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第105話 オーガ族の頭領

 血の臭いが充満する洞窟の奥で、一人の男が巨大な酒瓶をあおっていた。


 シオン国の裏側——地図にも記されぬ孤島にして、オーガ族の本拠地『鬼島(おにじま)』。


 無骨な岩を積み上げた玉座に座るのは、シュテン・グーリン。この島のオーガ族を束ねる頭領だ。


 身の丈は三メートルを優に超え、岩のように隆起した筋肉が全身を覆っている。額から突き出た二本の角は血のように赤黒く、金色の瞳には底知れぬ獰猛さが宿っていた。


「おい、回収状況はどうなってやがる」


 野太い声が洞窟内に反響した。


 玉座の傍らに控えていた下っ端のオーガが、びくりと肩を震わせる。彼らも体格こそ人族を遥かに超えるが、シュテンの前では子供同然だ。


「は、はい! 現在、確保した“収穫物”は九十八体……っ! こいつも含めれば、間もなく百に届くかと……!」

「チッ、しけてやがるな」


 シュテンはつまらなそうに鼻を鳴らし、足元に視線を落とした。


「……あ、ぐぅ……ッ」


 彼の足元で、かつて人間だったモノが蠢いている。


 右腕と左足からは青黒い結晶が皮膚を突き破って生え出し、人としての形を失いつつある。蒼海石の毒に侵された末路。魔物化の途上にある、哀れな犠牲者だった。


「おい、人間。テメェ、まだ理性が残ってんのか? さっさと魔物になりゃあ、痛みも感じねえで済むのになぁ」


 シュテンは嗜虐的な笑みを浮かべ、男の頭を足蹴にした。ゴリ、と頭蓋が軋む。


「た、助けて……くれ……。俺は、ただ……」

「助ける? シュララララ! おかしなことを言う奴だ。助けてやってるじゃねえか! その病気で苦しむお前を、こうして()()してやってんだぜ?」


 シュテンの笑い声に呼応するように、洞窟の奥から獣じみた咆哮が上がった。


 鎖に繋がれた魔物たち。かつては農民だったり、職人だったり、誰かの家族だった者たちが、今や理性を失い、鎖に繋がれて吠え狂っている。


 彼らは強靭な肉体と魔力を得る代わりに、人としての心を永遠に失う。だが、適切な調()()を施せば、これほど使い勝手のいい兵隊はいない。


 痛みを感じず、命令に忠実で、死ぬまで戦い続ける使い捨ての駒だ。


 シュテンが「おい」と声をかけると、控えていた下っ端が男を引きずっていく。絶望の悲鳴が遠ざかるのを肴に、シュテンは再び酒をあおった。


「力こそが全てだ。弱ぇ人間どもから搾り取って、何が悪い……」


 空になった酒瓶を床に叩きつけた。ガシャン、と破片が飛び散り、近くにいた下っ端が身を竦める。


「シュ、シュテン様……。あまり深酒は……」

「あぁん?」


 シュテンの金色の瞳が、ギロリと睨みつけた。


「テメェは俺の主治医かなんかなのか?」

「ひいっ! め、滅相もございません……!」


 巨大な掌が伸び、下っ端の頭を鷲掴みにした。万力のような握力に、ミシミシと骨が悲鳴を上げる。


「俺たちオーガが、なぜこんな小せえ島でコソコソしてなきゃならねえ? なあ、なぜだ?!」

「そ……それは、シュテン様のお兄様が……」


 ブシュッ!


 熟れた果実のように、頭が弾けた。


 首を失った死体がドサリと崩れ落ちる。返り血を浴びても、シュテンは眉ひとつ動かさない。周囲のオーガたちは息を殺し、誰一人として動こうとしなかった。


「シュラララ……正解だ。だがな、俺はあのバカな兄貴とは違う! あの野郎は『魔物殲滅』だの『平和』だのと寝言をほざいてやがるが……俺は違う」


 シュテンは血に濡れた手で顔を拭う。その表情には、兄への劣等感と歪んだ野心が滲んでいた。


「魔物は殺すもんじゃねえ。使()()もんだ。理性をなくした最強の軍隊を作り、いずれ世界に打って出てやる。そうすりゃあのバカ兄貴も、俺に何も言えなくなるさ」


 彼の理想は単純明快だ。


 オーガこそが最強の種族であり、この世界の支配者たるべき存在。シオン国という閉ざされた箱庭は、彼らにとって都合のいい実験場に過ぎない。


 その時、見張りのオーガが慌てた様子で広間に駆け込んできた。


「シュテン様! 例の“あいつ”が、たった今到着しました!」

「……チッ、やっとお出ましか。待たせやがって」


 シュテンは不機嫌そうに鼻を鳴らすと、玉座に深く腰掛け直した。


「通せ」


 シュテンの号令と共に、洞窟の入り口から一人の男が姿を現した。


 その瞬間、場の空気が変わった。


 酒と血の匂いが漂う薄暗い空間に、あまりにも不釣り合いな存在。まるで、泥沼に一輪の白百合が咲いたかのような、強烈な異質感。


 仕立てのいい純白のコートを纏い、足音ひとつ立てずに歩いてくる青年がいた。


 周囲のオーガたちが、無意識のうちに道を空ける。


 恐怖ではない、本能的な警戒だ。この男は自分たちとは違うという、生き物としての直感だった。


 転がる死体や血溜まりを見ても、青年は歩みを止めることはない。


 整った顔立ちには穏やかな笑みを浮かべている。だが、その赤い瞳は、目の前の惨状など道端の石ころ程度にしか映していないかのように、底知れなく冷たい。


 青年はシュテンの御前まで進むと、優雅に一礼した。


「やあ、はじめまして。オーガ族のリーダー、シュテン・グーリンだね?」


 柔らかく、透き通るような声。


 しかし、その声は広間の空気を支配し、シュテンの放つ威圧感すらも霧散させてしまった。


「シュラララ、どこの優男が来たかと思ったら……。テメェが、噂のS級最強様か」


 シュテンは値踏みするように目を細め、玉座から身を乗り出した。


 並の人間なら、シュテンの放つ威圧だけで腰を抜かす。現に、周囲の部下たちはS級冒険者のプレッシャーとシュテンの殺気に挟まれ、がたがたと震えていた。


 だが、この男は涼しい顔で微笑んでいるだけだ。


「僕はノアベック・ドイル。……よろしくね」

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