第033話 覚えてやがれ
翌朝。
グロムハルトの冒険者ギルドの扉を押し開けると、昨日とは明らかに違う、張り詰めた空気が三人を迎えた。あれだけ騒がしかった冒険者たちが、今は誰もが険しい顔をしている。
「……なんだか、様子がおかしいですね」
隣を歩くアヤメが、居心地が悪そうに肩をすくめる。エミルは小さく頷いた。
「ああ。ギルド全体がピリついてるみたいだ」
「ケルベロスの件が広まったんだろうな。あんなバケモノがダンジョン上層にいるなんて、普通じゃねえからよ」
バルディアが腕を組んで周囲を見回す。その表情にも、昨日とは違う硬さがあった。
三人がダンジョンに入る許可を得るためカウンターへ向かおうとした、その矢先。
がっしりとした体躯の男が、まるで待ち構えていたかのように進路を塞いだ。昨日、エミルたちがギルドを訪れた際に絡んできた、あの大男だ。
「よう、昨日のE級冒険者じゃねえか。また何の用だ? ダンジョンが怖くて逃げ帰ってきたんじゃなかったのかよ?」
男の口元が、嘲るように歪む。その声は必要以上に大きく、まるで周囲の注目を集めるためのようだった。背後から、「昨日のE級がまた絡まれてるぞ」といわんばかりの視線が突き刺さる。
「……あんたに関係ないだろ」
内心で舌打ちしながらも、あくまで冷静に対応する。ジムタイルは一体何を話したんだと言いたくなったが、今は無駄な揉め事を起こしている場合じゃない。
だが、その素っ気なさが逆に神経を逆撫でしたらしい。彼の太い眉がつり上がる。
「ああ? なんだその口の利き方は。まあいいぜ、教えてやるよ。俺様はな、これからお前らが尻尾巻いて逃げ出したケルベロスの討伐に向かうんだよ。お前らとは格が違うってことだな!」
「……へえ。頑張れよ」
軽い返事に、男の顔が怒りで引きつった。
「てめえ……! 逃げ帰っただけの雑魚が、俺様に楯突くってのか!?」
一触即発の空気が漂う中、バルディアがエミルの前にずいっと躍り出た。
「おい、この兄ちゃんたちはアタシが雇った護衛だ。文句があるならアタシに言え」
「なんだ、バルディアじゃねえか。アイアン・ブルズに捨てられたからって、今度はE級と組むたぁ、見境ねえなぁ! 半端者にE級、実にお似合いのコンビじゃねえか。ははは!」
半端者。その言葉に、バルディアの肩が微かに震えた。
「バルディア、もう放っておけ」
「ちっ。こいつはな、グロムハルトを拠点に活動しているB級冒険者のエルビラだ。最悪なやつに絡まれちまった」
エルビラと呼ばれた大男は二人の会話には構わず、ニヤついた視線をアヤメに向けた。
「お、なんだお前、いい女連れてるじゃねえか。昨日は気づかなかったが、上玉だなぁ。おい、こんな雑魚どもは放っておいて、俺様と遊ばねえか?」
エルビラはエミルを肘で押しのけ、アヤメの肩に腕を回そうとした。その指先が触れる寸前、アヤメはスッと半歩下がり、流れるような動作でそれを躱した。
「お断りします。あなたのような無礼な方と話すことはありません」
「へぇ……その強気な態度もいいねえ。そういう女がよぉ、俺様の前で泣きながら媚びる姿が一番そそるんだよ。どうだ、うちのパーティに入れよ。夜の手ほどきもたっぷりと——」
下卑た言葉と共に、エルビラの手が再び伸びる。今度はアヤメの頬に触れようとした、その瞬間。
「おい」
エミルの声と同時に、エルビラの視界が暗転した。エミルの手が、その顔面を鷲掴みにしていた。
「……がっ……て、めえ……いつの間に……」
スキルで強化された握力が、ギリギリと締め上げる。
「いた、いたたたた……! おい、離せ。離せって」
腕を掴んで振りほどこうとするが、びくともしない。エミルが指先へさらに力を込めると、エルビラは情けない悲鳴をあげ、膝から崩れ落ちた。
「……っ!! 痛い、顔が潰れる! 悪い、悪かったって! 離してくれ!」
「……」
「許してくれ! 顔が歪んじまう! 許してくださいいい!!」
「エミル様、わたしは平気ですから。もう離してあげてください」
アヤメの声に我に返り、指の力を抜く。ドサリと床に転がったエルビラは、赤く腫れ上がった顔を押さえながら、這うようにして後ずさる。
「ハァ……ハァ……なんだてめえ、くそ!! 覚えてやがれっ!」
エルビラはよろめきながら立ち上がると、捨て台詞を吐いて出口へと走り去った。
「覚えてやがれって……そんなセリフを吐くやつ、本当にいるんだな」
「……ぷっ」
バルディアが吹き出したのを皮切りに、ギルド内がどっと沸いた。
「うおぉぉおお!! よくやったぞ、兄ちゃん!」
「あのエルビラを追い払ったぞ!!」
周囲から割れんばかりの歓声が上がる。どうやら日頃の行いは、仲間内でも相当評判が悪かったらしい。
「あいつ、嫌われてるんだな」
「まあな。アタシも好かれちゃいないが、アイツは輪をかけてひどい。当然の報いだ」
バルディアがニシシと笑い、エミルの背中をバシンと叩いた。
その時だった。
騒ぎを聞きつけたのか、ギルドの奥から一人の男がまっすぐこちらに向かってきた。細身だが、服の上からでもわかる、鍛え抜かれた身体。眼鏡の奥から鋭い視線を放っている。
「あれ? ウォルコットじゃねえか。なんで鍛冶師ギルドのギルド長代理であるオマエが、冒険者ギルドなんかにいるんだ?」
「何の騒ぎかと思ったらバルディアか。ちょうどいいところにいた」
ウォルコットと呼ばれた男は、バルディアの前で足を止めた。眼鏡の奥の視線が、エミルとアヤメを値踏みするように捉える。
「ちょっと厄介なことが起きていてな。冒険者ギルドと話があったんだ」
「なんだよ、とうとう動く気になったのか?」
「その件だが、立ち話もなんだ。そこの二人も連れて来い。話したいことがある」
ウォルコットは声を潜めると、有無を言わせぬ口調で応接室の方角を指し示した。その表情には、ただならぬ切迫感が滲んでいた。




