第34話➀ 出会いは必然
ドボン!!!
レコン川に落下したマイティアは、叩きつけられた痛みと鮮烈な冷気に気を失いかけながら、なんとか水面から顔を出した。
「ぶはっ!」
レコン川は、王国北部から南部へ、そして、レコン滝を通じて神国方面、外海へ繋がっていく王国最大の河川だ。地底国との国境線でもある。雪解け水が怒涛に流れていく夏季とは違い、冬季は比較的に水の流れは穏やかだが、その代わり、水温は零度に等しい。
少し前まで猛吹雪に晒されていたマイティアの、脂肪のない身体は急激に強張り、引き攣った。
(か、わ…岸、に……なんと、か……少しでも……)
一番近くの川岸までは数百メートルある。
朦朧としてくる意識の中で、少しずつ、マイティアは下手な犬掻きで横に泳いでいくが……、泳ぐ間にも、彼女の身体はみるみる下流へ。
(勇、者……
ネロ、ス…っ ネロス……
会いたい…、会いたい、のに……)
ホズが彼女の上からマイティアを励ますが、その声も、水が流れ込んだ耳には遠く……、…………。
どぼーん。。 。
遠くで何かが水に落ちる音、バチャバチャと水を掻く振動が微かにマイティアの耳に触れる。
(だれ、か……だれ か……たす け て )
徐々に強くなる振動の方へ一度、此処にいるよと精一杯手を上げるも、それから間もなく
マイティアはレコン川の中に沈んでしまった。
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『トーラ・バ アウタ
セヴロロマッハバ・ホイホシサッサ
トーラ・ガ アウタ
レヅモモトレブフ・ホイホシサッサ……』
どこの言葉かもわからない歌が、くぐもって聞こえてくる。
ドクンドクン……優しい脈拍、人肌の水の中で、紐に繋ぎ止められている。
『テ・レッダ アラナ ルバアルバ アラナ
テクトン ライパイ ザガ トーラ・バ アウタ』
歌声は楽しげで、軽快な太鼓のリズムに、鳥のさえずりのような笛の音が重なる。
それは、祝いの歌のようだった。鼓動が高まり、笑い声が木霊する。
いつまでも眠ってしまえるような……柔らかな心地良さを――――
『テュポーン レコン!』
『テデバ! モーヌ! モーヌ・ゴーン!!』
――――おぞましい霊気が引き裂き 鋭く冷たい刃が腹を裂き――――
ヂヂヂヂヂヂヂヂヂッ!!!
失せろッ!!!
ここは貴様がいる場所ではない!!
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「あっ、わっ!」
何か、強烈な圧力に弾き出され、マイティアは飛び起き―――「いっ!っあぅ……」背中から足先まで一気に筋肉が攣った。
そうだ、自分は川に落ちて……気を失っていたのだと、すぐに思い出したが、彼女が目覚めたのは陸の上だった。
穴の開いた屋根、木製の簡素な壁だけで仕切られている吹きさらしの物置の中に、漁師道具が雑然と詰め込まれている。ずぶ濡れの衣類は木箱の上で干され、藻の絡まった日記も置いてあった。その代わりに、サイズの合わない乾いた衣服を着せられていて、だいぶ大きい男物の温かい羽毛のコートを毛布の様に掛けられ、寝かされていたらしい。
「おう! 起きたな。
思ったより元気そうで何よりだ」
胸腔にズズンと響く、大きく低い男の声。
マイティアは真っ直ぐ平行に顔を向けたが、その人の膝しか見えず……空を見上げるように顎を上げていってもまだ胸で、後頚部がくにゃりと折れてようやく、足下を覗く男の目と合った。
(でっ、か……ぃ)
人当たり良さそうな笑みの張り付いた面長な人間の男性で、恐らく上背は2メートル近くある筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)だ。月の映る海を覗いている様な深青色の大きな目は少し垂れていて、鼻は高く太い。王国の、北方貴族の顔立ちだ。
サッパリと短い、ブロンド色のごわごわな髪と、顎に1センチ程度に切り揃えられた髭。体毛も濃く、一見30、40代に見える出で立ちだったが、皮膚の弛みや皺はほとんどなく、見た目よりも若い可能性はあった。
三頭身のドワーフが肩車するよりも大きい彼は、水作業用の分厚いつなぎ姿でいて、これまた大きな釣り竿を担いでいる。男の腰には魚篭が提げられていて、未だに元気な魚の尾ひれがピチピチと水滴を放っていた。
「……此処は、ポートですか?」
現在地の確認にそう訊ねると
「ああ、そうらしい!」
「らしい……?」
節々が痛む体をゆっくりと起こし、立ち上がったマイティアは、耳の水を抜きながら、周囲をぐるりと見渡した。
川を挟んだ遠く向こうに地竜山脈の山壁がずらりと並んでいて、レコン川に沿って長い港が続く。港には大男と同じつなぎ姿をしたドワーフたちが疎らに船から魚を運んでいて、その手際は荒いが素早い。
港の反対側には山の斜面を切り開き、段々に形作られた家々がある。その建築様式はバラバラで統一感がないが、大体は三つ。雪に備えた茅葺の王国南部様式と、雨に備えた地底国~シェール北部の様式、そして、煙突が設けられた製鉄所や鍛冶工房。
地理的にも、町の特徴としてもやはり、王国の港町、ポートだろう。
そこまで見て、マイティアは、レコン川に落ちた自分をポートの漁師たちが助けたのか? と、推測した。ただ、その一人と思しき大男が、現在地のことを”らしい”と断言しないのは解せなかった。
「私を助けてくれたのは……あなた?」
十中八九は「おう」無難に当たった。
「ありがとう。見ず知らずの私を助けてくれて」
「どういたしまして。
それにしても災難だったなぁ〜! 大きい熊みてぇな鷹にスポーン!っと落とされたもんなあ」
「うっ……出来れば何があったか忘れて欲しいわ」
強張る手足に鞭を打ち、生まれたての子鹿のようにふらつきながら屋根の下から出て……マイティアは大男に再び感謝した。
「本当にありがとう……、お礼を、したいのだけど……持ち合わせがなくて」
ベルトに結わいていたウェストポーチも流されずに残っていたが、保存食は川水に浸かっているだろうし、大切な日記は水浸し。所持金はゼロ。今日の食事はおろか、極寒の冬季に家の中にすら入れない。しかも、稼ごうと思っても片足が不自由な女を、誰が“まともに”雇ってくれるというのか……。
「はあ……」
彼女は大きく肩を落とした。白く凍る溜息が頬を嫌らしく撫でて消える。
「あ……ごめんなさい。人前で溜息をついてしまって……。
私の名はマイティア。
あなたの名前は?」
「俺か? 俺はラタ・ガッド・フォールガスだ。」
すーっと耳に入って来た、ファミリーネーム。
しかしその姓は、ひょろっと出てくるものでは決してない。ましてやこの王国の、王都でもない港町で。
(きっと、聞き間違いね……私、疲労困憊なんだわ)
ジーン……締め付ける様な頭痛と、ふわ~っと襲う眩暈にふらつく。
「“やっぱり”調子悪そうだな……。
医者のところ行くか?」
「医者……、ごめんなさい、銅貨1枚も持ってないから……きっと、誰も診てく」
ぐー……。
正直な虫の音が空いた腹によく響く。
頬を赤らめるマイティアに、ラタはにんまりと笑顔になって
「ふーむ、マイティアちゃんが誠実さんで、四角四面くんだが、お腹は正直様ってのが、なんとなくわかったぞ。
ほれ、日頃からのイイ子さんにゃ、このムカゴサンを差し上げましょう」
腰につけた魚籠から活きのいい淡水魚ムカゴサンを、慣れた手つきで串に刺し、マイティアに差し出した。
「受け取れないわ……貰ってばかりじゃ」
「ふっふっふ、甘えが足りんよ!甘えが!
その程度の謙遜じゃあ俺様の御節介は跳ね返せやしないぜ!」
「えぇ……」
「納得ならねぇってなら、これはマイティアちゃんへの”ツケ”としよう。
あとでもう少し、お腹も財布も肥えてきたら、今度は空きっ腹の誰かを奢ってやりな」
ぢー。パチッ、パチ。
ドラム缶の中の焚火で炙る、ムカゴサンの脂汗が火に落ちて、香ばしい匂いが立ち上る。
美味しそうに焼けるのを今か今かと見つめているのかと思いきや、マイティアの青い目の焦点は何処にも合っていない。ラタが彼女の顔を覗き込んでみても、その視線にすら彼女は気付いていない。
マイティアの見た目は、ラタから見ても、”べっぴんさん”だったが、低体温症で気絶していた彼女から、凍傷にならないよう濡れた衣服を脱がした時に見えた、異様な傷痕はまるで、”調教”痕の様だった。
(もしかしたら、逃げてきたのかも……)
命辛々にクソ野郎のところから逃げて、怪鳥に捕まり、極寒の川に落とされたとすれば……あんまりな生き様だ、と、ラタの御節介の動力炉に燃料が投下されていく。
「なあマイティアちゃんよ、お前さん、行く宛あんのか?」
「行く宛……確か、お世話になった人がポートにいた筈なの。
赤毛のドワーフで、グラッパっていう人」
「おお! グラッパなら知ってるぜ!
あのフレンチフォークにメダリオン付けたイケおじドワーフだろ?」
当然、グラッパの容姿も知っているんだろうと、ラタは言ってみたが
「そう、だと思う……」
その人だ!と言い切れない様子だった。グラッパの容姿が変わった可能性も勿論あるが、お世話になった、と言っているのならば、会ったことぐらいありそうなものだが。
「あんらまあ!
誰かと思ったらマイティア様じゃありませんか!」
「!」
そのとき、聞くからにマイティアを揶揄する上擦った声の、高貴そうな服装の人間の一団が港へ降りて来た。すると、船から魚を積み上げていたドワーフたちが慌てて逃げ出し始め「野郎!」人間の一団がバラバラに逃げたドワーフを追い始めた。
「ドワーフの違法漁業を取り締まろうと思って泥臭い所まで来たら、まさかあなた様に会えるとは!
王都にお帰りになったのではないのですかぁ?」
「…………。」
様、と敬称をつけて呼ぶには如何にも嫌らしい言葉尻だった。
マイティアの表情も急に強張り、亀が甲羅に篭もるように、男物のコートに埋もれた。
「あなた様と”勇者”がこの町を発たれたあと、ポートの治安はみるみる悪くなってしまいましてね」
「どう、いうこと?」
「このポートを取り締まっていたマルベリー様が”不幸”にもお亡くなりになり、その他、高尚な貴族たちもあの戦いで誘拐されてしまった結果、嗚呼! 下民街の連中が我が物顔で表に出て伝染病を撒き散らしながら、強盗、強姦、殺人! 犯罪行為が毎日毎日留まることを知らない! この町を一体誰が再び統治できるというのか!?
そんな窮地に王都からようやく助け舟が来たんですよ。
一時は、この港もドワーフで埋め尽くされていましたが、ご覧ください、姫様。土塗れの町がみるみるキレイになってきましたでしょう?」
ニタニタと下卑た笑みを浮かべた男は、働いていたドワーフたちがいなくなり、閑散とした港を嬉々として示した。その指す先には、一団の数人が港に杭を打ち付け、【ドワーフの漁業は違法です! 王国資源を食い潰す悪を許すな!】という看板を取り付けようとしていた。
「……どうして、そんなことするの?
あなたたちは、トトリと……ドワーフたちと手を合わせて、魔物の軍勢を追い返したんじゃないの?」
「確かに、追い返しはしましたよ。それで調子に乗ったドワーフ共が、王国の領土を不法改造して巨大な鍛冶工房を造ろうと計画しやがったんですよ! 勿論、看過できませんでしょう?」
「それは……、取り返した鉄鉱山を有効活用する為の施設じゃ」
「クロー鉄鉱山の貴重な鉄鉱資源は当然! この、王国の、ものでしょう!?
姫様ぁ? 失礼ですが、頭でも強く打たれましたかぁ? ああいや!あなた様は元よりドワーフの肩を持つ方でしたか!」
「それは……そ、の…」
マイティアが言葉に詰まっても、男たちの憂さ晴らしは収まらない。
「だいたいナリフなんて胡散臭いドワーフババアの口車に乗せられて、マルベリー男爵を手に掛けるなんて一体どういうつもりだったんでしょうかね!教えて頂けませんか?ええ!?」
「下民街の犯罪組織とつるんでいたナリフが、悪徳商法で金と威厳を集めていたか知っていますか? どれだけの貴族たちが被害に遭ってきたかご存知で、あれに協力していらっしゃったんですか?」
「そもそも他所から来た何も知らないじゃじゃ馬がよくも――――」
「漢じゃねぇなああ!!!」
男たちの言葉を掻き消す程の、ラタの大声量。
その強烈な圧を間近で受けた男たちはビグッ!と全身を硬直し、そのまま立っていられずに尻餅をついてしまった。
ラタが放ったのは、ただのデカい声ではなく、彼の”怒りから生み出された”膨大な魔力の塊であった。
それが津波のように、男たちの魔法障壁を飲み込み、その者の心の臓までラタの魔力が押し寄せた。
他人の過剰な魔力を強引に捻じ込まれると、脳が急性魔中毒状態になりかねないと勘違いして、横隔膜に呼吸をしないよう一過性の指示を出してしまうトリック反射で――――男たちは数瞬、呼吸が出来ずにパニック状態に陥ったのだ。
「女の弱みに集る野郎は、一ッ番嫌いだ。
男が女より強く出来ているのは、女、子どもを守る為だろうが。恥を知りな!」
何をされたのかさえ分かっていない男たちは口を震わせるばかり。
放心状態でいる男たちに唾を吐いたラタは
「グラッパんとこ、案内するぜ。
自分で歩けそうか?」
「……ごめ、ん、なさい……自分でも、なんでかわからないのだけど……体が、固まって、動かないの……。」
コートを掴んで小さく縮んでしまったマイティアに手を差し伸べるも、ガチガチに強張った彼女の体は小刻みに震えるだけで、目には涙も滲んでいた。
「それじゃあ、抱っこだな」
マイティアの濡れた荷物をササッとひとまとめにすると「ひゃっ!」丸まったマイティアをそのまま、ひょいっと彼は抱え上げた。
高い高~いされた子供のように、ラタに両脇を抱えられ、彼女の手足は解れてだらりとぶら下がった。
同じ高さになった互いの目線が交わると、マイティアの藍色の瞳が、日の光で金色に変わるのをラタは確認した。
「勇者と旅した姫様ってのは、お前さんの事だったんだな
流石は運命を司る八竜様だ、どしどし引き寄せられてくるね」
「……あ、あなたは、何者なの?」
「うーん、お前さんたちの遠い親戚ってところかな」
にんまりと、陽気に頬を引っ張り上げた。
「肩の荷を降ろす気持ちでさ
是非とも、お前さんの冒険譚を聞かせてくれよ」
2023/02/25改稿しました