第40話② シェールの戦い・圧倒
シェール・トノット、そのど真ん中に突如、地中から何かが現れた。
それは、太い木の根をぐちゃぐちゃに纏った、蛇の様な奴だった。
だが、その大きさが……異次元だった。
「は……?」
ぐーっと頭と思しき先端をもたげた上背は、どんな建物よりも高くなり
遠方のランディアたちの目にも、更に遠方のワンダたちの目にも、それは規格外に視認出来た。
そいつはゆっくりと、百メートルぐらいありそうな長細い体を
ぐぐぐ……捻り……、
パッ─── 長い身体を反動で、鞭のようにしならせた───。
積み木で作った街を、赤子が無邪気に腕で薙ぎ払うような一撃。
土台から押しのけられた建物が溶けるように瓦礫に変わっていき、魔砲や土嚢壁に混ざったシェール軍人の、圧殺された体がゴミのように天高く舞う……。
放物線を描いて、南の港町へと
重力加速度を持ち、瓦礫と死体は雨の如く降り注いだ。
その威力は容易く、緊急避難のサイレンが鳴っていなかった港町の家屋をズタズタに潰し、トノットや周辺の町の避難場所になっていた地面を蜂の巣状に抉った。
そして、木の根に包まれた巨大蛇は、体をくねらせ、ぐぐぐ……その身を再び捻り始める……。
「何寝ぼけてんだッ!! 来るぞッ!!!」
茫然自失なリッキーたちの脳を揺さぶるランディアの怒号。彼女は携帯鎧と巻物を展開し、ジュニアたちがその場に伏せようとしたのを手元に引き寄せて───。
二発目。
トノットの町の2割程、シェール軍の3割程度の戦力が、巨大な鞭に薙ぎ払われて空を飛び、北の、地竜平原の火炎の海へと放り出された。
「化物が……ッ!」
業火隊は自分たちに向かってくる瓦礫と人の合間を縫うように飛びながら、まだ息をしているだろう人の救出を試みた。しかし、救えたのは、数えられる程度の人だった。
「あなたたちは此処に残って魔物を食い止めなさい!
私たちが行く!」
ワンダは、同じ組のヘイリーとマルクスを連れて転移魔術を展開、巨大蛇が3発目を準備している頭上に転移した。
「離れてて二人とも」
ワンダは、手にしていたレッドクリスタルの杖を構えた。
いつか来るだろう、八竜エバンナとの戦いの為に蓄え続けた───魔石に込めた魔術を、彼女は躊躇うことなく解き放った!
杖の先から放たれたのは、白い熱線だ。
すべてを穿つ、超高温の巨大な熱線。魔砲を矢の如く研ぎ澄ましたような爆発だった。
空気を焦がし、歪ませる───この一撃だけで一つの街が壊滅的になったとしても過言ではない───虐殺的威力が───。
ジュゥゥゥ……ン
巨大蛇を形作る根に当たって間もなく、減衰していき……そして、掻き消えた。
当たった部分が焦げ落ちただけ、貫通さえしなかった。しかも、細身の人がようやく入れる程度の空いた穴から見える中身は、ほぼ空洞だ。血も内臓もまるで見当たらない。
「な…、なん、ですって……?」
術者であるワンダですら、その熱の余波を受け止めきれずに身を焦がす威力、そして、熱が減衰するような距離でもなかったのに───巨大蛇は、無傷に等しかった。
考えられる、最もありえることは
巨大蛇の“魔法障壁が異常に厚すぎる”ってことだが
もしそうなら……コイツには魔術が効かないことになる。
その巨体でありながら!!!
「ウフフフ……あまりにか弱くって可哀想になってきちゃったわぁ」
薄暗い洞窟の奥で、マグラの不気味な嗤いが響く。
ナラ・ハの森の南東、ジュ・ルーの巣を借りたマグラは、変態メイデンが大量に作った錬金蜘蛛を用意し、無数の糸のついた指先を細かく、滑らかに動かしていた。
「だけど、うっとりするほど、濃厚な絶望……ハアァァ 出来れば現地でこの絶望の魔を飲みたかったわ……」
ユスリカの求愛のように魔術師たちが飛び交う様を、錬成蜘蛛の視界から、マグラは愉しげに覗き込む。
魔術が効かないならば、と、生き残ったシェールの軍人たちが加わって、更に“求愛行動”が鬱陶しくなるも、分厚い木の根はまるで傷つかない。
それもそうだ。この木の根は、世界樹の根なのだから。
【世界樹の樹害:世界樹は世界最大の樹木。木幅は数百メートル、高さは雲を貫く高さにもなり、それ以降は千年経とうとも大きくはならない。
百年~三百年に一度、世界樹は吸い取った栄養のほぼ全てを使い、種を作る。そして、その種は世界樹の樹液に触れるか、空気中の魔を一定以上取り込むことで発芽する。
ただし、その成長速度は爆発的で、発芽から3分足らずで数百メートルの木幅、雲を貫く枝葉、数十キロに及ぶ根を伸ばす。
このとき、世界樹の根はありとあらゆるものを飲み込もうとするため、地面を高速で縫うように走りながら、人や魔物、動植物を絡め喰らい、周囲一帯の生態系を破壊し尽くす。これを世界樹の樹害と呼ぶ。】
「オリハルコンに等しい硬度を持つ世界樹の根を、たかが人の腕っ節で壊せるはずないのに、あ~ぁ、頑張っちゃって」
巨大蛇の根の内側には、手の平サイズの無数の錬金蜘蛛が仕込まれており、マグラの視界の確保として、魔力の連絡路として、そして、“転移魔術の起点”として使われている。
つまるところ、根で出来た巨大蛇は、マグラが動かしている。
それは並外れた上位魔術ではなく、ただの、”傀儡手の召喚術”だった。
召喚術、中級程度の魔術。魔力の糸を繋げた、無魂体や人形、死体を操る為のもの。木の根の集合体に細工しただけの塊も勿論、操る事が出来る。
ただ、魔法障壁は全く別の要素で───あれには特別な、“中身”があった。
「マグラ様ぁ、アレって中に何か入ってるのぅ?」
マグラを呼ぶ、水の中で発せられた子供のような高い声。その声の主は、酷く膿んだ姿をしていた。
四肢だったもの、腹はドロドロに溶けかけ、壊れた四つの複眼は虚ろを映している。全長は5メートルほどで、腹這いでいる。
最も特徴的なのは、無数の卵が背中から生えていることだろう。1メートル程度の、今にも孵化しそうな卵から、小さいものなら10センチ程度のものが、数千個もくっついている。
「ジュ・ルー、知りたぁい?」
ジュ・ルーと呼ばれたソイツは
「知りたぁい」
水に溺れるような音を、嬉しげに鳴らした。
「中にはねぇ、とびっきりの呪物が入っているのよ」
「呪物ぅ?」
「魔が蜂蜜のように濃厚に詰まったものってこと」
わぁー。そう驚くジュ・ルーの背中から、ピギィー、と、産声を上げた魔物がコロコロと地面に落ちた。
早速這い始める魔物の赤ちゃんが目の前を横切り、山になっている餌場へ向かっていこうとも、ジュ・ルーはそれに無関心だった。
「あの呪物は、半死霊なのよ」
「半死霊ぉ? なぁにそれぇ」
「生きたまま人の魂を、魔物化するギリギリまで穢して、死霊術で生きた肉体と穢れた魂を固定する。
すると、生者の感覚を持ったまま、死ななくなるから。今度は、内臓などを取り除いて、骨だけにするの」
嗜虐心を揺さぶる妄想に腰を揺らしながら悶えたマグラは、思わず操縦を止めて自分の頬を指でなぞった。
「食べても食べても、喉から肉が零れ落ち、満たされない飢餓。
晴らしようのない性欲、呼吸の出来ない苦痛で眠ることも出来ない。
理性は苛まれ、底なしの憎悪が永遠と魂を穢し、魔を出し続ける……!
それなのに死霊術が魂をこの世に留めるの!
一体どうやってそんな、熟成する美しい飴細工のような術式が思い浮かぶのか……嗚呼っ、本当に”黒の賢者ファウスト”は天才よね」
マグラはうっとりした表情を浮かべ、唇を舐めていたが
「マグラ様ぁ、手が止まってますぅ」
「あらやだ」
うっかり。十数秒の余裕を与えてしまった。それでも、マグラの自信は揺るがなかった。
「さあ……新しい絶望の城を築かなくちゃいけないわ
エバンナ様がお喜びになりますように……ウフフフ!」
「セルジオ様ダメです! 魔術も武術もまるで歯が立ちません!!」
巨大蛇が纏う根が世界樹のものであることは、人々は察していたが
「歯が立ちませんじゃない!立たせるしかないのだ!!
何をしている! 立て! それでも軍人か!?」
魔術が全く効かないことに、シェール軍はパニックに陥り、士気が下がってしまっていた。
数十秒動かなくなった隙を狙って、照準を合わせて魔砲を放ってみるも、ワンダの魔術よりも火力不足で、根の表面が焦げるだけに終わり―――巨大蛇の薙ぎ払いによって、魔砲台の七割が破壊されてしまった。
もうどうしたらいいんだ!? そんな悲鳴がセルジオの下へ集められて来るも、彼の振るっていた薙刀の刃もボロボロに刃毀れしたままだ。
「クソッ!!
なんなんだ、なんなのだコイツは!?」
頭を抱えている合間にも巨大蛇の身体が───セルジオたちのいる方向へ瓦礫の津波を放つ。
頭上に押し寄せる巨大な陰が迫って来て、誰しもの足が竦み、腰を抜かした……次の瞬間―――。
グヴィィイイイ!!
体腔に反響する低音が放たれ、降り注ぐ高速の瓦礫が見えない壁にぶつかったように空中で止まり───ボトボトゴスゴス、力なく地面に落ちていった。
「な、何が起きた?」
九死に一生を得たセルジオたちが、何が起きたか周囲を見渡すと───何故か足元を、ゴロゴロ……、と、人の頭ぐらいの大きさの、球体が転がっていくのが見えた。
それは白い羽毛に包まれていて、まん丸だ。二本の足もしっかりとついている。鳥だ。それはわかる。だが、その鳥は羽ばたくことなく、アルマジロのように転がって進んでいった。
「やっぱりお前は最高だぜ、ポテトス」
「グヴィ」
そして、その鳥(?)は、全身鎧で顔も見えない騎士の足下へ転がりつき、よっこらしょと持ち上げられ、小脇に抱えられた。
見慣れない騎士の鎧はかなり細身で、全体的に攻撃的なデザインだった。
兜は鳥の嘴の様に曲がり、冠羽を模した装飾がなされ、鎧は全体的に蛇腹状のスケールアーマーに近い。直立姿勢が取れないのか、腰を45度程度に曲げた前傾姿勢で、左手には鋭利な鉤爪が手甲に取り付けられている。
ナイフやピッケル、鉤爪を地面に突き立て、剣を縦横無尽に振り回す、王国の流派・孤狼の為だけに作られた鎧───そのオーダーメイドを示すよう、その胸にはモンジュの歯車と錨が刻まれていて、雪を弾く分厚いマントには王国の紋章が刺繍されていた。
「王都騎士……っ?!」
だが、王都騎士は今、王国で暴走している噂しか聞いていない。セルジオは壊れていることを忘れたまま薙刀を構えるが
「父上!」
「ジュニア!? 無事だったか!」
ジュニアたち含め、十数人の軍人や逃げ損ねた町民が王都騎士の後ろから現れ、セルジオの逆立っていた毛がへたった。一先ず、ジュニアたちが頼りにしているのなら、騎士も鳥(?)も敵ではなさそうだ。
「彼女はランディア、王都騎士です。
彼女と、あの”鷹”の力で、私たちは助けられました」
「鷹?」
「鷹王なんだよ。な? ポテトス」
「グビビィ」「なん、だ、と」
フクロウ、なら……わかる。地面を転がって進んでいた意味は分からないが、百歩譲っても、フクロウだ。鷹? 鷹なのか? 骨格から違わないか?
その場にいる誰しもが鷹と言われたことに疑問を呈していたが───ズズズズン!! 激しい振動に、それどころではないと我に返る。
「お前は、力を貸してくれるのか?」
「勿論さ。此処は王国じゃないが、この虐殺を放っておけない」
「父上、今、この国に安全な場所はありません。
私も戦いますよ」
「……よかろう」
力になるなら一人でもほしいこの状況で、セルジオたちには願ってもない発言だった。
セルジオは折れた薙刀を捨て、召喚術で生み出した新たな薙刀を握り直した。
「なんとしても活路を見出すのだ……!
行くぞ若人たちよ!」
2023/4/30改稿しました