第7話① 港町の鉄の壁
魔物が蔓延る以前は、人の血肉の味を知った獣に悩まされていたという獣血の森。今はすっかり魔物の森と化した場所を早足で抜け、道なりに半日。
峠に到達すると、西側に、巨大な鉄壁に囲われた町が広がってきた。
王国の中では比較的温暖なため雪を落とす三角屋根を持つ家屋は少なく、口を閉ざした煙筒が枯れ木のように立ち並ぶ。山のなだらかな斜面を階段状に切り抜き作られた市街地、坂の下には港が広がり、採れた魚を選別する人々が疎らに見える。
此処が港町ポート……その奥には大きな“川”と、見上げるほど巨大な地竜山脈(地底国国境)の壁が南北に立ち並んでいた。
「港、というが、面しているのは海じゃあない。
あれは巨大な川でな、レコン川って言うんだ」
天竜山脈から流れ落ちる4本の支流、地竜山脈から流れ込む4本の支流がそれぞれ合流して海へと流れ込んでいく、巨大な川幅を持つレコン川。王国の主要な都市(王都、ポート、トトリ)はこのレコン川沿いに作られている。言い換えれば、レコン川を遡上すれば、何人をも拒む絶望的な標高の山々を越える事無く、王都へ向かうことが出来るという訳だ。
ただし。
「王都への連絡船を出すなら、町長を説得しなきゃならん
王都側の水門は、ここ十数年は閉じられたまま開いたことはないけどな」
王都とポートは仲が悪い。それはもう山よりも高い鉄壁によって、隔たれている。
「……そういえば、今更な疑問で申し訳ないけど。
ネロス、あんた薄着一枚で巨大な魔物と戦って掠り傷なのに鎧が必要なの? 寧ろ邪魔にならない?」
そう振り返って言うと、ネロスは急に「ひゃっ!」「は?」飛び跳ね、近くの木の裏に隠れた……陰から覗く顔も赤く膨れ、やたら緊張している……?
「えーっと、その……防御にね、魔力を回さなければ、もう少し強い攻撃も、出せ るの……まあ、その、鎧とか着たことなくて、やってみたいって気持ちも、あるん だけどですね へい」
「あんた、そんな喋り方してた?」
ネロスは、手汗をあのとき渡したハンカチで拭き、空を見上げて口先を尖らせ始めた。なんだ? 動揺しているのか?
「ダメだもうッグラッパァァ……恥ずかしくなってきたよ。どうしよぅぅ……お外に出られない……」
「おいおいおいおい!なんて様だよ勇者だろネロスよぉ~!」
「何? 何の話?」
「ひぃーん」
「ネロスお前ぇだっらしねぇんだよ!堂々しろよ!別に何も悪いこっちゃねぇんだからさあ!」
何の事かサッパリ判らないが、私が侯爵のところへ挨拶に行っている間に、ネロスとグラッパはずいぶん仲良くなったらしい。
「一度、ポートに降りてから鉄鉱山に向かうの?」
「おうよ。 ほら、俺の他に三人のドワーフが先に帰ったろ?
アイツらがナリフ町長に、クロー鉄鉱山に殴り込みに行く許可を貰いに行ってる筈だからよ アイツらと合流して、入山する予定だ」
「鉄鉱山を占領している魔物の情報は?」
「下級がほとんどらしいが、上級の魔物が確認してるだけで8体いる。
最上級がいるとは聴いたことねぇから、俺たちだけでも何とかなると最初は思っていたが……場所が悪くてよ」
「坑道が狭いから?」
「ガスだ。
魔物共が坑道中に麻痺煙の毒魔術を流していやがる。
おまけに魔物共が放つ瘴気も濃く、坑道の奥は対策しようにも、ものの3分で肺と血が腐っちまう」
魔は、魂を魔物と化す代物ではあるが、魔術を使うための魔力の基でもある。
一般的に人は呼吸によって魔を魔力へと変換し、自らの血に溶かすことで魔術などに使用する。取り込む魔の量、いわば魔力量には上限があるため、人は魔力を常時吐気や皮膚から放出もしている。
この処理が出来ない量や濃さを短時間に与えられると、過剰な魔が肺を破壊し、魔力に出来ていない魔がそのまま血液中を流れ、人は魔中毒と呼ばれる症状を引き起こす。
魔中毒は中等症状から死亡しかねない危険な中毒症状で、魔物からの被害で最も対策しにくい。魔物たちは息を吐くように魔を放出するからだ。その量は、魔物が強ければ強いほどに多く、また濃い。そして、可視化するほどの量と濃さを持つ魔になると、私たちは“瘴気”と呼ぶようになる。
どれだけ魔力量があろうと、人は普通、瘴気を魔力に処理しきれない。
「……3分以上の侵攻は困難で、麻痺煙を吸えば動けなくなると瘴気による魔中毒で死ぬ……クロー鉄鉱山は以前から落盤事故が多い場所。魔物との戦闘になって、思わぬ事故や罠で閉じ込められてしまう可能性もあるわね。
いっそ坑道の換気は出来ないの? 確か通気孔がこの辺りにも幾つか開いていた筈だけど。それとも、地上周囲への影響を防ぐために敢えて閉じているの?」
気付くとグラッパは目と口をパックリ開けて呆然としていて「ごめんなさい、質問攻めにしてしまったわね」謝ると、彼は豪快に笑い出した。
「いやいや!流石は姫様だ!話が早い!
ネロスにゃあ三度言ってもまるで通じなかったんでビックリしただけだ」
「彼と比べないで」
女神期832年 王国夏季 三月十二日
峠近くの山小屋で仮眠を取り、明朝に山を下っていき……昼下がり。
私たちはポートに着いた……が、町に入る為の巨大な鉄門は閉じられたまま。しばらく様子を窺っていると門の上から出迎えを受けた。
「私はナリフ。
港町ポートの町長を務めさせていただいております」
門の鋸壁から顔を出し、私たちを見下ろす───高く大きな鼻と長い赤髪を束ねた───ドワーフの老婆だ。その言葉遣いは丁寧だが、その褐色の視線は嫌悪感を含み、真っ直ぐと私に向けられている。
「何用でいらっしゃったかは聴いております。
勇者たる彼を招き入れる事は許可しますが、王族であるあなたをこの町に入れることは叶えられません。申し訳ありませんが、お引き取りいただけませんか?」
「町長! 姫様はまともな人だ! このグラッパが保証するぞ!」
「グラッパ、その方が信用に足るかどうかの問題ではないのです。
この町に住まうドワーフのみならず、人間の多くも、フォールガス王家への強い怨恨を抱えている……その私情な矛先をこの方に向けさせないため、この町に入るべきではないと忠告差し上げているのです」
「んなこと言ったって今日は満月だぞ! 魔物除けのお香だって効きゃしねぇのに門前払いなんてあんまりじゃないか!」
「泊まる宿屋がないと仰るならば、西門の手前から下民街へと入ると良いでしょう
もっとも、魔物以外の危険に晒されるとは思いますが、それはあなたの父が作り出した無法地帯。自己責任でお願いします」
さて……鉄壁な町長の門前払いをどう切り抜けるか……。
そうこう頭を整理していた、僅かの間に
「僕ね! 馬鹿だからミトは必要だと思うよ!」
「ゲホッ」
「はあ」
唐突にネロスが声を張り上げた。
「それに、“しほー”問題ならミトが解決できるよ」
何のこっちゃわからなかったが、町長はネロスの言葉に目を丸めた。しほー? 司法のことか?
「……勇者が予知夢を見る、とは聴いていましたが……本当のようですね
グラッパからその話を事前に聞いていたとも考えにくいですから……」
町長は顔を深くしかめるも
「敢えて、あなたに賭けてみるのもいいのかもしれません」
護衛のドワーフ戦士たちの反対もはね除け、町長の命令により……ギギギギキ……重い鉄格子の門がゆっくりと上げられていった。
「ようこそ、港町ポートへ。
あなたを招き入れたこと、私に後悔させないようお願い致します」
ナリフ町長の顔は、固く引き攣ったままだった。
2022/7/18改稿しました