第041話 あなたはだぁれ?
焚き火の爆ぜる音だけが、ダンジョンの闇に溶けていた。
グラナイト・ケルベロスとの死闘から数時間。四人が交代で火の番をしながら休息を取っている。消耗の激しかったアヤメとエミルは先に眠りにつき、最初の当番はヘパイストスが引き受けていた。
バルディアは眠れなかった。
目を閉じても、瞼の裏に浮かぶのは師匠の姿。三週間も行方不明だった師匠が、自分たちを助けてくれた。その事実だけで胸がいっぱいになる——はずだった。
なのに、どうしようもなく、心がざわつく。
「なんじゃバルディア、起きておったか」
焚き火の傍に歩み寄るバルディアに、ヘパイストスが気付く。
「ああ、なんだか寝付けなくてよ。師匠が見つかって、興奮が収まらないのかもな」
「そうか、そうか。心配かけたのう」
バルディアはニヒッと歯を見せ、ヘパイストスの向かい側に腰を下ろした。
焚き火の明かりが、二人の間で揺れている。
「なあ、師匠。アタシ、師匠がいない間も、毎日鍛えてたんだぜ。魔法制御も武具作りも、ずっとさ」
「うむ。お前さんはもう、立派な鍛冶師じゃな」
「……」
その言葉に、バルディアは俯いた。ぽつり、ぽつりと、涙が地面に落ちる。
「……どうしたんじゃバルディア、大丈夫か?」
「なあ……アンタ……本当に……師匠、なのか……?」
「何を言うかと思ったら……どうしたんじゃバルディア」
「……」
「ほほ、まだ混乱しとるのか。わしじゃ、お前さんの師匠、ヘパイストス・バルールじゃよ」
「……」
ヘパイストスの言葉に、バルディアはピクリとも反応しない。ただ静かに目を閉じ、ゆっくりと深呼吸する。
「……師匠、許してくれよな」
呟きと共に、バルディアは手元の小石を拾い上げた。
狙いは一点。
ヘパイストスの左側頭部。
ヒュッ、と小石が空を切る。
「!?」
だが、それがヘパイストスに当たることはなかった。
こともなげに首を傾け、最小限の動きでそれを避けたのだ。
カラン、と虚しく石が転がる音が、静寂に響いた。
「おい、何を——」
「……避けられるんだな。アタシは、アンタの見えない左目の死角を狙って投げたつもりだぜ……?」
「ほほ、なあに、気配じゃ気配。わしくらいになるとな、こんな石ころ、気配で避けられるわい。師匠をなんだと思うておる」
「とぼけんなよ……ッ!」
怒りが、悲しみが、裏切られた痛みが、一気に噴き出す。
「今だけの話じゃねえ、ケルベロスのときもそうだ! なんでヤツの攻撃を躱せた……完全に死角だっただろ……! なあ、師匠の面をしてるけどよ……マジで……誰なんだよ、アンタ……!」
「おいバルディア、それはな……」
「混血だからって獣人を舐めるなよ……! 目のことだけじゃねえ! アンタから漂う匂い、話すときの所作、普段の小さなクセ……さっきの干し肉だってそうだ……アタシの五感のすべてが……師匠のソレとは違うって叫んでんだよ!!」
言葉は途切れがちだったが、確信は揺るがなかった。
もう、バルディアの瞳に涙はない。
「なんじゃバルディア、わしは三週間ばかりダンジョンに潜っておったんじゃ……鍛冶場からも離れておる。そりゃ匂いくらいは……」
「『秘露爪掻・モルタル』!!」
ガントレットから三本の爪が伸びる。バルディアは地面を蹴り、ヘパイストスの胸元目掛けて飛びかかった。
咄嗟に上げられた右腕を、爪が貫く。
「十三年はダテじゃねぇぞ……たった三週間いなかったくらいで、師匠を忘れるわけねえだろ!!」
「……」
貫かれた腕からは、血は出なかった。肉を裂いた感触もない。
奇妙な手応えにバルディアは素早く爪を引き抜き、距離を取った。
「うーん、バレちゃったかあ」
声が、変わった。
ヘパイストスの低くしゃがれた声から、若々しく、それでいてどこか人を食ったような軽薄な響き。その表情が歪み、薄ら笑いが浮かぶ。
「やっぱり獣人ちゃんは厄介だねえ」
偽ヘパイストスの右腕が、ぐにゃりと液状化した。バルディアがつけた傷も泥のように溶け、塞がっていく。やがて腕は鋭い剣の形に変化し、再び硬化した。
「何者だテメエ! 師匠をどこへやった!!」
「ははは! 答える義理はないかなあ」
男はニタリと笑うと、左腕を液状化し鞭のようにしならせ、バルディアを襲う。
「ぐっ……!」
反応が遅れた。
首元を掴まれ、そのまま壁へと叩きつけられる。
衝撃で視界が明滅する。拘束を解こうともがくが、男の腕はねっとりとした粘性を持ち、力を入れれば入れるほど泥沼のように手が沈み込んでいく。
「暴れたって無駄だよ、バルディアちゃん」
刃と化した右腕が、首筋に向けられた。
「じゃあね。短かったけど、君との師弟ごっこは楽しかったよ」
「……!」
その刹那。
暗闇を切り裂く一閃が走った。
カキィン……!
硬質化された右腕が弾き飛ばされる。
「バルディアちゃん、無事ですか……!!」
アヤメだった。抜き放った短剣を構え、バルディアと男の間に割って入っている。
「ア、アヤメ……!」
「変な気配を感じたのですが、まさか……」
バルディアは拘束から身を引き剥がし、よろめきながらもアヤメの隣に並んだ。
同時に、男の背後で空気が揺れる。
「『追尾型冥尖』!!」
漆黒の槍が男の背中目掛けて飛んだ。
男は咄嗟に躱すも、槍は空中で不自然に軌道を変え、まるで生き物のように追尾した。
「ぐっ……」
避けきれず、頬をかすめて血が滲む。
「うーん、起きてきちゃったか……計画が狂うなあ」
「行方不明のドワーフ……下層に進むほどなぜか減る魔物……。おかしいと思っていたが、お前が黒幕か……?」
エミルが焚き火の向こうから歩み出る。右手には黒焔が渦巻き、その瞳は冷たく男を見据えていた。
「黒幕ってほど大層なもんじゃないけどねえ」
男は首を鳴らしながら、余裕の笑みを崩さない。
「アヤメ、エミル、ありがとよ……!」
二人に負けじとバルディアもゆっくりと立ち上がり、男に向き直る。三人は男を取り囲むように、じりじりと距離を詰めていった。
「師匠の姿なんかしやがって……。本物の師匠とドワーフたちの居場所、今ここで吐いてもらうぞ!!!」




