第053話 敵は三人、こちらも三人
「おかげで、最高のショーになった。ああ、楽しかったなあ……」
土煙の晴れたダンジョン最奥。
ふらりと立ち上がったアレスは、服についた土埃を払うと、満足げに手を叩いた。パン、パンと乾いた音が、岩壁に虚しく反響する。
「でもね、前座はここまでだ」
その表情から、すっと笑みが消えた。
底知れない魔力が、細身の男から噴き出す。さっきまでの飄々とした雰囲気が嘘のように、空気が重くなる。
「テメエに隙なんか与えるかよッ!!!」
間髪入れず、バルディアが突っ込んだ。小さな身体が怒りの弾丸となって床を蹴る。
「『狂気掻・アプセット』ォォッ!!」
獣人ならではの瞬発力を最大限に活かした、最短、最速の一撃。
しかし——。
「おっと、危ない危ない」
アレスの指先がひらりと動く。それだけで、足元から泥が噴水のように隆起した。
ドォンッ!
灼熱の炎爪が分厚い泥壁に阻まれ、甲高い音を立てて弾かれた。
「なっ……!?」
「捕まえた」
体勢を崩したバルディアの胴体に、泥が生き物のように巻き付いた。
鞭のようにしなり、彼女の身体を宙へと吊り上げる。
「離せ、この……ッ!」
「冷静になろうかバルディアちゃん。僕はまだ、そこのドワーフの爺さんたちを殺す気はないよ?」
「ああ!? なんだ“まだ”って? それにテメエ、さっき刻限がなんだとか……!」
「いやあ、それは演出だよ。その方が盛り上がるだろ?」
アレスは拘束したバルディアをぷらぷらと揺らしながら、嗜虐的な笑みを深める。
「テメエ、どこまでも弄びやがって……」
「ふふふ。そんなに怖い顔しないでよ。ただ、師匠はもう、君の元からは離れるけどね」
「あ……?」
「ルーベルグ獣王国で、ちょっとしたお祭りが始まるんだ」
「ルーベルグ、だと……?」
バルディアの動きが止まる。
「戦争という名のお祭りさ。獣人、オーガ、リザードマンにダークエルフ……血の気の多い連中が集まったあの国は、火種さえあればいつでも燃え上がる。あとは、ここにいるドワーフたちに作らせた“最高傑作”をそっと与えるだけでいい」
エミルの背筋に、冷たいものが走った。
こいつの目的は、ドワーフの誘拐だけじゃない。
この世界そのものを、戦火に沈めようとしているのか。
「テメエ……っ! 師匠は、師匠たちはな……そんなモン作るために槌を振るってんじゃねえぞ!!」
「あはは! 武器は人を殺す道具だよ? もしかして『守るための道具』だなんて言いたいわけ? 青いねえ、バルディアちゃん」
アレスは心底楽しそうに笑った。
その飄々とした態度が、バルディアの怒りにさらに油を注ぐ。
「くそ……テメエの言葉すべてが、師匠の魂と相容れねえ!」
「ふふふ……悔しかったらさあ、僕に傷一つでもつけてみなよ。できるのなら、さ?」
アレスの瞳が冷たく細められた。
泥の拘束が強まり、バルディアが苦悶の声を漏らす。
「させるか! 『追尾型冥尖』!」
影の中から、漆黒の岩槍が射出された。狙うはアレスの心臓。
「おっと、その攻撃は嫌いだなあ」
アレスは笑ったまま、自身の身体をドロドロに変化させた。
槍はアレスの泥の身体をすり抜け、そのまま後方へ突き進む。
その先には、巨漢の男が立っていた。キャラコだ。
ガキンッ!
キャラコは一歩も動かず、巨斧を軽く振るって岩槍を粉砕した。
「おいアレス。俺が後ろにいることを忘れたか」
「ああ、ごめんねえ。でも、君ならこんな攻撃食らわないでしょ」
「バルディアちゃん!」
攻撃が防がれたのを見て、アヤメが飛び出す。
だが、それよりも速く、キャラコが動いた。
「……気に食わん男だが、これでも仲間なんでな。行かせんぞ」
巨体が動く城壁のように、アヤメの進路を塞いだ。
「ぐ、あああああっ……!」
その間にも、アレスの泥腕がギリギリと絞まる。
バルディアの身体から、ミシミシと嫌な音が響いた。
「やめろ!」
エミルが叫ぶが、アレスは視線すら向けない。
空いた片手で、今度はアヤメの足元を指差した。
「そっちも捕まえちゃおうか」
「きゃっ!?」
咄嗟に飛び退くも、着地した地面がすでに泥沼と化していた。
無数の泥の触手が這い上がり、アヤメの四肢に、身体に絡みつく。剣を振るう間もない。
「くっ……離して……!」
「おい、アレス。この女は俺が相手をすると言ったはずだ」
「ああ、ごめんねキャラコちゃん。その子弱そうだし、そのままなぶり殺しちゃっていいよ」
「……貴様と違ってそんな趣味はない」
キャラコは不快そうに舌打ちし、動けないアヤメを見下ろした。
二人が、なすすべなく無力化された。
——クソッ、動け。
思考を止めるな。
エミルが脂汗を流し、次の一手を模索した、その時だ。
「よう、E級のクソガキ。こんなとこまで来やがって……本当に目障りだなぁ」
背後から響く、聞き覚えのある下卑た声。
振り返ったエミルの視線の先に立っていたのは、グロムハルトのギルドで因縁を吹っかけてきたB級冒険者、エルビラだった。
巨大な戦斧を肩に担ぎ、血走った目が憎悪にギラついている。
「お前……エロビラか。なんでこんなとこに」
「俺はエ“ル”ビラだッ、このクソガキがァ……! よっぽど殺されてえらしいな」
額に青筋を浮かべ、エルビラが吠える。
アレスの手駒になっていたらしい。ギルドでの一件をずっと根に持っていたのだろう。B級冒険者としてのプライドを傷つけられ、今度は裏でこんな仕事を引き受けるとは、どこまでも腐った性根だ。
「なあ、アレスさん! こいつは俺が殺っちまっていいんだよな?」
「いいよ、もちろん。厄介そうなエミルちゃんは、君に任せようか」
「おい、なんでこいつがここにいるんだ」
「エルビラちゃんはねえ、僕が雇った……そうだな、傭兵みたいなものかな。君へのささやかなプレゼントだよ」
ニタニタと笑うアレス。
無表情なキャラコ。
そして殺意を漲らせるエルビラ。
敵は三人。こちらは一人。
状況は最悪だ。
——ちっ、一人で三人相手……魔力は残ってるが、持つか?
いや、違うな。
持たせるんだ。今度はおれが、二人を解放する番だ。
エミルは、目の前で斧を構えるエルビラを見据えつつ、意識を深く、静かに沈めていく。
ドクン、と心臓が跳ねる。
——今だって、一番の動力源は復讐心だ。母さんを奪った奴への憎しみが消えることはない。
だけど今は。
あの二人を助けたい。その想いも嘘じゃない。
復讐心と守りたい心——。相反するように見えて、どちらも今の自分を突き動かす本物の感情。
どちらも受け入れて、その両方を使えばいいんだ。
「なんだ、ビビって声も出ねえか? 所詮は低ランクの雑魚がよぉ……俺に歯向かったこと、地獄で後悔するんだなァ!!」
エルビラが勝利を確信し、巨大な戦斧を振りかぶる。
その巨体がエミルに襲いかかろうとした、まさにその瞬間。
ドッ!
アレスの足元。
バルディアを締め上げている泥の腕の真下から、鋭利な岩のトゲが槍のように突き出した。
「なっ……!?」
不意の奇襲に、アレスの反応が一瞬遅れた。
岩のトゲが泥の腕を貫き、拘束の圧力が緩んだ。
その好機を、バルディアが見逃すはずがない。
「『爆炎爪・オルソデジ』ッ!!」
咆哮とともに、ガントレットの排気口から爆発的な炎が噴射される。その推進力で、泥の拘束を無理やり引きちぎった。
「にししッ、自由だぜェ!」
宙を舞う小さな身体。
彼女は着地することなく、そのままの勢いでアヤメを拘束している泥の塊へと突っ込む。
「燃えろッ!」
灼熱の爪が泥を叩く。ジュワッという音と共に水分が蒸発し、泥が乾いた土塊となって崩れ落ちた。
「っ、ありがとうございます!」
自由を取り戻したアヤメが、即座に剣を構え直す。
「助かったぜ、エミル!」
「エミル様もバルディアちゃんも、ナイスです!」
二人の声が響く。エミルの口元に、微かな笑みが浮かんだ。
「て、てめえ……ッ!!」
目の前で、エルビラの顔が驚愕と屈辱に歪む。
自分の攻撃の瞬間に、あろうことか他所見をして魔法を放った。その事実が、B級冒険者としてのプライドをズタズタに引き裂いたのだろう。
「俺の前で! よそ見してんじゃねえぞオオオオッ!!」
轟音と共に、戦斧が振り下ろされる。
だが、エミルは動じない。
最小限の動きで身を翻す。石畳が砕け、破片がエミルの頬を傷つけるが、その瞳は冷徹にエルビラを見据えていた。
状況は変わった。
敵は三人、こちらも三人。絶望的な状況は、今覆ったのだ。




