第41話② トンプソン
高等魔術師たちが土魔術で作り出した地下空間は、即席とは思えないほど巧妙な地下牢になっていた。
出口となる地上への入り口は狭く、地上に対して垂直に梯子が降ろされている。その梯子があるすぐ横に守衛室があり、守衛室を中心にして放射状に房が並ぶ。
房は一つ一つ大人二人ぐらい入れる大きさで、上から下まで体温を奪う石畳で覆われている。扉は分厚い石の閂が掛けられていて、光源と熱源になるのも廊下に点々と設けられた灯火石だけ。
だが、この地下牢の一番特徴的な部分は───地下牢そのものが魔術によって構築されているところだ。
魔族が逃げ出したと守衛室から報告を受ければ、外にいる魔術師が魔法陣を破壊する。すると、地下牢が形を失い、中にいる者たちは皆、大地の中に生き埋めになるのだ。
魔族たちを無罪放免で外に出すか、死刑前提でいるか、そのどちらかに特化された造りだ。
投降の意を表した魔族たちは―――かつて海輸で神国から入って来ていた―――封印術の込められた拘束具で口と手を封じ込められ、この地下牢に押し詰められていた。両手首を合わせる鉄枷と、喉を抑えつける首枷。喋る事は可能だが、魔力が常に放出状態にされ、魔術は使えない状態だった。
「くそ……ッ! このままこいつらを火炙りにしてやりたいぜ」
「…………」
守衛室で見張りを務める守衛は、ガツガツとブーツの踵で執拗に机の脚を蹴った。その音で、牢の中の魔族たちを震え上がるのを憂さ晴らしに、嗜むように。
「魔術師共に利用されてこんな仕事してんのも気に食わねぇし、魔族だか何だか知らねぇが、俺たちの仲間を殺したのには変わらねぇっての…によぅ……へっくしょん!」
守衛は鼻を啜り、貧乏ゆすりを始めた。肌寒い。そりゃあ冬季だが、とりわけ底冷えだった。
「くそが……寒いじゃねぇかよ。
ちくしょう……なんで俺がこんな仕事を……。
はあ……カレー食いてぇ……」
コートを着込み、身を擦ってみてもまだまだ寒い。灯火石を3つ4つ膝の上に置いても寒い。足上げしてても寒い。腕立てしてても寒い。何しても寒い。クソ寒い。凍える。氷室より凍える。
守衛室の窓が白く曇る程の冷気に歯が震え出し、氷水に濡れた身体を吹雪が襲うような凍結……ああ、これはおかしいぞ、と気づいたときには、身体はカチコチに冷え固まり、声は出ず、意識が白く遠のき始めていた。
「う、ぅ、ふっ……う……、――――。」
守衛は、白目を向き、彫刻と化した。
その後ろに……、音もなく降り立ったのは―――白いエルフだった。
銀の長髪、翠の目、仄かに血の桃色が頬に溶け出す、白肌。スノーエルフの、男。
そいつは足音も立てず、冷え固まった守衛の目の前を我が物顔で進んでいき―――
「俺の質問に答えてくれるなら悪いようにはしないぞ。イェリネ」
男は、一際魔力が多く放たれる房の前で立ち止まり、そう声を掛けた。
小さな鉄格子から入り込む白い冷気に対し、魔族イェリネは虚勢を張った。
「この冷気……男の声ってことは、ホロンスかしら?
女神騎士団のあなたが、私に何の用?」
紫色の赤斑点の花と、その蔦で出来た身体。全身を鎖で巻かれ、分厚い首枷をかけられた彼女の円らな黒点に、ホロンスの淡い翠眼が映る。
「黒の黙示録。
知っていることを教えてほしい」
イェリネは、花びらの顔を拉げた。眉間にシワを寄せるように。
黙示録は、”八竜魔術”が記載されている魔導書の事で、黒の、という色を冠するのは、対応する魔力の波長域を意味する。
無彩色、及び、暗色の波長域、その八竜魔術───つまり、黒の黙示録は封印術や闇魔術、死霊術などの八竜魔術が書き記されている。
当然の如く、それは国宝だ。絶対に悪用されてはならず、選ばれし者だけが読むことを許されるべきもの。
気軽に在り処を答えられるものでは決してない。
イェリネの深い溜息が、冷気で白く具現化される。
「あなたにそれが読めるとでも?」
そもそも、八竜魔術が理解できる頭があってこそ、黙示録は国宝の価値が生まれる。
理解できない者にとっては、ただ、意味の分からない図式が描かれたページが広がるばかりで、数字と記号の羅列以上の何でもない。
「トンプソン(黒の賢者)の部下だったあんただ。やはり知らないとは言わないよな」
「…………。」
「俺が使える訳じゃない。だが、封印術に長けた仲間がいる。
そいつに頼むことが出来るのなら、魔物化の変性術の解呪も、封印術のアプローチから可能になるかもしれない。悪くない話じゃないか?」
その言葉に一瞬、イェリネの呼吸が反応したが
「それを、誰の為に使うつもり?
まさかとは思うけど……」
その予想は、何の面白みもなく的中した。
「あの“御方”を元に戻すことが出来れば、指導者なきこの世界に必ず希望が生まれる。それは、俺達だけじゃない、あんたたちにもメリットのある話なんだ」
記憶の中の彼からは全く想像のつかない、希望的な物言いに、イェリネは鼻で笑った。
「今更、指導者とやらが現れたところで何が変わると言うの?
まだエバンナは生きているのよ。あの八竜が。もしくは、正体不明の毒、ないし、山よりもデカい魔王。
指揮を執るだけの者が現れたところで、希望なんて……」と、言いながらも、自分自身の諦観に虚しさを覚える。
それを見透かすように
「少なくとも、此処で殺されることを待つより、マシな命の掛け方とは思わないか?」と、ホロンスは言う。
「……ワンダが私たちを見捨てるって?」
「仲良し自慢がどうのという話じゃあない。
この国の獣共が大人しく待っていることを期待するなと言っているんだ」
ホロンスの言葉に思い至る事でもあるのか、イェリネは自分の身体を縛る鎖を見下ろした。
今や自分の体となってしまった緑色の長い蔦、その身が捩られ、引き千切られ、血が滲み出すほどきつく鎖を締め付けてきた獣人たちの血走った目───仲間を殺された恨みを晴らしたくて仕方ない、殺意。いや、国民の怒りや悲しみの矛先を、イェリネたちに向けさせたい思惑もあるのだろう。その理由を責められる立場に、彼女はない。
しかし、彼女も”人並み”に死に恐怖している。元の姿に戻りたい……せめて、人の姿で死にたい……そんな希望も、捨てきれないでいるのは確かだった。
「一つだけ訊かせて、ホロンス。
あなたはどうして、バーブラの味方をしているの?
”お姉さん”を、女神教団に奪われたから?」と、イェリネはホロンスに問うた。
彼の返答は、わざとらしいほど淡々としていた。
「女神教団は法衣を被った獣だ―――その臭いが、俺の性に合わないんだよ」
イェリネはしばし間を置いて───。
「何をしている、海豹」
石畳に反響する理性の働いた怒り。
ホロンスが振り向いた先にいたのは、羊の獣人だった。
「女神騎士団以来だな、ホロンス」
ニヤリ、と不敵な笑みを浮かべるのはイーゴだ。シェール軍大佐。将軍各位が先の戦いで死んだため、今はあっという間に中将に上り詰めた男。彼が”人間であった頃”、彼らは同じ釜の飯を食べていた。
だが───その頃の仲には、二度と戻らない。それを2人とも理解している。
「偽善者に尾を振る獣に成り果てていたとは、見損なったぞイーゴ」
イーゴの指はチッチッ、と、軽快な舌打ちと共に左右に振った。
「この酷たらしい世界を生き抜くための術だ。八竜信者のお前に言わせれば、長い物には巻かれよ、ってか?」
厳つくて不愛想な男……そんなイメージを覆す軟派な立ち振る舞いで、ホロンスを煽るように、指を組んだ。
「聖なる主、ハダシュ神は、その力を天使たる聖樹を介して、人を女神へと昇華させる。
女神として神化した者は、主神様に代わって、人の世に正しき道をお教えくださる半神となるのだ。
ああ、お前もその導きを受けて然るべき者であろうに。
女神様へと昇華なされた”姉君”が、今頃悲しんでおられるぞ」
「……人殺しがよくもいけしゃあしゃあと」
スッ、ホロンスが一歩踏み出すと
「おいおい動くなよ。
お前がもう少しでも動いたら、俺の本体は魔法陣を破る」と、イーゴは脅しをかけた。
「魔法陣が消えればこの地下牢は消え、お前も、此処にいる化物共も生き埋めになって死ぬぞ」
よくよく見れば、イーゴの身体は僅かにボロボロと土がこぼれ落ちていた。土魔術による変わり身を使い、それに感覚共有しているのだろう。
つまり本体は、ホロンスが眠らせておいた魔術師たちの横で、地下牢を構築する魔法陣の前に立っていると。
「今、この魔族たちが何者であるかを調べている最中じゃないのか?」
「こいつらが誰だろうとも、生きていたところで何になる? 化物は化物だ」
「そう、人間に扱われてきた腹いせか? みっともねぇな」
ホロンスはそう言った口で……その舌の根も乾かないうちに
「ああ、わかったよ。降参するよ」と、両手を口に当てた。
「……あ? なに?」
「関係ない魔族たちを巻き添えに殺したくはない。
それになんだ? 降参させるつもりがないのに脅したのか?」
キョトン……とした目で、イーゴはホロンスの降伏を怪しんだ。何というか、あからさま過ぎるのだ。
「……なんだ、何を企んでいる」
「別に何も。
強いて言えば、もう“終わっている”ということぐらいか」
イーゴの顔から血の気が引いていき―――魔法陣を破壊しようと、変わり身の操作を終えて動き出した。
だが───。
「は?」
ホロンスによって寝かされた魔術師たちのいる横、地下牢を守る魔法陣の前に立っていた筈のイーゴは―――
何故か、地下牢にいた。今さっきまで、変わり身がいた位置に。
感覚共有を切った筈なのに。
目の前に
「なんっ、だとぉお!?」
ホロンス、”だった”氷の彫刻がいた。
ホロンスに化かされた?
いや、そんな筈は───イーゴは慌てて地下牢から外に出ると
「は???」
逆光が落ち着いた瞬間、彼は何故か、”建物の屋上”に、立っていた。
そう、地下牢がある場所のすぐ横、目当ての魔法陣がある場所の真ん前にある民家の屋根の上だ。
訳もわからず呆然としていると、悪いことに
「イーゴ様、この場所は関係者以外立入禁止であると、シェール軍に通達しておいたはずですよ」
ホロンスが眠らせていた魔術師たちは丁度のタイミングで起きていた。実に悪い状況だ。
「いくら恨み辛みがあろうとも、私たちの”仲間”である可能性がある者に手を出すつもりなら……私たちも許しませんぞ!」
「全く、ゴマすり脳筋が付け焼き刃で魔術など使うからこうなるんだ」
ホロンスは、イェリネのいる扉の前から一歩たりとも動くことなく、唾を吐いた。
変わり身術……それは、各種属性を使った、召喚術との複合魔術だ。魔力で形作られた自分そっくりなものを作り、それを操作したり、攻撃を避けたりするもの。
使い方次第ではとても有能なのだが、魔術を統べる相手には、墓穴を掘りやすい術式でもある。
特に、変わり身を操作するなんて初心者が取りやすい、最たる愚策だ。突っ立って操縦している本体の居場所はすぐにバレるし、操縦する魔力の連結路が剥き出しになっているため、幻惑術やら変性術が当て放題になるのだ。
つまり今回、ホロンスが仕掛けたのは一つの幻惑術で、何故か感覚共有が解けていない!?と誤解させるべく、変わり身が見ていると思われる幻視を、本体に見せただけだった。
そうすれば、奴は慌てて外に出る。梯子をジャンプして登るような男だから、梯子ではなく建物の壁をひょいひょい登っているともまるで気づかず。
そして、ホロンスの幻惑術が解けた頃には、彼は呆然と建物の上で立ち尽くし、今頃目覚めただろう魔術師たちに囲まれ、説明に追われている……という訳だ。
魔族は自分たちの仲間かもしれない、そう調べている最中だ、魔術師たちはそう易易とイーゴを許しはしないだろう。
「……フフッ、凡人凡人って自虐していた男が、知らないうちに六つ星ぐらいの能力になったんじゃない? 妬ましいわね」
「星で測れる能力であることが凡人なんだよ」
「しれっと私たちまで貶めないでくれる?」
だが、十二分に才能に恵まれていると言ってもいい彼が、自分を過小評価したがる気持ちを、イェリネは知っていた。
彼の姉は……賢者(化物)だった。
その姉を、彼は自分の弱さのせいで”殺されて”しまったのだから……。
「さて……イーゴが喚いて俺の存在がバレる頃だ。
邪魔者がいないうちに、出来れば話して貰いたいんだが」
とはいうが、イェリネもタダで教える訳にはいかない。
悩んだ末に、彼女は一人の名を口にした。
「……レキナ・コルタナ・ガドウィン」
ホロンスの顔がピクリと引き攣った。そして更に、克明に、ピキリ、と頬が固まる。
「荒れ地の魔女が、黒の黙示録の在処を知っているわ。
彼女の家はカルドラにある……辿り着けるかは、彼女が招くかどうかで決まるけど」
彼はしばらく眉間の皺を抓み……「当たって砕けるか……」と唸った。
ただ、ホロンスは簡単に、イェリネへの尋問を諦めた。地下牢に足音が響き始めていたからだ。
「騒がしくしてすまなかったな。
ありがとう、イーゴの馬鹿が余計な事をしないよう祈っておく」と、言い、立ち去り様にこう言い残した。
「もし、人の社会から廃絶されるようなことになったら、神国に向かうといい。
バーブラ様は、あんたたち魔族を歓迎するだろう。」
「……そうならないことを、期待しておくわ」
彼は最後、笑みをこぼしたのかもしれない。だが、そう思った直後には、彼の姿は溶けて水になっていた。
そう……彼はずっと、変わり身だったのだ。
2023/05/12改稿しました