蝶
記者の端くれの川田。
剥製コレクターの佐々木という男の家に記事を書く為に訪れる。
初めは良かったインタビューも川田のある質問を境に雲行きが怪しくなり始める。
あれは蝉の声も慣れてきた頃の暑い日だった。
木々が生い茂り、手入れがされているのかされていないのかわからない庭や、日陰で覆わて真夏の昼とは思えないほど暗い家。その家の大きな黒い扉を前にしてゆっくりと深呼吸をした。
インターフォンを押し、家主を待つ。
「はい」
低めな声と伸びた髭を垂らした男がドアを開けてくれた。佐々木誠という男だ。
「初めまして。川田と申します。本日はよろしくお願いいたします。」
私がこう挨拶すると、佐々木さんは優しい顔で軽く私に会釈し、家に招き入れてくれた。
家は古くからあるような家だったが、物が溢れている割には整頓されていてとても清潔感があった。
シャンデリアは昼間なのについており、外の木々のせいで中は夜のように暗かった。
「ここまでどうやって来られたんですか?暑かったでしょう。」
廊下を歩いている最中に佐々木さんが言った。
「電車で来て、駅からは歩いてここまで来ました。
もう暑くて暑くて嫌になっちゃいますね。」
私は汗を拭きながら話を続けた。
「途中デパートの前を通り過ぎたんですけどクーラーの冷気が当たって思わず入りそうになっちゃいましたよ。」
と言うと佐々木さんは少し笑みを浮かべながら
「それはご苦労様です。でもどうですかこの家は。クーラーもついていないのに涼しくて気持ちがいいでしょう。」
確かにクーラーもついていないのに気持ちがいい。それに、この薄暗さも私が子供の頃に行った喫茶店のようで心地が良かった。
「本当に気持ちがいいです。クーラーもつけないでこの気温なら電気代も掛からなくていいですね。」
そう廊下を歩きながら私が言うと、佐々木さんは立ち止まって部屋の扉を開けた。
「そうですね。ただこの子達にお金がかかるので普通の家庭とそう変わりませんよ。」
そう言って私の目に飛び込んできたのは大量の剥製と標本だった。
目に入ってきた瞬間少し背筋がぞくっとしてしまった。
しかし、何を隠そう佐々木さんはこの辺では有名な剥製士だ。剥製以外にも虫の標本を作ったり、自分で作ったもの以外も買い集める、いわゆるコレクターとしての一面もある。ただ、剥製と標本への愛情が異常すぎて近隣では気味悪がられているとの事だ。
私はその不気味さに興味、好奇心が湧き、この剥製と標本、そして佐々木さん自身について記事を書きにきた記者の端くれだ。
「話には聞いていましたがいざ目の当たりにするとすごい迫力ですね。」
そう私が言うと、佐々木さんは嬉しそうな表情で私にこう言った。
「ははっ。そうでしょう。私にとっては家族ですからね。中には気味悪がる人もいるんですが、こんなにも美しい子達にそんな感情を抱く人の気持ちが私にはわかりませんよ。」
私は佐々木さんが用意してくれた椅子に腰掛け、向かい合わせに座り、改めて名刺を渡した。
「改めまして、川田裕子と申します。本日はよろしくお願いいたします。」
佐々木さんは名刺を受け取り、机の上に置いた。
「こちらこそよろしくお願いいたします。川田さん。何からお話しすればよろしいでしょうか。私こういう事は初めてなので。」
佐々木さんは少し緊張しながら言った。
「では早速ですが剥製と標本はいくつくらい所有されているのですか?」
そう私が問うと
「そうだな。ざっと見積もって200点ほどだね。それに、、、」
私は許される時間の中なるべく多く取材していき、佐々木さんはなるべく多くの質問に答えてくれた。
剥製の少しむごいとも感じられる血生臭い作り方。虫を標本にする時の筋肉の動き方。理想的な体型の剥製。剥製の表情や感情。とにかくたくさん。
しかし、私がこの質問をした時何とも言えない恐怖と寂しさに襲われた。
「あなたにとって剥製と標本とはなんですか。」
私は最後にこの質問を投げかけた。深夜のテレビでやっているインタビュアーになった気持ちで投げかけた。
佐々木さんは少し考えてから話し出した。
「やはり、最初言ったように家族ですね。私には妻と娘がいたんですよ。でも死んじゃいました。でも死ぬ事が正解だったんですよ。」
私は続けて問う。
「どういう事ですか?」
佐々木さんは目を黒目でいっぱいにしながら語り出した。
「娘がね。トラックに撥ねられて片脚を失った事があったんです。轢き逃げて犯人も捕まらなくて。私も妻も何とか明るく振る舞ってはいたんですけど娘は元気になんてならなかったですよ。」
「そうでしたか。何と言ったら良いか。」
私は質問した事を後悔した。
「それでね。ある日家に帰ったら2人で仲良く死んでましたよ。娘はぬいぐるみを抱いたまま首にあざができてて、妻は首を吊ってました。床には睡眠薬が転がってました。」
私には何も返す言葉がなかった。それと同時に、君は記者にむいていないよ。そう言われた気がした。
「ごめんなさい。剥製と標本の話ですよね。ちょっと待っててくださいね。」
目に光が戻った佐々木さんがそう告げると、剥製と標本の森に囲まれた奥の黒く重たそうな扉を引いた。
ぎーっと乾いた音を立てながら扉が開き、その部屋には少し日の光が当たっていた。
中には赤いベッドがあり、そこには8つくらいの少女が寝ていた。私はその子と佐々木さんの関係性を知らなかったがとても気味悪く感じた。
その子としばらく目があっている間に佐々木さんが扉から箱を持って出てきた。私は急いでその子から目を逸らし俯いた。
「これです。」
佐々木さんが箱を机に置いた。
そこにはとても美しい2頭の蝶がいた。真っ赤な蝶と真っ青な蝶。私は佐々木さんに聞かずとも理解できた。
「これ。奥さんと娘さん。」
私がそういうと佐々木さんは嬉しそうにまた語り始めた。
「そうです。これは妻と娘です。」
「この蝶は特別でね。中身の生殖器官を丁寧にくり抜いてね。中には妻と娘の遺灰が入ってるんですよ。」
そう生き生きとした表情で言った佐々木さんは、続けて私がとうに忘れていたさっきの質問に対して答え出した。
「私、元々妻と結婚した時も娘が産まれた時もずっと失うのが怖かったんです。失う時を恐れて今の幸せを噛み締める事ができていなかったんです。だから妻と娘が死んだ時、やっと自分のものになったとそう感じました。」
私は言っている意味が理解できなかった。
佐々木さんは続けてこう言った。
「もちろん、今妻と娘が生きていたらどんなに楽しいか。そう思う事はあります。でも、失う前に私の元で死に、私のものになったんです。」
私は佐々木さんに恐怖というよりも吐き気を覚えながらこう言った。
「どうして自分のものになったと思えるのですか。それに佐々木さんは死んだ人間の方が愛おしく思えるという事ですか。」
佐々木さんは少し目を真剣にしながら答えた。
「愛なんて人によって違います。愛と性欲がイコールの人もいれば、お金こそ愛だという人もいる。容姿がどんなに醜くても心さえ綺麗なら愛せる人もいれば、機械に好意を抱く人間だっています。もちろん私は人を殺そうなんて思いませんが、人はいつか死ぬ。それなら動かなくたってそばに居てくれた方が私は幸せなんです。」
私は気分が悪かったが、心のどこかにほんの少しだけ頷いている自分が居た事に動揺と安心感を覚えた。
「でも奥さんと娘さんはもう灰になったんです。それに見た目はもう蝶そのものではありませんか。どうしてこのような事を。」
そう私が問うと佐々木さんは穏やかな表情でこう答え出した。
「私はあまり見た目なんて気にならない。だからあざができた妻と娘を標本にしても良かったんです。でも人間の剥製や標本は私には難しかった。それに別に私は人間としての妻と娘が好きだったわけじゃない。妻と娘だから愛していたんです。きっと猿や猫の身体をしていても私は愛していました。だから蝶の身体の中を灰でいっぱいにしたんです。そうすれば見た目は蝶でも何一つ欠けてない美しい妻と娘が出来上がるわけです。」
「蝶の中に入れるものは身体の一部でもいいわけですか。」
「そうですね。それに直接会った事はありませんが、コレクターの中には身体の一部が手に入ればその人が自分のものになったと錯覚する人までいます。」
「あ、そういえば川田さん。前に荒川区で起きた殺人事件知ってますか?」
そう聞いた私は少し考えた後、ある事件を思い出した。
「あの全身毛のない死体が出てきた事件ですか?」
「そうその事件。やはりご存じなんですね。」
私のような記者の端くれやオカルト好きにとっては知っていて当然の事件だ。
当時30代だった男のアパートから髪の毛から何から何まで全身の毛がなくなった大量の死体が家から発見された。気味が悪い事に死体の毛は剃られたのではなく全身一本一本抜かれていたとの事だった。
死体の量は全て女性の合わせて4名。
犯人は証拠も揃っており逮捕された為幸い未解決にはならなかったが、この事件は犯行動機がわかっていないのだ。
被害者女性の4名は犯人の男と面識はあったが深い関係ではない顔見知り程度の関係。それに犯人からも被害者からも一方的に恨まれているなどという様子はなかったらしい。
被害者の年齢も10代から30代と比較的若いがバラバラ、唯一被害者の共通点として公表されているのは全員似たような顔の作りをしていたとの事だった。
死体は一体一体丁寧に梱包されており、まるで季節で役目を終えた布団のようにビニールに入れられ圧縮されていた。その為異臭騒ぎにはならなかったが、犯人には家賃の滞納や家からほとんど出ないなどと不審な行動が付近を調査していた警察の目に留まり逮捕に至ったのだ。
しかし、犯人は犯行動機は決して語らず「私がやりました」の一点張りだったとの事。テレビなどで報道はされたものの、あまり公にはならず一部の物好きの間で広まったニュースではあるが、私も含めた物好き達は皆、犯人は好みの女性を狙って無差別に殺す狂った殺人犯と認識している。
この事件は昭和後期に起きた事件であり、その犯人は逮捕後死刑判決を下されもうこの世にはいない為本当の動機は犯人以外誰もわからないのだ。
「その事件の事で何か?」
私がそう尋ねると佐々木さんは答え始めた
「この前寝る前にふと考えてみたのですが、もし好みの女性が自分には絶対に振り向かないとわかれば男、いや人は虚しい気持ちになるものです。初めのうちはその人の一部で満足できたとしてもその虚しさは加速していく。そうしてるうちにもう殺して丁寧に保存しようとしたのではないかなと思ったんです。」
私は佐々木さんが言っている事もどうしてそんな事を考えたのかも言ったのかも理解できなかった。
「はぁ」
そんな心無い私の相槌に佐々木さんは続けて話した。
「いやそれがね。噂程度の話なんですけどそのアパートから大量の剥製が出てきたみたいなんですよね。」
「剥製ですか。」
「そう。それを聞いた時に私と同じコレクターだったんじゃないかなと思ったんですよ。剥製コレクターは根暗で内気。だけど強欲な人が多いですから。私は死刑になるなんてごめんですからそんな事はしませんけどね。」
佐々木さんは少し不適な笑みを浮かべながらそう言った。
私は佐々木さんは本当は事件の犯人に共感しているのではないかと感じたが、とても恐ろしくて聞くことができず、話を一通り終えた後お礼を言い振り向くことなく足速に帰った。
後日、私と同じ記者の端くれで燻っている佐田という男の家に訪れた。
佐田とは同い年で友達のような感覚でとても話しやすい為、何か思い詰めたことがあれば私はいつも佐田のボロボロのアパートに訪れ話を聞いてもらっていたのだ。
玄関の冷たい扉を開け、挨拶もせずに物が多い佐田の部屋に転がり込み、ため息と同時に私は口を開いた。
「ねぇ聞いてよ。この前剥製コレクターの佐々木って人にインタビューするって言ってたでしょ?実際行って話を聞いてみたんだけどなんだか気味が悪くてね。」
私は佐々木さんの家で話した事を覚えてる限り佐田に伝えた。
一通り話し終えた後に腕組みして聞いていた佐田が口を開いた。
「ははっそれは気味が悪い人だな。だからあれだけ行くなと言っただろうに。」
そう少し茶化しながら私に告げると続けてこう言った。
「まぁでも何事も熱心に行う事は大切だよ。その佐々木って人も君もね。」
「一緒にしないでよ。」
「悪かったなぁ。まぁゆっくりしていけばいいよ。」
実に不思議だ。出会って間もないし口数は少ない彼だが、彼といると古くからの友人のような安心感があるのだ。
一旦奥の部屋に消えた佐田はしばらくすると奥の古い襖をガラリと開け、お盆を持ってこちらに向かってきた。
「いいのに。でもいつもありがとう。」
お盆にはお茶と安物の菓子と爪切りが置いてあった。
「爪切り?」
「ほら川田さん最近忙しくて風呂もろくに入ってないって言ってたから指の爪が伸びきってるよ。」
そう指摘され自分の指を見ると確かに伸びていた。
「いいよ。家で切るから。」
「そう言ってまた忘れるでしょ?ここで切っていきなよ。」
佐田はそう言うと空っぽのゴミ箱を私に渡してきた為、仕方なくパチンパチンと爪を切ってゴミ箱へ落としていった。
「終わった?」
佐田に終わったと答えるとゴミ箱は台所へと片してしまった。
その後はいつも通り2人で安物の菓子とお茶をつまみながらだらだらと話し、夕方を迎えた。
「色々聞いてくれてありがとう。暇な時はまた来るね。」
そう私は告げると佐田の部屋を出て玄関で靴を履き始めた。
私はその時原因はわからなかったが、急に脳裏に最近見た景色が焼き付いてきた。ドアノブを捻る前にふと玄関を見上げる。
そこには1頭の蝶の標本が飾ってあった。
読んでいただき本当にありがとうございます。
もちろんこの小説は僕の空想の話です。
しかし愛する人がいつか死んでしまうそして離れていってしまう事を恐れて生きている人も多いはずです。
きっとそんな事を考えるよりも今を楽しんだ方がいいのかもしれないけど考えてしまいます。
もしこの思想が悪い方向へと悪化していくとこんな結果を招くのではないかという考えから書き始めたのがこの作品です。
もしかすると登場人物に共感する人もいるかもしれませんがそれは心に留めて。
大切な人との今の時間を大切に生きていきたいものですね。