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黒焔の復讐者は禁忌を宿して異世界を往く  作者: 美希昌希
第二章:グロムハルト編
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第030話 馬鹿なやつら

「おいおい……冗談だろ!?」


 エミルに追いついたジムタイルが叫ぶ。


 開けた空洞の中心に鎮座していたのは、黒曜石のような硬質な体毛に覆われた異形の魔獣。三つの頭を持ち、それぞれが紅い瞳を爛々と輝かせている。


 その足元で、バルディアが倒れ伏していた。

 肩口から鮮血が溢れ出し、石畳を赤黒く染めている。片腕を押さえてうずくまる彼女の顔は、苦痛で歪んでいた。


「グラナイト・ケルベロスだと!? なんでこんな化け物がこの階層に……!」


 ジムタイルの顔から血の気が引いていく。


「リーダー、こいつはヤバい! あたしらじゃ手に負えない!」

「わかってる! 応援を呼ぶぞ、全員撤退だ!」

「だがバルディアの師は……。恩を売れるチャンスでもあるぞい」

「馬鹿言え! 奴はA級数人で挑むような奴だ。死んだら恩もクソもねえ!」


 パレニイの言葉を一蹴し、ジムタイルは踵を返そうとした。


「ま、待ってください! あの子を助けないんですか!?」


 アヤメが悲痛な声を上げる。

 だが、ジムタイルは足を止めない。


「このままじゃこっちが全滅だ! 見捨てるしかねえんだよ!」


 ——見捨てる?


 その言葉が引き金となった。


 目の前の光景が、あの日の記憶を蘇らせる。


 床に広がる血の海。冷たくなっていく母の手。間に合わなかった後悔。


 また、同じことが繰り返されようとしている。


「……ふざけるな」


 気がついたら、声が漏れていた。


「ああ?」

「お前らは先に行け」


 ドサッ。


 エミルは荷物をその場に投げ捨て、ジムタイルの前に立ちはだかった。


「おれは、あの子を助ける」

「……はっ、気でも狂ったか? E級の雑魚が出張ったところで、奴の餌が増えるだけだぞ」

「それでも、だ。できる限りのことはする」


 綺麗事じゃない。復讐を果たすまでは死ぬつもりはない。

 だが、母を救えなかった後悔だけは、今もこの胸で燻り続けている。もう二度と、同じ過ちは繰り返さない。


「……エミル様」


 アヤメが息を呑む。

 震える手で、彼女もまた静かに短剣を抜いた。


「わたしも、残ります」

「おいおい、お嬢ちゃんまで! 死ぬのは勝手だが、オレたちを巻き込むんじゃねえぞ!」

「行きましょう、エミル様!」

「ああ!」


 ジムタイルの怒声を背に、二人は駆け出した。


「ちっ、馬鹿な奴らだ……! 勝手に死んでろ!」

「リーダー、何してるの? 早く逃げないと……!」


 ジムタイルは悪態をつきながらも、その場を動けずにいた。


 E級のひよっこと、か弱そうな娘。

 その二人が、B級の自分ですら逃げ出す相手に、ためらいもなく立ち向かっていく。その無謀な姿が、彼の冒険者としてのプライドを激しく揺さぶっていた。


「『翠風流剣技・木枯らし』!」


 アヤメが風のように駆け、ケルベロスの注意を引きつける。

 鋭い剣閃が、魔獣の硬い体毛に火花を散らした。


 グルォォォッ!


 わずかだが、ケルベロスの注意がバルディアから逸れる。


 ——今だ。

 暴走の危険はあるが、やるしかない。


 ブラドとの模擬戦で、憎しみに呑まれたあの感覚が蘇る。


 制御を失う恐怖。自分が自分でなくなる恐怖。

 だが今は、その恐怖を押し殺すしかない。


「『空間転移』!」


 次の瞬間、エミルはケルベロスの頭上にいた。

 眼下に見える三つの頭。その中央へ、ありったけの魔力を叩きつける。


「『黒焔・(カルマ)』!!」


 ズドォォォォンッ!!


 洞窟全体を揺るがすような、重く鈍い衝撃音。

 ケルベロスの頭蓋骨に亀裂が走り、巨体が大きくよろめいた。


 ガアアアアアア!!


 激痛と怒りに、残る二つの頭が絶叫する。

 憎悪の矛先が、手傷を負わせたエミルへと向けられた。


 空中でまだ体勢を立て直せない隙に、左右の頭が牙を剥いて襲いかかる。


「ちっ……!」


 咄嗟に『空間転移』で地面に着地するも、ケルベロスの反応速度が想像以上だった。

 着地の隙を狙った巨大な前足が、容赦なく薙ぎ払う。


「がはっ……!」


 スキル【硬化】で咄嗟に防御した腕が、ミシミシと悲鳴を上げる。

 体が岩壁に叩きつけられ、肺から空気が絞り出された。


 ——追撃が来る……!


 そう覚悟した瞬間、ケルベロスの足がピタリと止まった。


 中央の頭からはドス黒い体液が流れ出し、傷口が再生する気配はない。


 グルルルル……。


 ケルベロスは低く唸ると、忌々しげにエミルたちを一瞥し、踵を返した。

 ズシン、ズシンと地響きを立てながら、ダンジョンの奥深くへと姿を消していく。


「はぁ……っ、はぁ……」


 静寂が戻った空洞に、荒い息遣いだけが響く。

 遠巻きに見ていたジムタイルたちが、信じられないものを見たという顔で、呆然と立ち尽くしていた。


「……嘘だろ。あいつら、あのケルベロスを追い払いやがった……」

「E級と……素人の女が……?」


 エミルは痛む体を叱咤し、倒れているバルディアのもとへ這うように駆け寄った。

 アヤメもすぐに追いつく。


「おい、しっかりしろ! 大丈夫か!」

「……ぅ……」


 バルディアの琥珀色の瞳が、うっすらと開く。


「テメェら……なんで……逃げなかったんだよ……」

「気にするな。それより自分の身を案じろよ」


 エミルは着ていた服を破き、彼女の肩の傷口をきつく縛って止血する。

 傷は深いが、致命傷ではない。早く治療すれば助かるはずだ。


「へへっ……馬鹿なやつら……」


 バルディアは力なく笑うと、そのままガクリと意識を手放した。


「おい、バルディア!?」


 まだ息はある。だが、このままでは危険だ。


 エミルは振り返り、まだ棒立ちになっているジムタイルたちを睨みつけた。


「おい、ジムタイル!」

「っ……!」


 さっきまでの見下した態度はどこへやら、ジムタイルは気圧されたように肩を震わせた。


「こいつを助けるぞ! 手を貸せ!」

「あ……ああ、わ、わかったよ……」


 ジムタイルはバツが悪そうに顔を背け、大きくため息をついた。


「……おいロリッチ、手当てだけしてやれ」

「はあ、貸しにしとくかんね」


 ヒーラーの猫獣人ロリッチが駆け寄り、バルディアの傷に治癒魔法をかける。


 淡い緑の光が傷口を包み込み、出血が止まっていく。


 ——よかった。これで助かるのか。


 エミルは崩れるように膝をつく。


 胸の奥にあったあの燻りが、ほんの少しだけ軽くなった気がした。

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