第042話 問われる覚悟
「……お前、誰だ」
エミルの低い声が、静まり返ったダンジョンに重く響いた。
アヤメが刀を構え直す。バルディアのガントレットから炎が燃え上がり、エミルは黒焔を両手に宿して臨戦態勢を取る。
三方向から殺気を浴びながらも、偽ヘパイストス——その男はまるで動じない。
「くく……くくく……」
押し殺した笑い声が漏れた。
嘲笑でも虚勢でもない、純粋な愉悦。
「まあ、君らの墓場はもっと奥の予定だったんだけどさ。しょうがないよねえ、こうなっちゃったんだから」
ゴポリ。
異様な音がして、ドワーフの肉体が波打った。
鍛え上げられた筋肉も、長い年月を刻んできた皺も、すべてが泥のように溶け崩れていく。どろりとした茶褐色の塊が蠢き、新たな人型を形作った。
「なっ……!?」
バルディアが息を呑む。
現れたのは、白銀の騎士服を着崩した優男風の青年だった。茶色の髪を無造作に跳ね上げ、人を食ったような笑みを浮かべている。
「僕はアレス。アレス・フォルネウス。以後、お見知りおきを」
芝居がかった一礼。その余裕が、三人の神経をさらに逆撫でする。
「アレス……? テメエ、一体何なんだ! 師匠や他のドワーフたちをどこへやった!?」
「おっと、そう焦らないでよ、バルディアちゃん。君の師匠なら、ちゃんと生きてるさ。他のドワーフたちもね。……もっとも、この先の舞台でどんな役割を演じてもらうかは、君たちの働き次第だけど」
視線がエミルへと流れる。
「特にそこの君、面白い力を使っていたね。その黒い焔……」
「ドワーフたちが生きてるなら早く場所を教えろ! 何のために、こんな……」
「ふふふ。見ての通り、僕は『粘土使い』さ。泥を自在に操り、どんな姿にでもなれる。声も、記憶も、模倣できる。ほら、こんな風にね」
アレスの顔が再びドロリと溶けた。次に現れたのは、鷲鼻の神経質そうな男の顔。
「誰だ……?」
「オ……オマエはラモン……! 鍛冶師ギルド長のラモンじゃねえか!!」
バルディアの顔が驚愕と屈辱に染まる。
ラモン。ヘパイストスをギルドから追放した張本人。
それすらも、こいつの演技だったというのか。
「ははは、御名答。僕さ、実は君とは初対面じゃないんだよね」
「テメエ……全部、全部テメエの仕業だったのか……!」
ずっとこいつの掌の上で踊らされていた。
その事実が、バルディアの小さな拳を震わせる。
「そうさ。ラモンとして接触し、裏でいろいろ仕込ませてもらったよ。特にね、ヘパイストスは本当に傑物だった。僕が化けていることにいち早く気づきかけたからね。だけどもう遅い。彼はまんまと罠にかかってくれた。……おかげで、僕らの計画は最終段階に進める」
アレスは元の青年の顔に戻り、肩をすくめた。
——僕らの計画?
こいつは一人じゃない。背後に組織がいる。
その事実が、嫌な予感としてエミルの腹の底に沈んでいく。
「……許さねえ」
地を這うような低い声が漏れた。バルディアのガントレットから鋭い爪が伸び、全身のバネを溜め込むように低い姿勢をとる。
「師匠を……アタシのたった一人の家族を弄んだこと……絶対に許さねえぞ、テメエエエエエエッ!!」
絶叫と共に地面を蹴った。両腕の爪が紅蓮の炎を纏い、最短距離でアレスへと肉薄する。
「『狂気掻・アプセット』!!」
アレスの胸板を捉えた——はずだった。
グニャリ。
手応えが、ない。
「なっ……!?」
灼熱の爪は抵抗なくめり込んだ。肉を裂く感触も、骨を砕く衝撃もない。
まるで、底なし沼に腕を突っ込んだかのような、不快な感触だけが残る。
「無駄だよ、バルディアちゃん」
驚愕するバルディアの目の前で、アレスが嗤った。
爪が突き刺さった胸部が生き物のように脈動し、バルディアの腕を飲み込んでいく。
「僕の身体は粘土でできている。物理攻撃なんて、何の意味もないんだよ」
「くそっ……!」
引き抜こうともがくが、泥が強力な接着剤のように絡みつき、びくともしない。
その一瞬の硬直が、命取りだった。
アレスの腕が鋭利な槍のように変形する。
狙いは、がら空きになったバルディアの肩口。
「バルディア、避けろ!」
エミルの叫びと、アヤメが駆け出す気配。
だが、どちらも間に合わない。
ブスリ、という肉を抉る鈍い音が響いた。
「ぐぁ……っ」
鮮血が舞う。泥の槍に貫かれたバルディアの小さな体が、宙に浮いた。
「バルディアちゃん!! あなた、よくも……!」
アヤメが悲痛な叫びを上げ、アレスへと斬りかかる。エミルもまた、『空間転移』でアレスの背後へと回り込み、渾身の『黒焔』を叩き込もうとしていた。
だが、アレスの方が一枚上手だった。
バルディアを蹴り飛ばすと、その身体を地面の泥へと同化させていく。二人の攻撃は虚しく空を切った。
「おっと、三対一は分が悪いね。それに、君たちをここで殺しちゃうのは、あまりにも勿体ない」
地面に溶け込みながら、アレスの声だけが不気味に響く。
「……よし。というわけで、ここは一旦お暇させてもらうよ」
「待ちなさい! ここで逃げるんですか!」
「逃げる? まさか。これは“招待”だよ。君たちには、僕らの計画のクライマックスを飾る“主役”になってもらう。本物のヘパイストスに会いたいなら、もっと奥へおいでよ。このダンジョンの最奥——最高の舞台で、君たちを歓迎してあげる」
その言葉を最後に、アレスの気配は完全に消え失せた。
残されたのは、肩から血を流して倒れるバルディアと、呆然と立ち尽くす二人。
「くそ、白々しいことを……! バルディア、しっかりしろ!」
「……っ、師匠……ごめん……アタシ……」
うわ言のように師の名を呼び、バルディアの意識が遠のいていく。
「アヤメ、ポーションだ。バルディアの鞄に入ってなかったか」
「は、はい……!」
震える手で渡されたポーションを傷口に振りかける。淡い光と共に肉が盛り上がり、傷口が塞がっていった。
「悪りい……助かった」
だが、あくまで応急処置だ。傷は塞がっても、失った血と体力まではすぐには戻らない。バルディアの顔色は、まだ青白いままだった。
撤退か、前進か。
あまりにも過酷な選択が、エミルたちに突きつけられていた。
「……エミル様。このまま地上に戻りましょう」
「……!」
奴はこの先で待ち受けていると宣言していた。何も無策で招き入れるはずがない。罠か、あるいは仲間が待ち構えているか。負傷したバルディアを抱えて、このままノコノコと向かうのは危険すぎる。
「そう……だな」
エミルは唇を噛みしめながら頷いた。
時間をかければかけるほど人質が危うくなるかもしれない。だが、ここで全滅しては元も子もない。
「……イヤだ」
その決断を、か細い、しかしはっきりとした声が遮った。
傷ついた身体を起こそうともがくバルディアだった。
「行かせて……くれ……」
「バルディア……?」
「師匠が……待ってるんだ。アタシが行かなきゃ……」
「馬鹿言うな。傷は塞がっても消耗してるんだぞ。まともに戦える身体じゃない」
「戦える……! 師匠を助けるためなら……アタシは、まだ戦える……!」
その目は、ただの子供の駄々ではなかった。
自分の命よりも、大切な家族を救うことを選んだ、戦士の覚悟。
「それに、あのヤロウを放っておけば、次に何をしでかすかわからねえ……! ここで叩いておかないと……アタシは一生後悔する!」
——後悔。
その言葉が、エミルの胸を貫いた。
——そうだ。おれも、そうだったじゃないか。
元の世界に帰るため、がむしゃらにここまで来た。ここで撤退を強いることは、あの日の自分自身の覚悟を踏みにじることと同じだ。この子の想いを、おれが折っていいはずがない。
エミルとアヤメは言葉もなく、ただ視線を交わした。アヤメもまた、同じ想いなのだろう。その瞳には、迷いではなく、決意が宿っていた。
「……わかった。行こう、バルディア」
「あなたの覚悟、わたしたちが支えます」
「へへ、ありがとよ……!」
三人の覚悟が、一つになった。
エミルは、ふらつくバルディアを背負った。思ったより軽い身体が、彼女の背負ってきたものの重さを物語る。
「アヤメ、前を頼む」
「はい!」
アヤメは短剣を構え、警戒を怠らずに前方を照らす。エミルはバルディアを背負いながら、周囲の気配に全神経を集中させる。
目指すは、アレスが待つ、ダンジョンの最奥へ。




