第100話 人を魔物に変える石
熱気と鉄の匂いが充満する、グロムハルトの鉱山。
バルディアの意識は、あの日、まだヘパイストスの背中を追いかけるだけだった、幼い日の記憶へと飛んでいた。
崩れた岩盤の隙間から、異様な輝きを放つ石を見つけた時のことだ。
「師匠! 見てくれよ、すげえ綺麗な石があるぞ!」
幼いバルディアは無邪気にその青い石を拾い上げ、ヘパイストスに見せた。子供心に宝物を見つけたような高揚感があった。
だが、ヘパイストスの反応は予想外だった。
「馬鹿者! すぐに捨てるんじゃ!」
ヘパイストスは血相を変えて怒鳴りつけ、バルディアの手から石を叩き落とした。
カラン、と乾いた音が響く。その手は震えていた。
驚くバルディアに、師匠は今まで見たこともないほど厳しい顔で語ったのだ。
「それは蒼海石といってな、魂を喰らう、呪いの石じゃ」
◆◇◆◇◆◇◆
「……呪いの石?」
サラが眉をひそめた。
「ああ。蒼海石はとんでもねえ魔力を持ってる。加工すりゃ強力なエネルギー源になるし、国一つを豊かにする力がある。……けど、代償がデカすぎんだ」
「代償って……」
「この石はな、使い続けると人体を侵食するんだ」
バルディアの声が、重苦しく路地裏に響く。
「最初は無害だ。けど時が経って、世代が変わるごとに魔力が体に蓄積されていく。最初はただの体調不良だが……濃度が高まると、体から石が生えてくる。石に食われた人間は、最終的に理性を失って……魔物になっちまうんだよ。元に戻す方法はねえ、殺すしかなくなるんだ」
エミルの背筋に冷たいものが走った。
——女性が話した内容と完全に一致する。
体が石のように変質し、理性を失い、愛する妻さえ認識できなくなった夫。
あれは病気なんかじゃない。石に食い尽くされた成れの果てだったんだ。
「実際、蒼海石で栄えたある国は、数世代後には魔物の巣窟になって滅んでる。あんまり公にはされてねえ話だけどな……」
「じゃあ、この国で流行ってる『奇病』ってのは……」
「十中八九、蒼海石の毒だ」
バルディアは断言した。
サラが青ざめた顔で口元を覆う。
「そんな……だってこの国は、資源が豊富で豊かな国だって……」
「ああ。その“資源”ってのが、コイツのことだったとしたらどうだ?」
バルディアの指摘に、エミルの脳裏にアヤメの言葉が蘇る。
——『食糧も水も困ってはいません。衣食住は足りています』
——『必要以上に発展させないのは国の方針なんです』
もしその豊かさが、この危険な石によってもたらされているとしたら?
発展を止めているのは、被害をこれ以上拡大させないための苦肉の策だとしたら?
あるいは、この石の危険性を、意図的に隠蔽するためだとしたら?
「……グロムハルトじゃ厳重に管理されていて、採掘自体が禁止されてるはずだ。なのに、なんでこんな国で……」
「アヤメは、知ってるのかな」
エミルがぽつりと呟くと、バルディアは首を振った。
「わからねえ。けど、もし知らずにこの国の資源を誇りに思ってたとしたら……」
「……すぐに追わないと」
「ああ、けどその前に……」
バルディアが、へたり込んだままの女性に視線を向けた。
夫を失い、それが自分のせいだと思い込んでいる小さな背中。
バルディアは膝を折り、女性の目線まで屈み込んだ。
「……なあ、アンタ」
「……」
「さっきの話、聞いてたか?」
女性が顔を上げる。
その目は虚ろで、涙の跡が頬に光っていた。
「アンタの旦那は、アンタが殺そうとしたから魔物になったんじゃねえ。……アンタのせいじゃないんだ。だから、自分を責めるなよ」
「……ありがとう、ございます」
震える声で女性が呟く。
足元の覚束ない女性に肩を貸し、家まで送り届ける。
その道中、エミルは奇妙な光景を目にしていた。
通りでは、すでに壊された屋台が手際よく片付けられている。血の跡は水で洗い流され、人々は何事もなかったかのように笑い、行き交っていた。まるで、悲劇など最初から存在しなかったかのように。
「……後は大丈夫です。片付けは近所の人が手伝ってくれるから」
半壊した家の前で、女性が深く頭を下げた。
その姿もまた、あまりに日常的すぎて、エミルの胸を締め付ける。
この国全体が、巨大な口を閉ざして沈黙している。狂っているのは魔物だけじゃない。この平穏な日常こそが、狂気そのものだ。
女性が家の中へ消えると、エミルは拳を握りしめた。
部外者だと言われようが、もう関係ない。知ってしまった以上、背を向けることなどできるはずがなかった。
「急ごう。アヤメに追いつかないと。あいつもこの国で育ってるんだ」
エミルが城の方角へ足を向けると、サラが静かに呼び止めた。
「待って。……少しだけ、整理させて」
「整理? そんな悠長なこと……」
「闇雲に追いかけても、この国の現状がわからなければまた足元を掬われるわ。さっきの魔物化、蒼海石のこと……アヤメちゃんに何を伝えるの? あたしたちが混乱したまま会っても、彼女を不安にさせるだけよ」
エミルは言葉に詰まった。
「あの子は城に向かった。すぐには会えないかもしれない。だったら、今できることをしましょう」
「……まあサラの言うことももっともだな。アタシの中で引っかかってるモンも整理してえ」
「そうだな……。わかった」
サラとバルディアの言葉に、エミルは渋々頷いた。焦る気持ちはあるが、今の自分たちは何も知らなすぎる。
「あそこの茶屋なんてどうかしら。少しは落ち着いて話せそうね」
サラが指差した先にあったのは、通りの一角にある古びた茶屋。
客入りは少なく、店の奥なら密談もしやすそうだ。




