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  作者: アーリマン
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 ふう

三章 創作について


   一 普通の人間と同じ読み方ではなかった自分と小説の虚しさ


 俺は普通の人間と同じ読書方法をしないので、その時点で、自分の好きな作品が一般的な小説にないことになる。

 小説とは文字を追って、内容を理解するものだ。文字しか使えないので、本来、文字で示せないものは読者に提供できない。小説は次元が低いので、詳しい描写を繰り返しても実際の視覚に勝つことは出来ない。人それを『百聞は一見に如かず』と呼ぶ。

 このように視覚でしか示すことの出来ないものを小説では書けない。だから、小説と言うのは最も味気ない媒体と言える。最も活字を好む者には当てはまらないが。

 俺の場合、小説というものを最低次元の媒体と読んでいる。すなわち、実写、アニメーション、ゲームなどの次元の高いものが最高次元、次に続くのが漫画やCGなどの中間次元。そして、最低次元の文字。すなわち小説だ。

 そういうわけで、小説と言うのは最も制限の多いものだ。無限ではない。というのは、簡単に考えて、原稿用紙一マスに当てはまる文字は60種類(空白込み)ほど。原稿用紙一枚あたりでは400マスなので、原稿用紙400枚でも、可能性は60^{16000}通りしかない。(十分多いが)これらの中に傑作がx個、駄作がy個だと絶対的に考えられるとみなしてみると、小説とは作り出すというよりかは見つけ出すものだ。

 俺はこれが文学とばかり思っていたのだが、どうやら違うらしい。俺は文学は数学的なものとばかり思っていたけれど、どうも違うので文学が嫌いになった。

 さて、60^{16000}というと、60を16000回かけた数だから、かなりの数になる。だが、中には、『あ』だけとか『い』だけも含まれているから、絞込みは出来る。だが重要なのは、SFにしろ、ミステリにしろ、ファンタジーにしろ、原稿用紙400枚までなら、60^{16000}の中にすべてを含んでいるということだ。だから、時間さえあれば、数学的に『すべての作品を見出すことが出来る』ことになる。つまり、俺たちは取り合いなのだ。60^{16000}の中からいいものを先に見つけ出したほうが勝ち。実力より運だ。所詮、同じ60^{16000}から、ひとつを選び出しているに違いない。作家が増えまくれば、すぐに60^{16000}など枯渇する。だから小説というのは『宝くじ』と同じ。60^{16000}からひとつを選ぶわけだ。

 選んだものがあたりなら億万長者。はずれなら一文無し。俺は初期の段階でこんなことを考えていたので、虚しさを覚えていた。

「所詮、宝くじかよ」と言った感じだ。無限性があるから創作というのは魅力があった。小説には無限性がない。限られた可能性から選び出すものだ。

「これじゃ、やってらんねえな」と俺は小説を捨てた。だって、「面白い小説」は60^{16000}の中のいくつかといったことになるのだ。そんなもの、数学的に処理していれば時と根気が解決してくれる。わざわざ俺たちが考えなくても、コンピュータがしてくれる。無限に広がる神秘が小説にはない。もちろん、漫画にもアニメーションにもないかもしれない。だが、精神世界には確かに無限性を見た。神を見出すために必要な要素が眠っている。小説は精神世界のうち、ごく限られた60^{16000}しかないのだ。これでは神も何もない。神がいる場所には必ず、無限の循環があるはずだ。

 そこで、俺は小説という形態に虚しさと限界を感じた。ちょっと頭がよければわかるはずだ。「面白い小説が読みたい」と言って、「60^{16000}の中から探せや」と言われる虚しさ。小説を読む人はこういう縛られた中で「あっぽあっぽ」言っているようなもの。頭が少しよくなると、小説を数学に完全に置き換えることが出来るから、「小説は数学の足元にも及ばない」ことに気付き、本の虫は自分の浅はかさを悟ることだろう。悲しい。そう、文学とは悲しいものだ。悲しすぎて、怖くなる。数学の圧倒的な力にいとも簡単に押しつぶされてしまった小説に何が出来る? 素晴らしい文章だと文学というぬるま湯につかった頭の悪い連中が言っても、頭のいいものは「はいはい60^{16000}ですね。すごいですね」で蹴ってしまうのだ。そう、もう文学は楽に数学が食らってしまっているのだ。どこまで強いのだ。数学とは小説という世界を中学レベルの数学で片付けてしまうのだ。

「数学がいかに重要かは数学が小説を60^{16000}で片付けてしまうことが出来てしまうところから伺える」

 とにかく、俺は小説をやめ、新しい媒体を探すようになった。人間の無限性に満ちた精神世界を表現する方法。小説のように解のないものを……。

 俺は恥ずかしくもなった。こんな単純な計算で置き換えられる低レベルな小説に何時間もかけてしまった。数学なら五分で片付けられる。すべての小説は、数学という圧倒的な怪物によって「x、yを自然数として、x^{y}以下」と十秒もの間にいとも簡単に食われてしまうのだ。

 俺がどうして理系を信仰するかわかるか? クズな文系は数学で簡単に呑まれるほど浅はかなのに対し、理系は数学を用いてもなお、「全く先を見つめることが出来ない」のだ。何だこの格差は! 俺は恐ろしさと虚しさを同時に感じた。

 数学が強すぎて、小説はいとも簡単に食われてしまった。数学の魅力を凌駕するようなものはないか? ある! 精神世界はいかなる数学的法則によっても解くことが出来ない。

「分かったぞ!」俺は叫び、ついにはテーブルの上で変な踊りを踊って、歓喜した。

「小説の欠点をすべて克服することに成功した」と俺は叫び、小説をこのような定義とした。

「小説とは作者が有限の作品を提示し読者が無限の感性より、作品を完成させたもの」

 そう、つまり、俺が見つけ出したこの定義はほとんどのものがうたっている小説のあり方だった。俺が一度否定したものでもある。

 つまり、小説とは作者が物語を作り、読者が完成させるもの。読者と作者が一緒になって努力しない限り完成しないもの。読者次第で完成形が全く異なる。こうありたい。だが、現状はどうか? 勝手にわけの分からない賞をつける、つけるまでならまだいい。物語を評価しただけのことだ。だが、客観的に「これはいいが、これはダメ」と言う奴は小説界のクズだ。読者の無限の感性から作られた小説を「客観的に判断」することが出来るなど、論理的にあまりに浅はかだ。馬鹿すぎて言葉も出ない。「小説とは作者と読者が作るもの。そして作者の物語は数学的に不変(有限だから)、読者の感性にすべてがかかっている」

 だから、小説と物語は切り離すべきだった。自分の書いた物語を自分が小説にすることも出来る。作者が「傑作だ」と言えば、作者の視点でそれ紛れもなく「傑作なのだ」読者がダメだと言えば、読者の視点で「駄作なのだ」物語が不変より、傑作と駄作の両方の見方があるということは人が持っている感性が一様でないことを意味している。

 これが、俺が精神世界の無限性を維持する定義だ。そして、この定義に則る限り、俺は「小説を作者の物語と読者の感性により、どちらも真剣になっていなければならない」と思う。真剣に二人が小説を作っていく。「読者次第で傑作にも駄作にもなる」というのが「小説」なのだ。「これは駄作」という読者がいれば「傑作」という読者もいる。それでいい。そういうものなのだ。

 そして、俺は「物語の多くを読者に任せたい」というモットーで作品を書き始めた。どうせ、数学的に有限の中から選んだものなのだ。後は「読者の協力が必要」というわけだ。俺の物語ほど「読者の依存した小説」はないと思っている。

「読者には労力を使わせてしまっている」ということになるが、「小説を完成させる読者」は大切な役目だ。小説家という馬鹿げた言葉はもう死語にすべきだ。小説家とは「作者と読者の総称」なのだ。つまり、読者は立派な小説家である。

 作者は物語を考えるもの。読者は完成させるもの。どちらが偉いか?

「読者のほうである」だから、作者は常に「読者に頭を下げていなければならない」

 作者とは小説を完成させることの出来なかったクズなのだ。

 小説は子供と同じだ。「読者と結婚して子供を産む。作者は男の役割で、読者が女の役割だ。種を育てる役目があり、苦痛を伴う役でもある。子供が生まれた後も、自立するまで育ててやらないといけない」小説というのは「読者の愛」をなくして生き残れない。現在の小説は路頭に迷って、次々と死んでいる。一夫多妻制で、「馬鹿な作者は百万人以上を妊娠させる」だから「紙がもったいないし、たくさんの小説を殺している」

「小説というものは本来、ただでしかもコンピュータ画面に向かって見るものだ。金を払ってまで読むなんてふざけている。ただの文字なのだ。60^{16000}のうちのひとつが1000円近くもするなんてぼったくりもいいところ。せいぜい、50円がいいところだ。しかも、ネットに後悔すれば木が切り落とされることを食い止められるのに、汚い人間は紙にして、紙幣を巻き上げる。これでは神が怒るぞ」

 小説とは生かすもの。種はひとつでいい。読者も金を払ってまで作者と結婚しなくてもいい。小説などはただで読んで、愛情を注いでやれば後は勝手に一人で歩きだす。

「現在は出版不況といういい状態に向かっている。環境破壊が少しずつ食い止められている。これからは、小説はただで読み、愛情を注いでいくべきだ。古本屋で病弱になった物語が格安で売られている悲惨な状態から小説というものを助けてやらなければならない」

 ただで小説を読めばいい。ネットでただで小説を読んでいる人はとても偉いし賢い。(つまりはこの読者だ)どうせ、60^{16000}から選ぶだけだ。ただでも出来ることだ。俺はただでその一助をするだけ。それに金を払うなんて馬鹿しいのだ。みんながそれに気付けば、いつも読者ばかりが損をするこの混沌たる小説界を救い、環境は保たれ、懐がホカホカして、有頂天の作者を読者と対等にまで落とすことが出来る。読者と作者が常に対等。小説でこれは鉄則。読者が金を出し、作者に金が入る。ふざけるな! 二人で作った小説だ。なぜ、読者だけが金を出して育てないといけない! 作者がばら蒔いた種で妊娠させられ、金まで取られることに、読者は腹を立ててもいいのだ。これからはネットで小説を読むのだ。新聞も買わない。ヤフーのニュースで事足りるし、新聞を買うと、また木がなくなって、環境がまずくなります。これからはすべて電子が紙の役割をする。文系よ、理系に呑まれたことに気付くのだ。文学は量子力学に支配されるようになる。文系はもはや理系の付属と化していく。21世紀は社会の中核を量子力学など科学が担うのだ。もはや時代遅れの紙で小説を作る必要はない。今後、出版不況は続くだろう。金を出して本を買うと、紙幣と印刷の紙の両面で木が切り倒されていく。これを食い止めるべく、ネットの小説を普及させればいい。どうせ、60^{16000}通りの小説だ。シリーズになっても60^{x} xは16000以上の自然数とすれば簡単に処理できる。

 そういうわけで、小説とはネットでただで読むもの。厳密には作者の物語を読者が作り上げていく。そして俺は思うのだが、親権は読者が持つべきだ。つまり、作者が「著作権」を持つのは馬鹿すぎる。完成させたのは読者なのだ。だから「読者がすべての権限を持てばいい」とはいえ、読者が多くなると、どうなるのか? 例えば、アニメーションの媒体に移してほしいと読者が意見を出せば、誰の意見が通るのか。ここばっかりは民主的な多数決しかない。

 とにかく小説を読むのに金を出して、しかも、それで著作権すら得られず、ただ物語を読まされ、「面白かったとかつまらなかったとか」言うことしか出来ないのは屈辱でしかない。損するもの、得するものがいない。これではじめて、小説は小説となりえるのだ。所詮、60^{16000}に大差はない。どれを読んでも、「そんなものか」となる。プロもアマも関係ない。一様に60^{16000}だ。流行に流されるミーハーにだけはなってはいけないのだ。ほとんど運のごとく、60^{16000}からひとつを選んで読めばいい。「面白ければそれでいいし、面白くなければ、好きにすればいい。親権は読者のもの。読者の勝手だ」となるものだ。「これが面白いらしいぞ」とか「これが○○賞だってよ」と言って、読者が金を出して、もしかしたら大してよくもないかもしれないものを買う「ミーハー社会」では「経済格差は埋まらないし、景気はよくならないし、本当に面白い小説が死んでいく」

 小説をただで読むようになれば、経済格差はかなり埋まる。ミーハー専門作家に目にものを見せてやることが出来る。一種の革命を読者の心持次第で起こすことが出来、環境破壊を食い止めることも、人間のおごりを食い止めることも出来る。

 何度も言うが、60^{16000}が小説なのだ。金を出していいのか。「決して出してはいけない。ネットを御覧なさい。小説はたくさんある。それらからひとつを読めばいい。どれを読んでも大して大差ないのだ。大差があるのは、お金を出して、小説を買う人間が多すぎるからだ。○○賞に踊らされて、買って、意味不明なものを持ち上げると、次世代の子供はそれを神格化してしまう。これでは日本は変わらない」

 小説は見つけ出すもの。人のざわざわしているところに金を払って見に行っても意味はない。○○賞が100万部、他は5000部。こんな部数格差のある小説界も「ミーハー社会」を踏んでいる。理想は最高が10万部、最低が6万部。こうなること。そのためには、読者が60^{16000}からひとつを選ぶという理系的精神にならないといけない。売れているから買うではミーハー精神丸出しだ。それでは○○賞だけが持ち上がってしまう。何の発展もない。ミーハーをこの世から消し去ると、倒産する会社はあまた。だが、それは時代が選ばなかっただけという解釈になり、社会は混沌を抜けることが出来る。

 そんな感じで小説を捉えることが賢い読者なわけだ。誰も読まないかもしれない小説を読むということは「誰も行っていない未踏の地を踏む行為に近い」逆に売れていたり、○○賞などで話題になったものを読むことは「出遅れて、慌てて走って人ごみに跳ね返される哀れなおばさん、あるいはおじさんなのだ」読書を冒険とするなら、ミーハー精神を切り捨てるべきだ! ネット小説を読んでいる人は偉い。お金をかけず、また誰も読まないかもしれない本を読んで、確かに神のもとに完成した小説を送り届けているのだから。死んだときに神に順ずる何かがやってきて、「○○という小説を読んだのは君だけだった」と賞されるかもしれない。逆に誰もが読んだヒット作だけを読んでいたものは「君に冒険はないね。虚しい人だ」と言われるかもしれない。そのためにも、滅びよミーハー一族! そして格差のない社会を!

 得たいのしれないものをひとつ選択する。そしてその道を歩み続ける。それこそが真の読者なのだ。その道が面白くないかもしれない。それでも、「この地は誰も足を踏み入れていないな。どれ、ひとつ中を探ってこよう」と言って進んでいく。まさに探検家だ。

 どれを読むかは辿り着いたところ、つまり運に任される。間違っても金を出してはいけない。金を出して手に入る本はたくさんの人が入っていて、もう宝は残っていない。

 読者は60^{x}の中からランダムに選ぶという探険家なのだ。「今日は晴れそうだ。どれ、探検にいってみよう。どこへ行こうか。出来れば先駆者になりたいが」とネットを開き、進んでいく。「エンカウントした。相手は誰だ?」と戦いが発生するかもしれない。だが、人がたくさん入った物語は「狩りつくされて何もいない」というわけだ。


 さて、俺は小説を共同作業と捉えていらい、多くの場面を読者の想像に任せることとした。それはつまり、小説ではなく、見たことのある方は少ないかもしれないが、脚本に近い。そこに情報が欠落している。ひとつ、俺の作品から場面を取り出してみると、

「壁が異様に高い。地面に大きな影を落とすほどの屋根があって、黒いカラスが何羽かとまっていた。近づくと、幾羽かが飛び出して、空に消えていった」

 というものがあり、具体的に書かず、建物のありようもカラスの形も、カラスが鳴いていたかいなかも、空の様子も書かれていない。(夜か昼かの描写は存在している)

 小説を共同作業と捉える俺は情景描写に三島由紀夫や典型的な女流作家に見られる、

「見上げると、その高さに圧倒され、ひとつの高所に対する恐怖を覚えた。だが、それは建物が高いのではない。普遍的な家に比べて、やや高いだけだ。この建物の壁が普遍的な建物と背丈を等しくしているのだ……以下略」とはしない。

 場景描写を凝ることは完成形に近づける行為であるかもしれないが、壁が高いと俺は特徴を普通にしか述べない。「緑の衣を纏って……以下略」は俺からすれば一種の脅迫だ。だいたい金を出して小説を買うといつもそうだ。「彼女の目を見つめていると、幽霊を見ているみたいだった。目は澄んでいるのに、綺麗なままで、周りが黒く塗りつぶされていくのだ。まばたきをすると、また戻るけど、彼女が表情を変えてしまって、比べて見れない」

 なんて言われても、頭で想像すると、人が少女ないし女性の目を見ていて、まばたきしている間に相手が表情を変えたのだから、

「彼女の目を見つめた。澄んでいるが、どこか複雑な色だ。彼女は視線に気付いて、表情を紛らわせた」でいいだろうにと俺は思うわけだ。

 情景描写とか、心理描写が一ページも続くと、俺はうんざりする。アニメなら5秒のシーンでどうして、一ページも使うんだ。ありえないぞ。どんだけ考えを張り巡らせているんだ。だいたい、例えば、「君は死んでいる」と告げられて、「え?」と言う間に、普通、物事など考えられないだろうに。心理描写が二ページも続いて、「おいおい、お前は高速回転可能な頭を持ってるのかよ」と言いたくなる。アニメなら、「君は死んでいる」「え?」動揺した表情になる。と続くだけだ。2ページ分も考えるしぐさなどしない。そんな俺の考えでは、小説は「実写」か「アニメーション」の脚本に「最低限の情報」を与えた物語を読者が完成させるものだ。

 だから、気付くと、脚本を書いて、情報を与えて、それで終わりという恐らくは誰もがやっていない方法で物語を書いている。

 これに共通することだが、脚本を書くのになれると、本を読むとき、普通の人と同じように「文字を読んで内容を理解する」ようにはならない。「文字を読んで、頭の中に実写またはアニメーションを再生させる」のが俺の読み方。そんな読み方をしている人は他にもいるかもしれないが、そうはいないはず。

 そんな俺はある小説を読むと、読み終えるまでには「実写」または「アニメーション」の情報が残る。アニメーションなら、声優も「この人が適任だな」と決定されている。

 それからキャラクターの描写を入れなくても、「物語の流れでキャラクターを想定出来る」絵を載せている小説が意外とたくさんあるが、「キャラクター像を勝手に決められて、迷惑だ」と言う場合もある。まあ、作る手間が省けるが。

 俺の場合、小説を読むと、明確に実写やアニメーションが脳内に残る。文字を追って、実写やアニメーションを想像することに慣れているからだ。

 だから、人のように文字を読まない。文字から想像し、実際に動かすのだ。だから、俺が面白いと思うのは「キャラクターなどがよく動く。演出がある」もので、「一般に小説という形態は文字から内容を理解するものなので、演出が激しいものには向かないといわれている」そんな俺が小説に抱く感想は「退屈極まりない」特に評価される小説は文字の媒体に適しているからか、俺のような想像で読む方法を取ると、「始終退屈だ」となる。

 俺が企画を立てると、まず頭の中に実写ないしアニメーションを作り上げ、それを文字化して、最終的に情報を付け加えるということで、物語を作る。だから、原作は「実写またはアニメーション」ということになる。

 だから、普通の読み方では多くを想像に任せているので、かなり読みにくいし、逆に「退屈」となる。小説で「退屈」だと実写やアニメーションで「退屈ではない」が実写やアニメーションで「退屈」だと小説では「退屈ではない」これは俺がたくさんのものを見比べて、絶対的に当てはまることを確かめた。もちろん、俺の観点でのことだが。

 映画化を前提にした小説は「映画が面白い」し、小説の形態ですでに面白い物は「実写化またはアニメーション化」すると、「退屈」になる。実際に作品を挙げてもいいが、失礼なので、やめる。

 こうして、俺は小説の虚しさを感じ、小説を「共同作業、チームプレイ、結束の力より生じる無限性を持つもの」と定義付けた。一人では完成できず、協力者がいる。それもときには「とびきり有名な協力者がいないと完成出来ないかもしれない」ということになるかもしれない。


   二 影響を受けた作品群


 俺が物語を書きたいと思ったのはやはり影響を受けた作品があるからだ。それらが俺の起源になっている。それらを紹介してみる。俺の面白いと思っているものがどんなものか。それらが全く話題性と比例していない点からしても、いかに俺がミーハーから切り離されているかわかるだろう。俺は何も話題性を気にせず、見つけたものを手当たり次第に観て、読んだ。すると、面白いものもあればそうでないものもあった。面白いものには特徴があることがわかった。

 作者などの人権を守るために真に影響を受けた個人的神作品だけを示し、面白くなかったものは書かない。


 アニメーション


 1、劇場版の『クレヨンしんちゃん』


 最も影響の強い作品と考えられる。一番は『電撃! 温泉わくわく大決戦』か『電撃! ブタのヒヅメ大作戦』のどちらかだ。序盤は大作戦のほうが、ギャグや引っ張ってくる期待感が高く、エンターテインメントの総合力で、大作戦のほうが上だが、中盤以降、ひろしの特徴が出てきて、金の魂の湯が出てくると、『サスペンス』の実力、『コメディ』の実力ともに上がってきて、不健康ランドの演出はすごく、ひろしのかっこいいシーンもあって、大決戦がどんどん追い上げてくる。自衛隊とロボットが大戦するあたりの高いエンターテインメントは大作戦の『ぶりぶりざえもん』と争うが、圧倒的スケールを思わせる大決戦が上手だ。そして終盤。総理のシーンと大統領のシーンで争ったりで、かなりいい闘いになり、しかし、大作戦はぶりぶりざえもんを感動に結び付けてくる。大決戦はロボット進撃のシーンが圧倒的でどちらともいえない。長嶋のギャグが圧倒的スケールで大決戦が強いかと思うが、大作戦は最後にぶりぶりざえもんが登場して、かなり感動させてくれる。金の魂の湯はもたついた感じがあって、大作戦を上手とする見方が定着しつつある。

 二番は『嵐を呼ぶモーレツ大人帝国の逆襲』か『嵐を呼ぶ栄光のヤキニクロード』のどちらかだ。序盤のエンターテインメントの持っている力はヤキニクロードだが、『クレヨンしんちゃん』らしいギャグのレベルは大人帝国のほうが高い。総合点で見て、ヤキニクロードの『サスペンス』の実力を高く見て、ヤキニクロードを評価した。ちなみに風間くんはいつもいい仕事をしているが、大人帝国が一番いい仕事をしていた。中盤は両者共に『サスペンス・ギャグ』がヒートアップして、どちらがいいと得点を決められない。後半はヤキニクロードはもたつき、大人帝国は綺麗に収まった。感動箇所が三箇所もあるなど、そのおさめかたは見事だった。最終的には序盤の捉え方次第だ。シロのえさなどのギャグとネギのギャグは類似するものだが、シロのえさのギャグのほうが面白いと考えて、ヤキニクロードを上手とする見方もあるが、感動を重視して、大人帝国を上げることも出来る。俺はまだどちらか決められていない。

 三番は『ぶりぶり王国の秘宝』か『嵐を呼ぶアッパレ戦国大合戦』のどちらかだ。圧倒的に評価が高いのは大合戦だが、それは賞の話。舞台や登場人物からして、真面目に映る大合戦のほうが賞を取りやすいのは明らか。俺はそういうところを大人の都合でいい加減にせず、しっかりと『エンターテインメント』の力を見る。作品の分野の仲間はずれは絶対にしない。

 秘宝は序盤は緩やかに進行するが、『クレヨンしんちゃん』らしくていい。大合戦も緩やかに進みながら、戦国時代に向かう。ここまではどちらも実力は同じぐらい。

 秘宝はジャングルに落ちるという圧倒的スケールを見せてくる。大合戦は取材が行き届いたと思われる戦国時代をうまく映しながら、展開する。秘宝の『サスペンス』の力と『戦国時代』の描写で争い、優劣は難しいが、緊迫感で秘法を尊重した。中盤から終盤にかけて、大合戦はカスカベ防衛隊が登場するが、風間くんの役柄があまりいい仕事をしなかったのが残念で、しんのすけとの絡みをもっと期待していた俺は評価を厳しくした。おおまさは良かった。秘宝はジャングルを抜けて、しんのすけが捕まる。ここからは圧倒的サスペンスとアクションが展開される。終盤、秘宝は『ぶりぶりざえもん』を活かしきれない点が目立つが、大合戦は圧倒的な合戦描写で追い上げてくる。ひろしの参戦はかなりすごいものがあった。しんのすけらしさが出ていたのはぶりぶり王国のほうで、オカマも面白かった。そういう点を考慮しても、大合戦の終盤展開は至上一位二位を争う出来なので、大合戦を評価した。最後の感動シーンは撃った相手を隠蔽したところなども評価出来る。感動も圧倒的なものだった。結果、『合戦の質の高い描写』か『アクションサスペンス』が争うことになり、大合戦のほうを上手とする見方が定着してきた。

 四番目は『ヘンダーランドの冒険』か『踊れアミーゴ』のどちらか。序盤は間違いなく踊れアミーゴの『ユニークなサスペンス』が圧倒的優位を築く。緊迫した展開が続き、ややホラーを思わせる。この点でアミーゴは素晴らしいものだった。ヘンダーランドはトッペマに出会ってからが急展開し、ス・ノーマンが出てくると、ダークな感じを漂わせる。このあたりがかなりすごい。とはいえギャグをぶりぶりざえもんに委ねていたところは少し残念だった。しんのすけや風間君の絡みが少ないのも評価を厳しくする。圧倒的スケールのギャグもなく、ぶりぶりざえもんらがいい仕事をしていた。

 アミーゴは秀逸なサスペンスが続き、やがて、少し不可解なところに入ってくる。これはヤキニクロードに似ている感じだ。ヘンダーランドはしんのすけがヘンダー城にやってきて、どんどん追い上げていく。トッペマが離脱するところは意図的に感動を抑えたつもりなのだろうが、かなり感動するものだった。終盤のヘンダーランドは強い。ギャグは強く、サスペンスシーンは絵的に面白い。終盤の追いかけっこは倍の時間を費やしてもよかった。それぐらい面白いものだった。アミーゴは不可解に終了することになるが、こんにゃくになって、捕らえられていた住民が助けられて、一応の終わりを迎えた。

 終盤のヘンダーランドか、序盤のアミーゴだが、俺が厳しく評価して、終盤の実力を反映して、ヘンダーランドを上にもっていきたい。

 基本的に全作品の程度が高いのがこのシリーズの特徴。今後期待するのは、質の高いギャグ(特にしんのすけと風間くんの絡みは継続してほしい)、サスペンス(これは全作品にあるものだし、これからも主軸に持ってきてほしい)の2大パワーとユニークなキャラクターや感動などの要素をいくつか組み合わせること。後、恒例となっているものを今後も継続させること。劇場版クレヨンしんちゃんは総じて『エキストラ』の使い方がうまい。これは他のシリーズにはあまりないこと。俺が学んだことは『エキストラ』の使い方、『質の高いサスペンス』、会話を退屈に続けるのではなく『質の高い演出』で見せる力、『質の高いギャグ、規模の大きなギャグ』、『設定の特異さ』などだ。これらは俺の作品の中核になっている。


2、スタジオジブリシリーズ


 学んだことは『児童文学の幅広さ』。個人的な見解では、劇場版クレヨンしんちゃんに比べれば、『エンターテインメントの力』はかなり劣る。そういう点で『退屈な作品』は比較的多かった。一部、非常に優れたものがあるので無視できない。

 一番レベルが高いのは『魔女の宅急便』だと思うが、『となりのトトロ』も無視できない。序盤から引っ張ってくるものは両者共に強いが、キキが旅立つまでは圧倒的性急さがあった。だが、無駄なシーンはなく、退屈させず、展開しているので、これは高評価を下したい。トトロでは神秘的な世界観を序盤から持ってきて、かなりひきつけてくる。ジジがいい仕事をしているので、序盤は同じレベルか。展開が進み、宅急便のほうでは町にねぐらを置くことに成功する。それまでの演出はレベルが高かった。トトロはメイちゃんがいい仕事をしていた。トトロと出会うシーンを経て、神秘と通じていくが、なかなか正体を明かさないところが良かった。森の描写がすごくて、感動を覚える。

 中盤以降はトトロと出会うところで、トトロに軍配が上がる。かのような神秘的な演出はなかなか出来るものではない。一方、宅急便はキキの心理に変化が次々と起こり、ジジがいい仕事をするので、かなりいいのだが、神秘的なシーンを強調してのものだった。

 終盤は、トトロではメイちゃんが迷子になって、宅急便では、キキが魔法を失う。ここは五部五部かと思うが、演出としては宅急便のほうがレベルの高さを覚えることもある。宅急便はハッピーエンドかバッドエンドかなかなか決断できないところがもどかしかったりするが、トトロではハッピーエンドと明確に言い切れるだろう。収め方としては、中途半端を拭いきれない宅急便よりトトロを支持したい。とはいえ、全く無駄な描写が存在しない密度の高い魔女の宅急便を支持したいという意向は今も変えていない。

 近代に向かうと、スタジオジブリの作品は『無駄』が多くなって、『エンターテインメント』の力は確実に下がっていると思われるが、興行収入は圧倒的に上がっている点からしても、万人に向けての利益のための作品作りを目指している感が伺える。

 児童文学として多くを学んだのが、上記二作品で、『無駄のない密度の高い展開』こそが一番の報酬だったと思われる。近代アニメの『無駄』の多さは尋常ではない。

 今後は『無駄のないソフトだがサスペンスを強調した児童文学』の方向性を取り戻してほしい。


 3、劇場版ドラえもん


 圧倒的世界観で展開するSFの代表格ドラえもんは『コメディ』としての要素と『サスペンス』としての要素を合わせ持っていて、特に『コメディ』要素を多く学ばせてもらった。とにかく強い作品が多い。

 一番は『南海大冒険』か『創世日記』か『雲の王国』か『銀河超特急』が争う。この四つはドラえもんの四天王として、考えているほどの作品で『世界観』は圧倒的、サスペンスはレベルが高く、収め方も完璧。これらの対抗馬は劇場版クレヨンしんちゃんや一部のアニメしかないだろう。

 序盤、大冒険は海について調べることになっており、トモス島を目指すことになり、創世日記は夏休みの宿題で宇宙を創ることになり、王国は天国の話になり、超特急はスネ夫の自慢から始まる。いずれも、序盤の日常がとてもうまく描かれていて、どれがいいかは決められない。分かれ目になるのは、創世日記の目まぐるしい宇宙の変化。ここは創世日記が興味深く、程度が上がってくる。だが、すぐに超特急が宇宙でのシーン、ブラックシャドウ団などが出てきて、追い上げてきて、雲の王国も建国が始まり、大冒険ではジャイアンやスネ夫が航海に参加して、盛り上がってくる。

 中盤に入って、タイムスリップすると、南海大冒険はサスペンスとしての質を上げてくる。のび太とドラえもんらの二つの視点からトモス島の特異性を見出していく。このあたりになると、目を離すことが出来なくなる。創生日記ではのび太が単独で行動するようになり、のび太が傍観者になって、展開を見守るといった話になる。サスペンスシーンはないが、話がとても面白いものになってくる。王国では天国に到達。ノア計画のあたりからのサスペンスは大冒険に引けを取ることはない。超特急もドリーマーズランドの展開が面白くなってくる。

 結局、終盤で優劣が決まってくることになるだろう。終盤の強さを見ると、大冒険か超特急が争ってくるのではないかと思う。エンターテインメントの力では『サスペンス』に敵う要素はほとんどない。そういう点で、キャッシュ、ヤドリとの戦いは圧倒的なものとして迫ってくる。王国では視点を分けてのサスペンスで緊迫感は強いのだが、雲戻しガスで脅すだけで、天上人との接触はほとんどないものになっているところは厳しく評価した。創生日記はより近代に向かって、現代に近づいていく。それらを吟味し総合点を出すと、やはり大冒険か超特急のどちらかとなり、サスペンスの実力で決まってくる。バリアを解除し、人質を救出し、リヴァイアサンとの闘い、トモス島脱出シーンと全く見せ場が失われない強いサスペンスが大冒険の魅力で、対する超特急は禁断の星から脱出するというところで、ジャイアンが活躍する。手数では大冒険、規模では超特急となるだろう。個人的には手数のあった大冒険を一番にしたいと思った。

 ドラえもんは多くの要素をまとめてくるので、『エンターテインメント』の力はかなり強い。『サスペンス』は『クレヨンしんちゃん』よりも重いものが多く、よりシリアスなサスペンスを学ぶことが出来た。『コメディ』では普通のアニメなら退屈になりかねないが、ドラえもんは退屈にならない。退屈にならないコメディを学ぶことが出来た。それからクレヨンしんちゃんは世界観をそのままに登場団体などを特異にしているが、ドラえもんは日常性を尊重してか、大事件が日常から切り離したところで行われている。『舞台』についても学ばせてもらった。

 今後、リメイクではなくオリジナル作品を展開していくつもりかどうかは分からないが、サスペンス要素を強くして、一筋縄に問題を解決できない厳しい舞台を出してほしい。海底、宇宙、アフリカ奥地、天国などかなり掘りつくされたが、これらはダブっても、ドラえもんの持つ可能性ならいくらでも展開できると思う。


 4、劇場版名探偵コナン


 『ミステリ』を序盤に『現実的なサスペンス』を終盤に持ってきて、二重構造で展開されるこのシリーズはミステリを書くのに多くを学ばせてもらった。

 一番は『14番目の標的』か『ベイカー街の亡霊』だ。この二つは圧倒的レベルで完成していて、またわかりやすさが売りだった。

 序盤は事件が起きるまで、舞台の説明を入れていくのだが、標的は小五郎と絵里の関係をうまく使って、主要人物を出していく。小五郎らしさがよく出ていたと思う。亡霊はコクーンとノアズアークの説明だが、少し時間をかけすぎた感がある。標的の頃は博士のクイズがない。恒例となっているものはそれだけで、エンターテインメントを作り出すので、ないのは痛いだろう。やや亡霊がリードしているかもしれない。

 事件に突入する。亡霊では殺人事件が起こり、標的では目暮が襲われ、トランプの順に襲われていく。これより、村上の復讐であることを類推させる。すごいのは洞察力が高い人は左手か右手かをコナンより早く気付く余地があったこと。当然、俺は気付かなかった。

 事件に連続性があるぶん、標的が取り返した感がある。ここから一気に本題へと展開していく。標的ではヘリの着陸シーン、亡霊はコクーンの世界に入り、ロンドンの作画に圧倒される。緊迫しているぶん、標的を評価するべきか。

 亡霊はここから圧倒的に展開する。ホームズの家に向かうが、そこにホームズはすでにいないことになっており、離脱者が複数に渡って出てくるなど、サスペンスとしてヒートアップしていく。標的は海上レストランに行ってからのサスペンスシーンはコナン至上一位二位を争う。犯人を完全に隠蔽し、犯行が次々と実行されていく。レストランが破壊され、物語は終盤へと繋がっていく。このあたりの演出は程度を逸脱してすごい。

 亡霊はジャックザリッパーの標的を守って、終盤に繋がる。コナン至上最も緊迫したサスペンスシーンと考えられる。列車の上で、ジャックザリッパーと対峙して、乗客が消えた超高速度の列車から生存に結びつける発想は斬新なものだった。

 標的では犯人が明らかになって、犯人に蘭を人質に取られて、コナンの活躍で解決するが、予想できるものだったのが惜しい。終盤では亡霊が上手と考えてもいい。総合点にすると、中盤で決まる。亡霊は終盤に持っていくまでの引き伸ばしにもたついた感があるが、標的はスムーズに繋がっている。だが、亡霊は最後に魅せているので、優劣をつけるのはかなり難しい。

 学んだのはシリアスなサスペンスと興味を引く殺人劇などだ。本格ミステリではなく、変格ミステリで構成されていて、トリック重視よりはサスペンスとしての生存の手段に強いものがある。このあたりを学ぶことが出来た。

 今後は『サスペンスシーン』を長めにして、終盤まで緊迫が解けない殺人の方法、犯人からの脅威などを強調してほしい。謎解きというより、サスペンスを主体の方向を継続してほしい。恒例の行事も継続してほしい。


 5、CLANNAD アフター


 深夜アニメといえば、『九割が退屈』『退屈な恋愛や会話を長々とやる』という発想しかなかった。たまにあたりがあって、見逃せないが、それを見つけるために、大量の退屈を強いられるのが嫌で、ゴールデンの領域に届く作品はないとして見るのをやめていた。最近、チェックすると圧倒的作品が見つかった。退屈で有名な『恋愛』作品としては退屈がなく、無駄な要素も最小限だった。『退屈しない展開』『面白いギャグ』『ダークな感じ』など多くを学ばせてもらい、『君のぞ』以降、恋愛を見直した。

 この作品は完全にゴールデンの標準に届いていた。深夜にやるのがもったいない気がするのだが、さすがに恋愛は小学生には早いという意味なのだろうか。

『サスペンスシーン』はほとんど使わず、日常の内容を追っていくタイプなので、ところどころ退屈は免れないが、会話だけをダラダラとすることがなく、機敏に展開していく。高校を卒業してから、かなりダークな恋愛が展開されて、渚と結婚を決める。渚の父親がギャグの方面でかなりいい仕事をしていて、これほど面白いギャグが恋愛作品にあるとは思わなかった。潮を出産して、亡くなってしまうというありがちな展開なのだが、音楽のせいか、すごく鬱になる。それから、ダラダラと続けず、数年後に持っていくなど、密度を高める工夫がしてあった。潮とろくに顔も合わせなかったとあったから、どれだけ鬱になっているのかと思ったが、割と楽に馴染んでいるので拍子抜けだった。潮の死亡フラグが完全に出ていたので、もうこの時点でかなり鬱になってしまい、潮が死なないようにと願いながら見ていた。物語は進み、父親と和解するシーンはかなり感動した。既視感がかなりあるのだが、文学やドラマだとこの展開はお約束なので、仕方ないだろう。予期していたように、潮が体調を崩す。『君のぞ』に匹敵するかと思うほど、鬱になる展開だ。そのまま進むのだが、これは感動と鬱を同時に感じる圧倒的ダークな終焉になり、完全なバッドエンドかと思うと、ハッピーエンドに繋がってしまった。これをバッドエンドにしていれば恐るべきダークな作品として歴史に残っていたはずだが、何かもったいない気がした。この作品の貢献はかなり大きく『恋愛作品特有のギャグ』『ダークな展開』の二つを学ばせてもらった。

 言ったように、これはバッドエンドならば、相当なものになっていた。ハッピーエンドではないほうが、視聴者を勇気付ける効果があることをいまだに作り手は理解していないのだろうか、それとも、ハッピーエンドでないと需要がないのか。他人の幸せはあまりいいものではない。創作ではバッドエンドが現実のハッピーエンドだと思うんだけどな……。だから、俺の作品はすべて登場人物が死ぬか絶望するかの意図的なバッドエンド。


 6、君が望む永遠


 圧倒的な恋愛作品だった。当時、まだアニメに浸透していなかった俺はこのダークな恋愛がこれほどすごいものだとは思わなかった。当時はアニメになれていなかったというか、恋愛になれていなかったからか、二話終了時で、鬱の影響で軽い貧血を起こしたのはいい経験だった。何でものめりこむと、体に悪いことを思い知った。

 これを見たのは高校生初期で、いたいけな俺は少女マンガですら、過激な恋愛だと思っていた。とはいえ、妹の持っていた漫画は何となく明るい感じだし、『恋愛は明るいもんだな』と思っていたのだが、この作品に出会って、『これが真の恋愛なのか』と悟った。恋愛作品は退屈で面白いものではないと思っていたが、これはそれを根本から覆した。

 序盤はぎこちない関係だなと思いながら見ていると、二話から急速に接近して、もう完全にハッピーエンドだなと思っていたら、終盤に驚愕の急展開が起こった。それまでの前振りが絶妙だ。時間を厳守していれば回避できていたというそういう発想が俺には斬新だった。あまりに急だったので、俺はかなり鳥肌が立って、頭の血が下りてくる感じを本気で感じて、かなり危険だった。だが、初見はそれだけの鬱展開だった。

 それからかなり複雑な関係が展開されていく。嫉妬とか憎悪とかそういうものを各キャラクターが飛ばし合うから、ダークな状態になっていって、サスペンスを見ているのとほぼ同じ緊迫感を覚えた。唯一和むのはファミレスのシーンだけで、後はすべて、憎悪、怒り、沈鬱とキャラクターが堕落していって、主人公はなぜかそれを放置して、何もしないという始末。後日、ネットで知ったのだが、ダメ主人公として一位二位を争っているらしいことだった。これは『森鴎外』の『舞姫』の豊太郎よりダメだなと思っていた。

 結局、最後は好意の矛先を変えながら、ごめんの一言で元カノを振ってしまうという結果になるのだが、三年間眠っていて、おまけに後遺症を残している元カノはかなり不幸なのではないか? その不幸を考えずに、自分を支えてくれたという自分勝手な気持ちで鞍替えしてしまった主人公はダメというよりひどい奴だ。

 かなりダークで恋愛に『エンターテインメント』があることを知って、恋愛を見るようになったのだが、『退屈』だった。結局、この作品が例外的に面白かっただけだったと結論をつけて、恋愛から離れることになった。


 7、ワンピース


 ゴールデンアニメといえば『ドラえもん』『クレヨンしんちゃん』『ワンピース』と相場が決まっていた。『ハイファンタジー』『異能力バトル』の魅力を教わりました。

 とにかく圧倒的に面白かったという印象がある。単巻200万部を超えるらしいから、こればっかりは『流行』ではなく、『面白さ』で『売れた』作品だろうと思った。とにかくグランドライン、悪魔の実など、序盤から圧倒的伏線を出して、冒険させるというスケールの大きさとサスペンス、バトルの両方を兼ねそろえた展開、ルフィの強い心などが魅力的でエンターテインメントのレベルは圧倒的だった。

 仲間を集めるところから始まるが、仲間になるまでに長い道のりがあって、その話がしっかりしている。海賊が次々と登場して、悪魔の実も登場して、バトルの演出、随所にあるサスペンスシーンなど、緊迫感が常にあって、適当な日常などの無駄な展開は一切なく、物語を持ってして、エンターテインメントを示してくる。退屈させないところがこの作品の強いところ。バギー戦は各視点から展開が繰り出されていく。バトル描写もしっかりしていて、だれるところは一切ない。バラバラの実は当時小学生だった俺にとっては驚愕の発想で、それをどう攻略するかで兄と言い合ったことがあったが、兄はズル賢く、ジャンプを読んで、展開を先読みしてしまっていた。

 船の上にレストランという海上レストランの発想はすごい。このように魅力的な素材が揃っているのだが、どうしても後半息切れしてしまう。早く真理を確かめたいという期待と先延ばしの噛み合わせがうまくいかなくなるのだろうか。俺は早く終わってほしい作品だと思っている。それはつまらないからではなく、序盤から伸びている『伏線』の真相を早く知りたいというファンの願望からくるものだ。逆にそういう伏線がない読みきり系のものは終わってほしくない作品になるが、それは『終わっても何かすごい真理が得られる』わけではないとも取れる。こういうストーリーが連続するものは伸ばしすぎないほうがいいと思うのだ。


 とりあえず、七つだが、本当は『ガンバの冒険』とか『とんがり帽子のメモル』とかも書きたかった。それらこそが一番影響の受けた作品なのだが、それらは子供の頃に見たもので、最近は再放送してくれないので、曖昧にしか記憶に残っていない。そういうわけで書いていない。だが、一番影響が強いのはそういった作品なのだ。

 そこで、作品偏差値表を作った。当然だが、この偏差値の基準は『俺から見た作品の優れた度合』であって『他人から見た』ものではないことを承知してほしい。

 それから、俺は映画賞など糞食らえだと思っている。なぜなら、そういう映画で『ユニークなギャグ』や『程度を逸脱した秀逸な発想』や『超ファンタジーともいうべき設定』の作品は総じて映画賞を取っておらず、『老人が納得しそうな作品』や『いかにも真面目に見えそうな作品』が評価されているからだ。これはいわば、子供だましだ。『精神世界』の『圧倒的無限性』に挑む秀逸なものは『評価されていない』

 小説の『芥川賞と直木賞』はかなりすごい賞らしいが、俺は『それらの作品を無理してたくさん読んできた』にも関わらず、『読んだすべてが取るに足らない駄作』だった。この経験から、『俺が定義するそれらの賞の意味』は『駄作作家に与えられる不幸なるレッテル』だ。つまりそういう賞の作家の本は絶対に読まないようにしている。文学を『理系の学問』として捉える俺は『文学部を第二の文学を学ぶ学部』として捉え、第二の文学を『60^{x}に弄ばされる学問』として考えている。第一の文学は『限界』を考えるものである。一緒にしてはならない。


偏差値の基準

65以上 桁外れ

60以上65未満 圧倒的作品

55以上60未満 極めて秀逸

50以上55未満 比較的秀逸

48以上50未満 秀逸

48未満 典型的駄作


1、ドラえもん 66,334324 劇場版とアニメによる総計。評価したのは、無駄のない構成力と程度の高い秘密道具の発想。(発想を繋ぐ能力に長けている。程度が高すぎる)

2、クレヨンしんちゃん 65,219975 劇場版とアニメによる総計。評価したのは、日常を綴った作品にも関わらず、面白い点。また劇場版における『幅広い発想を根本で爆発させる可能性を持つ状態を常に維持している』点など。(エッセンスにある可能性がすごい)

3、未来少年コナン 58,469968 アニメによる総計。評価したのは、標準以上の構成力。根本にあるものはもう少しいじれた。いじりすぎると児童文学として成り立たないので、絶妙という見方もある。

4、君が望む永遠 56,181928 アニメによる総計。評価したのは、恋愛におけるエンターテインメントとしての構成力。恋愛ジャンルでは現時点で圧倒的である。恋愛ジャンルの限界を考える上で重要な位置にある。

5、名探偵コナン 56,144948 劇場版とアニメによる総計。評価したのは、劇場版の構成力と高い発想力。根本の可能性は高いが、それを最大限に活かす段階はまだ未来だろう。

6、舞HIME 54,883863 アニメによる総計。評価したのは、中終盤の構成力。ハイファンタジーとしては標準的。根本にあるものはハイファンタジーより恋愛が強いと思われる。二つの完全融合のためには『素粒子レベルで気質特異性に似た性質を考える必要があるか』

7、クラナド 52,118682 アニメによる総計。評価したのは、構成力。発想は極めて自然でありふれていやすいものだった。発想が上がれば、楽に50台後半を狙えていたかもしれない。エッセンス的にこれが限界か。


 総計のやり方

すべて相対値で、

エッセンス×可能性値=A(最大で18)

構成力×発想力=B(最大で36)

無限性を考慮した乱数=C(0〜∞)

A+18B+C=E Eを偏差値表示(平均を50として)したものが数値。

最近はA+21B+Cのほうがいい気もしてきた。エッセンスも可能性値も総じて、構成力、発想力のうちだという意味から。


 アニメーション以外


 アニメとそれ以外で分けることに疑問を持つものも多いだろう。だが、俺はそれだけ『アニメーション』が好きということだ。俺にとって、アニメは『唯一精神世界を最も一般的な形で映し出すことが出来る』ものだからだ。

 アニメに勝てる媒体は無い。実写ですらアニメを超えられない。なぜなら、実写では『ないものはない』からだ。アニメだけが『ないものをあるに出来る』のだ。

 そこでアニメをメディアの最高次元としている。(ゲームの場合もある)

 正直言うと、アニメは圧倒的労力を要する。恐らくは優秀な原画家を山のように集めないと、とても制作が追いつかない。アニメは『絵』だ。絵を動かすことにある。ということは原画がないと何も出来ない。いくら頭にアニメの想像があっても、意味が無い。

 原画さえあれば、カラーでなくても、動きがなくても、何とかなる。漫画はカラーではないように。

 だから、もし、アニメの制作で、音楽や絵コンテなどのスタッフがいなければ、原画と文章だけでいい。それだけあれば『面白いものなら面白く見ることが出来る』声優がいなくても、オープニングの歌がなくても、原画絵が紙芝居のように送られて、下に文字が出れば、『十分』だ。俺はもし、DVDが6090円で、俺の言ったようなアニメが1050円なら間違いなく後者を買う。

 はっきり言うと、今の日本のアニメは丁寧すぎる。(いいことだが、これではスタッフが死ぬほど労力を費やさないといけない。原画数の多いアニメなら、原画家が死ぬかもしれない)丁寧に創りすぎたから、『それが標準』になり『ちょっとでもムラがあると叩かれてしまう』しかも制作費が超がつくほど必要で、どうしても、高くつく。

 それでは、買い手は死ぬほど苦しくて、youtubeで見るほかないかもしれない。何せ、こっちは月4万円で暮らさないといけないのだ。

 アニメは最高のメディアだが、労力が半端ないのだ。この労力はメディアの質を下げれば下がる。小説など文字だけだ。よほどの想像力をもたないと小説を頭の中でアニメに出来ない。俺はそういう読み方をしているから、簡単だが、普通は難しい。

 よく小説を速読しているものがいるが、あれはもったいない。俺の考えだが、速読はビジネスマンが必要な知識を短期間に得るためのものだと思う。

 小説はフィクションだから、ビジネスとはさほど関わりが深くない。そんなものを速読していてはいけない。文字をアニメか実写にして脳に保存する。それが一番楽しいことだ。小説と脳があれば誰でもアニメーターになれるのだ。しかもすごい速度で。

 つまり、小説とはアニメを作ることの出来るものだから、『楽しい』と俺は思っている。(実写でもいい)俺は小説を読む面白さは? と聞かれて、「表現がどうとか数学の足元にも及ばない言語的レベルのものはどうでもいい。アニメにするところ」と答えるようにしている。俺は小説を読んで、それをアニメにするのが好きなのだ。だから、あんまり心理描写とかがないほうがいい。あると、邪魔になる。展開と会話だけでいい。人物の描写もいらん。それらは自分で考えるものだからだ。全部、俺が考えて、自分だけのアニメを脳に保存する。それが楽しい。だから、俺は『嫌いな小説はない』わけだ。だが、俺は最近贅沢になっていて、他人の小説を用いて、自分の作ったアニメが悪いと自分を責めるようになった。だから駄作が増えだした。だがそれは『他人の小説が駄作』なのではなく『それから生まれた俺のアニメが駄作』なのだ。

 小説が面白くないとき、誰の責任かというと、『読者』の責任なのだ。小説を書くのが面白くて書いている人は、自分の小説が『面白い』。しかしそれを読む読者が面白くないということは作者の持つ『力』に負けたことを意味する。

 俺は小説が面白くないとき、腹を立てる。俺は『作者』に負けたのだから。俺が作ったアニメが面白くないとき、『俺は作者の世界を表現できなかった』と嘆く。

 つまり、小説とは『アニメを作る素材』であって、面白い理由は『アニメが作れるから』なのだ。では漫画は? 漫画はアニメよりは早く読める。俺が前に言った『原画と文字』これが漫画だと思っている。

 声優もオープニングもないが、面白い。原画とライターがいれば新ジャンル『安上がりアニメ』が出来るかもしれない。

 俺に金があったら試してみたい。原画家だけを雇って、俺がライターになって、それで一本あたり『1050円』で『安上がりアニメ』売り出したら、『アニメDVDを越えることが出来るか?』結果的に無理でも、原画と文章だけで楽しいのは本当だと思う。漫画よりちょっと読みやすくて、けど漫画より高いみたいな感じか。

 とはいえ、俺は原画家仲間がほしいのだ。絵を描けるということは『精神世界』を一般的に表現出来るからだ。漫画は噴出しにせりふを入れるけど、下に台詞(字幕みたいに)を書いて、原画を出すだけというのもいい。ナレーションがあればなおいかもしれない。でもそれじゃ紙芝居だ。

 つまりはアニメーションが最大で、それに続くのは『安上がりアニメ』とか『漫画』なわけだ。ゲームはそれらとは全く違う領域で生きているものだ。

アニメがミカエルなら、漫画はガブリエルぐらいで、ゲームはメタトロン的存在だ。ゲームは自由度があるから。でも、ゲームにしても今は相当進歩しているが、俺が面白いと思っているゲームはすべてSFCまでにあるという事実がある。

 意味が分からなくなってきたが、いいたいことは『漫画などはすべてアニメを最高次元としてそれに従うものである』ということで、アニメにより近いほうが、精神世界は表現しやすいということだ。ゲームはそれらとはまた違う次元のもの。

 本当に一番いいのは想像をDVDに焼くことが出来るもの。頭に何かをつけて、想像をDVDに焼き付ける。映像が多少暈けても、『個人でアニメーションが作れるようになればそれに越したことが無い』ということだ。

 そして、ここで結論。俺にとって、『アニメは最高次元』より『アニメ以外に影響があるとすれば、それはゲーム以外に他ならない』よくアニメにして『原作より劣化した』と聞くのだが、俺はそういうものを見比べて、『劣化したなんて作品はひとつもなかった。むしろたいしたことのない原作がアニメで化けている』と感想を持つ奴だ。アニメ以外に影響を受けた物は無い。だって、どんな小説も漫画も結局アニメに置き換えるのが俺だ。

 それでも一応偏差値をつけることは出来る。


 1、ドラえもん 68,882434 漫画による総計。無駄のない展開とスピード感を評価。その発想レベルはアニメでも見たように圧倒的。

 2、Y氏の隣人 66,131731 漫画による総計。思想を表現した漫画の中でもエンターテインメントで圧倒的優位を築いている。人生に多大な影響を与えた。どんな優れた思想も堅苦しく一方的に語られれば、意味は半減。この作品は思想を物語に刻み込んでいるのでそういうことがない。

 3、MAJOR 62,383243 漫画による総計。ギャグが優秀なうえ、主人公が弱小チームを率いて強敵と戦うシナリオが圧倒的。高校卒業後は逆境もギャグも少なくなったのがやや残念に思われる。

 4、ザ・シェフ 62,445524 漫画による総計。料理を題材にした漫画では最高峰。主体となるのは料理を通して人生に影響を与える展開において、色々なことを学ぶことが出来た。

 5、金色のガッシュ 61,099928 漫画による総計。バトル漫画の最高峰。序盤の流れより中盤以降のバトル展開に強いものがある。問題点は特定のキャラクターが強くなりすぎて、力のインフレーション化が起こってしまったこと。アンサートーカー以後、個人の力が圧倒的になりすぎた。

 6、ドラゴン桜 60,965944 漫画による総計。いかにうまく勉強するよりかは受験を背景にさまざまな問題を議論する意味が強かった。学園漫画では最高峰。きれいごとで誤魔化さない言動が魅力のひとつだったが、後半ではその数が減少していたので残念。

 7、こちら亀有公園前派出所 60,782441 漫画による総計。ギャグ漫画の最高峰。エベレストに寿司屋を作ったり、キャラクターの悲鳴で窓ガラスが割れたり、壮大で圧倒的ギャグが魅力。


 1、ファイナルファンタジー 63,229252 5と6が最強のものだった。圧倒的BGMにゲーム性。バランスを考慮すると、4か。8は『デュエル』『連続剣』が強すぎて、9は『竜の紋章』などが強すぎる。5は『みだれうち』6は『アルテマ』

 2、風来のシレン 62,188283 ダンジョンゲームとしてすごいが、人生そのものに影響を与えることになった。絶対99Fは無理だと思っていた掛け軸裏の洞窟が可能だと知ったとき、限界の突破みたいなものを感じた。

 3、真女神転生 62,009439 圧倒的世界観と登場悪魔(ほとんど神話から)唯一の問題はバランスで、『タルカジャ』や『ラスタキャンディ』と武器攻撃ストラディバリやヒノカグヅチが強すぎて、それ以外が全く役に立たなくなる点か。

 4、ドンキーコング 60,663828 こんな面白くて発想のすごいアクションゲームはそうそうない。ダンジョン数が少ないのがネックか。

 5、クロノトリガー 59,742715 圧倒的世界観とBGM。ゲームのバランスも安定していたが、簡単すぎるかもしれない。

 6、悪魔城ドラキュラX 59,552854 アクションロールプレイングとしてのすごさ。申し分ないシステムだ。問題はダンジョンの少なさと『パワーオブミスト』入手以降のバランスか。取らなければいい話ではあるが。やはりダンジョンの少なさか。

 7、ロックマン 59,516682 アクションゲーム一位、二位を争う。SFCとGBのロックマンの圧倒的魅力に対し、それ以降は力がダウンした感じがする。GBとSFCのロックマンシリーズはとてつもないものがあり、60台に達する。

 ふう

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