第046話 火の発現
バルディアが目を覚ましたのは、見慣れた自分の布団の中だった。窓の外はすでに白み始めている。頭がぼんやりして、昨日の記憶がうまく繋がらない。
「……師匠?」
呼びかけても返事はない。
重い体を引きずって鍛冶場へ向かうと、そこではヘパイストスが黙々と爆発の跡を掃除していた。床に散らばった破片、煤けた壁、焦げた作業台——昨夜の光景が、一気に脳裏に蘇る。
「バルディア、起きたか」
ヘパイストスが振り返った。
「昨日は慣れない魔法を使って魔力切れを起こしたんじゃろう。もう体は平気か?」
「うん、今は問題な……」
言葉が、途中で凍りついた。
ヘパイストスの顔を見た瞬間、バルディアの思考が停止した。
自慢の髭は半分が焼け焦げ、顔の左半分は煤と火傷で赤黒く腫れ上がっている。そして、左目を覆っていたはずの包帯が取り払われていた。
固く閉じられたまま、二度と開くことのない左目。
爆発の破片が、彼の視力を永遠に奪い去ったのだ。
「あ……あ……」
立っていられなかった。膝から崩れ落ちる。
——アタシの、せいだ。
その事実が、鋭利な刃物となって心臓を抉った。
——アタシが、力を制御できなかったから。調子に乗って、もっとできるって思い上がったから。師匠が——世界一の鍛冶師である師匠の未来が、アタシなんかのせいで……!
息ができない。視界が歪む。
胃の底から熱いものがせり上がってきて、言葉にならない声が喉を焼く。
「ごめ……ごめんなさい……ッ!」
謝って済むことじゃない。わかってる。
鍛冶師にとっての目がどれほど大事か、バルディアは誰よりも知っている。距離を測り、鉄の色を見極め、温度を読む。その片方を失うことが、どれほどの絶望か。
それを奪ったのが、自分だなんて。
「うっ……うぅっ……ぁあっ……!」
嗚咽が止まらない。鼻水も涙もぐちゃぐちゃになって、どうしようもない。
——あのとき、異変を感じた瞬間に作業を止めていれば。もっと慎重にやっていれば。
無数の後悔が脳内を駆け巡り、心を食い荒らしていく。でも、どれだけ悔やんでも、取り戻せる過去なんてどこにもない。
泣きじゃくるバルディアの頭上に、大きな影が落ちた。
「……まったく。何をべそべそ泣いておる」
ヘパイストスは、わざとらしく豪快に笑い飛ばした。
「ほっほっほ! 片目くらい、どうということはないわ! ワシくらいになればの、鉄の声を聞くのに目は二つもいらん。心の目があれば十分じゃ!」
「だ、だけどよ……っ!」
「お前が師匠の心配をするなど、三百年早いわい」
その声は、いつもと寸分違わぬ、不器用で温かい師匠の声だった。
怒鳴られるよりも、殴られるよりも、その優しさが痛かった。
「うぅ……師匠の目が、アタシのせいで……ごめん……ごめんなさいっ……!」
ヘパイストスの足にしがみつき、泣きじゃくった。
「もう、集中は切らさねぇ……危なそうになったら、絶対に作業は中断する……っ、今回のこと、絶対に、忘れねぇから……っ、一生かけて償うから……っ!」
「ほほ、怖さを知った分だけ強くなる。もっと強くなれ、バルディア。……しかし、いくつになってもお前さんは泣き虫じゃのう」
ゴツゴツとした分厚い手が、バルディアの頭を優しく撫でた。その手の温もりが、冷え切ったバルディアの心を、ゆっくりと溶かしていく。
—————
「……火属性?」
ひとしきり泣きじゃくった後、バルディアは真っ赤に腫れた目で、ヘパイストスと並んで遅い朝食のパンをかじっていた。
「ああ。詳しくは冒険者ギルドで調べんとわからんが、十中八九、お前さんに発現した力は火属性の魔力じゃ」
「火を……自在に使えるってことか?」
バルディアは、自分の掌をじっと見つめた。この手の中に、昨日暴走したあの熱が眠っている。
「……危ないな。これから鍛冶をやるってのに、こんな爆弾抱えてたら……」
不安が込み上げてくる。
また魔力が暴走したらどうしよう。
また師匠を……誰かを傷つけてしまったら……。
一度芽生えた恐怖は、毒のように心を蝕む。
俯くバルディアに、ヘパイストスは静かに、けれど力強く告げた。
「何を言っておる。火の力は、鍛冶師にとって最高の相棒じゃ」
「……相棒?」
「鉄を溶かし、不純物を焼き払い、魂を宿す。お前さんは、生まれながらにしてその『最高の相棒』を手に入れたんじゃ。……わしには、生涯かかっても手に入らなかったものをな」
その言葉が、絶望の闇に沈んでいたバルディアの心に、小さな、しかし確かな灯火をともした。
「ほんと……か?」
「ああ。じゃがな」
ヘパイストスは残った右目で、まっすぐに弟子を見据えた。
「力は、それを持つにふさわしい覚悟を求める。お前は、その力を御する覚悟があるか? この悲劇を、お前を縛るだけの呪いにするのか。それとも、誰よりも高く跳ぶためのバネにするのか。……どっちだ、バルディア」
問いかけが、重く胸に響く。
——師匠は、アタシを責めていない。
それどころか、未来を指し示してくれている。
目を奪った弟子に、それでも「お前ならやれる」と言ってくれている。
だったら。
バルディアは、込み上げてきた涙を乱暴に拭うと、顔を上げた。
その琥珀色の瞳には、もう迷いはなかった。
「……ある。覚悟なら、ある!」
拳を握りしめ、まっすぐに師匠を見つめる。
「アタシは、この力を完全に制御してみせる。師匠の目も、アタシの罪も、全部無駄にはしねぇ! 師匠がくれたこの教えも、この痛みも、全部抱えて、自分のものにしてやるんだ!」
それは、まだ十歳の少女が、自らの罪と未来に真正面から向き合い、魂で叫んだ誓いだった。
「……ああ、楽しみにしとるぞ」
ヘパイストスは満足したように、深く、静かに頷いた。




