第016話 ダンジョン・ウォーク
「よし。アヤメ、入るぞ」
ごくりと喉が鳴る。目の前に口を開けているのは、タルマの森の奥深くに潜んでいたダンジョンだ。
「エミル様……わたしたち、クエストを受けているわけではありませんし……勝手に入っていいんでしょうか」
「今更だろ。おれはダンジョンの奥、お前は金策。引き返す選択肢はないぞ」
「むぅ……。わかりましたよ、わたしも腹を決めます」
アヤメはぷくりと頬を膨らませつつも、エミルの後を追ってダンジョンへと足を踏み入れた。
中は思ったほど真っ暗ではなかった。壁で淡く光る苔が、ぼんやりと道を照らしてくれている。どこまでも続く一枚岩の通路は、まるで“ダンジョンの意思”が作り上げたかのようだ。
キシャアアアッ!
頭上から、コウモリ型の魔物が襲いかかってくる。
だが、遅い。
「ふっ!」
エミルは一歩踏み出し、すれ違いざまに拳を叩き込む。
黒い衝撃波が走り、魔物は壁に叩きつけられて霧散した。
「左からも!」
死角から飛び出したゴブリンを、アヤメの短剣が一閃する。
力任せではない、洗練された技が魔物の急所を的確に切り裂いていく。
「……やるな」
「エミル様から頂いた大切な剣ですから。かっこ悪い姿は見せられません!」
魔物を沈め、アヤメがふふんと誇らしげに胸を張る。
こんな軽口を叩き合えるくらいには、二人にも余裕が生まれていた。
共に死線を乗り越えたことで、不思議な信頼関係みたいなものが生まれ始めている。
—————
しばらく進むと、少し開けた空間に出た。地下水の滴る音が静かに響いている。
「少し休むか」
岩場に腰を下ろし、水筒の水を飲む。
休憩がてら、これまでの戦闘でわかったことを整理する。
一つは、この世界にはレベルとかステータスとか、そういうゲーム的な概念はないということ。
アヤメの話だと、魔物が持つ特殊能力は「特性」とか「習性」として認識されていただけだ。それを"スキル"として奪い取り、自分の力に変換する。そう考えるのが一番しっくりくる。
二つ目は、スキルには自分の意思で使う”アクティブスキル”と、常に効果が続く”パッシブスキル”の二種類があるということ。
『身体強化』や『俊敏強化』といった身体能力を底上げするパッシブスキルは、一度獲得すれば効果は永続的だ。
おかげで、運動経験ゼロだった自分の体は、今や超一流のアスリート並の身体能力を手に入れている。これだけでも十分チートだろう。
そして最後。どうやら”攻撃系のスキルは獲得できない”ということ。
スキルの実験中、風の刃を放つ魔物を見かけた。その力を奪おうと試みたが、結果は空振り。おそらく、あれは”スキル”ではなく”風魔法”という扱いなのだろう。
つまり、この力で奪えるのは『身体能力の強化』や『特殊な補助能力』だけ。
——ってことは、おれの攻撃手段は、あの『黒焔』のパンチだけってことか……?
せっかく異世界に来たんだ。元の世界へ戻る前に、派手な魔法をぶっ放してみたい、なんて。三十路を過ぎた男の心にも、そんな少年みたいな憧れがまだ燻っている。
「……何を難しい顔をしているんですか?」
アヤメの声で、思考の海から引き上げられる。
「ああ、いや、このダンジョンの構造について考えてたんだ。人工物っぽいのに継ぎ目がないし、この明るさ……まるで『冒険してください』って言わんばかりの環境だなって」
「確かにそうですね。シオン国にはダンジョンがなかったので詳しくはないのですが、一般的に、ダンジョンは神獣の……」
アヤメが言いかけた、その時だった。
常時展開していた【魔力探知】スキルが反応した。
巨大な魔力反応が、急速に接近している。
「……っ! アヤメ、危ない!!」
考えるより先に、身体が動いていた。
アヤメの細い肩を掴み、自分の胸の中に抱き込むようにして、その場から飛び退く。
ドゴンッ!
直後、二人がいた場所に巨大な戦斧が突き刺さり、石畳を粉砕した。
衝撃で飛び散った破片が、アヤメの髪を数本切り裂いていく。
腕の中で、小さな身体が震えているのが伝わる。
思ったよりずっと華奢で、花のようないい香りが鼻をくすぐる。
「……え……あ……」
腕の中でアヤメが顔を上げる。至近距離で見つめ合う形になり、翡翠色の瞳が見開かれていた。
——近い。
心臓の音が、やけに大きく聞こえた。
ブオオォォォ!
暗がりの奥から響く獣の咆哮が、二人を現実に引き戻す。
ゆっくりと姿を現したのは、四メートルはあろうかという巨体。牛の頭に二本の角、隆起した筋肉の塊。ゲームやファンタジーで定番の魔物、ミノタウロスにそっくりだ。
「魔物です!」
アヤメは慌てて腕から抜け出すと、短剣を構えた。
「……ああ。向こうも臨戦態勢だ、迎え撃とう」
動揺を振り払うように、自身の拳に『黒焔』を纏わせた。
ミノタウロスは喉を震わせ大きく鼻息を吐くと、今度は金属棒のようなものを掴み突進してきた。振り下ろされる一撃は、まるで岩を砕くような勢いだ。
「ぐっ……!」
『黒焔』で受け止めようとするが、衝撃を殺しきれず後ろへ吹き飛ばされる。アヤメも剣で受け流そうとするが、その重さに腕が痺れたようだった。
「なんて馬鹿力……!」
デュバルほどの洗練された技はない。だが、この圧倒的なパワーはそれ以上の脅威だ。
「だけどこのミノタウロス……」
「ああ、動きは単調だ。勝機はある」
二人は顔を見合わせる。
「アヤメ、おれが正面から引きつける。その隙に……」
「わたしは足を狙います!」
エミルは雄叫びを上げ、正面からミノタウロスに突っ込んだ。ミノタウロスが咆哮し、巨大な戦斧を頭上へ振りかぶる。
——狙い通り!
斧が振り下ろされる、その刹那。
「——『空間転移』!」
フッ、とエミルの姿がかき消える。
斧は虚しく地面を叩き割り、土煙を上げた。
ブモッ!?
獲物を見失い、ミノタウロスが戸惑ったように顔を上げる。
その視線の先、頭上の空中に、エミルは転移していた。
「今だ!」
「わかってます!」
アヤメの身体が疾風のように足元を駆け抜けた。
「『翠風流剣技・木枯らし』!」
鮮やかな剣閃。
巨体を支える強靭なアキレス腱が、一瞬で切り裂かれた。
ブオオオォォ!!!
絶叫と共に、巨体がバランスを崩して膝をつく。
重力に従って落下しながら、エミルは右手に魔力を収束させる。
黒い炎がドリルのように渦を巻き、禍々しい殺気を放つ。
「とどめだ、『黒焔・禍羅葬』!!!」
ズドォォォォンッ!
漆黒の槍と化した拳が、ミノタウロスの脳天を深々と貫いた。
硬い頭蓋骨が砕ける感触。巨体がビクンと跳ね、そしてゆっくりと崩れ落ちた。
「……ふぅ」
荒い息をつきながら、アヤメの方を振り返る。
彼女も肩で息をしていたが、こちらを見て満面の笑みを浮かべた。
「やりましたね、エミル様!」
「ああ、アヤメのおかげだ」
促されるまま、軽く拳をコツンと合わせた。
なんだか照れくさいが、不思議と悪い気はしなかった。
「エミル様、照れてます?」
「照れてない。息が上がってるだけだ」
アヤメがくすくすと笑う。
ネトゲでレイドボスを倒しても、画面の向こうから「おつかれ」というテキストが流れるだけだった。
でも、今は違う。
実際に命をかけて、協力して勝利を掴んだ。
この達成感は、引きこもり時代には味わえなかった本物の充実感だ。




