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第106話 世界最強の冒険者

 S級冒険者、ノアベック・ドイル。

 世界に九人しかいない、最高峰の実力者。


 その男を前にし、シュテンは口角を吊り上げ、牙を剥き出しにして笑った。


「シュラララ! あの商人の野郎が寄越した“切り札”ってのはテメェか。随分と華奢な優男じゃねえか。俺のデコピン一発で折れちまいそうだぜ?」


 挑発的な言葉にも、ノアベックは眉一つ動かさない。


「強さには色々な形があるからね。……それに、君の指が僕に届くことはないよ」


 その傲慢とも取れる自信に、周囲のオーガたちが殺気立った。


「ああん? テメェ、シュテン様を愚弄する気か!」

「たかが人族が、調子に乗ってんじゃねえぞ!」


 下っ端の一人が、制止も聞かずに動いた。巨大な戦斧を振りかぶり、ノアベックの背後から襲いかかる。


「死ねェッ!」


 風を切り裂く刃が、青年の脳天に直撃する——はずだった。


「……は?」


 間の抜けた声を漏らす。


 振り下ろしたはずの戦斧が、止まっていた。空中でピクリとも動かない。


 ノアベックは振り返りもせず、人差し指と中指だけで、巨大な戦斧の刃を挟むように受け止めていた。


「な……ッ!? う、動かねェッ……!」


 オーガが顔を真っ赤にして柄を押し込む。だが、鋼鉄の刃は岩盤にめり込んだかのように微動だにしない。


 パキン!


 ノアベックが指に力を入れると、戦斧は粉々に砕け散った。


「……話の腰を折らないでもらえるかい」


 振り返り、オーガの下っ端を見据える。ただそれだけで、下っ端は戦意を失い、膝から崩れ落ちた。


「おい、ノアベック。あまり俺の部下をいじめてやるな」

「悪いね、シュテン。僕に突き刺さる視線が、どうにもね」


 ノアベックは指についた鉄粉を払いながら、優雅に肩をすくめる。


「さて、静かになったところで本題に入ろうか」

「……チッ。噂通りの化け物ってわけかよ。あんな精密な魔力操作、俺らにはとてもじゃねえが真似できねえ。疑っちまって悪かったな。……だがよ、テメェの出番はないと思うぜ? 計画は少しずつだが進んじゃいる」

「そう願いたいね。僕も、無駄な労働は好きじゃないんだ」


 ノアベックは、ふと虚空に視線を向けた。


「そういえば……そこに隠れてる彼とは、いつ会わせてくれるんだい?」

「おっと。バレてちゃ世話ねえや」


 空間が、ぐにゃりと歪んだ。


 シュテンの隣から、ぬらりと一人の男が姿を現す。着流しのような奇妙な服を着た、どこか飄々とした男だ。


「なんだ、来てたのか、バエル・バアル。脅かすんじゃねえ」

「悪い悪い」


 バエルはひょいと肩をすくめ、ノアベックに向き直った。


「まあよろしく頼みやすぜ、ノアベックの旦那。あんたがいてくれりゃ、百人力だ」

「やあ、バエル君。君の依頼だからね、仕事はきっちりこなすよ。ただし、条件は覚えているね? この国の()()が片付いたら、約束の報酬はいただくよ」

「わかってらあ。例の情報でしょう? しっかし、世界最強の異名を持つあんたが、金よりも情報を欲しがるたあね」

「お金ならギルドから充分頂いているからね。ギルドといえば……君のお兄さんにも、随分とお世話になったかな」


 ノアベックの意味深な視線に、シュテンが不快そうに鼻を鳴らす。


「けっ、俺の前でその話を気安くするもんじゃねえな」

「まあまあ、シュテンの旦那。落ち着いてくだせえ」

「……さて」


 ノアベックはふと、洞窟の入り口の方角、遠く霞むカルフール城の方を見やった。


「シオン国の情勢が良くない。その調停役として、争い事があった場合になだめる役割……と聞いているけど。国の問題に深入りするつもりはないが、もし君たちが一般市民にまで無用な手を出そうとしているなら……わかるね?」


 笑顔のまま放たれた言葉に、洞窟の空気が数度下がったような錯覚を覚える。


 シュテンの額に、一筋の汗が伝った。


「……ああん? 脅しかよ」

「忠告さ。僕はあくまで仕事で来ている。依頼内容は『この国の均衡を取り戻すこと』だ。虐殺の加担じゃない」


 シュテンは舌打ちをして、視線を逸らした。


「わかってる。俺らも無駄な殺生をするつもりはねえ。統治する国に誰もいねえんじゃ、支配の意味がねえからな」

「それならいいさ」


 ノアベックは再び、仮面のような穏やかな笑みに戻った。


「ふん。なあ、どうだ一杯? 景気づけによ」

「……遠慮しておくよ。仕事中だ」


 ノアベックが手で制した、その時だった。


「おやおや、ノアベックさん、もう着いていたんだね」


 洞窟の奥から、一人の魚人が現れた。

 水色の鱗を持ち、どこか卑屈そうに背を丸めた立ち姿。オリゾンテのローラとは対照的な、陰気な雰囲気を漂わせている。


「なんだメロウ・アスプロ。相変わらずシケた面しやがって」

「シュテンさん、お話中失礼しやすよ」


 メロウはシュテンに媚びるような笑みを向けてから、ノアベックへと視線を移した。


「ノアベックさん、君たち冒険者のお仲間が、どうやら国内をうろついているみたいなのさ」

「冒険者?」

「そう。あっしらの同胞、ローラが接触しているのを見たんでさ。……男一人に女二人、人と獣人、エルフ……おかしなパーティでやすね」

「へえ。心当たりはないが……この鎖国された国に、わざわざ冒険者がね」


 ノアベックは興味深そうに顎をさすった。


「おいおいメロウ、お前は俺らの仲間だろう。敵に回った奴のことを同胞なんざ言うんじゃねえよ」

「はは、シュテンさん、勘弁してくだせえ。あんたたちと違って、あっしら魚人は仲間意識が高いんだ。敵に回っても同胞は同胞でやすよ」


 メロウは肩をすくめながら、洞窟の隅に転がっている死体を横目で見た。先程、シュテンによって頭を吹き飛ばされたオーガの死体だ。


「言うじゃねえか」

「ま、安心してくだせえ。それとこれとはまた別の話。いざ敵対すれば、あっしは同胞だって殺しやすよ」

「シュラララ、それでこそ仲間だメロウ」


 シュテンは満足げに喉を鳴らすと、ノアベックの方に顔を向けた。


「メロウが言ってた冒険者だが、大方姫様の護衛ってところだろう。俺らの計画の邪魔になる可能性がある。ノアベック、その時は頼むぜ」

「仕事だからね。相手が誰であれ、邪魔をするなら排除するだけさ」


 ノアベックは背を向け、出口へと歩き出す。純白のコートが翻った。


「この国はオーガ、魚人、人の三種族がバランス良い力関係だからこそ成り立っているんだろう。それが政治の腐敗によって力関係が崩されようとしている。……そのしわ寄せが来るのはいつだって国民だ。こんな状況、黙ってはいられないからね。そのために僕はこの剣を振るうよ」


 そう言い残し、ノアベックは洞窟の外へと消えていった。


 ノアベックが去った後、バエルが呆れたように肩をすくめた。


「……実に青いねえ。あれでS級冒険者ってんだから、世間知らずってのは便利なもんだ」

「ふん、何でもいい。俺のために働いてくれるならな」

「ははっ、違いねえや。メロウ、あんたも持ち場に戻んな。計画は詰めだ」

「はいよ。魚人は魚人らしく、水面下で働きやすよ」


 メロウは肩をすくめると、ぬるりと闇に溶けるように姿を消した。


「……さて。これであと数日後には、この国はおいらたちのものでさあ」

「シュララララ! オーガ族こそが世界最強の種族。この国を収めた後は世界だ。頼むぜ、バエル」


 シュテンは高らかに笑うと、バエルの肩に手を回した。


「任せておくんなって。……だがシュテンの旦那、くれぐれも勘違いしちゃいけねえ。おいらはあんたらに利用価値があるから付き合ってるんでさあ」


 バエルはシュテンの顔を覗き込みながら、にこりと笑いかけた。口元は笑っているが、その目は凍りついたように冷たい。


 その笑顔の奥に隠された底知れぬ闇に、シュテンの笑いがピクリと引きつった。


「あ、ああ……わかってる」

「ま、仲良くやりましょうや。さて、おいらはまだやることが残ってるんで、失礼しやすぜ」


 バエルはシュテンの肩に手をぽん、と置くと、陽炎のように姿を消した。


 残されたシュテンは、酒瓶を握り潰した。バキボキと音が鳴り、ガラスの粉が舞う。


「どいつもこいつも、御託ばかり並べやがって……」


 シュテンは玉座から立ち上がった。その巨体が動くだけで、洞窟が震えるような圧迫感が生まれる。


「力だ。最後に勝つのは、知恵でも正義でもねえ。圧倒的な『暴力』だ」


 彼は拳を固め、眼下の海を見下ろした。


 その視線の先には、エミルたちが向かっているカルフール城があった。

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