お客様と言い合いになったお話。
お客様と言い合いになったお話を……。
まだバイト初心者なので、できないお仕事がたくさんあります! イケメン先輩からレクチャーを受けて、わたしがお客の役でロールプレイをしたりするのですけれど、これがなかなか!
いまはスポーツジムの見学案内の練習をしています。なにしろ説明しないといけないことがたくさんあるので、スムーズにいっても30分はかかる! 30分のセリフをおぼえるなんて、ワタシにはできん! それができるのは俳優さんだ!! そうは言ってもやらなアカンので、泣きながらおぼえます。なんとかセリフが言えるようになって先輩から「もうできるんじゃない?」と言われた。もちろん(?)ワタシはガチ切れです!
ソウ:まだムリです! できません!
先輩:もうできるっしょ。ww サクサクっとできるっしょ。ww
ソウ:できませんてば!!
そう言い合っていると電話が鳴った。ワタシはまだ電話に出られないので、先輩が出てくれます。
先輩:〇〇ジムです! はい? ええ。ありがとうございます。お待ちしています。
電話を切った先輩がおごそかに言いました。
先輩:これから見学希望のお客様がいらっしゃいます。ソウさん、案内をお願いします。
ソウ:ええええええっっっ!? ムリです!
先輩:ムリじゃないです。
ソウ:できません!
先輩:できます。
ソウ:できませんってば……(涙)。
とは言え先輩の指示は絶対です。やれと言われたらやるしかない(涙)。
お見えになったのはワタシと同年代の女性でした(守秘義務に抵触するといけないので、細かなところは変えてあります)。オチさん(仮名 50代)です。ほっそりとした上品な方です。
オチ:運動しようと思って。たったいま、ほかのジムを見てきたの。
ソウ:そうですか♪ 当ジムに来てくださって、ありがとうございます♪
オチ:このあと、ほかのジムへ見学に行くの。それぞれの違いを見てから決めようと思って。
ソウ:それは良い方法だと思います♪ ぜひ比べてみてください♪
できないできない言っていますけれど、にこやかに話をするのはプロです! 相談員をしていた頃にお話を聴かせていただいた方は数百人にのぼりますから、ものすごい量の経験をさせてもらっています。どなたさまでも話しやすくするように言葉の選び方、話すスピード、口調などは自由自在に変えられましてございます! 決まった内容がおぼえられないだけで、お相手の心を開く技術はバケモノ級でございます! こうなったら本気出す!!
説明の内容はヨゴヨゴするところもありましたけれど、お客様のニーズや困りごとを引き出してそれに対応するジムの使い方をご提案します。ご興味を持たれたところは丁寧に、興味のないところはサラリと流します。同じ女性として共感できる(例:必死で運動している顔を男性に見られたくない)部分も多々ありますから、心配のタネを一つひとつ解消してゆく。そしてうちになくて他のジムにあるサービスは、正直にお伝えする。
説明を終えてヘトヘトになった頃、オチさんはニコニコ顔で言いました。
オチ:この後、ほかのジムへ見学に行こうと思っていたの。
ソウ:先ほどもそうおっしゃっていましたね♪ それはとても良いことだと思います♪
オチ:でも、ほかのジムへ行くのはやめるわ。
ソウ:どうしてでしょう? どうなさったのですか?
オチ:このジムも気に入ったし、スタッフ(わたし)も良い方なので、ここに決めるわ!
なんと! まさかの入会希望!! しかもわたしを気に入ったと言ってくださっている! これを聞いたわたしは言いました。
ソウ:ダメです! 他のジムも見てください! この後、ほかのジムをご覧になってください!
てっきりわたしが喜ぶと思っていたお客様はビックリ顔です。
オチ:え……。だってここに入会しようと……。
ソウ:一通り見て、一番ベストなジムをお決めになったらいいじゃないですか! それぞれ良いところがありますから、ぜんぶ見たほうがいいです!!
これ、一般的な営業トークから考えると絶対にやったらアカンことです。入会したいと言われたら大歓迎するべきだし、ほかの同業者を誉めるなんてありえない! でもわたしは禁忌を犯す!!
オチ:どうしてなの? どうして他のジムをすすめるの?
ソウ:だっていま入会なさるとしたら、わたしが入会手続きをすることになるんです! 初心者だからヘドモドしてモタモタするんです! そんなことでご迷惑をかけるわけにはいきませんから、ご予定どおり他のジムへ見学へ行ってください! その後に当ジムをお選びくださったら、慣れたスタッフがテキパキお手続きします! 無駄なお時間を取らせたくないのです! 他のジムへ行ってください!! 次までにはわたしも練習して、上手にできるようになっているかもしれません。でも今はムリです!!
必死で他のジムをすすめるわたしを見て、イケメン先輩も何ごとかと近寄ってきた。あとで叱られると思うけれど、お客様の不利益になることはしたくない! 今のわたしがやったら、ご迷惑をかけてしまう!
お客様はしばらく考えていましたけれど、とうとう口を開きました。
オチ:わかったわ……。
ソウ:わかってくださいましたか!? ありがとうございます!
オチ:ええ。わかったわ。それなら…………、
……それならわたしが練習台になります!
ソウ:ええええええ!?
オチ:なにごとも練習よ! さあ、私で練習しなさい! 時間がかかってもかまいません! おやりなさい!!
半泣きでお断りしたのですけれど、お客様は優しくて……(涙)。通常の倍以上かかって先輩から教えてもらいながら、なんとか手続きを完了しました……(涙)。できてないところはたくさんあったのですけれど、お客様は笑いながら待ってくださるし、先輩は丁寧に教えてくださって……(涙)。本当にありがたい経験をさせてもらいました……(涙)。
後でチラリと教えてくださったのですけれど、やはり他のジムは同業者をディスるみたいです。「あちらはダメですけど、うちは……」みたいに他を落として営業するらしい。ところがわたしはそれをしなかったので、大いにお気に召してくださったらしい……。
う~ん……。次からはわたしも他のジムをディスろう!(← ちがう)他をディスって「ここはダメだな」と思ってもらおう!(← ちがう)
あ…………。ディスれるほど他のジムのことを知らないや……(汗)。ディスるのにも知識が必要ですね……。一所懸命にお勉強して、他のジムをディスれるようになる前に、…………一人で手続きができるようになったらええんや!! わたしのアカンところは、そういうところやぞ! ナナメ上で解決しようとするな! 真正面からブチ当たれ!
……がんばります……(涙)。