第33話① 終わりは不意にやってくる
「心拍も安定しているみたいね
良かったわ、元気そうな顔を見られて」
穴の開いた使い古しのベッドに仰向けになっているマイティア、その胸の中央に大きく広がる、周囲の皮膚を引き攣らせた瘢痕へ聴診器を当て、セイレーンの女性が耳を澄ませる。
聴診器から聞こえてくる規則的な心音。手首から触れる確かな脈拍。
その女性は人当たりのいい柔らかな笑みを浮かべて、書類に病状をスラスラと書き留めていく。
この日、教会の地下に訪れたのは、セイレーンの医者イオラだ。サーティアが日用品の買い出しの他に、サンプトの町に降りて行った用事の一つが―――イオラに往診をお願いすることだった。
町医者とはいえ、イオラはサーティアと同じく暗部のエルフで───ハサン王に対する侮辱及び傷害未遂の罪で投獄されていたサーティアと.同じ釜の飯を食べた仲だ。そして、裏切りが死に直結する組織に所属していながら、彼女はサーティアの共犯(マイティアの生存を報告しないこと)になることを、一つ返事で快諾した。
「マイティアさん、他に心配ごとはない?」
「えっ」「?」「ごめんなさい、聞いていなくて……」
上体を起こし、上着を着ていたマイティアは、どことなく俯いていた。視線の先には何もなく、ぼんやりと虚空を見つめている。
「大丈夫? 何か思い詰めたことなんてない?」
「いいえ、ホズが来てくれてから、ちっとも寂しくないわ」
そう言って顔を上げたマイティアは、近くの止まり棒からホズを指で呼び寄せ、分厚い革の篭手をはめた右腕に移動させた。
そして、ホズをぬいぐるみであるかのように、両手で抱え、膝の上に置いた。ホズも鋭い爪を彼女に当たらないようにずらしている。まるで鷹がお座りをしているかのようだ。
「ふふ、それなら良かった。
それと、表のベンチに座った雪だるま、すごく可愛かったわ。マフラーと手袋もしてね。
だけど、どうして左のほっぺに枯れ葉がくっついていたの?」
「あー……戦化粧です」
「い、戦化粧」
「……………。」
イオラがマイティアを診察している間、サーティアは傍らで黙っていた。
つい数時間前、町に一人で向かうサーティアを笑顔で見送ったマイティアが、サーティアの帰りに対して、落ち着かない様子で繕った笑みを浮かべた意味を――――サーティアは何となしに察していた。しかし、何も言わず、柔らかな笑みを浮かべたまま、二人のやり取りを横で見つめていた。
「何かあったら気兼ねなく声を掛けてね。
サーティアに言いにくいことなら、私も相談に乗りますよ。
「私たちはあなたの傍にいるからね」
「…………。」
イオラの言葉に、時間が止まったかのようにマイティアは固まった。口は小指が入る程に開けたままで、瞳だけが僅かに揺れる。その視線は誰にも合わない。
「ピ……」ホズの呼び声で、マイティアの時計が進み始めるも、彼女の手はどこか寒そうに互いを擦り合っていた。
一度、イオラはサーティアと目を合わせた。小さく首を横に振るだけのサーティアのサインに、イオラは「んー」眉間に皺を寄せてから……何かを思いついたように口を開いた。
「寝た切りだった頃と比べれば、かなり筋力もついてきたことだし……そろそろ均し始めてもいい頃じゃない?」
「均し?」マイティアは首を傾げた。
「体術、剣術、鎗術、弓術、隠術、各種魔術の出力調整とか、諸々。この世にはあらゆる自衛術があるわ。学んでおいて困るものじゃないからね」
サーティアは、イオラの熱い視線を感じた。彼女はサーティアが承諾する前に、既にほくそ笑んでいて、同意だけを求める目をしている。
「イオラ、流石にまだ早いんじゃないかしら?
……まだ左足のぐらつきも収まっていないもの」
「そのぐらつきは折れた骨がキレイにくっついて治らなかったからよ。これはもう、魔法医学ではどうしようもできないわ。」
「そうなんだ……治らないのね」
「絶望する事なんてないのよ、マイティアさん。片足でいながらハルバードを振り回し、敵を翻弄した武王、”案山子のシュワルゴ”みたいな人だって、世の中にはいるもの。要は、あなたにある強みを活かしていけばいいのよ」
サーティアは顔をしかめ、こめかみを搔いて唸っていたが
「許してくれるなら、私もやりたいわ」
彼女の目をまっすぐと見つめるマイティアの固そうな意志に
「はあ……」
サーティアは短く溜息をついて、負けたわ、とぼやいた。
「ランディアには敵わないけど、私が教えられる限りは心身に叩き込んであげる」
「た、叩き込むの???」
「だってもう、傷病人として扱わなくていいって事でしょう? おめでとう、この上なく嬉しいわ。
ですから、毛ほども容赦致しません。
覚悟してくださいね」
マイティアは口を真一文字に結び、イオラに助けを求めるも……彼女は満面の笑みを浮かべていた。頑張ってね、と、雄弁に語る笑みを。
マイティアはその日、フカフカな雪の上に30回ほど投げだされ、無事に筋肉痛になった。
7日もすると、マイティアは急激に肉付きが良くなっていった。
痩せこけていた頬も戻り、骨と皮に近かった腕はしっかりとした肉を纏い、食欲も増した。そのため、サーティアはより実戦的な特訓を、取り入れ始めた。
ビ っん―――ッカァヅ!
乾いた空気によく響く甲高い金属の衝突音と、分厚い木の幹を貫く低い音。
遅れて、ドサッ、雪の落下音が続き
木の枝に乗っていたホズが、バサバサッ、羽ばたいた。
「相変わらず……すごい精密射撃だわ
投げた輪を射貫くなんて、大したものよ」
マイティアがいる場所は、目標から5、60メートル離れていた。彼女はそこから、真っ白な衣を纏った樹齢100年はあろう大きな木の幹に、矢を放った。
羽根元まで深々と貫通している矢には、”かけられた状態”のリング型の廃材が、当たった衝撃で小刻みに振動していた。その廃材はコインサイズで、3センチほどのものだった。
「へへへ、弓だけは自信があるんだよね」
「それにしてもこの威力は……恐るべき血質だわ」
木の幹に羽元までめり込んだ矢は、しばらく経つと、シュワッ……と空気に溶けるように消え、ほすっ、廃材が雪の上に落ちた。
矢、そして、マイティアが使った弓はいずれも、彼女が作りだした召喚武具だった。
魔力で作られた武器こと【召喚武具】の威力は、術者の血質に依存する。
血質の良し悪しは、血に溶ける魔力(=魔力量)が多いか、少ないかで決まり───マイティアの血はかなり多くの魔力を含む。人間の中では上位5%程度に入る、血質の良さだ。しかし、ある意味では、それぐらいでしかなかった。
エルフを基準に入れてしまうと、彼女の血質は中の上になるのだ。つまり、抜きん出ていた訳ではなかった。
(イオラに頼んだミトの血質検査は、検査域を遥かに超えていた……。
ミトの魔力量は常軌を逸している。)
この前の往診時に、サーティアはイオラに採血を依頼していた。特段、気になった症状が見受けられたわけではないものの、マイティアを救命したときに見えた、心臓に根を張る種のような何か───それの影響が気になったからだ。
その結果、マイティアの血はほぼ魔力である、ということがわかった。勿論、エルフにおいても非凡だ。
(魔が多ければ魔中毒になるけれど、魔力量の過多で健康被害が出るとは聞いたことない……このままでいいのかしら……)
どれだけ勘ぐってみてもサーティアの疑問の答えを知る者は何処にもいない。
少なくとも、マイティアの強過ぎる召喚武具の扱いについては、『絶対に人に使ってはいけません』と刷り込むぐらいよくよく言って聞かせなければならないことだけは確かだ。最悪、彼女が召喚する刀剣は、人体をスルリと真っ二つに出来得るレベルの鋭さになりかねないのだから。
日が傾きだし、寒さも鋭さを増していく。
かいた汗がたちまち肌に凍りつく冷たい北風が、山から吹き下りてくる。そろそろ吹雪になりそうだ。
「ミト、今日はいったん……、 。」
特訓を終えて帰ろうとしたとき、サーティアの背筋に重い冷気がのしかかった。
風などではない。もっと陰湿な気配だ。マイティアやホズのものではない。違う何か。疑いを持った目。鋭利で、獲物を狙う獣のような視線だが……獣じゃない。恐らく人だ。
サーティアは首に刃を当てられたかのようにピタリと止まり、凍らない汗を噴き出した。
視線は動いている。少しずつ強くなっていく。
「サーティア、どうしたの? そろそろ帰」
「喋らないで」
マイティアの言葉を遮り、サーティアはすべての感覚を、まだ視認できない何かに向けた。
真っ白な雪に覆われた森。乾いた褐色と、白の世界。
次第に強くなっていく冷風だけが唸る緊張の中で
「あ、誰かいる」
気付いたのは、マイティアだった。
「信者服を着ているわ
北北東のところ、木の裏に二人いるよ」
「────っ!」
サーティアは雪を蹴り飛ばしながら駆けだし
「わっ」教会に向かうよう、マイティアの背を突いて急かした。
「なになになに?!どうしたの?」
「訳を話している余裕なんてないわ!
早く───戻って!」
「まだホズがっ」「ホズは大丈夫!」
未だ衰えない視線に、背を見せてしまう焦燥感に駆られながら、サーティアはマイティアを連れてバタバタと教会へ戻っていった。
2023/1/30改稿しました