第34話② 出会いは必然
ポートの、上から下まで続く長い階段の中腹、入り組んだ家々の奥、塀の隙間を縫うように進み、王国様式のシンメトリーな建物の裏手に、その建物はひっそりとある。
複雑な形で増築されていった、天井の低い地底国様式の、鍛冶工房だ。
ガヂーン! ガヂーン! ぢゅゅぅぅぅ……。
重厚な金属音と、道路の端すらも雪が残らない熱気が工房の外に溢れる。ゴウゴウと燃え上がる炉の、咽返る鉄の臭いに負けない汗臭さ、火の粉が楽しげに舞い踊る。
頬がひりつく暑さに、マイティアは目を細めながら、自分の左足に嵌め込まれた補助具を見つめた。
それは複雑に曲げられ、分厚いバネに接続されている金属の枠と、金属を直に皮膚に当てないための革で出来ている。膝の上から足首の少し上に取り付けられたそれには、人の体重を支えられるような、技術屋の工夫とアイデアが詰め込まれていた。
「立ち上がってみ」
すっ……「屈伸は?」くにっ「そのまま立ち」すっ「膝を臍まで上げ」ふっ「ジャンプ」とっ、すた「左足で立ちながら靴下を履く」ふ、らら……すっ。
体重がかかる度に、脛の真ん中で屈伸しそうになっていた、やわやわな左足が、ピーン、と、マイティアの体重を支えて直立した。小走りに辺りを駆けてみても不穏な歪みは感じない。
「よぅし、取り急ぎだが、杖つかなきゃならん状況よりは幾らかマシになったろ!」
「ありがとうグラッパ! 二度と走れないって諦めていたわ!」
「これぐらいどうってことねぇよ」
グラッパ――――一際分厚い体格、大きな手足と鼻、長い耳、三頭身……特徴的なドワーフの様相の、王国の寒さにも負けない赤毛の剛毛で、長い顎髭を二本ずつに束ねた先に、二つのメダリオンをぶら下げた男性―――は、よろめかずに歩くマイティアを見て、ホッと胸をなでおろした。
また必要になるかも……そんな思いで作っておいた、サイズぴったりの革の防具やバッグ、防寒具なども併せて彼女の手に渡った。作り手のグラッパとしては、根を詰めてばかりの彼女の笑顔は一番の喜びだった。
「さて、姫さん……行く前にせめて、飯ぐらい食ってきなよ」
「……あなたたちの分すらまともに行き渡らないのに、受け取れないわ。
それに、急がなきゃ……」
「はあ……、本当に根っから生真面目な姫様だ。
ちょっとだけ、あんにゃろうの図太さを分けて貰った方がいいぜ」
子供たちが座る食卓に一際どでかい男が、今か今かと『いただきます』を待っている。その図々しさに、マイティアは苦笑いして、諦めた様に頷いた。
マイティアは、ラタとグラッパにすべて、赤裸々に打ち明けた。
自分が女神の子であることも
儀式で記憶を失ってしまったことも
儀式が失敗して瀕死の重傷を負い、生き残ってしまったことで、お尋ね者扱いにされていることも
そして、勇者ネロスを探していることも。
勇者ネロスの所在は、誰も知らなかった。だが、グラッパはマイティアに、知っていそうな人物を告げた。
(荒れ地の魔女……)
魔女は魔物の仲間と言われているが、人生の裏ルートを進む者にとっては違法の錬金術素材の売買に応じてくれたり、情報屋としての一面もあるため、彼女を頼る者は意外にいるのだという。
五里霧中の中、マイティアにとってその情報は、一筋の光明であった。
ただ、日記に書いてあった荒れ地の魔女は、マイティアだけでなく、ネロスさえも手駒に取る幻惑術の達人で―――とても”意地悪”だった。勇者が何処にいるのか、なんて情報をタダでくれる訳がないし、もしまた戦う羽目になったら、勝てる見込みがまるでなかった。
それでも、マイティアの背中を押したのは―――ラタの同行だった。
『ほほう! 勇者を探しに行くのか!
じゃあ俺も行く!』
どうして? 危険な旅になるのよ? と、確認するマイティアに彼は
『勇者に、俺も会ってみたいし
旅は道連れ、世は情けだろ?』と答えた。
その申し出に、躊躇いながらも、彼女は承諾した。断れるだけの力が、彼女一人にはなかったから。
「あらまあ、呑気にお食事ですか? 姫様」
「わぶ―――っ」
最後の食事をいただこうと決めてからすぐ―――手荒い出迎えが来た。
司法所の服装をした2人と、如何にも貴族な細い男が1人、そして、雇われただろう屈強な仕事人たちが3人。人を生きたまま連れて帰るつもりがあるのか不安になる、物騒な武装で現れた。
「あなた様の所在を通報するだけで金貨10枚
王都に生きて連れ戻せば金貨100枚……こんな簡単な仕事に、破格な金額を設けさせていただきました」
熊の毛皮コート、琥珀の腕輪に、銀のベルト、銀の剣を提げた、刺青の入った禿げ頭の男。そいつは、屈強な男たちからビラを取り上げ、それをまざまざとマイティアに見せつけた。
「あなた様が何故こんなところにいらっしゃるのかはわかりませんが……王都の状況を鑑みると、あなた様の罰当たりな行為に、女神様がお怒りになっているとしか考えられない」
マイティアの特徴が記載された下には、小さな家が建てられるだけの金額がデカデカと記載されていた……急遽作られた手配書は道具屋のセールチラシのようだった。
「何処へ逃げても無駄ですよ。この手配書は、そこら中にバラまいておきました。ポートは勿論、伝書鳥でトトリにも、シェールにも、送っておきましたから。
金に困った誰もが、挙ってあなた様を捕まえに来ることでしょう」
「――――っ」
再び筋肉が強張り、自分への罪悪感に震え始めるマイティアの耳に
「!!」
ラタが何かを囁き、彼女の白い手に一本の”酒瓶”を、すっ、と手渡した。
マイティアは、口の中に閉じ込められた乾パンを生唾で呑み込み
「―――うぅ! やるしかないごめんなさいやるしかないごめんなさい……っ!」
理性に何かを捩じり込むように、決意と謝意を交互に唱えた。
「何をブツブツと……だいたい王家の者ともあろう御方が……は?」
わなわなと震える彼女の手が、小さな”酒瓶”のキャップを、ガチッ、外し
そのまま……グビッ、グビッ、喉を唸らせた……。
そして彼女は――――
「こんの―――ゔぁあかぁああッ!!!」
潤んだ目で 稚拙な暴言を吐き捨て 空になった酒瓶を地面に投げつけ
男たちに背を向け 脱兎の如く全力で逃げ出した!
『大人しくしていても指名手配されてよぅ、悪者扱いされちまうなら
もういっそ―――悪くなっちまおうぜ!』
悪魔の囁きが、彼女の自己犠牲的善心を遂に、潰させたのだ。
「だーはっはっはぁあ!!!
いいぞいいぞ!
善を善と認めてくれないなら――――いい子ちゃんなんてやめちまえぃ!」
「うわあああああん!!!」
悪者への階段を転げ落ちるよう駆け下りるマイティア
「行かせんぞ!」
その眼前に、裏口で待ち構えていた屈強な男が現れるが―――マイティアを瞬きの間で追い抜いたラタが
「イッテラッシャァアイ!」魔術を唱えようとしていた男の歯を、目にも止まらぬアッパーでへし折り、マイティアの進路を確保した。
「はあ……聞き捨てならねぇ言い方だが、姫さんなら正義の使い方を間違えやしねぇだろう」
無事に港に向かっているだろう、耳に痛い悲鳴と怒号を聞きながら、二人の背中を守るよう、グラッパたちが貴族たちに立ち塞がった。
「何でもかんでも”神頼み”しやがって……ッ!
テメェらの手でこの町を取り戻した―――その決意を忘れてんじゃねぇぞタコ助が!!」
「……はあ、ハサン王があの娘に”手を焼いていた”理由が何となくわかった気がします」
酒瓶から跳び散った服の染みを睨んで、貴族の男は鎚を構えるドワーフたちを憎悪を込めて睨みつけた。
「そのドワーフ共を捕まえろ……ッ!」
走り出したマイティアは、続けざまに、罪を重ねた。
道を塞ぐフェンスを、召喚した剣で切り壊す・・・器物破損
立ち入り禁止の看板を無視する・・・不法侵入
アーケードに並ぶ食べ物を走り様に盗る・・・窃盗
立ち塞がる司法所職員を剣で切りつける・・・傷害
「渡さないとコロスわよ!」「マジだぞ」「ひょええええ!!!」・・・脅迫&強盗
魔力を流してスクリューを回す高価な小型漁船から漁師を追い出し、恵まれた血質を悪用して猛スピードで走り出した船はレコン川を勢いよく横断していった。
川の流れを突っ切るよう、水飛沫を上げながら走る高速船。流石にそれを追って来る船は見当たらない。
酒で鈍った理性が、冷たい風に吹かれて目を覚めてしまったのか、それとも酔いが悪化したのか……マイティアの顔はまるで洗顔していたかのように涙でびじょ濡れになっていた。
「終わった……何もかも終わったわ……私はもう、クズよ……どうしようもないクズに成り果てたのよ、お姉さま……あなたと離れてから、たった、半日しか経っていないのに!
嗚呼! グラッパ!グラッパ大丈夫じゃないわ、彼には家族も従業員もいるのに! 切りつけてしまった人だって 後遺症がなければ……っ、ああ、この船の持ち主のこれからの生活どうなるのッ?! 私のせいだぁぁあーっ!!」
「まあまあ。人生には盗んだ漁船で走りだしたくなる日もあるもんさ」
「ないわよッ!」
水面を揺らすほどのマイティアの悲痛な叫びと、スクリューを回す膨大な魔力。
それに引き寄せられたか――――。
「うおっ!」「いゃっ!」
グワンンッ! 漁船が後ろから突き上げられるように水面から跳ね、引っ繰り返る寸前でギリギリ持ち直した。
「この突進の仕方はもしや……っ!」
漁船の脇をぬるりと抜ける巨大な魚影が───バァシャッ!! 蒼白な鱗に包まれた巨大な蛇が船を掠って飛び上がってきた!
「カイリューモドキかッ!」
レコン川の食物連鎖の頂点であり、ドラン牛をも一呑みしてしまうほどの巨体と、鋼の剣を弾く鱗に包まれた巨大な”魚類”、カイリューモドキだった。
茫然自失になっているマイティアから舵をぶん盗ったラタは、飛び上がったカイリューモドキに潰されないよう、着水地点から急いで離れた。
間もなく、バシャァアン!! 巨体が水面を激しく打ち付けるように着水し、船体を軋ませる波を起こした。
「うううう……っ うえっ」
酒で満たされたマイティアの水っ腹がぐるりぐるぐる。
操舵輪にもたれ掛かり、吐きそうになるマイティアを、振り落とされないよう抱えたラタは、混濁したレコン川の水面から、キラリと光る大きな身体を見逃さないように追跡しながら
「右に回してくれ!右!」
「み、みぎ……みぎ、に……」
マイティアは魔力を吸う魔法陣に手を置きながら、何とか右に操舵輪を回し────バシャァ! 船尾を僅かに掠る、カイリューモドキの追撃をギリギリでかわした。
「さぁて……執念深い淡水魚にゃ引き際ってもんを知ってもらわなきゃな」
ラタはポケットに入れておいた巻物筒から一枚取り出し、魔力の雷で魔法陣に点火した。
爆竹の如く、パパパン! 破裂音を響かせながら空に舞い上がった巻物の黄金の光は、空に召喚術の魔法陣を転写し―――魔法陣の中心から分厚く長い柄が空間を裂いて飛び出した。
その柄を掴んだラタは、得物を、ぐぐん!と、船体が揺れる程の勢いで引き抜いてみせた。
彼の手に握られたのは、黄金の片手斧───細身なマイティアの体重よりも重い、オリハルコンの代物だった。
「小綺麗になって戻ってきたな!
いい面してらぁ……!」
当初、ラタが持っていたオリハルコンの大斧はボロボロであったこともあり、オリハルコンに目を奪われていたグラッパに、彼は大斧を惜しみなくあげた。
ただ、グラッパが欲しかったのは少しだけだったらしく、特殊技術でドロドロに溶かされ、不純物を取り除かれた残りのオリハルコンは再び、上品だが剛力な刃を携えた、片手でも扱える鉞として復活した。しかも、重いからと、召喚術による転出にも対応した巻物も数枚セットでついてきた。太っ腹である。
バシャ! 水面から背ビレを出したカイリューモドキはふらつく漁船を追い始めた。船が弾き出す水飛沫に当たる程に、ピッタリ後ろに張り付いてくる。
その様を眼下に収め、ラタは重い斧をぐるりんぐるりんバトンのように回し始めた。1回転、2回転と回転数が増えていく度、ヂリヂリ、刀身に黄金の電気が貯まっていく。
「みなぎる精力! 溢れる自信!
ビッリビリに満ち満ちてきたぜ!」
刃が電光で満たされ、陽光の如く輝き出し バリバリと、うぶ毛が逆立ち、空気が張り詰める。
バチッ!「キャッ!」ラタの放つ尋常でない魔力に晒された漁船の魔力入力装置(魔法陣)が許容限界を超えて爆発し
速度を落とし始める漁船に、カイリューモドキがここぞと、牙をむき出しに低く飛び上がった 瞬間だった───!
「嵐を切り裂け!
ストォムファァングッッ!!」
振り下ろされた黄金の斧から雷を伴う衝撃波が 荒ぶる竜の顎となって
カイリューモドキの傲慢な頭部から豊満な腹、背を食い千切り───遥か向こうの暗雲へと突き抜けた!
「ハッハッハァー! グラッパすげぇわ!
小っさくなってもそのままだ! 天才だな!」
「──── 」
飛び散る赤い血が灰燼と化し、生気も殺意も失った牙が情けなく空を向く。エラから蒸気を放ち、目が真っ白に茹で上がる。風穴の開いたカイリューモドキの巨体はレコン川にぐったりと落ち、腹を見せて動かなくなった。
夢現な圧巻の威力に……マイティアは尻餅をつき、空を見上げた。
大雪をこしらえていただろう鈍色の分厚い雲層を切り裂いた雷撃は、静かな曇天を騒がしく帯電させた。
轟く雷鳴といい、眩い稲光といい、肌をジリジリと痺れさせる緊張感は、決して夢などではない、現実離れした現実だ───そう理解した途端、マイティアは震え出した。
「な、に……この、威力……」
しかしそれは、恐怖の震えではなかった。
貴族の男たちを怯ませた声、屈強な男を一撃で寝かせた腕っぷし……ラタは只者ではないことをマイティアは察していたが、彼女は、ラタは”等身大”の実力なのだと思っていた。彼女の何倍も分厚く大きい身体だから。それから繰り出される破壊力のある一撃は当然、彼女と比べ物になどならず、鉄板を凹ませる程の強さを誇るのだろうと―――今にして思えば、その程度の力であると、勝手にみなしていた。
だが、目の前に広がる、穴の空いた雷雪は、“絵空事”の様だった。
空を裂き、嵐を喰らう剣閃 轟くは黄金の雷電、竜の咆哮の如し―――勇者の一族とされるフォールガス王家に伝わる勇者の”伝承”そのままの事が、今、まさに、目の前で起きたのだ。
そう、マイティアの震えは、確信だった。
誇張されたものと思っていた勇者の伝説が、現実に変わった衝撃だったのだ。
「あ、あなたは、何者なの???」
今再び、彼女は尋ねた。
ラタはにんまりと、笑顔で振り返った。
「嬢ちゃんには言ってなかったっけか?
俺はラタ・ガッド・フォールガス。
黄金の竜ゴルドー様に導かれ
金の賢者テスラ、青の賢者ヤドゥフと共に
魔王を封印した、勇者なんよ」
彼女は、間違いなく耳に入ったその姓が、本物と信じた。
2023/03/01改稿しました