第044話 二人だけの砦
「ヘパイストスさん、いい加減にしてくださいよ。貴方が弟子を取らないと、他のドワーフに示しがつかんのです」
バルディアが五歳になり、多少は鍛冶場の手伝いができるようになった頃。鍛冶師ギルドの長であるラモンという男が、頻繁に工房を訪れるようになった。
「……ふん、わしの弟子はそこにおるではないか。そやつ一人で十分じゃ。そこらの連中など、こやつの足元にも及ばんわい」
ヘパイストスは鉄を打つ手を止めず、顎でバルディアをしゃくる。
「その小娘のことですか……まだ五つの子供でしょう。それに獣人の混血ときてる。ドワーフの技術は、寿命の長いドワーフが受け継いでこそ意味があるんです」
「種族がどうした。寿命がどうした。わしの魂はこやつが受け継ぐ」
ヘパイストスは真っ赤に焼けた鉄塊をやっとこで掴み上げ、ラモンの鼻先に突きつけた。ジュウウ、と音を上げる熱気が、ラモンの髭を焦がす。
「ひっ!?」
「何度も言っておろう。他に弟子をとるつもりはないわい。わかったらさっさと帰れ」
地獄の底から響くようなドスの効いた声。
ラモンは「ま、また来ます」と転がるように逃げ出した。
「……けっ。あのオッサン、とんだビビリじゃねえか」
物陰から様子を窺っていたバルディアは、鼻をふんと鳴らした。
工房に戻ると、ヘパイストスは何事もなかったかのように槌を振るっていた。その背中は、どんな魔物よりも大きくて、どんな炉の火よりも温かく見えた。
「なあ、師匠」
「なんじゃバルディア。手が止まっとるぞ」
「うん、けどさ。さっきのオッサン、なんでいっつも来るんだ? 師匠は、アタシ以外に弟子とらないのか?」
「……わしはな、バルディア。元々、人付き合いなんぞ大嫌いなんじゃ。言葉よりも鉄と話している方が性に合うてな」
ぽつり、ぽつりと。ヘパイストスがこんな風に弱音めいたことを口にするのは、初めてだった。
「お前さんにしてきたように、厳しくしか当たれん。これまで何度か弟子もとったが、みんな逃げていきおった。厳しくしすぎたのかもしれんがのう……もう疲れたんじゃよ」
「師匠……」
「だが、お前さんは違った。泣いても喚いても、わしの背中に食らいついてきよった。……お前さんのようなのが側にいてくれる。それだけで、わしはもう十分なんじゃよ」
皺だらけの顔が、火床の明かりに照らされて、くしゃりと綻んだ。
バルディアは、こみ上げる熱いものを誤魔化すように、にししと笑って師匠の背中をばしばし叩いた。
「なんだよ師匠、けっこう寂しがり屋なんだな! ま、安心しなって。このバルディア様が、ずーっと一緒にいてやっからよ!」
「ほほほ、大きく出おったな。……なら、まずはそのへっぴり腰を直してから言うんじゃな」
ヘパイストスの分厚い手が、バルディアの頭をわしゃわしゃと撫でた。
ごつごつした、傷だらけの熱い手のひら。その温もりが、バルディアの心をじんわりと満たしていった。
—————
それから五年。バルディアは十歳になっていた。
獣人族の成長は人族より早い。その瞳に宿る光は、もはや子供のそれではなかった。
「はあ……身長だけは全然伸びねえな」
小柄な身体のことは、密かに気にしていた。狐の血を引いてはいるが、人の血が混ざっているせいか、同い年のドワーフの子供よりも小さい。
この五年で、ヘパイストスの指導は苛烈を極めた。来る日も来る日も鉄を打ち、失敗すれば容赦なく怒声が飛んだ。
それでもバルディアは食らいついた。
血豆を潰し、手を腫らし、泣きながら槌を振り続けた。
相変わらずラモンは説得に訪れていたが、来るたびにヘパイストスは追い返した。いつしか訪問は途絶え、鍛冶場はヘパイストスとバルディアの、二人だけの砦となっていた。
「なあ、師匠。あの偉そうなオッサン、めっきり来なくなったな」
「ふん、どうせ弟子を取れっちゅう話じゃ。わしにはもう世界一の弟子がおる。これ以上はいらん」
「へへっ! もっと言ってくれよ、師匠!」
「調子に乗るなひよっこめが」
言葉では叱りつけながらも、ヘパイストスの顔には確かな誇りが浮かんでいた。
「……さてバルディア。いつまでもわしの手伝いばかりではつまらんだろう。……わしが使っておらん時間なら、ここを好きに使っていいぞ。お前だけの武器を、打ってみせい」
その言葉の意味を理解するのに、数秒かかった。
そして理解した瞬間、バルディアは喜びのあまり飛び跳ねた。
「ほ、本当か!? やったああああっ!! 見てろよ師匠、アタシだけのすっげー武器作って、師匠の度肝を抜いてやるからな!」
「ほほほ、楽しみにしとるわい」
師匠に認められた。
その事実が、何よりも彼女を奮い立たせた。
その日から、バルディアの本当の戦いが始まった。
ただ斬るだけの武器ではない。師匠のように、使い手の力を最大限に引き出す、自分だけの武器。獣の爪のように鋭く、炎のように舞う——そんな理想を、小さな頭で必死に思い描いた。
——爪だ。
指先まで神経を通わせるような、鉄の爪。
設計図を書き殴り、炉に向かう。
失敗。失敗。また失敗。
鋼が割れる。形が歪む。焼き入れでヒビが入る。指先の皮はめくれ、火傷の痕が増えていく。
それでも、バルディアは止まらなかった。
寝る間も惜しんで鉄と向き合うその姿は、狂気的ですらあった。
自分を拾い、向き合ってくれた父に認めてもらいたい。その気持ちだけが、彼女の小さな体を突き動かしていた。
そして、数ヶ月後。
積み上げた失敗作の山の上に、ついにそれは完成した。
「……できた……!」
バルディアの手には、赤黒い光沢を放つ一対の爪があった。
「師匠! 見てくれ!」
息を切らし、汗と煤で顔を真っ黒にしながら駆け寄る。
ヘパイストスは無言でそれを受け取り、あらゆる角度から吟味する。
沈黙が、バルディアの心臓を締め付けた。
やがて、ヘパイストスの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
「……ふむ。まだまだ粗いところもあるが、出来自体は悪くない。何より……この鉄は、お前の熱に応えてよう歌っておる」
「……!」
「完成品を見るまで評価はできんが、見習いにしては及第点、といったところかの。まだまだひよっこの域ではあるが……ようここまで頑張った。わしが保証する。お前の技術は、確かにお前のものとして成長しとる」
ヘパイストスの言葉に、バルディアの胸の奥で何かが弾けた。
——師匠が、認めてくれた。
アタシだけの技術を。アタシだけの鉄の声を。
これが、誰に与えられたものでもない、自分自身の武器。
設計も、鍛造も、仕上げも、すべて自分の手で成し遂げた成果。
——アタシは、もう一人でもやれる。もっとすごくなれる。
師匠が腰を抜かすような武器を、もっともっと作ってやるんだ。
体中の血が沸騰するような高揚感が、全身を駆け巡った。
だが、バルディアは気づいていなかった。
その熱が、単なる情熱の範疇を超え始めていることに。
ドクン。
心臓の奥で、何かが異様な音を立てて脈打った。
指先が熱い。炉の火よりも熱く、体の中から焼き尽くすような衝動が、じわじわと這い上がってきていた。




