第39話➀ 忌み心な再会
「あ〜ぁ、負けた負けた。
魔力供給用の一号も殲滅、撤退出来たのも五号数匹だけだなんて大敗じゃない。
また遊び過ぎたわ……悪い癖、ウフフフ……」
操作する一つ目玉の大きな蜘蛛から視界共有を終えたソイツは、一仕事を終えたかのように伸びをして、木のカップに注いであった温かい血の紅茶を上品に口へ運んだ。
下半身が蜘蛛になった女のエルフとでも言うべきか、ソイツの上半身はかなり人らしかった。ただ、その身体は硬質な甲殻を持ち、腹側だけが人らしい皺と毛のない柔らかい皮が張られている。
頭から首のほとんどは兜のような甲殻に包まれて、正面からは目が覗き込めないが、青紫色な唇を妖艶に舌なめずりする口元からツンと尖った鼻だけは開けていて、ソイツの妖しげな笑みを隠すことはない。
「マグラ様、第二孵化場ニテ、オ見セシタイモノガアルト、メイデンガ……喚イテオリマス」
カビた木製の壁と一体になり、苔の生えた大きな蝿のような魔物からカタコトの言葉が流れ
「そう、わかった。
ときには、真面目な博士ちゃんのところに行ってあげないとねぇ」
マグラは、優雅に濃く深い紅茶を楽しみながら第二孵化場へと向かった。
レンス・タリーパ。
ナラ・ハの森、その中心にある、世界樹をくり抜いて作られた城。
成長の止まった世界樹を結晶樹の根が長い年月をかけて浸食し、まるでクリスタルのような外見に変わった神秘的な城───だった場所。
それが、黒紫の竜エバンナの放つ瘴気で結晶樹が腐敗し、レンス・タリーパの宝石の如き外見が融けかけた蝋燭のように拉げた。つい数か月前までは、そのエバンナが半壊したレンス・タリーパを根城として、魔物たちを言いなりにしていたのだが、エバンナを襲撃した何者かとの熾烈な戦闘と―――魔王の魔力砲、その余波が城を溶かしきった。
今、レンス・タリーパはお椀状に変形した、腐った切り株だ。
ただ、数多くの魔力寄生の植物や、魔物を集める……魔の詰まった蜜箱でもあった。
「おおマグラ様!
御足労いただきありがとうございます!」
第二孵化場、その名の通り、数多くの卵と繭に覆われた、カビた木皿の残る城内食堂跡。
そこに、ナメクジのような身体、無数の触手の吸盤代わりに目玉が生えているような魔物が、様子を見に来たマグラに、全ての目玉をパァと見開いた。
「メイデン、進捗はどうかしらぁ?」
「最終チェックを終え、いつでも出撃可能です!
何だったらこの私も出撃出来ますぞッ! ハァハァ! 最速で現場へ!
あ・な・た・の・為・にッ!!! ハァハァ! 時速20メートルで!」
「勿論あなたはお留守番よ、だって雑魚じゃない」
「嗚呼ッその厳しい御言葉が私の目を眩ませる! フアア!
しかしこのメイデン!マグラ様のお役に立てるな―――」
永遠と続くメイデンの言葉を適当に聞き流し、マグラは脈動する繭の一つを、眠る我が子を慈しむ母のように柔らかく頬ずりした。
僅かに透けた繭の中には、様々な姿の魔物たちが丸く縮こまって眠っており……その繭が、第二孵化場だけでも百個近く、上下左右の壁にビッシリと張り付いていた。
「はあ……うっとりする香しい魔……甘く、腐った、蜜の香り」
メイデンがこしらえた粘液と、マグラの糸で出来ている繭は、まるで胎盤のように眠る魔物を支え、魔物の身体に貫通するへその緒のような管が”壁”と繋げられていた。
「レンス・タリーパが溜め込んできたたっぷりな魔を注入すれば! 傷ついた魔物も生意気な魔族もビンビン元気いっぱい!
この私も壁を舐め舐めするだけで一日中働いた疲れも吹っ飛びエクスタシー! ハァハァ!」
「あらやだ、はしたないわ」
壁からも湧き立つ魔は彼らが踏む地面も同じで、メイデンはマグラの足にギリギリ届かない絶妙な位置の地面をヤスリ状の舌で舐め取り、鼻息を荒げた。
「そうだわ、お願いがあるの」
「へい!何でございましょう!?」
「敵に変な奴が増えてて、錬金蜘蛛をいっぱい殺されちゃったのよ……ああ、可哀想な子どもたち……ウフフフ」
「何号をどのくらい御所望で?!」
「一、二号は500。三、四号は100。五号は20ほどあればいいかしら。
材料が底をついても構わないわ。すぐにい〜っぱい、腐る程手に入るんだから」
「りょぉおおおおかいしましたぁああああ!! うっひゃあああ!!」
マグラにとっても、とても関わりたくない気の触れた変態だが、壁を舐めながら休むことなく、せっせと言うことを叶え続けてくれる真面目な魔物メイデンに
「あなたがいて助かるわ、メイデン」
「はっ───」
マグラは何よりもの活力剤であるキスを触手の目の一つに与えた。
すぐさま全ての目が真っ赤に充血し、触手の下に隠れた鷲鼻から蒸気が吹き出して
「メェエイデンン死ンでモ頑張るぅぅううひゃあああアアア!!!!!」
動きの悪い体の代わり、無数の触手を伸ばし、高速で仕事を始める。
「───うぅ……」
メイデンの触手が、小さな鉄格子の中で折り畳まれるよう囚われていた若いエルフの首を掴み、手元へ引きずりだした。
エルフの手足は蜘蛛の糸でひと括りに縛られており、目も口も開かないように樹脂状のもので塞がれ、特徴的な耳は既に切り落とされている。加えて、鉄格子という金属に長く触れていたせいか、全身の皮膚は赤く腫れ、息も荒い。彼は、まな板の上の鯉であった。
「チェエエエストォオオオオ!!!!!」
彼らのほとんどは、中級から上級の強さを誇る魔物を急速に産み落としていくジュ・ルーの子───大群をなして人を襲撃する虫型魔物───が生かしたまま連れてきた者たちだ。
レンス・タリーパをエバンナが占領していたときから、マグラたち魔物は、人やエルフを生かしたまま捕まえ、一定数、所有していた。それは、家畜という意味合いでだ。
食事としては勿論、錬金術の素材としても、魔物に変える為にも人は欠かせない材料だ。しかし、人間もエルフも繁殖力の高い生き物ではないため、需要と供給が全く追いつかなかった。だから、ジュ・ルーの魔物はせっせと仕事熱心に人を攫いに行っていた。
勿論、生まれた者もいるにはいる。
ただ、彼らはマグラが特に”可愛がってしまう”のだ。
「はあ……、本当に単純で可愛い子よ、メイデン。そのまま一生働き続けてくれるなら文句はないわ」
第二孵化場を出たマグラはその足で、レンス・タリーパの中心へと向かった。
かつては上層下層を繋ぐ螺旋状の階段だったが、階段と柱が崩壊した今、地下への入り口だけがポッコリと空いた大穴になっている。
その縁に立ち、マグラは地下を覗き込んだ。
底に見えているのは、世界樹の、人の胴体ほどに太く、1キロメートルを超える長さにもなる側根が、何かを抱え込んでいる様だ。
丸くぷっくりと膨らんだ巨大な根の塊。マグラが覗き込む今も、側根は少しずつ少しずつ蠢き、増えて、塊はどんどん大きく、長くなっている。
固持したいのか、守りたいのか、はたまた、囚えているのか……世界樹の何かに対する反応の理由に───しかし、マグラは興味がない。
ただただ、自然と笑みが溢れてしまうほどに凶悪な閃きだった───嗜虐心を存分に煽り、マグラは堪らず熱い息を漏らした。
「血肉で溢れかえるレッドカーペット、止まぬ阿鼻叫喚の喝采にて……あなた様の復活を、奉祝いたしますわ! エバンナ様……!」
2023/04/21改稿しました