、バルディアちゃん。そのご自慢の武器も、所詮は僕に届かない。武器なんてそんなものさ。人を殺すための、ただの道具だよ」

「……黙れ」


 バルディアの喉から、唸るような低い声が漏れた。


「テメエみてえな外道に使われるために、アタシらは魂削ってねえんだよ!」

「ふふ、一端の口をきくねえ。……じゃあ、道具の使い方ってやつを教えてあげるよ」


 アレスの身体が、またぐにゃりと歪む。両腕がみるみる膨れ上がり、粘土のようだった腕は、やがて鉄塊のような質感に変わっていく。


 その先端が形成したのは、巨大なハンマー。ドワーフが魂を込めて振るうそれを、醜悪に模倣した形だった。


「ちっ、鍛冶師をバカにしてんのか、テメエ……!」


 頭に血が上る。バルディアはガントレットから爆炎を噴射し、弾丸となって突っ込んだ。


「『狂気掻(クルペオ)・アプセット』ッ!!」


 火花を散らす爪が、アレスの心臓を目掛けて突き刺さる——その直前。


 アレスの身体が液状化し、ずるりと床へ沈み込んでいった。


「……残念、後ろだよ」

「なッ!?」


 背後から泥の渦のように湧き上がるアレスの姿。反応する間もなく、蛇のように伸びた泥の腕が、バルディアの胴体を締め上げた。


「道具の使い方を教える途中だったね……!」


 アレスはハンマー状の腕を思い切り振りかぶり、バルディアの胴体目掛けて、叩きつけた。


「がっ……!!!」


 壁に叩きつけられ、肺の空気が強制的に吐き出される。蜘蛛の巣状のヒビが入るほどの衝撃。


 それでもバルディアは地面に転がりながら、すぐに爪を床に突き立てて跳ね起きた。


「はぁ、はぁ……ッ! マジでふざけんなよ……!」


 口から血が溢れる。だが、その瞳の炎は消えていない。


 ガントレットにさらなる魔力を注ぎ込む。爪が赤熱し、周囲の空気が揺らぐほどの高熱を帯びた。


「『秘露爪掻(セチュラ)・モルタル』ッ!!!!」


 視認不可能な速度での連撃。今度こそ捉えた——はずだった。


「危ない、危ない」


 切り裂いたように見えた胸元は、すぐに液状になって裂け目を吸収する。物理的な切断など、水面を切るようなものだと言わんばかりに。


「いい加減学習したらどうかな、バルディアちゃん。切ったり刺したりしても、すぐ元通りになっちゃうんだよ……ね?」


 アレスは両腕のハンマーを地面に叩きつけた。


 ズン、と衝撃が走り、足元がぐらりと揺れる。バルディアは思わずバランスを崩した。


「くっ……」

「ほらほら、立ってられないのかい?」


 よろめくバルディアを見て、アレスは心底楽しそうに笑った。


 その余裕綽々の態度に、バルディアの怒りはとっくに沸点を超えていた。


「からかってんじゃねえ! 真面目に戦いやがれ!」

「僕はいたって真面目だよ? だけどそこまで言うなら仕方ない。そろそろ終わらせようか」

「あ……?」


 アレスが空中に跳躍し、身体を丸める。


 泥の身体が球体へと変形し、その表面から無数の棘が生え出した。巨大なウニのような、凶悪な形状。


「『粘土球・棘嵐クレイボール・グローボ』!!!!」


 球体から無数のトゲが射出され、弾丸の雨となって降り注ぐ。


「ぐああぁぁぁぁあああ!」


 逃げ場はない。


 バルディアは両腕で顔を庇うのが精一杯だった。

 鋭利なトゲが皮膚を裂き、全身に無数の切り傷を刻んでいく。


 ——痛え……!

 だが、致命傷にはまだ……!


 歯を食いしばり、反撃の機を窺う。


 だが、アレスは攻撃の手を緩めなかった。


「んー、さすがにこれじゃ死なないか。獣人ちゃんは頑丈だねえ。じゃあ、これならどう?」


 アレスの身体が、どろりと崩れ落ちた。液体のように床を這い、バルディアの足元へと迫る。


 ——やべえ、これはさっきエミルを包んでいた……!


 回避しようと跳んだ瞬間、泥の手が足首を掴んだ。


 強力な粘着質を持つ泥が、まるで蟻地獄のように引きずり込んでいく。泥が両足、腰、そして胸へと這い上がってくる。


「離せッ! 離しやがれッ!」

「ゆっくりおやすみ……『泥の揺籃(マッド・ウテルス)』」


 ぬめりと、冷たく重い感触が全身を覆う。


 泥の一部が、バルディアの口と鼻をぴったりと塞いだ。


「……! んぐ……ん……!!」


 息ができない。


 肺が酸素を求めて収縮する。必死に吸おうとしても、気道に入ってくるのは無機質な泥の感触だけ。


「……が……ぁ……」


 もがけばもがくほど、泥は身体に食い込み、拘束を強めていく。


「ふふふ、無駄だよ。今の僕の体は底なし沼と同じ。無駄な抵抗は諦めて、身体をゆっくり僕に委ねなよ。……そうしたら、苦しまずに逝かせてあげるから、ね」


 視界が急速に白んでいく。

 手足の感覚が麻痺し、思考が鈍くなっていく。


「ほうら、大丈夫。力を抜いて……」


 アレスの声が、どこか遠くに聞こえる。

 

 ——ダメだ、このままじゃ……。

 師匠も助けられず、こんなワケの分からない泥ヤロウに……。


 薄れゆく意識の中、ふと、鉄を打つ音が聞こえた気がした。


 カン、カン、と規則正しく響く槌の音。

 熱い空気。

 溶けた金属の匂い。


 脳裏に、ヘパイストスの顔が浮かんだ。


 初めて槌を握らせてもらった日のことを、バルディアは忘れない。


 ——『一度だけじゃぞ』


 師匠の声は、いつも低くて、ぶっきらぼうだった。


 ——『声を聞け。ここを叩いてくれと、鉄が言っとる場所をな』


 アタシの手を、師匠のごつごつした大きな手が包み込んだ。


 あの手は、熱かった。

 炉の熱じゃない。魂の熱だ。


 アタシのような捨てられたガキに、本気で向き合ってくれる人の、熱だった。


 左目を失っても、師匠はアタシを責めなかった。


 ——『お前は、その力を御する覚悟があるか?』


 罪悪感で押しつぶされそうになっていたアタシを、引き上げてくれた。


 師匠は、アタシに居場所をくれた。

 師匠は、アタシに生きる意味をくれた。


 無口で頑固で、言葉足らずで——でも、アタシのことを誰よりも信じてくれた、たった一人の家族。


 ——冗談じゃねえ。


 消えかけた意識の底で、怒りが再燃する。


 ——アタシの師匠は、世界一なんだ。

 その師匠が、アタシのたった一人の家族が……こんなヤツに弄ばれ、利用されていいわけがねえッ!!


 ドクンッ、と心臓が跳ねた。


 全身の全魔力を、ただ一点に集中させる。

 心臓の奥底へと、限界を超えて圧縮していく。


 この忌々しい泥を。

 この理不尽を。

 全て焼き尽くすために。


 ——燃えろッ!

 『狐火(ヴォルペ・フランメ)』ッ!!!!


 ボォッ!


 くぐもった爆発音と共に、バルディアの身体から青白い炎が噴き上がった。


 それはただ高温なだけの炎ではない。


 魂そのものを燃料にした、全てを浄化する狐火だった。

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