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第104話 それぞれの思惑

 差し出された手を、エミルは見つめていた。


 魚人族の組織『オリゾンテ』のリーダー、ローラ。握り返せば、強力な味方が手に入る。アヤメを助ける最短ルートが開けるかもしれない。


 だが。


「……悪いが、それはできない」


 静かに、だがはっきりと告げる。


 その瞬間、倉庫内の空気が凍りついた。周囲の魚人たちの視線が期待から困惑へ、そして明確な敵意へと塗り替わっていくのが肌でわかる。


「……できない、とはどういうことだ?」


 ローラが目を細める。


「お前の言い分はわかった。オーガが諸悪の根源で、虐げられている現状も理解したよ。……だが、だからといって、アヤメたちに黙って、裏でコソコソと反旗を翻す作戦には乗れない」

「綺麗事を言うな。相手は話が通じるような連中ではないのだぞ?」

「綺麗事を言っているつもりはない」


 エミルの脳裏には、アヤメの笑顔があった。


 ——アヤメは国を愛している。父を、民を想っている。

 そんな彼女を蚊帳の外に置いて、勝手に事を起こす選択肢はない。


 仮にここでローラと手を組んで成功したとしよう。オーガは倒せるかもしれない。だが、その後はどうなる?

 アヤメはおれたちを信用できなくなる。国主のネリスとの関係も壊れる。最悪、三種族がバラバラにぶつかり合う泥沼に突入しかねない。


「ここはあいつの国だ。あいつが望まない形での“解放”なんて、おれには選べない。ましてや、黙って裏で動くなんて……そんなの、裏切りと同じだ」


 ——『部外者である皆様をいきなり連れて行けば、余計な混乱を招きかねません』


 アヤメからの手紙にあった言葉が蘇る。


 彼女が危惧していたのは、まさにこういう事態だ。ここで勝手に動けば、彼女の懸念を現実にしてしまう。


 シン、と静まり返る倉庫内。

 次の瞬間、ピリッとした殺気が肌を刺した。


「ふざけんなッ!!」


 魚人の一人が叫び、槍を突き出す。それに呼応するように、他の魚人たちが一斉に殺気をむき出しにした。


「俺たちがどれだけ我慢してきたと思ってやがる!」

「リーダーがちょっと下手に出りゃ、つけ上がりやがって!」

「人族風情が何もできねえくせに! てめえらに変わって俺らが立ち上がってんだ!」

「いっそここで殺してやろうか!」


 じりじりと包囲が縮まる。


「ああん? やるってんなら容赦しねぇぜ」


 バルディアが低く腰を落とし、炎のガントレットを構える。チリチリと熱気が漏れ出していた。その横で、サラも無言のまま指先に氷の魔力を収束させている。


 ——交渉決裂、か。

 まあ、そうだよな。彼らにとって、おれの理屈なんか「持てる者の戯言」に過ぎない。それは痛いほどわかる。

 だけど、だからといって引くわけにはいかない。


 エミルは小さく息を吐き、覚悟を決めて拳に漆黒の魔力を纏わせた。『黒焔』の重圧が、魚人たちの殺気を押し返す。


 一触即発。

 誰かが一歩踏み込めば、一斉に殺し合いが始まる。


 その時だった。


 「——そこまでだ! 武器を収めろ!」


 鋭い一喝が、張り詰めた空気を断ち切った。


 声の主は、ローラだった。


「しかしリーダー! こいつらは……!」

「聞こえなかったか? 収めろと言っているんだ」


 ローラの気迫に押され、魚人たちがしぶしぶ武器を下ろす。倉庫内に充満していた殺気が、潮が引くように薄れていった。


 エミルも黒焔を収める。バルディアとサラも、警戒を解かないまま、ひとまず構えを緩めた。


 ローラはサーベルの柄から手を離すと、呆れたような、それでいてどこか値踏みするような視線をエミルに向けた。


「……君は本当にバカ正直だな。ここで嘘でも『協力する』とでも言っておけば、命の危険もなかったろうに」

「やり方はどうあれ、お前たちもこの国を想っての行動なんだろ。そんなお前たちに、嘘は付きたくなかったんだ」

「……はっ、とんだお人好しだな」


 ローラは口元を緩め、ふっと笑った。

 それは初めて見せる、戦士の仮面を外した素顔だった。


「わかった。君の言い分も一理ある。それに、ここで君たちと潰しあったところで利がない。オーガが喜ぶだけだ」


 彼女は腕を組み、エミルを真っ直ぐに見据えた。


「その義理堅さ、嫌いじゃないぞ。……それで? 我々と手を組まないというなら、君たちはどうするつもりだ?」

「おれたちは城へ行く。アヤメに会って、そして国主のネリス王にも会う。お前たちの話も含めて、全部ぶつけるつもりだ」

「……門前払いされるのがオチだぞ」

「それでもやる。……だからローラ、頼みがある」


 エミルは一歩、彼女の方へ踏み出した。


「今度はおれからの提案だ。お前も一緒に来てくれ。お前が直接、ネリスに訴えるんだ」


 ローラの目が大きく見開かれた。


 周囲の魚人たちも、正気かといった顔でざわめく。


「……私が城に行けば、場合によっては争いが起きるかもしれんのだぞ」

「その時はおれたちが守る。つなぐ役目は引き受ける。そこでどういう話になるかは、アヤメとネリス、そしてお前次第だ」


 エミルは言葉に力を込める。


「もし、話し合いの結果、アヤメたちがオーガと戦うことを選ぶなら……その時はおれも全力で協力する。お前たちの力になるよ」

「だがもし、国が現状維持を選んだら?」

「……その時は、諦めてくれとは言わない。だが、おれはアヤメにつく」


 それはつまり、交渉が決裂すれば、次はローラの敵として立ちはだかるという宣言だった。

 

 ローラは表情を変えない。


 しばらく沈黙し、エミルの目をじっと見つめ返していたが、やがてふっと肩の力を抜いた。


「……いいだろう。賭けてみようじゃないか、その無謀な提案に」


 彼女は振り返り、部下たちに鋭く指示を飛ばした。


「お前たちは、遅れてカルフール城の近くに潜伏しろ。私からの連絡があるまで、絶対に動くなよ」

「「「ハッ!」」」


 ローラは外套を羽織り直すと、エミルに顎をしゃくった。


「さあ、付いてきてくれ。カルフール城の近くまで案内しよう」


 歩き出したローラの背中を見ながら、バルディアが小声で話しかけてきた。


「おい、エミル。本当にいいのかよ、あいつ信用して」

「完全に信用してるわけじゃない。でも、本気で国を変えようとしてるやつらだからな。……それに、敵対する可能性があることはお互い承知済みだ」

「にしし、まあな。相変わらずお人好しだと思うけどよ」


 バルディアは肩をすくめつつも、口元に笑みを浮かべる。


「ま、アタシはオマエについてくだけだ。面白そうだしな」

「行きましょう。アヤメちゃんが待ってるわ」


 サラも静かに頷いた。


 こうして、奇妙な協力関係が結ばれた。


 エミル、バルディア、サラ、そしてオリゾンテのリーダー・ローラ。四人はそれぞれの思惑を抱えながら、シオン国の中枢、カルフール城へとその足を進めた。

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