第045話 運命を変えた日
カンッ、カンッ、カァンッ!
薄暗い工房に、小気味いい音が響き渡る。
飛び散る火花。肌を焼く熱気。鉄の焼ける匂い。
そのすべてが、十歳のアタシにとっての世界だ。
「ふんっ、ふんっ!」
自分の背丈ほどもある大槌を、全身のバネを使って振り下ろす。汗が目に入って染みるけど、瞬きなんかしてる暇はない。赤熱した鉄塊が、アタシの意思に応えて少しずつ形を変えていく。
この瞬間だけは、何もかも忘れられる。
ドワーフたちは言う。「獣人の小娘に何ができる」「親なしの雑種が」と。
獣人たちは言う。「牙も爪もない奇形だ」「あんなの獣人じゃねえ」と。
悔しかった。
アタシには、獣人としての誇りである鋭い爪も、強靭な牙もない。あるのは中途半端な耳と尻尾だけ。どっちつかずの、半端者。
「……くそッ、またかよ!」
ジュゥウッ、と嫌な音がした。
焼き入れのタイミングが一瞬ズレた。たったそれだけで、何時間も叩き続けた鉄が、無残な亀裂を走らせてゴミ屑に変わる。
足元に転がる失敗作の山を見下ろす。
それがまるで、自分自身の価値のなさを嘲笑っているように見えた。
「なんで……なんで上手くいかねえんだよぉ……っ!」
悔し涙が溢れて、熱された床に落ちて蒸発する。
作りたいのは『爪』だ。
持たざるアタシが、獣人として、そして鍛冶師として胸を張るための、鋼鉄の爪。
だが、何度やっても理想には程遠い。素材の鉄鉱石だって無限じゃないのに。
そんなアタシの背中を、少し離れた場所から視線が射抜いていた。
師匠だ。
腕を組み、厳しい職人の顔で黙って見ている。
手は貸さない。口も出さない。
冷たいんじゃない。
これが師匠なりのやり方だってことは、もう知ってる。
——『この壁は、お前自身で超えろ』
無言の背中が、そう語っている。
師匠は、アタシという「半端者」じゃなく、一人の「鍛冶師」として見てくれている。ドワーフ以外の弟子なんか取るなって周りから何を言われても、アタシを庇ってくれた。
なら、応えなきゃダメだろ。
「……やってやるよ。見てろよ、師匠!」
涙を袖で乱暴に拭い、アタシは再び火床に向き直った。
◆◇◆◇◆◇◆
その瞬間は、唐突に訪れた。
工房に一人きりのバルディアは、不思議なほど感覚が冴えわたっているのを感じていた。失敗の山を築いて、一度どん底まで落ち込んだからだろうか。余計な力が抜けて、頭の中が澄み渡っている。
炎の色、鉄の匂い、槌が奏でる音。
そのすべてが、いつもよりずっと鮮明に感じられた。
「いける……!」
火床から取り出した鉄は、これまでで最も美しい赤色に輝いていた。金床に乗せ、槌を構える。
カン!
今までで一番澄んだ音が響く。
「もっと……もっとだ……!」
その時だった。
体の奥で、何かが脈打った。
心臓じゃない。もっと深いところ。魂の芯みたいな場所で、熱い塊がどくん、と跳ねた。
火床の炎が、轟音と共に燃え上がる。工房全体の温度が急激に上昇し、壁にかかった工具がじりじりと赤く熱を帯び始めた。
——なんだこれ。体が熱い。
体の奥で、マグマみたいなものがたぎってるみたいだ。
ダメだ、集中が……。
頭のどこかで警鐘が鳴る。
師匠には、作業中は絶対に集中を切らすなと、あれほど言われていたのに。
だけど、もう止まれなかった。
これが最高の状態だ。今だ、今しかない。
槌を振り上げた、その瞬間。
パァン!
乾いた破裂音が響いた。
バルディアの身体から溢れ出していた熱が、ついに制御を失って爆ぜた。
それは、まだ十歳の彼女には到底扱えない破壊の奔流だった。工房の空気が一瞬で膨張し、灼熱の衝撃波がすべてを薙ぎ払う。壁に立てかけられていた武具が紙切れのように舞い、棚の上の鉱石が砕け散る。
そして、その中心にいたバルディアの小さな身体は、あまりにも無防備だった。
「バルディア!!」
帰還したヘパイストスの声が飛び込んできた。
同時に、爆炎が吹き上がる。
視界が白く弾け、次の瞬間には全身が宙を舞っているはずだった。
だが、バルディアの身体は吹き飛ばされなかった。
岩のようにごつい腕が、爆風と破片のすべてから彼女を庇うように、強く、強く抱き寄せていた。
「バルディア、怪我はないか」
「……し、しょう?」
ぼやけていた視界がはっきりしてくる。
そして、バルディアは息を呑んだ。
ヘパイストスの頬を、赤黒い血が絶え間なく伝っている。ぽたぽたと床に滴り落ちる音が、やけに大きく聞こえた。
「師匠っ、目、目がッ……!」
「ほほ、ちょっとばかし破片が目に飛び込んでな……わしのことはいい。お前は無事か?」
——嘘だ。
そんなの嘘だ。
左目から、血がとめどなく溢れ続けていた。
「ごめ……ごめんなさい、アタシが、アタシが集中を切らしたばっかりに……っ!」
涙が溢れ出す。
止められない。止め方がわからない。
「泣くな。わしの弟子なら、泣き言を言う前にやることがあるじゃろう」
ヘパイストスの声は、いつもと変わらなかった。
ぶっきらぼうで、不器用で、でも、どこか温かい。
「さあ、立つんじゃ」
—————
その後、半壊した工房の片付けをしながら、バルディアは自分に起きた異変について語った。
体の奥から突き上げてくるような熱。自分でも制御できなかった、あの全能感にも似た感覚。
ヘパイストスは応急処置として、頭と片目を分厚い包帯でぐるぐる巻きにしていた。
「体が熱かったんじゃな?」
「ああ、なんだか自分の体じゃないみたいだった。体の奥底から燃え上がるような、そんな……」
「ふむ……」
ヘパイストスはしばらく考えこむと、何かに思い当たったように顔を上げた。
「バルディアよ。もう一度、その熱に集中してみい。今度はわしに向かって、手をかざしながらな」
「えっ!? でも、もしまたさっきみたいなことが起きたら……!」
「心配いらん、わしは土属性が使える。爆発程度、抑え込めるわい」
「そっか、それなら……」
ヘパイストスが身構えたのを見て、バルディアはおそるおそる手を差し出した。
そして静かに、祈るように、体内を巡る熱に意識を向ける。
——感じる。体の中の熱い流れが、指先に集まっていく。手のひらの真ん中に、小さな太陽が生まれるみたいに、熱が……くる……っ!
ボッ、と小さな音。
炎だ。
手のひらから、確かな熱を持つ炎が吹き上がった。
「師匠っ!」
「大丈夫じゃ。『土球』!」
ヘパイストスの放った土の塊が即座に炎を包み込み、酸素を奪って消し止める。
——だめだ、なんだか頭がくらくらする……。
慣れない魔力を使った反動か、バルディアの視界は急速に暗転し、糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちてしまった。




