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第110話 ジョン・ドウ

「……事情を知ってから見ると、反吐が出るな」


 カルフール城に続く道を歩きながら、エミルは呟いた。


 視界の端には、露天で商売する人族と、何を買うか吟味する魚人の姿。その横を、米俵を軽々と担いだオーガが我が物顔で闊歩している。


 一見すれば、多種族が共存するのどかな風景だ。セルディス王国でも同じような光景を見た。だがその実態は、歪な力関係の上に成り立っている薄氷の平和であることを、エミルたちはもう知っている。


「強者が弱者を飼い殺しにするのはどこの国でもあることだ。しかし、この国ほど不愉快な状況はそうそうない」


 先頭を歩くローラが、フードの下から冷ややかな声を投げかけた。


「本来、オーガ族というのは『火の神獣アスラの大地』にある、ルーベルグ獣王国を本拠地にしている種族だ。力こそが正義、強さこそが真理。そんな連中だからな」

「ルーベルグ、獣王国……」


 エミルの脳裏に、グロムハルトで戦ったアレスの言葉が蘇る。


 ——『ルーベルグ獣王国で、ちょっとしたお祭りが始まるんだ』

 ——『戦争という名のお祭りさ。獣人、オーガ、リザードマンにダークエルフ……血の気の多い連中が集まったあの国は、火種さえあればいつでも燃え上がる』


 ——“血の気が多い連中が集まったあの国”か。

 なるほど、オーガの本拠地ならば、その言葉にも納得がいく。


「アレスの計画が順調に進んでいれば、戦争がいつ起きてもおかしくなかったわけだな……」

「ケッ、師匠たちも危うく巻き込まれてたかと思うと、胸糞悪りいぜ」

「そのルーベルグだが、以前も大きな派閥争いがあったのだ。他種族との共存を望む『穏健派』と、オーガによる支配を目論む『強硬派』だ」

「わかりやすい対立構造ね」


 サラが肩をすくめる。


「ああ。それで、権力争いに敗れて国を追われた強硬派の連中が、新たな支配地を求めて流れ着いたのが……このシオン国だ」

「はっ、負け犬が弱いものいじめしに来たってわけかよ」


 バルディアが鼻を鳴らす。


「その強硬派を束ねているのが、この国のオーガの頭領、シュテン・グーリン。……皮肉な話だが、ルーベルグに残った穏健派のリーダーは、シュテンの実の兄なのだ」

「随分と迷惑な兄弟喧嘩だな……」


 エミルが呆れていると、ローラが続けた。


「その兄の名は、ブラマンテ・グーリン。今はS級冒険者として、冒険者ギルドの総ギルド長を務めていると聞く」

「ブ、ブラマンテだって!?」


 バルディアが声を上げた。


「知ってるのか?」

「当たり前だろ! 鍛冶師ギルドにも顔が利く、豪快なオッサンだ。何度か会ったことあるぜ。まさかあのオッサンがオーガ族の……しかも、ここのオーガを締めてるボスの兄貴だったとはな」

「世界は狭いな……」

「ブラマンテ殿も、かつてはこの国にギルド支部を作ろうと訪れたことがあったらしい。だが、弟のシュテンとは犬猿の仲。交渉は決裂し、この国は冒険者ギルドの空白地帯となった」


 ローラは悔しげに唇を噛んだ。


「もしその時、ギルドが設立されていれば……我々の運命も少しは違ったのかもしれん。それに、私たち魚人も一枚岩ではない。寒さに強い種は氷の大地にあるノルディア連邦へ、腕っぷしに自信のある荒くれ者は火の大地のルーベルグへ。……そして、争いを好まず、穏やかな気質の者たちが、このシオン国に根付いた」

「争いを好まず、ね……。あたしたち、思い切りケンカを売られたのだけどね」

「その節はすまないことをした。皆不満が溜まっているのだ。元々は穏やかな気質な者が多かったのだがな……」


 ローラが苦笑交じりに肩をすくめた。


「我々の先祖が、なぜこの水の大地を選んだのか……詳しい歴史は失われてしまったが、きっと争いのない理想郷を夢見ていたのだろうな」


 ——歴史、か。


 エミルは服の上から、そっとお守りを握りしめた。


 母さんが作ってくれた、手作りのお守り。面接の日に渡されて以来、ずっと首から下げている。触れるたびに、母さんの笑顔が浮かぶ。


 ——ネリスが無事に回復したら、なんとしてもこの国や大地の歴史を聞かないといけない。

 今はとにかく情報だ。何が元の世界に帰るための手がかりになるかわからない。

 それに、この大地のどこかに水の神獣とつながる場所があるはずだ。


 思考を巡らせているうちに、周囲の景色が徐々に賑やかになってきた。瓦屋根の家々が密集し、通りの人通りも増えてくる。


「さあ、もう城が近い。城下町に入るぞ」


 ローラが足を止めた。


 目の前には、活気のある城下町が広がっている。屋台からは香ばしい匂いが漂い、子供たちが笑いながら駆け回っている。一見すれば、平和そのものの光景だ。


「……腹ごしらえでもしていくか? 城に入れば、ゆっくり食事をする暇もないだろう」


 ローラの提案に、バルディアのお腹がグゥと鳴った。


「賛成! 腹が減ってはなんとやらだ!」


 一行は、通り沿いにある定食屋のような店に入った。店内は昼時を過ぎていたこともあり、客はまばらだ。愛想のいい女将がお茶と団子を運んできてくれた。


「なぁ、ローラ。魔物化……『蒼海石』の被害だ。あれは、どのくらい広がってるんだ?」

「……すでに百人近い人間が行方不明になっている。公にはされていないがな」

「百人……!?」

「それだけ被害が出ていて、暴動が起きないのが不思議なくらいね」


 サラの疑問に、ローラは冷ややかに答える。


「それが()()()()()の為せる技だ。国民は、魔物化した人間をオーガが処理してくれることに感謝すらしている。『彼らがいなければ、我々は魔物に殺される』とな。……その魔物を生み出している元凶が、オーガたちの欲望だとも知らずにな」


 彼女の視線が、窓の外へ向けられる。


「それでも、民衆の不満は、水面下で限界まで膨れ上がっているんだ。政府は何もしない、オーガこそが英雄だと言わんばかりにな。……ひとたび何かが起きれば、この国は一瞬で崩壊する。このままいけば、民衆の暴動か、あるいはオーガによる完全な武力制圧か……どちらにせよ、待っているのは地獄だ」


 エミルは黙り込んだ。


 想像以上に、事態は切迫している。そして、その地獄の一端を、自分たちは目の当たりにしたのだ。あの魔物化した人間の断末魔は、今もエミルの耳に残っている。


「……ひとつ聞いておきたいことがある。バエルという男を知っているか?」

「知っているも何も、カルフール家に出入りする人族だ。アヤメ様の従者とまではいかないが仲が良い。なぜそんなことを聞く?」

「アヤメがこの国を出た理由だ。父の病を治す魔石がグロムハルトにあると教えたのは、バエルらしい」


 サラが補足するように続ける。


「バルディアちゃんの話だと、蒼海石の病を治せる石なんて存在しないらしいの。つまりアヤメちゃんは、嘘の情報で国外へ誘い出されたことになる」


 ローラの目が、鋭く細められた。


「なるほど、興味深い話だ。私もあの男については調べていた」


 ローラは声を落とし、周囲に聞こえないよう身を乗り出した。


「だが……何も出てこないのだ」

「何も?」

「ああ。商人として各地を回っていたという話はあるが、それ以前の出自も、誰と繋がっているのかも、まるで掴めない。この国に出入りする人間で、ここまで素性がわからない者は珍しい」

「……意図的に隠している、ということか」

「普通なら、隠していてもどこかから尻尾が出てもおかしくないのだがな……。何者かはわからないが、あの男は信用できない。私の勘がそう言っている」

「にしても、そのバエルってやつ……アヤメの友人なんだろ? なんでそんな裏切りみてえなことすんだ?」


 バルディアが腕を組んで唸る。


「さあな。金か、権力か、あるいは別の目的があるのか……いずれにせよ、油断はできない。あの男の目的が何であれ、アヤメ様を利用しようとしていることは間違いないだろう」

「上等じゃねえか。アヤメの親父さんを助けて、バエルって野郎はとっ捕まえて聞きだしゃいい。そんでふんぞり返ってるオーガどもをぶっ飛ばす。わかりやすくていいぜ」

「バルディアちゃん、忘れないで」


 勢いよく立ち上がろうとしたバルディアに、サラが静かに釘を刺す。


「オーガを倒すのは、あくまでアヤメちゃんの意思を確認した後よ。あたしたちはアヤメちゃんの味方であって、この国の革命軍じゃないわ。あの子が戦うと決めた時だけ、力を貸す。……そうでしょう? エミル君」

「ああ。アヤメが武力対立を選ばなければ、ローラに手を貸すことはできない。そういう約束だ」

「そうだな、それは私もわかってるさ」


 ローラはエミルの目を見て、満足そうに頷いた。


 その時だった。


 ガシャンッ!


 入り口の方で、何かが激しく砕け散る音がした。店内の空気が一瞬で凍りつく。


「おいババア! 今月のみかじめ料、まだ払ってねえよなぁ!?」


 怒鳴り声と共に、土足で店内に踏み込んできたのは、柄の悪そうな三人組の男たちだった。


「ちょ、ちょっと! うちはちゃんと先週払ったはずじゃ……」

「ああん? あれは()()()だろが! 今週は物価が上がってんだよ、倍払えって言ってんだ!」


 男の一人が、女将を乱暴に突き飛ばした。よろめいた女将がテーブルにぶつかり、食器が床に落ちて割れる。


「俺たちを誰だと思ってんだ? この辺りの治安を守ってやってる自警団様だぞ? オーガの旦那たちとも懇意にさせてもらってるんだ、逆らうとどうなるか……わかってんだろうな?」


 男はニタニタと笑いながら、店の売り上げが入っている木箱に手を伸ばす。


「……これこそが、今のこの国の縮図だ」


 ローラがギリッと拳を握りしめた。


「不安と恐怖が蔓延し、強い者に媚びることでしか生き残れないと思い込んでいる。……あんなゲスな者共が、白昼堂々と跋扈するようになってしまった」

「……一番醜悪な生存本能ね」


 サラの瞳が、氷のように冷たく細められる。


 「……こんな状況、見過ごすわけにはいかないか」


 エミルは静かに椅子から立ち上がった。ほぼ同時に、サラとバルディアも立ち上がる。


「にしし、食後の運動にはちょうどいいぜ」

「まったく……少しは静かに食事がしたいものね」


 エミルはゴロツキたちの背後に歩み寄る。


「おい」


 短く声をかけると、男たちが振り返った。


「ああん? なんだテメェら、痛い目にあいた……」


 男の言葉は、最後まで続かなかった。


 店の入り口から、異様なプレッシャーが流れ込んできたからだ。


 それは殺気とも、威圧感とも違う。

 もっと底知れない何か。


「……おやおや。おいらのシマで、随分と粋な真似をしてくれなすって」


 男たちの動きが止まる。ゴロツキたちの顔色が見る見るうちに青ざめ、ガタガタと震え出した。


「ば、バエルの……旦那……?」


 入り口に立っていたのは、着流しのような奇妙な服を着た男だった。


 細めた目は笑っているようで、その奥には感情の色が見えない。飄々とした態度の中に、絶対的な強者の余裕が見え隠れする。


 エミルの心臓が、ドクンと大きく跳ねた。


 ——バエル……?

 アヤメが言っていた、あの……こいつがバエル?


 男はゆっくりと、店の中へと足を踏み入れた。

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