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黒焔の復讐者は禁忌を宿して異世界を往く  作者: 美希昌希
第二章:グロムハルト編
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第031話 たった一人の家族

 ダンジョンから地上に戻ると、グロムハルトの空はすでに夕暮れに染まっていた。


「おい、E級」


 アイアン・ブルズのリーダー、ジムタイルが苛立たしげに頭を掻く。その足元には、意識を失った獣人の少女——バルディアが横たわっていた。


「こいつの家がこの先にある。一際でかい建物だからすぐわかるはずだ。そこへ運んで寝かせてやれ」

「なんだよ。さっきの治療といい、案外面倒見が良いんだな」

「はっ、勘違いするな。オレはただ、面倒事が嫌いなだけだ。これで貸し借りはなしだからな」

 

 ジムタイルは捨て台詞を残すと、パーティメンバーを促してギルドに戻っていく。


 その背中を見送りながら、アヤメがくすりと笑った。


「貸し借り、ですって」

「……それがどうしたんだよ」

「ふふっ、なんだかエミル様みたいなこと言うなと思って」

「……あいつと一緒にするなよ」


 呆れるように返すと、アヤメは「わかってますよ」と言わんばかりの笑顔を向けてくる。


 その視線から逃げるように、バルディアを背負い直した。ひょいと持ち上がるその体は、驚くほど軽かった。




 —————




 ドゥルガンの職人街の一角、ひときわ大きな建物があった。家というより、工房に近い。


「ここで間違いないんだよな……?」

「え、ええ、おそらく……」


 恐る恐る扉を押し開けると、濃密な金属臭と古びた油のにおいが鼻をつく。壁一面に吊るされた無骨な工具、床に散らばる鉄屑、書き殴られた設計図の山。生活感など欠片もない。


「本当にここが、この子の家なのでしょうか……」


 小さな女の子が一人で住むには、あまりに場違いな環境だ。それでも、バルディアが抱えて離さなかった鞄だけは、この風景に不思議と馴染んでいる。


 荷物を二つも持たされていたと思いきや、一つは彼女自身のものだったのだ。


 奥にあった寝室に彼女をそっと寝かせた。アヤメが濡れた布で顔を拭いてやると、苦しげだった呼吸がようやく穏やかになる。


 それから、どれくらいの時間が経っただろう。


 オイルランプの灯りが、壁の工具をぼんやりと照らし始めた頃。


「……ん、ぅ……」


 大きな狐の耳が、ピクリと揺れた。

 琥珀色の瞳がうっすらと開き、天井をぼんやりと捉える。


 そして、視界の端に映る見知らぬ人影に気づいた瞬間。


「!?」


 バッと布団を跳ね除け、獣の速さで壁際まで後退した。


「誰だっ! ……って、オマエら!?」

「あ、気がつきました? よかった!」

「なんで……なんでオマエらがここにいんだよ! アイアン・ブルズの連中は!?」

「彼らはもういないですよ。ここはあなたの家です」

「……あ? 家……?」


 バルディアはきょろきょろと周囲を見渡し、ようやく見慣れた自分の住処だと認識した。ふぅと息を吐き、自嘲気味に呟く。


「そうかよ……。チッ、アタシとしたことが、気絶しちまってたのか」


 それから、自分の肩に巻かれた真新しい包帯に気づいた。


「……この手当ては、姉ちゃんたちが?」

「はい。と言っても、ほとんどはロリッチ様がやってくれたんですけどね」

「そうか……」


 バルディアの視線が、エミルの方を向く。

 その瞳に、警戒と困惑が混じっていた。


「オマエらE級の癖に……なんであんな無茶したんだよ」

「お前を見捨てて逃げたら後味が悪い。それだけだ」

「バカじゃねえのか? 死んでたかもしれねんだぞ」

「そうだな。……礼の一言も言えないやつを助けたのは、後悔してるかもな」

「ちょ、ちょっとエミル様……!」


 アヤメが慌てるが、エミルは表情を変えない。


 これは、過去の自分への皮肉でもあった。


 異世界に来てすぐのこと。アヤメに助けられたとき、すぐにお礼が言えなかった。それがしばらく後を引いていた。

 だからこそ、この少女には同じ思いをしてほしくはない。


「……!」


 バルディアは虚を突かれたように口を開き、バツが悪そうに俯くと、大きな耳をぺたんと伏せた。

 

「……確かにそうだよな。悪い、本当に助かったぜ。ありがとう」

「……君が無事ならそれでいい。用は済んだし、おれたちはもう行くよ」

「あ、おい! 待ってくれ!」


 背を向けたエミルたちを、バルディアが必死な声で呼び止める。振り返ると、彼女は布団から転がり落ちるようにして立ち上がっていた。


「なあ、兄ちゃん。オマエ……強いんだろ? あのジムタイルが逃げ出しそうになったケルベロスを、追い払うくらいにはさ」

「強いつっても、結構ギリギリだったけどな……」

「頼む! 今度はアイツらじゃなくて……アタシとダンジョンに潜っちゃくれねえか?」

「君と……? どうしてだ? せっかく助かったんだ、今は大人しく休んでろよ」

「ダメなんだよ! もうオマエらしか頼れるやつがいねえんだ!」


 バルディアの悲痛な叫びが、狭い室内に反響する。


「あの……何か急ぐ理由があるんですよね? よかったら、お話を聞かせてください」


 アヤメが目線を合わせるように屈み込み、優しく問いかける。バルディアは唇を噛み締め、震える声で絞り出した。


「……アタシの師匠が、帰ってこないんだ」

「師匠……?」

「名乗るのが遅れたな。アタシは『バルディア・バルール』。これでも鍛冶師をやってる」


 鍛冶師。その言葉に納得がいった。

 ここは彼女の住処兼工房なのだ。


「アタシの師匠はこの国一、いや世界一の鍛冶師、『ヘパイストス・バルール』。その師匠がダンジョンに行ったきり……もう三週間も帰ってこねえんだよ」


 三週間。

 その期間の重みに、アヤメが息を呑む。


「普通なら、どんなに遅くても十日ありゃ戻ってくる。師匠は鍛冶師だけど、実力はA級冒険者並に強えんだ。そんな師匠が戻ってこないなんて、絶対におかしい……だから……」

「だからアイアン・ブルズに……」

「ああ。素材集めを手伝うって名目で、無理やり同行させてもらった。でも、アイツらじゃダメだった……!」


 バルディアは悔しそうに床を叩いた。


「お願いだ。アタシと一緒に師匠を探しにいっちゃくれねえか! もちろん、タダとは言わねえ! ジムタイルに同行したってことは、魔石や鉱石が目的だったんだろ? アタシならたくさん採掘できる場所を知ってる! 案内だってできる! それに、装備だって最高のを仕立ててやるさ!」


 差し出された条件は破格だ。世界一の鍛冶師の弟子。その技術と知識は、これからの旅において何よりの財産になる。魔石の情報も、アヤメにとっては喉から手が出るほど欲しいに違いない。


 だが、そんな損得勘定以上に、自分の心を揺さぶるものがあった。


 師匠を案じ、必死に頭を下げるその姿。

 それは——血の海に沈む母を前にしたあの日の自分と、どこか重なって見えた。


「当然です!」


 エミルが口を開くより早く、アヤメが力強い声で答えていた。彼女はバルディアの震える肩にそっと手を置き、強い意志を込めた瞳で微笑む。


「わたしも父を救うために旅をしています。大切な人を想うあなたの気持ち、痛いほどわかります。一緒に、お師匠様を探しに行きましょう!」


 迷いのない、真っ直ぐな言葉。

 アヤメはくるりと振り返り、「ね?」と同意を求めてくる。


 エミルはわざとらしく大きなため息をついた。


「……はぁ。面倒なことに巻き込まれたな。だがまあ、悪くない取引だ。引き受けさせてもらうよ」

「……! ほん、とか……っ!」


 張り詰めていた糸が、ぷつりと切れた。バルディアの大きな目から、大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちる。


「ありがど……っ、ありがどう……! う、ううっ……」


 獣人の少女は、顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくった。必死に涙を堪えようと口元を強く結ぶが、一度決壊した(せき)は止まらない。安堵と喜びを示すように、ふさふさとした尻尾が大きく左右に揺れている。


「エミル、アヤメ……! 本当に、ありがとうな……!」

「バルディア、礼はいい。まだ助けたわけじゃないんだから」

「へへっ、そうだな……! でも、頼るアテがなかったから、嬉しくてよ……」


 バルディアはごしごしと乱暴に目元を拭った。泣き顔を見られたのが恥ずかしいのか、真っ赤な顔で「さてと!」とパンと両手を叩く。


「兄ちゃんたち、宿はまだ取ってないんだろ?」

「ああ、そうだな」

「だったらウチに泊まっていけよ! 狭いけど、布団くらいは用意できるからさ! メシも……大したもんじゃねえけど、作ってやるよ!」

「いいのか? それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらうかな」

「おう、お互い様だからな! 師匠はアタシのたった一人の家族なんだ。それに比べりゃ、これくらいなんてことねえよ!」


 ニカッと笑うその顔には、もう迷いはなかった。


 ——家族、か。


 その言葉が、エミルの胸を小さく抉った。


 母を失い、孤独になった自分。だが今、こうして誰かの「家族」を取り戻すために動こうとしている。


 それがなんだか、不思議な縁だと思わずにはいられなかった。

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