第011話 エミル VS デュバル
デュバルの巨体が、真正面から突っ込んでくる。
ズゥンッ!!
鼻先数センチ。爆ぜた地面が礫となってエミルの頬を切り裂いた。
致命的な一撃を紙一重で躱したが、衝撃波だけで内臓が跳ねる。
「避けんじゃねえ! 決めたぜ。テメェの面白ぇ冗談と無謀を買ってやる。その四肢を割いて動けないようにしたら、目の前でその娘を犯してるとこを見せてやるよ……テメェを殺すのはその後だ」
デュバルがニタリと笑い、間髪入れずに次の攻撃を繰り出した。巨体に似合わぬ流れるような連撃が、縦横無尽にエミルを追い詰めていく。
「俺様をさっきの雑魚と一緒だと思ったら大間違いだ。魔法属性にこそ恵まれなかったが、この腕っぷしでC級まで成り上がった。そこらの魔法だけにかまけている奴とは、鍛え方が違うのよ」
戦斧が横薙ぎに迫る。
エミルは地面を転がって衝撃を殺そうとするが、デュバルはそれすら読んでいた。斧の腹が、逃げようとするエミルの脇腹を的確に捉える。
ドゴォッ!
「……かはっ……、あ、ぐ……」
肺から空気が絞り出され、視界が白く明滅した。吹き飛ばされたエミルは地面を転がり、木に叩きつけられてようやく止まる。
「ひひ……もう終わりか? 口ほどにもねえ。所詮は雑魚だな」
デュバルが歪んだ笑みを浮かべ、ゆっくりと近づいてくる。死刑宣告のように、戦斧がゆっくりと持ち上げられた。
その時だ。
「やめてっ!」
悲痛な叫び声が、戦場を切り裂く。
振り返ると、拘束されていたアヤメが、手下を振り払い駆けてきた。
「この人に、手を出さないで!」
アヤメはエミルとデュバルの間に滑り込み、細い両手を精一杯広げ、エミルを庇うように立ちはだかった。
「……おい、馬鹿、何を……」
掠れた声は届かない。
デュバルはアヤメの姿を見て動きを止め、心底愉快そうに喉を鳴らした。
「くくっ、健気なこった。泣けるねえ」
ねっとりとした視線が、アヤメの身体を舐め回す。
「だがな、小娘。俺様はそういう生意気な女から壊してやりたくなるタチでなァ」
デュバルが戦斧を放り捨て、素手で十分だと言わんばかりに、丸太のような腕を伸ばした。
「そいつはもう動けねえみてえだし……少し早いが、お楽しみの時間といくかぁ……ッ!」
「……っ!」
汚い指先が、アヤメの肩に伸びる。
その光景が、スローモーションのようにエミルの網膜に焼き付いた。
——ああ、知っている。
この絶望を、おれは知っている。
理不尽な暴力。踏みにじられる尊厳。そして、何もできずにただ失うだけの、無力な自分。
脳裏にフラッシュバックするのは、血の海に沈む母の姿だった。
あの時もそうだった。
おれは間に合わなかった。
守れなかった。
——ふざけるな。
またかよ。また、おれは奪われるのか。
目の前で、また誰かが傷つけられるのを、指をくわえて見ているのか?
嫌だ。
そんなの、もうごめんだ。
ブチンッ。
頭の中で、何かが焼き切れる音がした。
無意識に左手が胸元へと伸び、首に下げた母のお守りを強く握りしめる。その温もりが、冷え切った心に火を灯した。
ドクン。
体の奥底から、未知の力が湧き上がってくる。もっと根源的で、熱い、魂の叫びのような奔流。全身の血が沸騰し、胸の奥で何かが爆発した。
デュバルの指が、アヤメに触れる寸前。
「その汚い手で、その子に触るなッ!!」
咆哮と共に、エミルの身体が空間から掻き消えた。
「……あ?」
デュバルの手が空を切る。
何が起きたのか理解できない。その顔が驚愕に見開かれるより早く、視界のド真ん中にエミルが現れていた。
右の拳が漆黒のモヤに包まれていく。
もう、奪わせない。
「『黒焔』ッ!!」
ズガンッ!!
腹を貫くような鈍い轟音と共に、デュバルの巨体が大きくのけぞり、後方へ吹き飛んだ。
「が、はっ……!?」
だが、攻撃は終わらない。
空中で体勢を立て直そうとするデュバルの背後に、再び、黒い影が揺らぐ。
シュッ。
音もなく、空間を跳躍したエミルがそこにいた。
「な、んだ……て、めえ……っ!」
ゴッ!
背骨を砕くような一撃に、デュバルが地面に叩きつけられる。
『空間転移』と『黒焔』を組み合わせた、圧倒的な連続攻撃。
デュバルの思考が追いつく前に、死角から、隙間から、漆黒の拳が叩き込まれる。
エミルは無表情のまま、這いつくばるデュバルの真上へと転移した。
右の拳に、ありったけの魔力を集中させる。黒いモヤはもはやモヤではない。質量を持った、漆黒の業火となって唸りを上げる。
「『黒焔・業』!!」
ドゴォォォォンッ!!
拳が振り下ろされた瞬間、広場全体が揺れた。
地面に巨大なクレーターが生まれ、土煙が高く舞い上がる。
その中心で、デュバルは白目を剥き、ピクリとも動かなくなっていた。
しん、と静寂が広がる。
「……う、そだろ……お頭が……?」
山賊の一人が、震える声で呟く。
その言葉が、引き金だった。
「ひっ、化け物だ!」
「あんなの勝てるわけねえ!」
「逃げろ! 殺されるぞぉぉっ!」
蜘蛛の子を散らすように、山賊たちが逃げ出していく。
あっという間に、広場にはエミルとアヤメ、縛られた村人たち、そして気絶したデュバルだけが残された。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
荒い息を吐きながら、エミルは自分の右手を見つめた。
漆黒のモヤは、いつの間にか消えていた。代わりに襲ってきたのは、立っていることさえ許さない強烈な脱力感と、魂を削り取られたような枯渇感だ。
視界がぐにゃりと歪む。
膝から力が抜け、身体がゆっくりと地面へ傾いでいく。
「エミル様!」
倒れ込んだ先には、冷たい土ではなく、柔らかな温もりがあった。
アヤメが駆け寄り、その身体を必死に支えてくれている。
「しっかりしてください! エミル様!」
耳元で響く声が、泣きそうに震えていた。
薄れゆく意識の中で、エミルはアヤメの顔を見上げた。大きな瞳に涙を溜め、必死にこちらの安否を気遣っている。
——ああ。
今度は、間に合った。
今度は、守れたんだな。
アヤメの温かさに包まれながら、エミルの意識は深い闇へと落ちていった。




