表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

声なき信頼

作者: 俐月

 




 血と泥にぬかるむ土が、絡みつき、足を重くする。

 それは、ここに流れたものの重さだ。



 誰がどこで倒れたのか、私はまだ知らない。

 けれど、十あった命のうち、その全てが残っているとは思っていなかった。



 状況は終了した。



 その報告を受けて、私はここに来た。

 私の命令で始まり、私の言葉で終わった――戦いの場所に。









 焼き焦げた金属の匂い。敵味方区別なく、足元に転がる死体。

 それらを見て、知らない顔であると安堵する私がいる。

 けれど、ここが勝利の地だというのなら、その代償はあまりにも大きい。



 近くに見える、破壊された敵の拠点の上部――

 忌々しいほど青く晴れた空の中、母国の国旗が高々と勝利を主張するように、風に靡いている。

 その先陣を切って、敵を攪乱し、活路を開いたのは、”彼ら”だった。


 使い捨ての精鋭部隊。部隊名はなく、ゼロとだけ称して呼ばれる10名の部隊と、その指揮官である私。

 本隊の兵たちが、恐る恐る私に敬礼する。


 ‘’鋼の女王蜂‘’――その異名に込められた畏怖が、皮膚の下にまで染み込んでいるようだった

 喉を鳴らすような呻き声と、悲痛な勝利を称える声が交差する中で、「指揮官」と誰かが私を呼んだ。

 そちらに振り返ると、そこにはゼロの副官がいた。


 彼は、足を引きずりながら歩いてくる。

 歩みのたびに腰の剣がカチャリ、カチャリと音を立てた。

 顔色は疲弊が滲んでいたが、その翡翠色の瞳は強く鋭く、こちらを見据えていた。

 姿勢を正し、そして。

 中指、薬指、小指――三本の指を立てて、胸にそっと当てた。


 三指礼。精鋭部隊〈部隊ゼロ〉にだけ伝わる、誰にも真似できない敬意のかたちだ。



「状況報告。敵拠点、制圧完了。死者一名、重症者二名、軽傷多数。作戦行動に支障はなし。

 全員、帰還可能です」



 心臓が一度、強く鳴った。



「誰が死んだの?」


「03です。確認なさいますか?」



 あの時、こちらに向けた無垢な笑顔が脳裏に浮かぶ。

 戦場に出すにはまだ早い、あどけなさを残した少年。

 それでも、唯一私に、真っ向から挑んできた子でもあった。



「………必要ないわ」


「03は最後まで……」



 副官は言いかけて、ぐっと言葉を飲み込んだ。



「わかってる」



 彼がどう死んでいったのかなんて、聞かなくてもわかる。

 ふと、副官の脚に目がいった。

 血で赤黒く染まった大腿は、弾が貫通しているように見える。

 視線を副官に戻すと、彼は眉を僅かに下げて「問題ありません、軽傷です」と付け足す。



「そう」



 壊れれば廃棄される、使い捨ての殺人道具。

 彼らにかける言葉は、何一つない。

 あるのは、命令と応答だけだった。



「相変わらず、湿気た面してんなぁ、指揮官。

 勝ったんだ、少しは喜べばいいだろ?」



 副官の後ろから、聞きなれた声が飛んできた。

 彼は仲間の肩に担がれながら、皮肉めいた表情でこちらを見ていた。07。それが部隊での彼の名前だ。

 彼の軍服は、胸元から腕にかけて、まだ乾ききらない血で、じっとり湿っていた。

 傷の色でもなければ、斬りつけた返り血でもない。

 それが何の血なのか――考えるまでもなかった。

 私は、それを何度も見てきた。


 ふと、03の最期の姿が脳裏をよぎった。

 07の隣には、04もいる。

 腕に抱えているライフルは、彼のものではない。

 大きな負傷はないように見える、彼の目は伏せられ、地に伸びた影の中に、何かを探しているようだった。


 その背後に、ちらほらと他のメンバーの姿も見えた。

 全員の鉛色の軍服は、その色がわからなくなるほどに、土と血と灰に塗れていた。



「当然の結果でしょ」



 07は肩を竦めて、「そらそうだ」と答える。



「指揮官の適確で、冷静な指示は恐れ入るよ」


「それも当然のことよ」



 私と変わらないーーもしくは、まだ若い兵士たち。

 彼らは、戦うことでしか生きることを許されない。野蛮で獰猛な獣のような操縦不可の兵器として、人権と選択の自由を剥奪されたといっても過言ではなかった。

 彼らが、母国のために戦う理由なんて、何一つない。

 いつか戦争が終わり、彼らが母国に牙を剥いたその時はーー私は彼らを始末しなければいけない。

 戦争が終わるのが先か、ゼロが全滅するのが先か。

 答えなんて、わかりきっていた。



「指揮官、命令を」


「帰還しなさい。次の作戦は決まり次第、伝えるわ。

 それまで傷を癒して、次に備えて」



 それでも私は、彼らをより過酷な戦場に送り込むことになるだろう。

 個人の感情は必要ない。母国のために。

 最後に見る顔があるかもしれない。

 一陣の風が、私と彼らの間を通り過ぎ、砂埃を舞い上げた。

 その中で私は目を凝らして、今一度、面々を見渡した後、踵を返した。



 彼らにしてやれることは何もない。

 それが私の立場だ。

 労りも慰めも、約束も――してはいけない。

 寄り添うことも、手を伸ばすことも、助けることも許されない。

 彼らの残された僅かな自由を、私が奪うわけにはいかない。

 そこに、私の感情が入り込む余地はない。


 ‘’鋼の女王蜂‘’

 それを演じることで、私は私をどうにか保っている。

 誰にも理解されなくてもいい。正しさなんて、当の昔に捨て去った。



 ――俺たちがあんたのことをわかってる。それだけで十分だろ?――



 ふと、03の言葉が頭の中に反響した。

 以前に、無謀な突撃を止めようとした時、無邪気に弾んだ声で彼はそう言った。



「――」



 口からこぼれたのは、彼の名前。

 私は知っている。彼の名前も好きな食べ物も、苦手なものの、本当は臆病なところがあって、争いを嫌うことも。

 そして誰よりも仲間想いであったことも――


 彼は仲間を庇って、死を選ぶという「自由」を選択した。

 私はそんな彼の意思を尊重して、受け入れるしかない。

 何もできない。いや、私は「何もしない」のだ。

 痛みも苦しみも、その葛藤と犠牲もーー

 その全ては彼らのものであって、私のものではない。

 干渉もせず、手も差し伸べず、ただここにいて、ここを守る。


 この世界の誰よりも、近くにいるはずなのに、どこまでも遠い。

 そんな彼らに私が出来ること、それは。

 名もなき信頼を胸に、ただ見守るだけだ。

 倒れても、立ち上がらなくても、誰が死んでも。

 私はその名を心に刻み、黙って送り出す。

 それが、私の選んだ「自由」であり、それに伴う責任だ。




 私は知っている。

 私だけが彼らのことをわかっていれば、それでいい。

 これは誰に分けることのない、私だけが背負いたいと望む「重み」だ。


 決して、声にはできない。

 交わることなく、ただ重なり続ける想いを抱いて。

 私は、前を向く。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ