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黒焔の復讐者は禁忌を宿して異世界を往く  作者: 美希昌希
第二章:グロムハルト編
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第054話 アヤメ VS キャラコ

 三つの戦いが、薄暗い広間で同時に火花を散らしていた。


 エミルはエルビラへ。バルディアはアレスへ。


 そしてアヤメは——。


「……」


 目の前に立ちはだかる巨漢、キャラコが無言でアヤメを見据えている。


 獲物の価値を測るような、無感情な瞳。一歩、また一歩と間合いを詰めるたびに、石畳が重く軋んだ。


 アヤメは柄を握る手にぐっと力を込める。


 ——『その子弱そうだし、そのままなぶり殺しちゃっていいよ』


 アレスの言葉が、まだ耳にこびりついている。


 タルマ村で捕まった時の無力感が、嫌でも蘇ってくる。ほんのわずかな油断、体力管理の甘さ。それが招いた屈辱的な敗北。


 もしエミルが助けに来なければ、今頃どうなっていたか。考えるだけでぞっとする。


 ——こんな体たらくで、お父様を救うなんて言えるの?

 エミル様もバルディアちゃんも、今この瞬間、命懸けで戦っているんだ。

 わたしがここで膝をついたら、二人の邪魔になるだけ。

 お父様を救うと誓って国を出た。その覚悟が、この程度で揺らいでいいはずがない。

 ここでわたしが止める。必ず勝って国に戻るんだ!


 決意を瞳に宿し、アヤメは地を蹴った。


 狙うは巨体ゆえに生じるであろう懐の隙。

 風のように滑り込み、最短距離で鋭い一閃を放つ。


「『翠風流剣技・天津風(あまつかぜ)』——!!」


 ガギィン!


 硬い音が響き、手首が痺れた。


 刃は戦斧の柄に弾かれ、火花を散らす。

 キャラコは片手で攻撃を受け止めながら、もう一方の手で丸太のような剛腕を振るった。


「ッ!」


 咄嗟に身を捻るが、風圧だけで吹き飛ばされる。


 石畳を削りながら着地し、荒い息を吐く。

 エミルからもらった大切な短剣が、すでに悲鳴を上げているのがわかった。


 ——一撃が重すぎる……!

 まともに受けたら、体ごと持っていかれる。


 思考する間もなく、キャラコが踏み込み、巨斧を横一文字に薙ぎ払う。

 剣を盾にするように構え、衝撃を殺そうとするが——。


 ガギンッ!


 岩盤に叩きつけられたような衝撃。

 刃の端が裂け、アヤメの体勢が大きく崩れる。


 「くっ……!」


 キャラコは追撃の手を緩めない。


 上段から叩きつけるように斧を振り下ろす。

 剣で軌道を逸らすのが精一杯。パキリ、と剣先が鈍く砕け、刃こぼれが広がっていく。


「剣が限界のようだな、女剣士」

「貴方こそ……力任せに振り回しているだけで、随分と大味ですね」

「ふん……」


 挑発にも、キャラコは表情を変えない。

 その瞳には、もうアヤメなど映っていないかのような虚無があった。


「はぁぁぁぁああ!!!!」


 キャラコの猛攻が再び始まる。


 斧の軌道が次々と描かれ、アヤメは必死に剣を滑らせて攻撃をいなす。わずかでも受け損ねれば、吹き飛ばされるのは確実だ。


 質量そのものが武器のような一振り。アヤメの剣は、限界を超えようとしていた。


「そんな剣で、本気で勝つ気か?」

「……勝てるかどうかではありません」


 震える膝に力を込め、血の滲む唇で言い返す。


「わたしが、貴方に勝つのです!」

「そうか。ならば——」


 キャラコは巨斧を頭上高く振りかぶった。


 周囲の空気が、重力に従うように一点へと収束していく。


「その気力ごと、叩き潰す。『増荒斧(マスラ・オノ)』——!!!」


 ドゴォォォン!!!!


 巨斧が振り下ろされると同時に、視界が土煙に覆われた。


 直撃ではない。

 だが、地面を伝う衝撃波がアヤメの身体を内側から揺さぶり、吹き飛ばす。


「きゃぁぁっ!?」


 壁に叩きつけられ、肺から空気が絞り出された。


 その余波は数メートル先にいるエミルやバルディアにまで達し、広間全体を地鳴りのように揺るがす。


「ちょっとちょっとキャラコちゃん、僕もいるんだから気をつけてよね」


 アレスが皮肉めいた笑みを浮かべながら距離を取り直す。


「大丈夫か、アヤメ!!!」

「だから、よそ見してんじゃねえ!!!」


 エミルの声。

 直後に、エルビラが彼を捉えた激しい打撃音が響いた。


「エミル様、わたしは大丈夫です! ご自分の戦いに集中してください!」


 アヤメは叫び返すが、その体には衝撃波の余波で無数の切り傷が刻まれていた。


 キャラコの攻撃は振りが大きい。

 だが、それを避けても今度は見えない刃——衝撃波が襲ってくる。


 ——攻撃が変わった……感覚がおかしくなる。

 まるで遅れて届くかのような、この衝撃は……。


「貴様、もしかして魔法が使えないのか?」


 キャラコは、アヤメの能力を値踏みするかのようにじっと見つめた。


「……それが何だと言うのですか」

「そうか。なら勝利は諦めるんだな」


 冷たい宣告。もう殺すだけだという目。


「俺の魔力は風属性。もっとも、魔法にするほど器用ではないが……攻撃に風の魔力を纏わせ、衝撃そのものを操ることができる」

「……ずいぶんと饒舌になりましたね」

「奥の手を引き出させたんだ。誇るがいい」


 今度は斧を突き出すように構え、空気を圧縮させた。


「『多魔之斧(タマノ・オノ)』——!!!」


 ヒュンッ、と空気が裂ける音。


 見えない真空の刃が幾重にも襲いかかる。

 地面を削り、空気を裂きながら、アヤメの全身を切り刻んだ。


「あああぁぁぁぁああああ!!!!」


 頬が切れ、肩が裂ける。


 見えない。魔法が使えないアヤメには、魔力の刃を視認できない。

 感覚だけで回避を続けるが、全身が朱に染まっていく。


 そして——。


 ガキンッッッ!!


 攻撃が止むやいなや、キャラコは距離を詰め、斧でアヤメの胴を薙ぎ払った。


 遠近自在の波状攻撃。近づけば剛腕で叩き潰され、離れれば見えない刃に切り刻まれる。


 なすすべなく消耗し、アヤメは剣を杖代わりにして膝をついた。


「ハァ……ハァ……」


 ——風属性……斧を振るうと同時に、風の魔力で真空の刃を飛ばしている……。

 まるで、お兄様の剣術のような……。


 意識が揺らぐ。視界が霞む。


 薄れゆく思考の中で、懐かしい光景が蘇ってきた。




 —————




「アヤメは剣術だけならギースに勝つな」

「ふっふっふ。もうお兄様には負けませんよ!」


 シオン国、カルフール城の道場。父・ネリスの言葉に、幼いアヤメは胸を張った。


 だが、兄・ギースは悔しそうに言い放つ。


「ふん。あのな、剣術だけ強くたって実戦では勝てん! 俺が本気で魔法を使ったら、お前なんて一瞬だぞ!」

「わたしは魔法が使えないからしょうがないじゃないですか……!」


 ギースの負け惜しみに、アヤメは唇を尖らせてそっぽを向く。


「アヤメ。ギースの言うことも一理ある。実戦で剣だけで向かってくる敵など、そうはおらんぞ?」

「そうだぜアヤメ。次の稽古からは、俺も魔法を使わせてもらうからな」

「むむむ……。そんなことしたら、わたしの勝ち星が……」


 頬を膨らませるアヤメを見て、ネリスとギースは楽しそうに笑っていた。


「むう、二人してまたわたしをバカにして! 魔法が使えないのはお父様も同じではないですか! それならお兄様とお父様が戦えば、お兄様が勝つことになりますよ!」


 ギースは静かに首を振った。


「アヤメ、それは違う。俺では父上には勝てん。俺の風魔法を纏った刀は、父上には届かんのだ」

「私とアヤメの戦い方は似ている。どれ、ギースと模擬戦をしてみようか。よく見ておくのだぞ、アヤメ。これが魔法が使えぬ者の戦い方だ」


 かつて、父ネリスがアヤメに示した実戦。


 刀一つで魔法と対峙するその姿を、アヤメは目に焼きつけていた。




 —————




「女剣士、よく戦った。もう立っているのも限界だろう……楽にしてやる」


 キャラコが斧を振り上げる。


 逃げ場はない。防ぐ剣もボロボロだ。


「『増荒斧(マスラ・オノ)』——!!」


 轟音とともに地が裂け、土煙と衝撃が波のように広がる。


「……!」

「衝撃波に指向性をもたせた……これならアレスの邪魔にはなるまい」


 ドサッ。


 アヤメの体が、ついにその一撃に抗いきれず崩れ落ちた。力のない音が響く。


 キャラコはその場に倒れ伏すアヤメを確認し、踵を返した。アレスの支援へ向かおうとする。


 その時。


「……!」


 背後から漂う、静かだが鋼のように研ぎ澄まされた気配。


 キャラコは思わず足を止めた。


「……まだ立つか、女剣士」


 わずかに眉が動く。


 血に塗れたアヤメが、よろめきながらも再び立ち上がっていた。

 息は乱れ、今にも意識が途切れそうなほど。


 だが、瞳の奥に宿る炎は——さっきよりも、強く燃え上がっている。


「ハァ、ハァ……。シオン国国主ネリス・カルフールの娘……アヤメ・カルフール。その名にかけて、貴方を……二人の元へは行かせません」

「アヤメ・カルフール、なぜそこまで粘る。もう限界だろう」

「ここで貴方に敗れたら……わたしに……彼らと共に戦う資格なんてない!!!!」


 真っ直ぐにキャラコを見据えるアヤメの瞳に、怯えはなかった。


「……そうか」


 キャラコがゆっくりと斧を構え直した。


「俺はキャラコ・ピータース。戦士として、アヤメ・カルフール、貴様の覚悟、受け止めよう」


 二人の間に、張り詰めた空気が流れる。


 キャラコが深く息を吸い、全身の筋肉を膨張させた。

 風の魔力が嵐のように広間を渦巻く。


「いくぞ、『素戔嗚斧(スサノ・オノ)』——!!!!」


 地を裂き、空気を震わせる衝撃波の塊が、アヤメを飲み込むべく押し寄せる。


 アヤメは静かに目を閉じた。


 ——静かだ。

 立っているのもやっとのはずなのに、不思議と体が軽い。


 お父様は言っていた。

 相手の魔力を力で打ち破るのではない。その流れを読み、受け入れ、己が力とする。

 魔法が使えぬがゆえに到達した、剣の極致。


 余計な力が抜けて、意識が研ぎ澄まされていく。


 目を閉じたまま、キャラコの放つ風の魔力の奔流を、肌で、魂で感じ取る。


 接触の瞬間。


 アヤメは剣を、衝撃波の流れに逆らわず、添わせるように滑らせた。


 「『翠風流奥義』——」


 風圧が全身を叩く。だが今度は吹き飛ばされない。


 その嵐のような魔力の流れを剣先で捉え、渦を巻くように自身の周囲へと受け流していく。


 破壊の力が、アヤメの剣を中心に、美しい翠色の円を描く。


「なっ……!?」


 キャラコの顔に、初めて冷や汗が流れた。


 自分の放った全力の破壊力が吸収され、ありえない密度で練り上げられていく。アヤメはその増幅された力を一点に収束させ——踏み込んだ。


「——『燕霞月楼えんかげつろう』!!!!」


 翠色の閃光が、戦斧の刃を真正面から捉えた。


 キャラコの力とアヤメの技、二つの力が一点で衝突する。


 バキンッ……!


 鋼鉄の戦斧が、飴細工のように砕け散った。


「斧が……!」


 驚愕に目を見開くキャラコの胴体が、がら空きになる。


 アヤメは最後の一歩を踏み込んだ。


 技の反動で、全身の骨が軋む。

 筋肉が悲鳴を上げ、意識が明滅する。


 ——これで、最後……!

 エミル様、バルディアちゃん、ごめんなさい。わたしはここまで……。

 あとは……お願いします!


 力の残り火を振り絞り、最後の一閃を解き放った。


「『翠風流心法・吹花擘柳(すいかはくりゅう)』!!」

「——!!!」


 残光が軌跡を描き、空気を裂いて一直線に走った。


 鋭い斬撃がキャラコの肩口から胸へと深々と抉る。同時に、アヤメの剣も限界を迎え、粉々に砕け散った。


 時が止まったような静寂。


「……ハァ、ハァ……」


 アヤメの荒い息遣いだけが響く。


 キャラコの巨体が、ゆっくりと後ろに傾いた。


「見事……だ。アレスの言葉……代わって俺が、撤回しよう……」


 短く呟き、巨木が倒れるようにどっと地に伏した。


 無感情だったその瞳には、信じられないものを見たという驚きと、どこか満足げな色が浮かんでいた。


 それを見届けた瞬間、アヤメの身体からも完全に力が抜けた。張り詰めていた緊張の糸が切れ、膝が崩れる。


 ——勝てた……の、かな。


 ドッ。


 二つの影が、ほぼ同時に石畳に倒れ伏した。

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