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第103話 オリゾンテ

 三人の魚人に案内された場所は、町外れの寂れた倉庫だった。


 潮風に混じって、腐った木材と鉄錆の臭いが鼻をつく。とても人が集まる場所には見えない。


「……おい、ここで本当に合ってるのか? まさか、おれたちを嵌めたんじゃないだろうな」


 エミルは足を止めず、警戒を緩めないまま問いかけた。

 先頭を歩く鮫の魚人、ニーベルは振り返りもせず、歪んだ扉に手をかける。


「安心しな。あんたも言っただろ、危害を加えるつもりなら最初からやってるってな」


 ギィ、と錆びた蝶番が軋む。ニーベルが中へ入ると、ゲニルとメレンも無言のまま後に続いた。


「……行こう」


 エミルは短く告げ、中へ足を踏み入れる。バルディアとサラもそれに続いた。


 倉庫の中は薄暗かったが、目が慣れるにつれて異様な光景が浮かび上がってきた。


 木箱や樽が乱雑に積まれた空間の至る所に、魚人たちが立っている。その数、二十人は下らない。いずれも武器を手にし、こちらを値踏みするような目で睨みつけていた。


「なんだよ、随分と熱烈な出迎えじゃねえか」


 バルディアが笑い、炎のガントレットを構える。

 サラも無言のまま、退路と射線を確保した。


 張り詰めた空気の中、倉庫の最奥で影が動いた。


 壊れた屋根の隙間から差し込む光が、積み上げられた木箱の上に立つ人影を照らし出す。


「殺気を収めろ。客人に失礼だ」


 凛とした声が響いた。

 突き刺さるようだった魚人たちの視線が、すっと和らぐ。


 そこに立っていたのは、透き通るような水色の髪を持つ魚人の女性だった。

 戦士のような鋭さと、宝石のような鱗の輝き。ニーベルたちとは明らかに格の違う、強者の気配を纏っている。


 彼女はそっと床に降り立つと、エミルを真っ直ぐに見据えた。


「よく来てくれた、異邦の冒険者たち。私の名はローラ・ブロシアス。ここにいる者たちの代表だ」

「代表……?」

「ああ。ここは、現状に反旗を翻す組織『オリゾンテ』のアジトだ」


 穏やかじゃない言葉に、サラが眉をひそめる。


「まさか……あなたたち、シオン国に対してクーデターでも起こそうっていうの?」

「国に対して、ではないな」


 ローラは鋭い視線でサラを見返し、そしてエミルへと向き直った。


「まずは座ってくれ。立ち話で済む内容ではない」


 ローラの勧めで粗末な木箱をテーブル代わりに囲むと、エミルは単刀直入に切り出した。


「それで? この国で一体何が起きているんだ?」

「表向き、この国は人、魚人、オーガの三種族が共存しているとされている。人族が文化を生み出し、魚人が海の資源を管理し、オーガが力で外敵から国を守る。三者が互いを補い合う理想的な関係……そう信じられている」

「……『信じられている』?」

「そうだ。実態はそんな綺麗なものじゃない」


 ローラの瞳に、暗い影が差した。


「この国は、オーガによる()()()()()で回っている」

「支配と……搾取だあ?」


 バルディアが眉をひそめる。


 ローラはテーブルの上で両手を組み、重々しく語り始めた。


「オーガ族はこの国で最強の存在だ。まず力で敵う者はいない。だが、それだけでは国は回らない。食料を育て、道具を作り、文化を築く——そういった営みは、オーガには向いていない」

「だから人族と魚人が必要ってわけか」

「そうだ。オーガは人族が作り上げる文化を気に入っている。特に、繊細な衣服や料理などは作れないからな。だから表面上は“共存”という形を取っている」

「なるほど……。それで、あなたたち魚人は、海底の資源を採掘する役割を持っているというわけね」


 サラが冷静に分析する。


「その通りだ。中でも、蒼海石は莫大な魔力を秘めている。鎖国しているこの国には欠かせない資源だ」

「やっぱり……! この国自体が蒼海石を集めてやがったのか」


 バルディアがギリッと歯を噛む。


「オーガも人も、水の中では活動できないからな。だから、魚人は絶対に傷つけられることはないんだ」

「ローラ、ちょっと待ってくれ」


 エミルが口を挟んだ。


「その構図のどこが支配と搾取なんだ? オーガは支配と言うより、問題が起きたときに出てくるケツモチみたいな存在なんだろ? 力関係はあるにせよ、それなりにバランスが取れているように聞こえるぞ」

「そうだな。君の言う通り、その構図のままなら何も問題は起きなかった。しかし、オーガは()()()()()()()んだ」

「おい、それってもしかして……」


 バルディアの目が鋭くなる。


「そうだ。蒼海石を使い続けた結果、人が魔物に変化するという事実だ」

「……!」

「その結果、勢力が大きく崩れた。オーガに影響がないのをいいことに、魚人に対し必要以上の蒼海石を採掘させている。奇病自体、本来ならもう数世代後に起きる予定だったんだ」

「なるほど、だから誰も原因が蒼海石だなんてわかっちゃいないのか……!」

「いずれどこかでケリをつけないといけない問題ではあった。だが、それよりも深刻なのは、オーガが発掘される蒼海石を独占し始め、あろうことか魔物化した人族を()()にしているということだ」

「奴隷……」


 エミルの脳裏に、先ほどの光景が蘇った。


 魔物に変貌し、理性を失って暴れていた男性。そして、それを悲痛な叫びで見つめていた妻。


「ってことはさっきのオーガも、あの魔物を奴隷として運び込んだというわけか……!」

「許せねえ!」


 バルディアが勢いよく立ち上がった。


「人族と魚人とが手を組んで対抗できねえのか!? いくら強いオーガでも、数で押せばよ……」

「残念だが無理だ」


 ローラは首を横に振った。


「おそらく、人と魚人の連合軍で立ち向かっても良くて五分五分。勝てたとしても、こちらの被害も甚大になる。それにな。私たちが蒼海石のことも大っぴらにしないのは、何も人族側に隠したいわけではない。もし公表すれば、結束の強い人族のことだ、オーガに立ち向かうかもしれない。たとえ勝ち目がなくともな」

「だからつって、この状況を指くわえて見てろってのかよ……!」

「ああ、事態は私たちの予想よりはやく動いている。国民は、今やオーガを自分たちを守ってくれる“英雄”として崇めている。自分たちを魔物に変えている元凶が彼らだとも知らずにな」


 ——『これは俺らの仕事だ。お前らが出る幕じゃねえよ』


 魔物を一瞬で無力化し、回収していったオーガの姿が蘇る。

 住民たちは彼らに感謝し、安堵していた。


「……アヤメは知ってるのか」

「アヤメ様は知らないだろう。だが、国主であるネリス様は知っているはずだ。次期国主である、アヤメ様の兄、ギース様もな」

「なら、どうして止めないんだ。自分の国民が、魔物に変えられ、挙げ句道具にされてるんだぞ」

「……止められないのよ」


 サラが静かに口を挟んだ。


「蒼海石の使用を止めれば、国の文化も経済も衰退する。そうして自分たちを満足させられなくなった人族に、オーガは価値を見出してくれるかしら?」

「サラ殿の言う通りだ」


 ローラが頷く。


「だったら鎖国を解いて……」

「外に助けを求めればいい、と?」


 エミルの言葉を、ローラは予想していた反論だとばかりに遮る。


「ネリス王はそれを頑なに拒んでいるんだ。……理由はわからないが、彼はオーガとの危うい均衡を保つことで、かろうじて国民の命を繋いでいる。それが、今の世代の限界なのだ」


 ——進むも地獄、退くも地獄。

 アヤメの父が背負っているのは、そんな重すぎる天秤だとでもいうのか。


 エミルは奥歯を噛みしめた。


「なるほどな、それでオマエらが立ち上がってるわけか?」


 バルディアがローラを見据えた。


「そうだ。もしネリス様が魔物化してしまったら、この国は混乱に陥る。オーガが動くのはその時だ。そのタイミングでオーガはカルフール家に取って代わり、この国を完全に支配する気だ」


 ローラが立ち上がる。

 その瞳に、揺るぎない決意の炎が宿っていた。


「あちらから仕掛けられたら、勝機は薄くなる。……こちらから仕掛けねばならぬのだ。今こそ、シオン国をオーガの支配から解放する時なのだ!」


 倉庫内の魚人たちが、一斉に武器を構え直し、「うおおおおお!」と叫ぶ。


「アヤメ様と一緒に君たち冒険者が入国してきた。天が与えてくれた好機だと思ったよ。エミル殿、私たちオリゾンテに力を貸してくれ。共にオーガを討ち、アヤメ様を、この国を救おう」


 ローラがエミルに歩み寄り、手を差し出した。


 それは、この国の闇を払う唯一の希望に見えた。


 オーガは許せない。

 魔物化させられた人々も救いたい。

 利害は一致している。


 だが——。


 エミルは、差し出されたその手を取らなかった。

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