第004話 E級冒険者の誕生
アヤメと別れてから、丸一日ほどが経っていた。
セルディス王国の首都・ラグネシア。ようやく辿り着いたその場所は、エミルの想像を遥かに超えていた。
石畳の大通りを行き交う人、人、人。
猫耳を生やした獣人が屋台で肉を焼き、背の低いドワーフが荷車を引き、すらりとしたエルフが涼しい顔で歩いている。
ゲームやアニメで何度も見た光景だ。
画面の向こう側で、いつか行ってみたいと憧れたファンタジーの世界。
——だが、そんなことはどうでもいい。
早く情報を集めないと。元の世界に帰る方法を見つけないと。
母を殺したあのフードの男の姿が、脳裏にこびりついて離れない。
絶対に元の世界に戻って、地獄の底まで追いかけてやる。
そのためには、まずこの世界の仕組みを知らないと話にならない。
エミルは人混みを避けるように路地に入り、壁に背を預けて深呼吸した。
「……落ち着け。ビビってどうする」
震える手で、首から下げたお守りを強く握りしめる。
母が作ってくれた、手作りのお守り。
指先に伝わる粗末な布の感触だけが、ここが地獄ではないと教えてくれる唯一のよすがだった。
——母さん、待っててくれ。
必ず帰る。必ずあいつを見つけ出す。
目的は、一日でも早く元の世界へ帰ること。そのためには情報が必要だ。
アヤメが言っていた。冒険者ギルドに行けば、何か情報を得られるかもしれない、と。
「まずは冒険者ギルド、か」
勇気を振り絞って道行く人に声をかけ、場所を尋ねた。言葉が通じるのは幸いだった。異世界転移の際に、何らかの翻訳機能でも付与されたのだろうか。
教えられた通りに進むと、ひときわ大きな建物が見えてきた。古びた木の扉には、交差する剣と盾の紋章が刻まれている。ここで間違いないだろう。
エミルは大きく深呼吸をすると、重たい扉を両手で押し開けた。
カラン、とベルの音が鳴る。
瞬間、店内の視線が一斉にこちらへ集中した。
酒と汗の匂いが混じり合う空間。屈強な冒険者たちが、値踏みするような目で新参者を見定めている。
——なんだこの、場違い感は……。
まるで、自分のことなんか誰も待っていない教室に、遅刻して入っていくような感覚。十年間、まともに他人と接してこなかった自分にとって、この空気はあまりにも重い。
だが、そんなことを気にしている場合ではない。
視線から逃げるように顔を伏せ、目に入ったカウンターへ足早に向かった。奥にギルドの受付らしき場所も見えたが、いきなりそこに行く勇気はなかった。
どうやら酒場も兼ねているらしい。
カウンターの中にいたのは、無愛想なマスターだ。
「……み、水をくれ」
ドン、と無造作に置かれたグラスを煽り、乾いた喉を潤す。
水を飲みながら、周囲の会話に耳を澄ませた。異世界から来た人間の噂、元の世界に帰る方法——何でもいい、手がかりになりそうな情報はないか。
「最近ゴブリンが増えたよな。おかげで討伐クエストには困らねえが」
「お前の剣、もうボロボロじゃねえか。いい鍛冶師紹介してやるよ」
「鍛冶師っていや、知ってるか? 獣人の娘が鍛冶師やってるらしいぜ」
「んなことより、明日は休みだろ? 新しい娼館に繰り出そうぜ!」
「ああ、あそこのエルフの姉ちゃん、たまんねえぞ!」
しかし、聞こえてくるのは下世話な話ばかり。使えそうな情報は何もない。
痺れを切らして、マスターに声をかけた。
「あの、少し聞きたいんだが」
「……何だい」
「この辺りで、何か変わった噂はないか? 例えば……違う世界から迷い込んだ人がいた、とか」
マスターがグラスを拭く手を止め、ギロリとこちらを見た。
「あんた、冒険者か?」
「いや、それは、まだ……」
「なら話は終わりだ。ここはな、情報をタダでくれてやるお優しい場所じゃねえんだ。情報が欲しけりゃ対価を払いな。ギルドカードも持ってねえ、金も信用もねえ、どこの馬の骨とも知れねえ奴に、誰が口を開くってんだ?」
ぐうの音も出ない正論だった。
今の自分は、身分証すらない不審者も同然だ。信用を得るには、この世界のルールに従うしかない。
——やるしか、ないってことか。
エミルは残った水を飲み干すと、意を決して受付カウンターへ向かった。
受付に座っていたのは、栗色のポニーテールが似合う、快活そうな女性だった。
「いらっしゃいませ! 見慣れない顔ですね。冒険者登録ですか?」
「……ああ。頼む」
「では、こちらにご記入をお願いします」
出された羊皮紙に、必要事項を記入していく。
「では、魔力測定を行いますね」
受付嬢のベリンダは、書き終えた用紙を受け取ると、カウンターの上にある水晶玉を指し示した。
「こちらの水晶に手をかざしてください。魔法属性と魔力量を測定します。適性があれば、火属性なら赤、土属性なら茶というように色が変わりますよ」
エミルはゴクリと唾を飲み込んだ。
——異世界転移といえば、チート能力。
こんな理不尽な状況に巻き込まれたんだ。その代償として、何か特別な力が与えられていてもおかしくないはず。もし強力な魔法が使えれば、すぐに元の世界に帰れるかもしれない……!
祈るように、水晶に手を乗せる。
一秒。
二秒。
三秒。
水晶は、沈黙したままだった。
輝きもせず、色も変わらず、ただの透明な石のまま。
「……あれ?」
ベリンダが首を傾げ、水晶をペチペチと叩く。
「故障かな……? でも、反応自体はあるし……。ということは……」
彼女は少し気まずそうに、エミルに視線を戻した。
「判定が出たようです。エミルさんは……その、『無属性』です」
「……はい?」
「魔力反応が極めて薄く、適性属性も見当たりません。ですので、エミルさんは……無属性、E級からのスタートとなります」
「……ちなみに、E級って上から数えてどのくらい低いんだ?」
「冒険者の等級は、最高がS、そしてAから順にEと六つのランクに分かれているんです。なので……」
「なるほど。最底ランクというわけね……はは」
乾いた笑いが漏れた。
——やっぱりそうか。
チート能力なんて、そんな都合のいいものがあるわけがない。三十五年間、何をやっても上手くいかなかった人生だ。異世界に来たところで、その流れは変わらないということか。
「あの、それでも……登録されますか?」
ベリンダが、辞めるなら今だと言いたげな視線を向ける。
エミルは拳を握りしめた。
——今はこんなことに落ち込んでいる場合じゃない。
E級だろうが何だろうが関係ない。
情報を集めて、元の世界に帰る方法を見つける。それだけだ。
「……登録する」
こうして、「無属性・E級」という最底辺の冒険者が誕生した。




