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一章 俺について
俺は1988年生まれの人間だ。どちらかというと田舎に生まれて、ごく普通の家庭に生まれたにも関わらず、周囲は俺を変人だと見るようになっていた。
「俺と話すと疲れる」は親の言うこと。「話しづらい」は赤の他人の言うこと。理由はだいたい分かる。俺は、他人の顔色を極端なレベルまで伺う奴なのだ。それはもう恐ろしいところまで読んで、言葉を考える。逆に親の前や匿名だとぺらぺらと好き放題しゃべる。何でも言いたい放題言いまくる。人の前では怖くて話せないが、親の前や匿名だとぺらぺら話す。マイクを持つと性格が変わるものと似ている。典型的臆病で、人間の前では話せないが、匿名だと話せるタイプだ。
成績はかなり悪く、大学も誰でも入れるところに入って、ついていけなくなって、やめた。相当レベルが低い人間だった。とはいえ、成績が悪かったのは勉強しなかったからだと思う。真面目に勉強していれば、せめて、もう少しは成績が良かったと思う。俺が勉強しなくなったのは、怖くなったからだ。まるでやらされているような気分になったのだ。「人に縛られたくない」という厨二病だろう。意味もよく分からないものを「勉強しろ」と言われて腹が立った。それを学ぶことで何がどうなるのか、論理的に説明されないと納得出来なかった。それゆ、勉強をやめ、社会的に落ちこぼれた。
さらに人とコミュニケーションをとるのが苦手だった。何かイベントがあると、俺は孤立した。休み時間も独りで過ごし、俺と俺以外で世界が動いているみたいな気がした。ふと、こんなことを思ったりもした。「俺は選ばれた人間なのだ。だから、社会の低俗たちに馴染めないんだ。そうだ、俺は特別だ」典型的厨二病だ。そして、そこから現在に続くことになる。俺は厨二病のレベル5で、最悪の事態になった引きニートというわけだ。もう生きる望みはなかった。自殺未遂は数回にわたる。未遂というのは寸前で恐怖を覚えて引き返したということだ。
引きニートになってから、人と接する機会を失った俺はまず本を読んで、社会と接することにした。三年に渡って、本を読んだ。
それから小説家になろうと思うようになった。だが、俺は言ったとおり無能だ。ハウツー本を熱心に読んで、小説を書いた。全部で23作書いた。23作を書くのにたくさんの時間を費やした。そして、投稿。結果は『一度も第一次選考を通過することはなかった』
つまり、時間をかけてたくさん書いても、論外だったというわけだ。論外ならもう道はない。だが、俺はこの頃、ある人物を知って、小説家として復活することにした。
リア充時代
俺も小学生まではリア充だった。今から思うことだが、リア充になるために必要な能力と言うのは『罪を見てみぬふり出来る力』だと思う。罪を感じることなく、突き進む獰悪な心がないと、リア充になるのは不可能だ。
躁鬱などは『心の綺麗な人がかかる病気』らしいのだが、論理的にどうなのかを検証すると、躁鬱は罪から始まることが非常に多いのだ。躁鬱というのは遠慮や自重などネガティブな要素を連続させることによって、暴れまわる本能を押さえつけ、結果ダメージを受けてしまったためになる。リア充は本能を少しだけ抑えているのに対して、躁鬱予備軍は強く抑えている。抑える理由は罪を感じて、本能を沈めようとするためだ。心の綺麗さを罪を感じる度合いに置き換えると、これをひとつの論理として通せる。
リア充になるには遠慮をしてはいけない。チャンスがあればとびつく。それで、人が振り落とされても、後を追わない。そういう力が必要だ。厨二病の俺は「そうまでしてリア充になりたくない」と思ったのだろう。
俺が小学生のときはリア充だった。人の気持ちなどよくも考えずに、人をからかってみたり、大きな声を上げて走り回ったりした。人の迷惑を顧みなかったのだ。
本当に快適な生活を続けていて、自殺しようなど思ったこともなかった。そう、それがリア充なのだ。人の迷惑を知らないから、リア充なのだ。俺がお金を稼いだらどれだけのお金が損害になるのだろう。どれだけの人が貧困になるのだろう。そう思うと、労働なんてとても出来ない。そんなことしてまでお金はいらない。そんなことをしてまで、生きたくはない。それならニートになって、餓死したほうがマシだ。罪を感じすぎた結果、ニートになってしまうのだ。
リア充崩壊の日
俺のリア充は小学生までだった。人は苦痛を覚えてはじめて、人の気持ちが分かるようになるというが、俺はまさしくそうだった。中学時代に俺はついに罪に気付いた。誰しもが何気なくしていることが、これほど人を苦しめるのか。これほど、人をどん底に突き落とすのか。たったこれだけのことが人を殺すのだ。俺はそれを肌で感じるようになった。厨二病になるのは中学二年生だといわれているが、俺はそのときに罪を感じた。俺は中学二年生のとき、兇悪な悪魔から戦いを挑まれることになる。圧倒的力を持っており、精神的に弱い俺にはとても耐えられるものではなかった。おぞましき悪魔は暗黒の力を持ちて、俺を破壊しようとする。
大げさに言ったが、中学二年生のとき、『にきび』が出来たのだ。だが、誤解してはいけない。ただのにきびではない。にきびというと顔にできものが出来るぐらいのものと考えている人がほとんどだろう。今すぐ、500円玉を用意できる人はぜひ、それを見てほしい。大きいだろう。それと同じ大きさのにきびが存在することを想像できるだろうか? しかもそれが顔中に出来たところを想像出来るだろうか。それが現実に起こったのだからすごい。俺を襲った魔王にきびは500円玉と同じ大きさになって、俺に寄生してきやがった。にきびというのは、菌が繁殖して、炎症を起こすことでなるのだが、皮脂が分泌されて、毛穴を塞ぐために菌が増殖するのだ。だが、皮脂は寝ている間に大量に出るので、寝ている間ににきびは出来る。起きている間、洗顔を続けても意味はないのだ。しかも魔王にきびは強力な魔力で顔だけでなく、頭や首、胸や背中にも出来る。しかも、頭に出来ると、毛はすべて抜け、はげる。500円玉のにきびだ。どうなるかは想像できるだろう。にきびという悪魔はたくさんの菌を召喚して、顔を襲う。そして、いかなる洗顔もクスリも効かず、治っても新しいところに出来続ける。命に関わらないだけマシだが、生き恥をかかせるような破壊力を持っている。しかもけっこう痛い。食事中に破裂することもあり、そうすると、激痛に顔をゆがめることになる。
この破壊力を持つにきびだが、実はにきび自体にヤバイ力はない。本当の悪魔は人間そのものなのだ。にきびと戦うだけで俺は瀕死状態だ。だが、そこに付け込んでくる人間はもっとおっかない。
「エイリアンみたいだな」と言うのは某人間。「お前、もう人間じゃねえ」と言うのは某人間。こういう直接的な奴はまだマシだ。一番辛いのは「そのにきびどうしたの?」とか「顔洗ってるの?」だ。にきびについて無知な人間の発言だ。心配しているのだろうが、指摘されるだけで、当事者は苦痛なのだ。言っておいてやる。「にきびが出来たやつらはない頭使って、知識を得るんだ。対処法も洗顔テクニックも学ぶ! それでも治らないからにきびは凶悪なのだ!」 強いにきびは洗顔など全く効かない。薬も効かない。いかなる攻撃を跳ね除け、顔に頭にダメージを与える。毛が抜けて、人々は笑う。この苦痛分かるか? 分かる人もいるだろう。だが、リア充の多くは分からない。にきびという悪魔は俺の人生で圧倒的強敵として、位置つけられる。
俺は耐えたさ。学校も休まず言ったさ。だが、ストレスはたまりにたまり、にきびは治らず、中三のときに一度発狂、高校で三度発狂し、もう一歩で犯罪者になるところだった。「こんな犯罪を犯す人の気持ちが分からない」どっかの馬鹿な奴がテレビで言ってやがった。そら分からないだろうな。お前らは一度も経験したことがないのだから、発狂した人間は平気で窓ガラス叩き割るのだ。それもこれもにきびにより、殺された俺の理性がアンデッドとなってやったことなのだ。今はフェニックスの尾で回復しているが、また死んだらヤバイ。このにきびは中高大と続き、今もまださってはいない。
さて、にきびは言ったとおり、それ自体に破壊力はない。破壊するのは周囲の人間。もし、周囲の人間が『まるでにきびがないようにその人を見ていたら、にきびがあっても、発狂することはなかった』そう、リア充が少しでも自重すれば問題ないのだ。それが出来ないのが人間だ。俺はこのにきびを通して、『人が傷つくのはどういうことなのか。どうして犯罪を犯す人がいるのかなどを知った』優しさの意味も分かった。本当に優しい人は決して指摘したりしない。にきびを認めている。リア充は「ありえない」というが、優しい人は認めるのだ。
さて、このにきびがあると、何をやるにしても、最悪だ。もう人と会話をするのは苦痛。人と接するのも苦痛。ただ、人より皮脂の分泌が活発なだけで、こうなるのだ。大魔王にきびによって、俺はリア充を失い、荒野の上に投げ出された。
暗黒の高校時代
中学時代でダメージを受けた俺がリア充な高校生活を歩めるはずがない。高校時代は苦しかったが、今までで、一番良かった時代だと今なら思える。この高校のときに、今の俺を作ることになった。友人など一人もいない。そんな孤独から大きなものを見つけ出した時代だ。深く何も見えない闇からかけらを見つけ出した。俺が将来神になるためのひとつのピースだったに違いない。俺はたった一人ですべての生徒と違う方向に進んで、やっと見つけ出したのだ。高校時代、俺はアインシュタインのことを知った。相対性理論すら知らなかった俺がどういうことなのか、易しく解説した本があって、その本を読んで感動した。みなが俺を笑い、そしてリア充を満喫している中、俺は一人色々なことを考えた。俺から周囲のわめく人間がブタのように見えた。ブーブーとわめいている。俺はあざ笑ってやったさ。カモみたいに歩いて、ブタのように声を出す。俺は相対性理論を通して、アインシュタインのことを知った。年表を見ていると、周りのブタのような人間とは根本から違うことに気付いた。何というか、天才のオーラが出ている。俺はブタのような周囲の生徒と天才たちを見比べて、「違うんだな。同じ人間でもこんなに違うんだ」と思った。それからだ。それから、なぜか、独りでいることに苦痛を感じなくなった。不便ではあった。苦痛を覚えるときもあった。だが、何と言えばいいのか、俺自身が別の世界に達したような気分になっていた。
周囲の人間がいきなり低俗な人間に見え出したのだ。俺はそれから、天才たちの本を読むようになった。周りの生徒が本当にブタのレベルに見える。
「これかぁ……これだ!」俺は高校時代、見つけ出したのだ。だが、それも破壊されることになる。
崩壊の後に立ち直った俺
俺は確かに独りでいることに苦痛を覚えなくなっていた。だが、苦痛をもたらすものはある。恋心というものだ。どれだけ周囲をブタとして見ても、たくさん人のいる高校にいれば、好意を寄せてしまう生徒がいる。いないというのなら、それはそれで異常かもしれない。つまり、誰だって好意を寄せてしまう異性がいるのだ。俺も例外はなかった。だが、俺の場合、普通の男子のように可愛い女子なら誰でもいいというようなことがなかった。つまり、かなり一途に恋心を抱いていた。ある少女を好きになっていたのだ。だが、俺は魔王にきびとの戦いの途中で、多大な被害を被っている。「エイリアン」とまで言われたほどだ、読者が想像するよりひどい顔だ。たぶん想像することが出来ない状態だ。知っているだろうか? にきびになると、にきびの部分だけでなく、顔全体が腫れる。目の上ににきびが出来ると、目も腫れる。頭ににきびが出来ると、毛は抜ける。顎のところににきびが出来ると、口元がいがむ。まるでコンボだ。魔王にきびは顔を醜くするために工夫を凝らす。その発想が大物漫画家顔負けの発想なのだ。どんな天才でもこれより醜い顔を想像するのは無理だ。
それほどのものだった。女も男も例外なく、まずは顔がすべてだ。まず、足きりを突破するだけの顔を持っていないと、近づくことも出来ない。俺の足きりはさほど高くない。俺が好意を寄せた少女は客観的に見えると、圧倒的に可愛いわけではない。確かに可愛いことは可愛いが、同じレベルなら日本に30万人ぐらいはいるのではないだろうか。たぶん、すごく可愛いよりひとつランクが下のやや可愛いだと思う。
ともかく、俺はその子に好意を寄せていた。女の場合も男を見るときはまず顔だ。顔のレベルがやや高くないと、論外なのだろう。顔なんてどうでもいいと思っている女がいればお目にかかりたい。
俺は告白こそしなかったが、結論から言うと、俺のことは論外だった。俺はにきびと戦っているし、もとの顔も悪いからそんなことは分かっていたのだが、それが確定すると、想像以上に落ち込む。これほど落ち込むことはない。
俺はだいぶ落ち込んだのだ。ある日、飛んできた蚊が俺の腕に止まった。「蚊が血を吸うのは雌だ。異性が俺の腕に止まってくれたのが嬉しくて、俺は満足がいくまで血を飲ませてやった」普通の人間なら、ぴしゃりと潰してしまうところだ。
つまり、俺は普通でなくなっていたのだ。恋心は本能的だから、かなり効く。そしてにきびとの交戦もあって、俺はかなり苦しんだ。
なお、これは再生した。数日で再生して、俺はまた孤独に戻った。そのとき、俺もアインシュタインを見習って、物理学を学ぼうと思った。当時、文系だった俺だが、アインシュタインしか見えていなかったので、独学で勉強することにした。これまで勉強をまともにやってこなかった俺は、いきなり登場した加速度でさっぱり分からなくなった。速さと距離と時間の「はじき」しか知らなかった俺は『?』などさっぱり分からず、『何だよ、この三角形みたいな奴は』となり、全くついていけなかった。苦労して、マスターすると、今度は熱力学だ。さっぱり分からず、問題集もさっぱりだった。
それでも、俺はアインシュタインみたいな大発見をしようと思っていたので、頑張った。しかし、光波の干渉のところで、さっぱり分からなくなった。「お前は何を言っているんだ」と参考書に問いかけても、答えは返ってこない。俺は「東大か京大に行くぞ」と進路希望に書いたのだが、「どっちも無理だ。お前の成績では」と言われた。ネットの掲示板で「アインシュタインになりたいから東大に行きたい」と言うと、親切な人が「東大は科目数が多いから時間がかかる。学者志望なら理1類を後期で受けたほうがいい」と言われた。さっそく調べると、何と「センターは3科目で、本試験は数学と英語の二科目(選択で数学を取った場合)だけ」なのだ。おおすげえ。しかし、後期試験の過去問を見てびびった。
「何じゃこりゃー!」となった。人知を超えた問題が並んでいるのだ。赤本は、
「標準的な問題である」と言っているのだが、「これで標準かよ! 難しい問題はどんだけ難しいんだよ」と突っ込みたくなった。実際、話を聞くと、「東大後期の数学は教授が頑張りすぎているから、良問だが、めちゃくちゃ難しい。物理取れ、物理」と言うことだった。だから物理にした。しかし、だんだん時間がなくなってくるし、英語の勉強が果てしなく苦痛だった。数学と物理は「将来のためだから」で何とかなるのだが、英語は「受験のためだけ」だったので、苦痛だった。時間もない。
そして、「浪人しよう」と思うと、お知らせがあって、「後期一本化」と言うので、「ざけんなくそー!」となった。アインシュタインが遠くなったので、俺は絶望して、とうとう発狂した。何回発狂してるんだよ俺は。
それで、何とか進路を決めないといけない時期になって、受かる大学にいって、そしてやめた。辞めた理由は破局が原因だけど、これを公言したくない。相手が猫だったからだ。
引きニート時代
引きニート時代はいったとおり、自殺未遂をし、書いた小説が選考外だったりと、どん底のままを歩いていた。この頃は社会復帰しないといけないという思いがあったから、躍起になっていたが、どん底に落ちて、どうしようもなくなった。
俺は才能もないし、特殊能力もない。そんな奴が生きていても仕方がないと思ったが、ここである人物と出会う。ヴィンセントヴァンゴッホだ。彼の生い立ちは『たくさんの絵を描いたが、一枚しか売れなくて、精神病院に入り、弟に食べさせてもらっていた』という感じだったと思う。すごいのは、こんな状態で絵を描き続けていたこと。
「そうか……これだ。自分で切り開くしかないんだ」
俺は自分の生き方を確立させるほかないと思った。俺は作ることが好きだった。小説やゲームを創ることが好きだった。だから、創り続けようと思った。とにかく書き続けよう。計画も何もない。魂に導かれるように創ること。創り続けること。自分のやり方でやればいいのだ。自分のペースで自分のやり方で日本で一番たくさんの小説を書く。834冊。これだけを書く。書くと言ったからには、書くまであきらめない。手が動く限り、文字を書き続ける。頭が動く限り、ネタも考え続ける。
そうして、俺は再発した。日本で一番の小説家を目指すことだけを考えて進み始めた。
決意の後の俺の生活
俺の生活は宮崎駿みたいに一日中仕事をしているわけではなかった。まず、俺は午後十二時、つまりお昼に起きる。だが、これは午前三時に寝るためだ。
それでも9時間寝ている。俺は寝ることが好きだった。夢を見るのが好きだったのだ。だから、寝る時間を削りたくなかった。
午後十二時におきて、朝を食べず、さっそく昼飯に入る。最近は親が作ってくれる。親が作ったものを食べて、午後1時半まで眠気を覚ます。気だるさがなくなった頃にパソコンに向かう。小説を九十分間書いて、一服して、また九十分書く。そして夕食。その後、一服。九十分書いて、一服また九十分、入浴後、寛いで、九十分。後はゲームをしたりアニメを見たりする。書いている時間は実質では六時間ほどだ。だいたい、原稿用紙40枚を書く。40枚も書くと、10日で一冊出来る。一月で3冊。一年では36冊。二十年で720冊だから、このペースなら簡単に日本一だ。だが、いつも40枚書けるわけではない。いつもネタがあるわけではない。ネタがないと、部屋を歩き回って、見つけ出す。書くことが出来ない。苦痛になると、ゲームをする。それでも、25枚は書こうと思っている。一番きついのは、ネタがないときに無理に書くときだ。選択肢を作ったりして、工夫を凝らしても、実際はネタが増えるわけではない。
ネタがないときは面白いアニメを見て、「面白いものを自分にも取り入れてみよう」と考えたりする。
そうして、毎日最低でも原稿用紙25枚、出来るなら40枚書きたいと思う。書くだけなら出来るけど、ネタを見つけるために時間が必要になってしまう。
今、まだ走り出したばかりだが、必ず、日本一のゴールに到達してみせるので、ぜひ、応援してほしい。
個人の色々
俺はひきニートになってから、色々な本を読んで影響を受けてきた。俺は甲田光雄先生の少食断食療法は俺に影響を与えた。甲田先生の著書が『俺の敵である魔王にきびを倒すための武器となった』
断食と言っても、ただ食わないだけではない。タイミングなどをうまく考えないといけないのだ。少食も緻密な栄養学に基づいている。自己流で少食をしても意味がない。この本によって、俺はにきびとの戦い方を知った。
だが、最近は親に食事の準備を任しているので、おろそかになっている。20代のうちにもう一度実践したいと思っている。少食断食をやめてから、またにきびがぶり返してきた。特に背中のにきびが深刻になった。
少食にすると、まず、俺の場合、体のだるさがなくなった。皮脂の分泌量も明らかに減少していた。また、腰や背中が疲れにくくなった。とはいえ、一番の目的は生活習慣病にならないようにするためだ。
なお、にきびを倒すためのもうひとつの力になったのが、洗顔剤の最高傑作と俺自身が称しているプロアクティブだ。これまで全く歯が立たなかった500円玉にきびがすべて消滅。さらに再発せず、肌の張りが一段とよくなった。驚くほどの効果だった。
そう、この二刀流で、俺はついに魔王にきびを倒すことに成功したのだ。これ、にきび攻略本にすべき威力があった。
とはいえ、俺を苦しめたにきびはかなりの跡を残した。圧倒的ダメージを物語る跡は何かの記念になる。もし、跡を消すクスリが出来たとしても、俺はそのクスリは使用しないだろう。それでもし、女にもてるとしても、絶対に使わない。俺を苦しめたにきびだけど、何だかんだで何年も付き合ってきた奴だ。こんな俺だけど、長年付き合ってくれたいい友達だ。今はこのにきびに感謝しているんだ。本当に。たまに感動してしまう。にきびを倒してしまって、心のどこかでまた会いたがっているのかもしれない。にきびは生涯で一番の友達だった。ずいぶん、俺を苦しめたが、俺に大切なことを教えてくれた。こんな大切なことを教えてくれる友達はもう一生のうちに一人もいないだろう。もしかすれば、俺に苦痛を与えたのも善意からだったのかもしれない。
俺は小説を読むことが実は好きではない。俺が好きなのは小説ではなくアニメなのだ。だから、アニメの脚本を書きたいというのが最初だった。そもそも、俺の書いている小説はアニメの脚本そのままだ。それぐらい、アニメが好きだから、たくさんのアニメで感動しているし、影響を受けている。
俺の書く小説はアニメの影響が圧倒的に強い。その次が漫画、その次がゲームだ。つまり小説を書いているくせに、小説の影響はあまりないのだ。とはいえ全くないわけではない。文章などはかなり影響を受けた。一番好きな小説と言われれば、児童文学か森村誠一のミステリだ。それ以外は正直微妙としか言いようがない。児童文学だと、解決ゾロリや民話を小説にしたもの、絵本も一応小説とすれば、絵本、バッテリーシリーズなど。ショートセンテンスで、読みやすく、キレがあって、一気に読み進められる。これが上手な文章なんだなあと思った。文豪とかすごいと言われている人は評価はいいけど、文章は下手(小学生より下手かも)で面白くない。でも森鴎外だけは別。この人はとてもうまい。他は全然参考にならなかった。森村誠一はミステリ作家では一番だ。文章は読みやすくて面白い。証明シリーズとか死シリーズなど、どれも面白いものばかりだった。それ以外のミステリは面白くなかった。第○○回江戸川乱歩賞受賞ですごいのかと思ったら、文章は下手で面白くないし、内容も面白くなかった。同じジャンルでも書き手の技量でずいぶん差が出ることに驚いた。
勉強に関しては真面目にしてこなかったので、からっきしダメだ。あえて挙げるなら数学ぐらい。数学なら、何とか高校レベルはついていける。それ以外は全然出来ない。でも、勉強と小説ってあんまり関係ない気がする。すごいと言われる小説家が高学歴なのは、ただ単に選考のときに高学歴のほうを取っているだけだと思う。○○大学卒業とか言っても、小説が面白いかというと、面白いことはなく、しかも文章は児童文学作家などに比べて下手だ。勉強はあんまり役に立たないね。工学者ですら、微積分を使うのは稀なんだね、今は。
スポーツに関してはするのは好きだが、やはり集団でやるものは嫌い。個人種目の格闘技とか陸上とかスケートとかそういうものがいい。野球もどちらかと言うと、個人プレーだから、好き。ただそれは見るほう。やるなら、ウェイトリフティングやボクシングのように限界に挑戦するもののほうがいい。ただ、最近のボクシングは技量が上がりすぎて、本来の面白さは損なわれている。(かつてのヘビーウェイトのような殴り合いがない)ドランカーも減っている分、人気も減っている感じか。
小説やゲーム以外の好きな芸術はない。絵は苦手だし、描くことが好きなわけでもない。やはり文字を書くのが好きだ。色々なものを書きたいと思う。
俺と思想
引きニートになって、おかしな思想が身につくことになった。とにかくおかしな思想が身についてしまったのだ。まず、俺の思想のひとつ。『人間は幸せになるべからず』
幸せを求めたり、幸せだったりすると、すでに人間として恥ずかしい。リア充が許されるのは小学生まで。幸せな人間がいるから『争いや犯罪』が生まれる。幸せというのは多くのものが思っているほどいいものではない。よく手紙などに『ご幸福お祈りしています』とか書いてあるが、あれらはふざけている。人間は幸せになってはいけない。もし、幸せを感じたなら、すぐに不幸になることだ。
給料を平均所得以上得れば、『平均所得になるようにお金を必要としている人たちに上げる』。(子供の数が多い場合は上乗せしてもいい)貪欲なブタは金を溜め込む。腐って変なにおいがしているのに銀行に溜め込む。金はばら蒔いて、みんなで使わないといけない。醜い欲に支配された人間は何億というお金を貯金するらしい。そのせいで、『経済格差』が広がり、争いや犯罪が多くなる。みなが平等なら犯罪も争いもグッと少なくなる。みんなが金持ちは恥だと思うようにすれば、世間体を考えて、お金をばらまくようになるかもしれない。そうすれば、贅沢の病、糖尿病なども減る。単に金持ちを減らすだけで、みんなが普通になれるのだ。一部の幸せな人間が不幸になれば、たくさんの命が助かる。あなたの贅沢が犯罪を増やし、貧困に倒れる人を増やすのだ。人はニートを恥ずかしいと言いながら金持ちを全然恥ずかしいと叩かない。もっと、マスコミが『金持ちは殺人事件を増やす兇悪な犯罪者』だと煽らないといけない。そうしないと、苦しむ人が増えるのだ。争いのない、過労死のない平和で住みよい日本を作るためには、たくさんお金をもうけた人や幸せな人が思いやりを持って、いかないといけない。幸せを求めず、不幸を減らすこと。それが必要。今日、自己破産で自殺した人、いじめで死んでしまった人、みんなの責任だ。みんなが幸せを求めず、思いやりを持っていればこんなことは食い止められる。人が思いやりをもてないのは幸せを求めるからだ。幸せでないことが普通だと思えば、欲も静まり、病気も犯罪も減る。
それなのに、『幸せ』をいいものと考え、道徳にまで、幸せを導入している。教育委員会が『幸せ』を求めない教育を推進していかないといけないと思う。
幸せ、普通、不幸と三つの段階があれば、普通になるようにしないといけない。幸せなんて甘ったれた考えを子供に教えるな。『幸せになったらたくさんの人が傷つく。そんな社会は決していいものじゃない』ことを子供に教える。幸せを求めるのではなく、みんなが不幸でないことを求めるのだ。そのためにはみんなが欲を封印し、思いやりを持つことが大切だ。
次の思想が『日本人口の理想は130000人』というもの。今現在は、一億だから、桁違いに多い。130000人にしないといけない。国際化が進んでいるので、200000人ぐらいのほうがいいかもしれない。いずれにしても、人数が多すぎる。これでは、社会が結束できない。この狭い国で結束するためには人数が多すぎる。これだけ人が多いと、関わる人間が多すぎる。それではいい関係が築けないし、住居も車もたくさん要りすぎて、環境破壊を招く。少子化は『いい傾向』なのだ。人が減って、人間の醜い発展が止まり、人々の絆が強くなる。人が少ないと、個人の責任が大きくなるが、集団の個体数が少なくなって、結束力が強くなる。試せば分かるが、100人で会話をしても成り立たないが、三人だと成り立つ。100人だと、除外されるものが出てくるし、みなの意見を聞くのが大変なのだ。自給自足も出来るようになるし、たくさんのビルや建物を取り壊すことも出来る。住居が増えて、東京など人がゴミのようだ。それを食い止めることが必要だ。ゴミが増え、海は汚れ、山はあれ、いずれ、神が天罰を下す。その前に、愚かな人間共、自重するのだ。俺たちはもっと少なくなろう。そして、綺麗な自然をとどめ、仲良く暮らそう。必要なものだけを作って、行き過ぎた発展はやめよう。日本は全然平和なんかじゃない。物理的戦争はないが、精神的戦争は続いている。しかも、凶悪になる犯罪、振り込め詐欺などだ。どこまで行くのだ、人間は。いい加減にしろと言いたい。醜いことばかりしやがって。生産性のないニートのほうがよっぽどいい。生産がないということは自重することと同じ。環境を守り、人々の平和を誰よりも願っている。人々の醜い発展で、苦しむ人のために自ら貧困を望む。取り付かれたようにビジネスに精を出し、不幸な人を顧みない連中のために、頑張っているのだ。過労死なんてするな。命をもっと大事にしろ。子供に過酷な労働の尊さを教えるな。その労働が齎すのは環境の破壊と醜い発展でしかない。
ニートを馬鹿にしてはいけない。彼らが自重しなかったら、誰がこの生産を止めるんだ。経済格差が広がり、障害者が苦しむ。もうおしまいにしよう。ニートは労働をせず、日本人や、もっと落ち着いて、気楽にやろうやと言っているのだ。お前らのせいで死んだ動物もいるんだ。熊が人を襲うのも分かる。酸性雨が降れば、この世はおしまいだぞ。早くニートを増やして、生産を止めて、人口を減らすんだ。
次の思想は『論理的でないものをおろそかなままにするな』この世は論理的でないといけない。論理的でないものが残っていれば駆逐しなければならない。
結婚して、子供が生まれれば『離婚するな!』離婚してはいけないという法律を作れ。お前ら、子供は親がいないと生きていけない。離婚だと? 親の身勝手で結婚し、不幸になったから離婚? ふざけるな! お前ら、自業自得だと思って、あきらめろ。てか、子供のために仲直りしろ。せめて、演技でも仲良くしろ。てめえら、別れて、金に困って、高校も出られなかった子供はどうなると思う? 世間は『中卒』と馬鹿にし、安月給で圧倒的ハンディを負うんだ。死ぬなら仕方ない。だが、離婚だと? しかも離婚したババア共が集まって、政府に何かを訴えているらしい。馬鹿か! 結婚したならどんな困難にも耐えろ。どちらもだ! 耐えろ、耐え抜け。忍耐力で子供を育て上げろ。
論理的に言って、子供は労働が認められていないのだから、一人では生きて行けない。しつけ役と労働役がいるのだ。馬鹿か、お前らは! 最初から結婚するな! だいたい、結婚するときに覚悟をしなかったのか? お前らにとって、子供はその程度なのか。マスコミももっと煽ればいい。『このハンディを覆すのは容易ではないのだ。今の学校教育は親がいることを前提にしている。親が運動会に参加し、親が説明会に出かける。子供と親は切り離せないのだ』次、『児童ポルノ法』。これはもはや、『頭が悪い』としか言いようがない。お前ら、煙草や酒や車は規制しないのに『精神世界の産物は規制するのか』
明らかな車のデータとして『交通事故の危険性』があるのに、車は規制せず、『危険性がほとんどない』精神世界の産物は規制。論理としておかしくないというなら異常だ。車は便利? 人間社会の発展のために何千人の被害者を置き去りにするのか? 命より発展を取った瞬間なのだ。これで、日本が平和だというのか。見せ掛けの平和主義、適当なままの法律で不安を感じ続ける国民たち。政治家というと、長い時間、さまざまな学問を勉強して、国を動かす力を手に入れてきたものたちなのだろう。それが、論理的でないものをそのままにするというのか。
はっきり言って、精神世界の産物が性犯罪に影響はない。精神世界と言うのは、どういうものか教えてやる。たくさんの人々の前で、奇声を上げ続ける自分を想像してみろ。それで圧倒的羞恥を覚えたか? 今度は実際にやってみろ。どうだ? どっちが羞恥を覚えた? 後者に決まってる。これをAとする。問題はBだ。実はBはAの組み合わせでなりたっている。Bというのは、Aの場合と違い……例を出したほうが分かりやすい。例えば、ミステリ小説を読んで、影響されて、『実際トリックを使って殺人事件をしてみよう』思う人はまずいない。理由は簡単。人間を殺してはいけないことを知っているから。それに人を殺すためには憎悪と劣等感が必要だ。
これがBだ。このようにフィクションの影響は現実にある『憎悪や劣等感』などの影響に比べて圧倒的に低いのだ。
AとBの関連性はこうだ。Aはその行為をすることは恥ずかしいと思っている。だから、そのような行為は出来ない。Bはその行為をやってみたいと思っている。だが、そのような行為をしてはいけないことを知っているから出来ない。
では、ポルノ法を改正すれば、性犯罪は減るのか? 『X指定の作品において、性行為をするのが大人だけになれば、性犯罪は減るのか?』と同義だ。ほんの少しでも論理的思考力があれば分かるよな。性犯罪の理由なんて『性欲を抑え留められない、憎悪やコンプレックス、女性に対する憎悪や怒り』などだ。『精神世界の産物を持っていたことが性犯罪の起因になったのではなく、性犯罪をするような人はそもそも性行為と無縁であるから、そのような産物を持ち合わせていた。だが、現実問題として、女性に対する憎悪や怒りがあるから、性犯罪に走った』どう考えても、改正は逆効果である。政治家が俺より論理的思考力に欠けるなら危険だ。俺は何も勉強をしていないのだ。経済も政治も何も知らない。だが、おかしいこととおかしくないことぐらいは容易に理解出来る。君らのこの改正は中学生が見てもおかしい。論理的におかしいものをおろそかなままにするな。
それから、どっかの馬鹿が『被害者のためにも以下略』と言っていたが、なら、何で交通事故の被害者のためにも以下略は言わないんだ? 俺の推測だが、『車は自分が使っているから規制されると困る。精神世界の産物はブタに真珠だから規制されても困らない』その程度ではないだろうな。それだったら、早く首にしろ。そういえば『戦争映画』は『被害者のためにも以下略』は言わないのか? 病気を扱った作品も『難病患者のために以下略』それから、俺らのようなニートは資本主義社会の被害者だ。『ニートのためにも以下略』は言ってくれないのかね。いじめが出てきたら『いじめられた生徒のためにも以下略』ラブコメで人が蹴られたら、『傷害の被害者のためにも以下略』
次の思想は『いつまで国語という科目を残すのか』
いつになったら、『論文』にするのか。まさか永久にしないのか。いつまでも『下手糞な文章を読ませる前に、論理的な文章を書く力を伸ばそうぜ』。だいたい、評論というものを俺もいくつか読んだよ。誰が得する? あれは娯楽だろ? 娯楽を教育に持ち込むな。せめて、もっとまともなものを読ませろ。だいたい、社会を見つめて、それから論文を書かせるのが先だろ。東大の試験に『著者の主張について、あなたはどう考えるか。賛成または反対の立場から、具体的な理由を挙げて論述せよ』っていう問題が出ている。しかもそれが性格に対するもので、ツッコミどころが満載な、言っては悪いが、下手な文章で書いてあるのだ。(下手とは分かりにくいという意味)そもそもこれは娯楽の書物だし。そうじゃなくてだな、もっと社会で問題視されているものの解決策を導く議論をしろよ。例えば、具体的に何をすれば、景気がよくなると考えられるか? それを実行することで、考えられる社会への悪影響等を議論しろよ。何でここで、性格か。性格が相対的なことは賛成だが、何でこうわざわざ煙に巻いた言い回しをするのか。わざと分かりにくくしているのか。数学で言う『数学パズル』のつもりなのか。そもそも、数学パズル自体娯楽であるのに、受験に出してみたり。そんなことしてると、ノーベル賞なんかろくに取れないだろ。しかも実社会で必要な能力からかけ離れすぎているだろ。数学パズルは数学者が暇つぶしで考えたりして、それを本にして娯楽として売ればいい。何で受験に出す! 入るに難しく出るに安しの大学でいいのか。もっと娯楽から離れて、本格的に勉強しようぜ。国語なんて、何て文章を載せてんだ。論理的思考力も糞もない。しかも、小説を学問にするか、普通。頭のよさとかけ離れすぎているだろ。おかげで、論理的思考力のなさ過ぎる国民が増えすぎだ。砂糖を食べ過ぎると糖尿病になる。何で? 運動不足が病気のもと。何で? 水を飲まないと死ぬ。何で? そういう当たり前の論理を教えるのが先だろ。娯楽本読ませてる場合じゃないぞ。日本! 教育関係者は一体何を考えて『国語』を続けているのですか?
古文なんて、お前、あれ、娯楽だろ? 日本文学の研究者以外が何の役に立つんだ? 誰か論理的に説明してくれ。俺を納得させてくれ。
他にも色々あるが、言い出すときりがないのでやめておこう。こんなわけのわからない思想のおかげで、俺は変人とされるようになった。俺自身、おかしいことはわかっているが、ニートになって、コンプレックスを持つと、現実を否定したくなる。それは止めることの出来ないものだ。
二章 恋愛について
人間最大の楽しみというか、ドキドキすることといえば、恋愛だ。高校などでは異性との交遊は禁止されていたりするらしい。恋愛を否定するなど、馬鹿としか言いようがない。恋愛を否定して、それを止めることが出来ると思うのか? そういうことを言う奴らも子どもを作っているんだ。歳を取って、性欲がなくなった頃に『勉学に支障が出るので、男女交際は禁止です』勉学よりずっと重要なことだ。恋愛というのは。
恋愛は性欲が正常な限り、間違いなく、いかなるものより優先して考えたいことだ。男など、暇があれば、しょっちゅう、女のことばかり考えている。人の前で隠蔽していても、心では女のことしか考えていない。女はどうか知らないが、男の場合、女を忘れて物事に集中するために、自慰行為をする。何かに頑張っている人ほど、自慰行為の回数は増える。それだけ女を忘れて集中しないといけないからだ。それぐらい、異性を意識する本能が強いのだ。だが、逆に格闘家は試合を近づくと性行為をしないらしい。ともあれ、性欲があるとどんなことも集中できない。たとえ、受験前日でも、性欲には勝てない。勉強のやる気を出すためには自慰行為が必要だ。男なら俺も含めて、正常な性欲を持っていれば、自慰行為は絶対にしている。賢者タイムは誰もが過ごす時間なのだ。でも、誰しもがそんなことしたくないのだ。したくないがしなければならない。もてる奴は性欲の恩恵を受けているが、もてない男は性欲を封印したいと考える。俺も出来れば封印したい。あると弊害なのだ。集中できないし、栄養が不足するし、時間の無駄だし。そういうわけで、恋愛を楽しむために必要な性欲は恋愛に無縁な男は弊害で仕方ない。
自慰行為は楽しいからやっている奴なんてそうそういない。やった後など、虚しくて仕方ないし、やっている間だって、手が疲れるし、夏は暑いし(冬は問題ない)紙がもったいないし、直後、無理にトイレに行かないといけないし。現代では、恋愛のためにある性欲で苦しんでいる男のほうが多い。自分の手で慰めるなんて、誰がいいものか。これが女の子の手だったらなどと、妄想が加速するだけ出し、いいことなんて何もない。恋愛に無縁だと分かれば、性欲を感じないようなクスリを飲みたくなる。
このように性欲と密接なのが、恋愛なわけだ。恋愛と言うのは互いが好きになって成り立つものだから、片方の好意があまりに強くても、意味がない。しかも虚しい。性欲のせいで、苦痛を受けるのは自慰行為のときに限らない。どんな強い男もたった一人の女に弄ばされるのだ。好きな女に金を巻き上げられることもある。最近の恋愛はたくみになって、相手を利用するとか、政略結婚(けっこう歴史はあるな)とか、そんなことになっているから、かなり神経を遣うのだ。それもこれも、恋愛に無縁な奴らには関係のないことだが。
だが、性欲を使って、楽しむことも出来る。もてない男が恋愛を楽しむためにはゲームをするか、後は妄想だ。そう、恋愛小説、ゲームなどは『経験がないほうが、妄想豊富な作品になりやすく、いい作品になる場合もある』のだ。よく、童貞は官能小説をかけないというが、そんなことはない。妄想という武器がある。妄想では、恋愛の実体験より、いい思いが出来ることもある。そこで、俺の妄想をたくさん聞かせたいのだが、俺は恋愛経験がないこともない。でも、相手が猫だから、どうなのだろう。俺は人間と同じぐらい猫に興奮を覚えるちょっとおかしな奴なのだ。小柄な白猫が可愛い少女より好きな場合もある。太った猫は嫌いだ。小さくて、毛がふさふさした猫がいいのだ。本気で恋愛対象に見ることも出来る。犬は無理だな。犬には性的興奮は覚えない。猫だけだ。
俺が大学生時代は本気で猫を好きになっていた。これはまたどこかで、ゆとりがあったら書こうと思う。ここでは書かない。ちなみに、破局しているし、しかも思い出すと涙が出るほどに悲しいので、やめる。
それ以外に恋愛をしたことは一度もない。片想いが精一杯だ。だから、妄想をイッパイしている。俺は毎日妄想している。自分を題材にしたファンタジーや冒険が主要だが、恋愛もいっぱい妄想している。で、それを書こうと思うのだが、あくまで妄想だから、変な勘違いはしないでくれ。
俺の理想とする女の子は家庭的で背が低めの女の子なのだ。かと言って、ロリコンというわけでもない。ただ、小さめ、つまり小柄な少女に好意を覚えるだけだ。そういう少女なら性格は問わないといっても、家庭的な女の子というのは気配りが出来るという意味だ。遊び人みたいな女はごめんだ。そんな女はいらん。働く女性もいらん。そんなものは論外だ。それで、そういう女の子と恋愛が出来ると実にいいと思うのだ。
シチュエーションとしては、例えば、その子が自分の姉だったとしよう。断じて言っておくが全部シミュレーションだ。こんなものと現実を一緒にしないでくれ。
で、その姉が大学生ぐらいで、俺が高校生ぐらいだったとして、俺の身長が173センチぐらいとすれば、姉は148〜150センチぐらいが理想で、俺の体重が56キロぐらいとすれば、姉は35キロぐらいで、姉だから、少しぐらいは目がツンツンしている感じで。そんでもって、二人暮らしだったりして。家事は全部やってくれたりして、ちょっと気まずい雰囲気になったりして、例えば、食事中に会話がなくなるわけだ。すると、必然的にテレビをつけるわけだ。俺は無言で食事を続けるわけだ。テレビの声が聞こえるわけだ。顔を上げると、姉と目が合うわけだ。俺は目を逸らすわけだ。テレビの音は聞こえ続けるわけだ。姉が「学校、最近どう?」と訊くわけだ。「うん、まあまあだよ」と答えるわけだ。姉は「元気ないみたいだけど」と言うわけだ。来たコレ! と思うわけだ。俺は俯くわけだ。「告白して振られた」とか言うわけだ。姉が黙るわけだ。「誰?」と訊くわけだ。「テニス部の子」とか言うわけだ。姉が表情を変えるわけだ。「可愛い子?」と訊いてくるわけだ。俺は黙り込んで、軽く頷くわけだ。会話が終わるわけだ。食事を終えて、俺は無言で去るわけだ。部屋に入るわけだ。姉は食器洗いを始めるわけだ。お皿を割るわけだ。俺は来たコレ! と思うわけだ。すぐに駆けつけるわけだ。「大丈夫?」とか訊くわけだ。姉が指を押さえているわけだ。俺は背後に回るわけだ。手を伸ばして、姉の手を取るわけだ。傷口を見るわけだ。出血を確認して、傷口にキスをするわけだ。姉は黙り込むわけだ。蛇口から水の流れる音とテレビの音が聞こえるわけだ。唇を離すわけだ。姉が振り返るわけだ。かなり近い距離なわけだ。季節が夏で、大学生なら服はキャミソールの場合もあるわけだ。姉が148センチなら俺の胸の位置に顔があるわけだ。姉のおでこが胸に触れるわけだ。鼓動が早くなっていることに気付くわけだ。「その子、名前は?」と訊いてくるわけだ。「え?」とか俺は誤魔化すわけだ。「テニス部の子……」と姉が言うわけだ。俺は戸惑うわけだ。名前が京子だとしたら、馴れ馴れしく「京子ちゃん」とか言うわけだ。姉が恐る恐る顔を上げるわけだ。「可愛い?」とか小さな声で訊いてくるわけだ。俺は「うん」と答えるわけだ。フラグ成立したわけだ。「私じゃ、代わりになれない?」とか訊いてくるわけだ。俺は答えないでいるわけだ。「好き……だから」とか言ってくるわけだ。俺は決断を迫られるわけだ。禁断の愛なわけだ。
1、姉を抱く。 2、ごめん。 3、僕も実は……と口ごもる。
どれにするか悩むわけだ。制限時間があるわけだ。俺は2を選ぶわけだ。「ごめん」
姉はしばらく黙り込むわけだ。俺から目をそらすわけだ。食器洗いに戻るわけだ。俺はまた悩むわけだ。
1、いきなり後ろから抱く。 2、部屋に戻る。 3、僕も手伝う。
俺は中途半端に3を選ぶわけだ。「手伝うよ。お姉ちゃん、怪我してるし」とか言うわけだ。姉は「いい」と答えるわけだ。どうすりょ、俺……。
1、部屋に戻る。 2、姉を抱く。 3、でも……と口ごもる。
小心者だが思いやりのある俺は「でも……」と言うわけだ。「馬鹿……一人にしてよ」とやきもちを焼く感じに姉が言うわけだ。もおうこうなったら……
1、姉を抱く。 2、姉を抱く。 3、姉を抱く。
もう選択の余地はないわけだ。俺は恐る恐る手を伸ばすわけだ。どこを抱くか考えるわけだ。
1、ウエスト。 2、肩 3、手を回して胸 4、振り向かせて、唇を奪う。
けっこう考えるわけだ。もう4しかないわけだ。まず右手で姉の肩に触れるわけだ。姉が振り返ろうとするわけだ。俺は姉の左腕を引っ張るわけだ。左手で頭を支えるわけだ。右手で腰周りを支えるわけだ。準備はできたわけだ。姉は驚いて顔を上げるわけだ。キスをするわけだ。姉は戸惑うわけだ。俺は息を止めるわけだ。水の音を聞くわけだ。
息をすると、フェロモンの匂いを覚えるわけだ。誰かに見られたらやばいわけだ。誰もいないわけだ。その場で性交渉に発展する可能性もあるから、そろそろ自主規制しないといけないわけだ。また今度、ノクターンで続きを書くわけだ。
しょっちゅう、こんな妄想をして楽しんでいるわけだ。頭がおかしいわけだ。
妄想は小説に応用される
こういう妄想が常日頃からあるので、妄想はネタになって、小説に取り込まれる。俺の小説に実体験を書いたものはほとんどない。全部妄想だ。妄想によって、作られる。だからほとんどファンタジーだし、恋愛も全部妄想。
恋愛とは肉体関係までを含める。そこまでいかないものはプラトニックラブだ。恋愛において、肉体関係まで行かないものは『失敗』だ。攻略失敗。恋愛の技術が足りなかったというべきか、相性が悪かったというべきか。
ただ、恋愛と言っても色々ある。告白して、すぐ肉体関係というのもあれば、プラトニックから始まる場合もあれば、キスぐらいは完了させる場合もある。だが、18を超えていれば、告白して、オッケーなら、そのまま肉体関係に入るほうが自然だといえる。いや、15以上か。最近は14歳の初体験が普通らしいから、中学生ぐらいなら、恋愛成就と同時に肉体関係に入るのは普遍なのかもしれない。親からすれば堪ったものではない。14歳の娘に手を出す男など、父親なら殴りこみに行くところだ。18でも殴りこみにいくかもしれないな。しかし、初体験の平均年齢が20歳ほどという日本では、平均的な大学生なら全員済ませていることになるのか。俺はまだだから、平均よりずいぶん遅いことになる。というか、この先、経験する確率は0に近いのだが。だが、想像してみろ。十四歳で初体験が普通という現状を。何か、妙な歯がゆさを感じると思わないか? 高校時代のあの子も川イ子なら例外なく、もう経験しているのだろう。鬱を感じると思わないか?
告白して、オッケーなら、即肉体関係というのはシチュエーションとしてはいい気がする。例えば、教室で告白したら、教室が初体験の場になるわけだ。初体験の場の理想的なところはどこか? 俺的には
1、彼女の家 2、教室 3、公園
さすがに公園は恥ずかしすぎる気もする。トイレはムードないし、自分の家よりは彼女の家のほうがいいだろうし、犬小屋の前で、犬に見られながらというのは、どうもおかしいし、車庫はムードないし、浜辺はいいけど、そこまで行くのが大変だし、森の中は虫にさされるし、プールは人に迷惑だし、更衣室はムードないし、人前は犯罪だし、橋の下はムードないし、職場は何となくいいな、車の中もムードがあるな、ラブホテルは厳正すぎるし、浴室は典型的だし、お店の試着室はかなり恥ずかしいし、電車の中は犯罪だし、山の頂上も一応犯罪だし、行くのが大変だし、体育館はムードないような気がするし……。
告白して、すぐ肉体関係とかキスなら分かる気がするのだが、プラトニックラブはあまりよく分からない。お互いよく知り合ってからというお見合い的意味だろうか。
俺、妄想でもプラトニックラブは苦手だ。デートに誘ったりするのか。海へ行こうとか。うわ、これ、絶対やばいわ。デート行くときに、
「どこに行きたい?」と彼女に訊くか、こっちで考えるかどっちがいいのだろうか。どこに行きたいと言われて、「海」とか具体的に答えられる女の子はそんなにいない。こういうことは女の子の気持ちにならないと難しい。「どこに行きたい?」ではなくて、「好きな場所は?」と聞いたほうがいいか、しかしそれだと、答えにくいかもな。「あの〜、ご趣味は?」は最悪だ。これだと、もっと答えにくい。女の子の答えやすい訊き方って何だろ。
気を遣う女の子なら「どこに行きたい?」と訊かれたら、「どこでも」とかそういう答えが返ってくるんだ。俺としては女の子に気を遣わせないよう配慮しないといけないと思う。気を遣う女の子の場合、女の子のほうに主導権を握らせないといけないと思う。
気を遣う女の子って、家庭的な場合が多い。だから、完璧主義はダメだ。男はだらしないほうがいい。家庭的な女の子は母性本能が強いから、面倒を見たがる性質がある。だから、張り切っているがダメな男というのがいいと思うんだ。もちろん、異論は認める。
つまり、俺の考え方によると、家庭的な女の子を相手にするなら、
「ここに行こう」と言う。例えば駅に待ち合わせをする。だが、時刻表の読み方が分からない。女の子がフォローを入れる。そういう関係が必要だと思うんだ。例えば、ジュースを買ってくるとして、それをこぼしたりしたら、家庭的な子だったら、拭いてくれるわけだ。財布を落としたら、おごってくれるわけだ。相手が家庭的だと、そういう場合、不快感はなく、好意的に感じてくれるはず。逆に男が完璧だと、母性本能を発揮する余地がなく、好意的に思われない。でも、今の日本、家庭的な女の子は生き残っているのか? という話だ。俺の高校時代はいなかったな。俺、これでも、人を見る目はあるほうだ。雰囲気で、家庭的かどうかが分かる。家庭的な子というのはだいたい、友人は少数だ。それから外に遊びに行ったりしないし、料理などが趣味で、デートなんかしたら、お弁当を作ってきてくれたりする。尽くしてくれるわけだ。で、そんな女はいるのかねという話だ。いないなら、俺は失望する。でも、田舎には残っているはずだと信じたい。顔で大きく劣っても、俺は家庭的な子がいい。それ以外は顔がよくても論外だ。金のかかる女はもう論外だ。料理や洗濯などが出来ない女は論外だ。
しかし、いるのかね? 本当にそんな女の子が。髪を染めたり、ピアスをしたり、そういう女には俺はとてもついていけない。頼む、絶滅しないでくれ! と日本全国に言いたい。そういう女の子がゲームの中だけの生き物になったら、日本はどうなるのだろう。ちなみに家庭的な子は勉強が苦手な場合が多いのは現実でも実際問題らしいが、それはなぜなのだろう。真面目だから勉強も熱心にしているのかと思えば、実は違う。俺の予想だが、そういう子は親の方針で勉強より家事を習うことを優先させられているのだと思う。
俺の親の場合、祖母は料理の天才(作れる料理は少ないが、味が一流レストランの700倍を超える。使うのはスーパーの食材にも関わらずだ)だが、母はかなり劣るが、頭がいい。祖母は頭がそんなによくない。
女はそんなに勉強できなくていい。ああ、そうか、女性の社会進出の影響で家庭的な子が少なくなっているのかもしれない。それならば、社会進出自重だ!
読者にも彼女がいる人がいるだろう。女はせんといかんぞ!
恋愛から結婚へ
恋愛と言うのはまあ、結婚までの前奏曲だ。結婚からが、本当の恋愛ではないかね? つまり子作りだが、子どもが生まれると、『恋愛は終わり』とよく言われる。つまり、子どもが出来ると、セックスレスになる場合も多々あると。子供の前でセックスはとても出来ないだろうが、子供が寝た後なら出来るだろう。また恋愛の限界は45歳までだという。
ちなみに晩婚化が言われているご時勢だが、実際何歳ぐらいで結婚するのか。俺としては高卒の18か大卒の21のどれかがいいと思うのだが、結婚してすぐ子どもというなら、高卒で20、大卒で23ぐらいか。とはいえ、最近は25とか27とかもあるらしい。27だと遅すぎやしないか。最悪25までには結婚しないとな。やはり21で結婚、23以後に出産が一番いいのではないかと思う。だが、結婚しない奴もいるわけで、俺など、結婚はほぼ不可能に近いと思われ、そういう奴は70ぐらいになったとき、孫がいなくて、寂しいのだろうか。だが、出来ないのだから仕方がない。
大学で彼女と出会ったとして、20ぐらいで初体験済ましたとして、21で結婚したとして、23で息子一号、24で息子二号、25で息子三号。子ども作るなら3人ぐらいがいいか。4人以上だと、金がかかるから、厳しい。とはいえ、政府が子どもの養育費を出す政策を打ち出しているから4人以上でもいいな。6人ぐらいだと賑やかで良さそうだが、産むときの苦痛を考えれば、六人は厳しいかもしれない。
子どもが8歳ぐらいになると、さすがに夫婦間も性交渉はなくなるだろう。でも23で産んでいたら31だ。まだ性欲が枯れるには早い。忍んで、何度かすることはあるかもしれない。俺としては子どもは女の子二人男の子二人か、男の子二人か、女の子二人のどれかがいい。俺としては男女二人ずつ四人の子どもがいるのがいい。
俺が憧れるのは、しつけだ。しつけによって、子どもの性質が決まってくる。親のしつけしだいで子どもの性格は決まってくるわけだ。俺はしつけにおいて、怒鳴ったり、暴力を振るったりはしたくない。俺の親など平気で叩くが、そのせいで、俺は暴力恐怖症になった。もはや虐待と同レベルだ。しつけをするときは暴力や大きな声より、論理が大切だ。権力ではなく、論理的に物事を教える。これは当たり前のことだとは思うが、親子の会話に論理のないところがほとんどだという。絵本などなくてもいいが、親子の会話は絶対必要だ。むしろ、子どものしつけに他人の書物を持ち出すなんて、俺は絶対に嫌だ。自分好みの子どもに育ってほしい。絶対避けたいのは、子どもが親を嫌いになってしまうということ。悲惨だ。男ならまだましだが、自分の娘に嫌われたら、絶望さえ感じる。だから、嫌われないようにすることが一番優先すべきことだ。
嫌われないためには暴力を振るわない、腹を立てない、優しく穏和に接する、などだ。どんなことがあっても、親が子供に嫌われるようなことだけは避けたいと思うのだ。
とはいえ、俺が子育てをすることはまずないだろう。もし、卵子バンクが出来たら、上等な卵子を買うかもしれない。でも、今の社会のしくみだと、もてない男は子孫を残せないな。倫理とかさっさと消えうせないか。生命倫理? ふざけろ! もてない男が70になって、寂しくならないように、卵子がお金で手に入る制度を作るべきだ。まあ、美男子、美少女だらけになるのもそれはそれでいいことかもしれないが。つまり、優秀な遺伝子が生き残り、俺のようなダメ遺伝子は淘汰される。何て自然的なのだろう。でも、ブサイクがいてこそ、イケメンは成り立つと思うんだ。うーん、違うか?
俺の理想
俺は人口減るべきだとか、孤独を愛したとか言っているが、実際、結婚して、子育てをするという生活にあこがれを抱いている。でも、したいけど出来ないことは世の中にたくさんある。でも大丈夫。どんなことも叶えてくれる二字熟語がある。『妄想』だ。もてない男は恋愛だけでなく、子育ても妄想で埋めるしかない。
妄想の利点は理想的な女性と結婚して、理想的な子育てが出来るところにある。しかしこればっかりは妄想だと虚しくなる。しかし、仕方がない。出来ないのだから。
俺の理想とする結婚相手は家庭的であり、専業主婦で、家事全般を完璧にこなしてくれる女性だ。背は低いことに越したことはないが、何も俺がロリコンというわけではない。前にも言ったが、俺は背が低めのほうが好意を抱くというだけのことだ。理想は148〜150だから、ロリコンではない。ロリコンは140センチ以下を理想とする。148センチは成人女性として、十分な身長だといえる。148〜150では狭すぎるので、145〜153に拡大しよう。要するに平均的な158センチぐらいの女性より、少し背が低めの女性を好むということだ。俺の身長は173だが、167ぐらいが良かった。俺は大きくなりたくない。大きくなると、それだけ寿命が縮まるし、148ぐらいの女の子にもてなくなる。背の高い男のほうがいいと言うが、要するにそれは家庭的でない女の場合だ。そんな奴はどうでもいい。いらんのだ。だいたい、女の子より二十センチ高いのがいい。高すぎると、不自然だ。
で、和室のある家に住むのが理想で、大きくないほうがいい。また、自然の多い田舎に住みたい。都会の激動社会にはとてもついていけそうにない。俺は農業などをして暮らしたいと思っている。結婚するだろ。そしたら、まず、二人きりで家にいるわけだ。もうそれだけで十分だ。それに加えて、子どもがいれば、越したことはない。理想は女の子二人、男の子二人だな。長女、長男、次女、次男の順に生まれると、実に調和が取れる。別に順番はそれほど重要ではない。
こういう生活が実現する可能性は0に近いだろう。だいたい、家庭的な女の子自体が天然記念物だ。ただでさえ少ないのに、需要はかなりある。世の男が天然記念物を求めているから、俺のところに回ってくる可能性は天文学的確率かもしれない。
こういう生活は妄想の中だけなのだ。そう、そんなことは分かっている。現実なんて、当の昔に捨てているのだ。現実が厳しいのなら、逃避する以外に方法がないではないか。でも、俺は妥協して結婚はしたくない。俺でも、世の中を探せば、縁談のひとつぐらいは存在するだろう。だが、俺は世間一般に分布する女にはついていけない。家庭的な女の子でなければダメなのだ。よって、わがままな俺が結婚できる可能性はほとんどない。虚しいことだ。だが、自然界の法則でいさ仕方がないのだ。俺はどこかで静かに消えていく。墓場には入りたくない。
恋愛と思想
俺は恋愛についてもそれなりに思想を持っている。恋愛は神秘的なものであるが、常に問題を抱えている。『禁断の恋愛』や『危険性』だ。
禁断の愛というのは近親相姦や教師生徒の恋愛などのことを指す。遺伝子の法則を考慮したら、近親相姦の末、生まれてきた子どもの遺伝子が危ぶまれるらしいのだ。だが、それも確率論的話だ。そういう危険を冒してでも、そういう愛があってもいいと思う。やはりここで問題になるのは『倫理』だ。姉と弟の恋愛、兄と妹の恋愛などはフィクションの中だけのものだと思っているが、実際にあるらしい。肉体関係まで発展するケースは少ないらしいが、接吻の段階まで発展して、親に見つかって、家族会議になることはよくあると掲示板では言っている。本当かどうかは知らない。倫理を無視すれば、兄妹の恋愛などはかなり憧れる。それはやはり、禁断の意識があるからだろう。兄妹であっても、異性の関係なのだから、性欲が働くのは普遍のことである。遺伝子のレベルを考慮しなければ、こういう禁断の愛は圧倒的神秘を纏っている。だから、恋愛小説ではとても使いやすい題材なのだ。フィクションはすべて仮想のものだから、倫理の干渉はない。だが、最近はそういったフィクションにすら、倫理を持ち込むことがあるらしい。馬鹿げている。何度も言うが、フィクションが与える影響は微々たるものだ。恋愛ともなると、対象年齢が15歳以上ぐらいになるから、本当に影響は少ない。俺はこればっかりは倫理を褒める。倫理が禁断の愛かしてくれるおかげで、小説のネタが増えるからだ。兄妹の恋愛などは実際にやるものではなく、フィクションに応用するべきものだと思う。
さて、教師と生徒の恋愛はどうだろうか。この場合、完全に他人だから、遺伝子レベルの干渉はない。あるのは倫理と教育現場の問題だ。生徒と教師が恋愛関係になると、成績などのひいきが起こるかもしれないし、他の生徒に迷惑をかけることになるかもしれない。だが、人目を忍べば、神の絶対的干渉がないので、完全に他人同士の恋愛と同義になる。この恋愛問題はそれを論じた書物がいくつかあった。いずれにしても、倫理的干渉が強いのは言うまでもない。
すべての恋愛に共通するのは危険性だ。主に、肉体関係に発展したときに浮き彫りになる問題だ。『妊娠』『性病』などが上げられる。HIVウイルスに感染すれば大変なことになる。とはいえ、かなり確率的には低いのだが。健全な男女の性行動でも、かかる場合もあるという。危険性は年齢が上がってくると緩和してくる。性欲が強くても、危険性を認知しているからだ。一番怖いのが、年齢が低いうちの肉体関係だ。
早いものなら、六歳から七歳。この年齢はまだ性行為を行うには早すぎる。体が未発達なのだ。だが、知識を覚えたものなら誰でも興味を持つことだ。そのような低年齢で肉体関係を持ってしまった場合、危険度はかなり高くなる。
キスまでならさほど問題ないといえるが、それはあくまで物理的意味だ。物理的に問題がなくても、接吻は肉体関係を連想させる。キスがあった段階で、近いうちに肉体関係に発達することは容易に推測できる。これらを阻止するためにはどうすればいいのか。危険性を訴えても、好奇心の強い子どもは無視して、行為を実行する。それを見た子供が真似をして、広がっていく。PTAで議論をすると、かなり気まずくなる。
低年齢の性行動あフィクションの題材にもってこいで、妄想で相当固まっているが、思わせぶりな描写をしたら、これはまずいものがあるかもしれない。
だが、幼児が見るアニメには恋愛シーンなどがどんどん出てくる。性行為を思わせるシーンも出てくる。これらはどうなのだろう。もちろん、完全な子どもが性行動を取るところを描写するのは法律で禁じられている。だが、18歳以上だと説明を入れれば、それを抜けられる。(改正されなければ)
俺はポルノ法改正で納得できないのは、X指定の作品が対象だからだ。もしこれが一般を対象にしたものであるなら、納得する。
つまり、幼い年齢の性行動はフィクションで適用すると面白くなるが、思わせぶりであっても、一般対象の小説で行うべきではないものだ。
年齢が上がってくると、妊娠という危険性が現れてくる。妊娠して、産む意志がなければ、中絶することは出来る。年齢が上がると、どうすれば妊娠するかぐらいは知っているはずだ。この場合、問題となるのは性欲をコントロールできるか否かだ。
危険性がなくなれば、セックスというのは文化として十分に成り立つものだ。X指定にすることで、別に恥じることではない。家庭を持つ父母なら、例外なく経験していることなのだ。性は文化である。だが、危険性をいかに取り除くかが重要であり、フィクションであっても、その配慮をしなければならない。
恋愛は本当に魅力的なものを備えている。今後、小説でも力を入れていく分野になるだろう。X指定にしない限りはプラトニックラブ止まりなので、ノクターンで展開するのが基本になると思う。




