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黒焔の復讐者は禁忌を宿して異世界を往く  作者: 美希昌希
第二章:グロムハルト編
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第051話 泥の狂宴

「師匠を返せえええええッ!!!」


 爆発音のような踏み込みと共に、バルディアが宙を駆けた。小柄な身体から噴き出す怒りの炎。一直線に玉座のアレスへと肉薄する。


 だが、アレスは玉座に腰掛けたまま、まるで動じない。


「まあまあ、そう焦らないでよ、バルディアちゃん」


 パチン、と指が鳴る。その瞬間、ダンジョン全体が地鳴りを上げた。


 ゴゴゴゴゴゴ……!


 足元がぐにゃりと歪む。硬いはずの岩盤が、まるで粘土のように柔らかく波打ち始めた。床も、壁も、天井さえも。視界にある全てが、粘つく褐色の泥へと変貌したのだ。


「な、なんだ……!?」

「足が……!?」


 エミルとアヤメが体勢を崩す。

 足首が、膝が、底なし沼のような粘土に飲み込まれていく。


「ぶへっ!?」


 勢いよく飛びかかっていたバルディアも、目の前にせり上がった泥の壁に激突し、無様に地面へ叩きつけられた。


「ようこそ、僕の特設ステージへ」


 アレスが両手を広げ、演劇の指揮者のように振る舞う。

 

「演目は『泥の狂宴(マッド・コロシアム)』。観客は僕一人。さあ、最高の悲鳴を聞かせておくれよ!」


 アレスが再び指を鳴らす。


 今度は、ドワーフたちが囚われている鉄格子の檻が、禍々しい泥の柱へと姿を変え始めた。ヘパイストスたちの身体を、足元からじわじわと侵食していく。


「ぐっ……!」

「師匠ッ!」


 泥は生きた蛇のように這い上がり、ドワーフたちの太い手足を拘束し、口を塞ぎ、じわじわと全身を呑み込んでいく。


「時間制限付きだよ。彼らが泥の人形に変わるのが先か、君たちが僕を楽しませるのが先か。急がないと、大好きな師匠が『舞台の一部』になっちゃうよ?」

「テメェ……ッ!」


 バルディアの毛が逆立つ。

 あれは脅しじゃない。リアルタイムで命が削られている。


「まだまだ、ゲストは増えていくよ!」


 アレスの言葉に応えるように、泥の沼からゴブリンの形をした泥人形が次々と這い出してくる。サイズこそ小型だが、その殺意は本物だった。


「嘘だろ……こんなのまで作れんのかよ!?」


 三人は押し寄せる軍勢を迎え撃とうとするも、泥沼に足を取られ思うように動けない。

 

「くそっ、足が重い……!」


 エミルが土の魔力で足場を固めようとするが、アレスの泥がそれを上回る速度で侵食していく。同じ土属性なのに、練度が違いすぎる。


「あはは! いい顔だ、エミルちゃん。そうそう、その絶望した顔が見たかったんだよ!」


 高みの見物を決め込むアレス。その余裕綽々な態度が、エミルの冷静さを削り取っていく。


 ——このままじゃジリ貧だ。

 このふざけた舞台を終わらせるには、脚本家(アレス)を直接叩き潰すしかない。


「二人とも耐えてくれないか。おれがあいつを止める」

「エミル様!?」

「頼むぜエミルッ!」


 エミルは泥に沈む足に構わず、意識を研ぎ澄ませた。


 狙うは玉座。距離は約二十メートル。


 『空間転移』でアレスの眼前に移動しようとした、その刹那。


「……!?」


 視界が消えた。


 光も、音も、空気さえない。全身にまとわりつくのは、重く冷たい、息のできない泥の感触。


 ——な、んだ……これ……!?


 手足を動かそうにも、まるでコンクリートに固められたかのようにびくともしない。ここは、アレスの玉座の前などではない。奴が作り出した、泥の牢獄の内部だ。


「『泥の揺籃(マッド・ウテルス)』」


 アレスの声が、泥を通して響いてくる。


『ははは、エミルちゃんったら、なんか不穏な魔力を練ってるなーって思ったらやっぱり。勘が当たっちゃったね。それにしても君の力、本当に面白いね。何の能力だい? でも残念、この泥の中じゃ視界も動きも封じられちゃうんだ。抜け出せるかな?』


 『空間転移』を使おうとするが、発動する気配がない。


 ——くそ、思うように動けない……。


 集中しようにも、全身を締め付ける泥の圧力が思考を奪う。

 肺が潰されそうだ。息が、できない。


 意識が、沈んでいく。


「エミル様!?」

「エミルが……消えた!?」


 アヤメとバルディアの悲鳴が上がる。


 広間の中央、空中に浮かぶ巨大な泥の球体。

 その中に、頼みの綱であるエミルが封じ込められたのだ。


「ああ、彼なら今、あの中で冷静になってもらってるよ」


 アレスがにこりと笑い、残された二人を見下ろす。


「でも心配しないで。すぐに殺したりはしないから。だってまだ第一幕が始まったばかりだもの。アヤメちゃんもバルディアちゃんも、もっともっと僕を楽しませてくれるよね?」


 泥人形の猛攻が、残された二人に集中する。


「バルディアちゃん、しっかり!」

「わかってるよ!」


 二人は背中を合わせ、必死に互いを守りながら戦う。その姿を、アレスは心底楽しそうに眺めていた。


「うーん、でも物量作戦だけじゃ芸がないか。……そうだ!」


 アレスが嬉しそうに指を鳴らす。


「君たちには、もっと素敵な絶望(プレゼント)を用意したよ」


 その瞬間、二人を囲む泥人形が、急速に形を変え始めた。


「なっ……!?」


 バルディアが息を呑む。


 目の前に立ちふさがった泥人形。それは魔物ではなく——隻眼のドワーフ、ヘパイストスの姿をしていた。


「バルディア……」

「し、師匠……!?」


 じりじりとバルディアの方へとにじり寄る。


「お前のせいで、わしの……わしの目は失われてしまった……」


 泥人形の虚ろな瞳が、バルディアを責めるように見つめている。


「ちっ、偽物なんて寄越しやがって……!」


 頭ではわかっている。ヘパイストスがこんなことを言うはずがない。これはアレスが作った悪趣味な人形でしかないと。


 だが、師の姿をしたそれに、炎爪を振るうのを躊躇してしまった。


 その隙を、敵が見逃すはずがない。泥のゴブリンが横合いから突っ込み、バルディアの小さな身体を弾き飛ばした。


「がはっ……!」


 泥沼に転がるバルディア。その首を、今度は別の泥人形——見覚えのあるドワーフの姿をしたそれが、万力のような力で締め上げる。


「半端者で汚れた血のお前が鍛冶だと……? 笑わせんじゃねえ」

「オマエは……!」


 昔、浴びせられた罵倒。心の奥底に封じ込めていた言葉が、泥の指と共に首を絞めつける。


 ——違う。アタシは、もう。


 反論しようとしても、声が出ない。息ができない。視界が滲む。


「バルディアちゃん!」


 アヤメが助けに入ろうとするが、彼女の足も止まっていた。彼女の目の前にもまた、幼い少女の姿をした泥人形が立っていたからだ。


「あ、あなたは……」

「アヤメちゃん。私ね、助けてほしかったんだ。ずっと、ずっと待ってたんだよ?」


 アヤメの顔が青ざめる。


「痛かったよ、苦しかったよ……」

「やめて……やめてっ!」


 アヤメの手から、刀が滑り落ちそうになる。


 戦えない。


 一番傷つけたくない相手の姿をした悪夢に、二人は心を折られかけていた。


「あはははは! 最高だね。その顔、その顔が見たかったんだよ!」


 アレスの無慈悲な笑い声が、広間に響き渡る。


 その時だった。


「バルディアアアアアアァァァッ!!!!」


 雷鳴のような怒号が、檻の中から響き渡った。


 本物のヘパイストスだった。


「そんなのに惑わされおって!」

「……師、匠……?」

「お前さんが積み上げてきたものはそんなものか!? わしの弟子なんじゃろうが。自分の目を信じんでどうする!」

「……!」


 ガツン、と頭を殴られたような衝撃が走った。


 ——そうだ。

 アタシは、あの人の背中を見て育った。あの人の槌の音を聞いて育った。

 お前らに何がわかる……! 知らねえだろ。あの人の背中のでかさをよ……!

 熱くて、厳しくて、でけえんだ。こんな、冷たくて気持ち悪いもんなんかじゃねえ。


 バルディアの瞳に火が灯る。


「……ああ、そうだよな。悪りぃ、師匠」


 首を絞める泥人形の腕を、バルディアは両手で掴んだ。


「テメエみたえな冷てえだけの泥の塊共がよ……アタシの心に踏み込んでんじゃねえぞォォオオオッ!!!!」


 ゴゥッ……!!


 バルディアのガントレットから、これまでにないほどの灼熱の炎が噴き上がった。超高温の炎は、まとわりつく泥人形を一瞬で乾燥させ、ひび割れさせ、そして粉々に砕け散らせた。


「ちっ、余計なことを……」


 アレスの顔から笑みが消える。


 炎の中から現れたバルディアは、煤け、傷だらけだったが、その瞳だけは以前よりも強く輝いていた。


「わかったぜ。……このクソみてえな泥の攻略法がよ」


 彼女は焼け焦げて陶器のようになった泥の残骸を踏み砕き、ニヤリと笑った。


「さあ、こっからはアタシの独壇場だな」

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