第36話➂ 買い物ついで
「私はセルジオ。このシェール共和国の最高議長だ。
彼女はワンダ・ロヴ・ポダラ。魔術師協会の会長だよ」
セルジオは猿面の獣人だ。広場で行われたドワーフ盗賊の処刑から、上着と靴を、更にキレイなものに着替えている。
「おっふ♡」
一方、セルジオよりも頭一つ小さいワンダは、色白なブルーエルフで、腰まである長い、シルクのような金色の髪を三つ編み、長い耳には彼女の部族を示す小人の頭蓋骨がピアスのように下げられていた。
そして―――ツンと尖った鼻と緋色の目、紅の塗られたみずみずしい唇、もう少し隠してほしい胸の照り、抱き寄せたくなる細いくびれ、大胆にスリットの入った太腿……そんな豊満わがままボディのシルエットがくっきりと見えてしまう、罪な、布(服)……。
だが、美女の容姿は彼女のアイデンティティではなかった。彼女の容姿を特徴づけているのは、”喉”だった。
「それ、もしかして”竜骨”か?」
「あら、コレに気付かれるとは……素晴らしい」
ワンダの喉には、男性の喉仏とは違う、凹凸の強い喉仏があった。ただ、彼女の声色は低くない。
「友人たちにその骨があるせいで、面倒臭いとかなんとか」
「そうですか……その友人らはさぞかし大変でしたでしょうね。
魔術師にとって、この竜骨は、まさに喉から手が出るほどほしいものですから」
【竜骨:数十万人に一人、人体の発生途中で偶発的に作られる、舌骨と連結した骨。
本来、呼吸と一緒に肺に取り込んだ魔は、一度血に乗せて、骨髄や甲状腺などの内臓に向かい、魔力に変換される。そして、再び血に溶ける。
だが、竜骨を持つ者は、喉の位置で魔を取り込む事が出来て、且つ、竜骨の骨髄と甲状腺で即座に魔力へ変換。そのまますぐ呼気に魔力を乗せて魔術を放つこともできる(詠唱法)。
つまり、この骨が先天的にあるだけで、魔を魔力に変換する速度が普通の人よりかなり速い、ということだ。】
「失礼、自己紹介が遅れました。
私はワンダ。以後、お見知りおきを」
「えっへ、どうもどうも
俺はラタって言いますぅ」
生唾を飲み、鼻の下を伸ばすラタ。僅かの理性でセルジオに目を逸らすも「べっぴんだあ♡」チラチラと彼女の姿を横目で追ってしまっていた。
そんな大男の惚気顔を気にする素振りはなく、ワンダはおっとりとした口調で
「ウロの報告によれば、あなたは雷魔術を組み入れた武術を使っていらっしゃったとか」
「ええ、へへ、そうでさあ」
「雷魔術は五つ星以上でも扱える者が少ないというのに……武闘魔術師の資格等、取っておられないのですか?」
「いやもうほんと、感覚とノリでやってるもんで」
「なんと……知識も身につけば、より一層の応用と機転が回りますのよ?」
「そういう調整は全部、テッちゃんに任せっきりだったもんで」
「テッちゃん?」
「ああ!いや!なんでもないっす!」
「なるほど……あなたに魔術を指南していた魔術師がいらっ―――」
「回りくどい物言いは要らぬ。
単刀直入に言おう、是非とも我々の戦いに参加してほしい!」
言葉を潰され、呆れ顔のワンダを尻目に「その為にここに来たのだ」セルジオは同じ背丈のラタに強気に詰め寄った。
「貴公、このシェールに永住するつもりはないかね?」
「なんだってぇ?」
「今、この国ほどに安全な場所はないぞ。
長く懸念事項であったゲドの徘徊がなくなり、そして、エバンナの瘴気が失せた。この好機に、シェールへ投資しない理由などなかろう」
「その代わりに、ナラ・ハに巣食う魔物とやらのドンパチに俺が関われってことか?」
「話が早い。では、手伝ってくれるかね?」
「ちょいちょい待ちな。気が早いぜ。
人助けは結構だ。俺も御節介な性分だしな。だが、俺の損得勘定で動くのは好かねぇし、それを強いられるのも、人の話を聞こうとしないのもいけ好かねぇ」そう言うと、セルジオの表情は明らかに、陰りが見えた。
「もう一度、よく考えてみたまえ。
かつて四大国と呼ばれていた国々は崩壊したのだぞ。
王国だけがまだ残っているものの、遂に籠城戦へと追い詰められているというではないか。
最早どこも国の形を維持できておらぬ。仮に国を取り戻せたとして、瘴気に冒された大地、荒れ果てた街を立て直すのに何年かかると思う? そもそも農産物、海産物は国民の腹を満たせるか? 否、それが出来なかったからこそ、王国のポートは荒んだのだ。
それに比べてこのシェールは、広大な農耕地を持ち、恵みの残る山、澄んだ川、資源多い海に面している。
この場所は常に最高の立地であるからこそ、長い歴史上、多くの国がこの大地を欲し、戦いに明け暮れた。
そして遂には、この大地だけが、人が生きていける豊かな自然を残した……これは我々の勝利なのだ。堪え忍び、勝ち取った証なのだ! それがわからないのか?!」
「へー」
「法の下の社会が保持され、国の意思決定に議会があり、議員を民の選挙によって、そして、この最高議長が議員たちによって選出される。
国としての確固たるシステムが、今も残されているのはこのシェールだけだ!
その国の永住権が手に入る事ほどの報酬などなかろう!
貴公の働きぶりによっては、この議会への参政権も特別に用意することも私なら可能なのだぞ?!」
「ふーん」
「セルジオ、そろそろ彼の話も聞きませんか?」
「なんだと!? ワンダ、私の話を途中で遮るなど無」
「けーっ!」
スキットルに入れ替えておいた酒を一口、ラタは赤い頬をニッコリと引き上げて
「素面のくせに自分に酔ってるのか?
仲良くなれそうにねぇ」
「なっん」セルジオの面子を引っ叩いた。
「ワンダちゃぁん、俺、実は可愛い同行者がいるんだわ。
その子と一緒に、荒れ地の魔女ってのに会いたくて、此処を通りかかっただけなのよ」
「荒れ地の魔女……レキナですか」
その名に、ワンダの柔和な顔が曇る。それは反射的な嫌悪感のようで───ドブネズミや蛆虫の名前を聴いたときのように長い耳が垂れ、耳口を塞いでしまった。
「彼女に、何のために?」
「勇者を探すためだよ。
そいつなら有力な情報を知っているだろうって聞いてな」
「勇者……」
「寧ろ、あんたたちは何か知らないか?
女神の予言とやらを受けた勇者のこと」
ワンダはセルジオと顔を合わせようとしたが、セルジオはまだ顔に塗られた泥で真っ赤になっていて、誰とも目も合わせようとしなかった。
「王国に下された女神の予言……その彼が、バーブラから王国南部を取り返したこと、闇市に現れたゲドと互角の戦いを繰り広げたということまでは……私たちも知っています。
そして、彼は王都に向かったと」
「その王都から、更にどっか行っちまったらしいのよ」
「……それで魔女に」
ワンダはしばらく考えたあとで
「確かに、荒れ地の魔女は情報通です。何かしら、消えた勇者のことを知っている可能性はあるでしょう。
しかし、彼女は魔物に魂を売った者。エバンナの手下です」
「うーむ……そもそもの話で悪いが、エバンナって黒紫の竜、つまり、八竜様の一柱だろ? 性格はアレだが。
その手下って黒の賢者じゃ……」
「黒の賢者はトンプソンです。レキナではありません」
彼女はキッパリと、今までのおっとりとした口調の女性と同一人物とは思えない───強い口調で否定した。
「トンプソンは私の前任、魔術師協会の前会長であり
女帝マーガレットの相談役を務め
ファウスト一族が代々担ってきた黒の賢者であり
ここ数百年に一人の……武闘魔術師でした」
「ファウスト……死界渡りの一族」
「しかし、レキナが、トンプソンの魂をエバンナに売ったのです。それだけではない……ナラ・ハの女帝マーガレットの殺害も、彼女の邪悪な計画によるものと言われています。
それだけの悪事を働きながら、たかが一区画の荒れ地に篭り、闇市などという悪しき魔物共と人社会の真似事をしてのうのうと生きている……おぞましい女ですよ」
フンフン、と頷いたラタは、試すように
「じゃあ、そんなクソッタレな魔女に会おうって言ってる俺は……、敵になるのかな?」と、口にした。
ビーン……弦のように張り詰める空気。
口火を切ったのは、ワンダの溜息だった。
「今回の作戦で、私たちは彼女も標的に定めています。
ただその前に、あなた方が彼女とコンタクトを取るのは、寧ろ好都合なのかもしれません」
「!? ワンダ貴様何をっ!」
「レキナを賢者と認めることは到底できませんが……賢者相当の幻惑術師であることは間違いありません。
その彼女に今回の作戦の邪魔をされては不利になりますからね。
ただ、そのおつもりであるなら、私たちはあなた方に一切の作戦内容をお伝えすることはできません。それは悪しからず」
ニコッ、ラタははっきりと白い歯をこぼし
「安心しな! ついでに魔女ってのと仲良くなってくっからよ!」と、胸を叩いた。
「ワンダ貴様……!
自分がどれだけ大きな魚を逃したかわかっているのか!?」
応接間からラタが足早に去ったあと、セルジオは澄まし顔のワンダに掴みかかるような怒号を飛ばした。
だが、ワンダは、セルジオを唾吐く下衆と言わんばかりに見下しながら、ピンッ、と、耳を張った。
「レキナのいる荒れ地カルドラまでの道のりは、魔物の巣がある森の中心を迂回する経路がベスト。しかし、先日の魔王の攻撃の衝撃波により、魔物の巣がその経路に移動した。
つまり、彼らが私たちより先に森へ向かう時点で、私たちの戦いに、図らずも、大いに、助力することになるのですから、わざわざ何かを頼む必要などないでしょう?
頼むということは、報酬を用意しなければなりませんから」
そうあっけらかんと語ったワンダは、長いキセルに火をつけ
「むぐっ!」
人間や獣人の鼻には苦痛に感じる毒花の煙をセルジオに放った。
「土壇場になって使い勝手のいい戦士が来てくれるだなんて、女神様のお恵みかしら。
やっぱり天は見ているのよ、日頃の善行ってのをねぇ」
さあ、さっさと出て行きなさい……ブルーらしさ全開の高慢な態度に、セルジオは再び、顔を真っ赤に染め上げ、全身の毛を逆立てた。
「これだからナラ・ハの女狐共は好かんのだ……!
せいぜい腐った森の肥溜めになるがいいさ、その恵みをいただくのは我々なのだ!」
2023/03/28改稿しました