第020話 覚醒②
「扉が、開く……!」
地響きのような重い音と共に、巨大な鉄の扉が開いていく。
——これだ。
ギルドで聞いた、あの酔っ払いの男が言っていた扉。自分と同じ服を着た男が、命がけで目指した場所。
帰れる、帰れるんだ。
心臓が早鐘を打ち、逸る気持ちを抑えきれなかった。完全に開ききっていない扉の隙間に、無理やり体をねじ込んだ。
「——え?」
足が止まった。思考が、真っ白に染まる。
扉の先に広がっていたのは、ただの広大な円形の空間だった。転移装置も、魔法陣も、現代的なビル群の幻影も何もない。
あるのは、部屋の中央にぽつんと浮かぶ——。
「なんだ、これ……」
野球ボールほどの大きさしかない球体が、静かに宙に浮いている。
けれど、そこから放たれる圧倒的な存在感は、さっき倒した巨大な魔物すら霞むほどだ。土のような、岩のような、それでいてどこか温かい脈動を感じる茶褐色の光を、その球体は発している。
「もしかして、こいつに触れれば……」
「ちょ、ちょっとエミル様? 危ないですよ……!」
アヤメの制止を振り切り、導かれるように、その球体にふらふらと歩み寄る。
吸い込まれるように、震える指先をその光へと伸ばし——。
触れた、その瞬間。
——バチッ!
激しい火花が散り、凄まじい衝撃が全身を貫いた。
「あああああぁあぁぁぁぁあああ!!!!」
視界が明滅し、脳内に膨大な情報が濁流となって流れ込んでくる。
熱い、全身の血液が沸騰したみたいに熱い。細胞の一つ一つが、無理やり書き換えられていくような感覚。初めてアヤメにポーションを飲まされた時と同じ——いや、それ以上だ。
アヤメが何か叫んでいるが、声が聞き取れない。
視界が白く霞み、思考が途切れかけた、その刹那。
——ピロンッ。
頭の中に直接、あのシステムメッセージのような無機質な声が響いた。
『【土属性】を獲得しました』
メッセージを認識したのを最後に、力の奔流がゆっくりと勢いを弱め、身体の奥底へと収まっていく。
「はぁ……、はぁ……っ」
膝から崩れ落ち、冷たい石畳に手をついた。大量の汗が床に滴り落ちるのを、ぼんやりと見つめる。
体の中に、今までとは違う何かが確かに存在している。どっしりとした、まるで大地そのものと繋がったような、重厚な感覚がある。
「エミル様! 大丈夫ですか!?」
駆け寄ってきたアヤメが、エミルの肩を支える。覗き込んでくるその瞳が、不安で揺れていた。
「顔色が真っ青です。それにすごい汗……本当に、無茶ばかりして……!」
涙目になりながら、ハンカチで乱暴にエミルの額を拭う。
「……悪い。心配かけた」
呼吸を整え、改めて部屋を見渡す。
球体は先程と変わらぬまま、静かに浮いているだけだ。
他には……何もない。
——これで、もう終わりなのか?
壁に手をつきながら、部屋の中を歩き回る。
壁面に何か仕掛けがないか。隠し扉がないか。転移魔法陣のようなものはないか。
だが、どこを探しても何もなかった。
この部屋は行き止まりだ。あの巨大な鉄の扉の先には、この空間と、中央に浮かぶ球体しかない。
「……嘘だろ」
乾いた笑いが漏れた。
——期待したおれが馬鹿だったのか?
あの酔っ払いの話を信じて、命がけでここまで来た。ダンジョンの魔獣を倒し、体力も魔力も限界まで使い果たして、ようやく辿り着いた場所がこれだ。
——扉を探していた男はどうしたんだ?
ここに来て、おれと同じように絶望して帰ったのか?
それとも、そもそもここには辿り着けなかったのか?
今頃おまえは、どこで何をしているんだ……。
「エミル様……」
「ハズレだ。……ここには、何もない」
壁に背中を預け、ズルズルと座り込む。
——帰れない。母さんの仇も討てない。
おれは、この世界でこの先どうすれば……。
俯くエミルの視界に、アヤメのブーツが入った。
顔を上げると、彼女は悲しげに、けれど真っ直ぐにエミルを見つめていた。
「……わたしも、同じです」
「え?」
「わたしも、父を救えないかもしれないと思う夜があります。グロムハルトに魔石があるという話だって、確証なんてどこにもない。行っても無駄足かもしれない。間に合わないかもしれない……」
アヤメがぎゅっと拳を握りしめる。
「それでも、進むしかないんです。立ち止まったら、本当に何もかも終わってしまうから」
すっ、と手が差し出された。
剣ダコのある、華奢だけれど力強い手。
「エミル様が探しているものも、きっとどこかにあります。ここじゃなかっただけ。……だから、行きましょう。次へ」
その言葉が、冷え切った心に小さな火を灯した。
——そう、なのかもしれない。
「扉」は空振りだった。だが、それで全てが終わったわけじゃない。
あの男の行方だって、調べれば何かわかるかもしれない。そもそも、その男は「扉」の情報を一体どこの誰から聞いたんだ。情報源があったはずだ。もしかしたら、それを辿れば——。
それに。
視線を、部屋の中央に浮かぶ球体に向ける。
——ここまで導いた、頭の中に響くあの声。
あれは一体なんだったんだ?
体の奥底で、確かに何かが変わった。この感覚の正体を突き止めれば、それも手がかりになるかもしれない。
諦めるのは、全部試してからでいい。
「……ああ。そうだな」
エミルはその手を掴み、立ち上がった。
「さっき、声が聞こえたって言っただろ」
「ええ。わたしには聞こえませんでしたが……」
「それなんだがな……」
エミルは、アヤメに自分の身に起きたことを話した。頭の中に直接響いてきた、あの不思議な声のこと。そして、最後に聞こえた「土属性を獲得しました」という、まるでゲームみたいなメッセージのこと。
「土属性!? そんなの、ありえません!」
「そんなにおかしなことなのか?」
「ええ、魔法属性は生まれ持った一つのものだけ。後から増えたり変わったりなんて、聞いたことがないです」
——アヤメの言う通りだとするなら、尚更調べる価値がある。
この異常な現象の裏には、きっと何かがある。元の世界に帰る手がかりに繋がる何かが。
「ものは試し、か」
スキルを使う時と同じように、体内の力を引き出すイメージを描く。すると、体の奥底から湧き上がる、ざわめくような魔力の流れを感じた。
分厚い土の壁を——イメージをより明確に。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!!
重い地響きと共に、石畳が盛り上がる。
一瞬にして、目の前に胸の高さほどの分厚い土壁が出現した。




