第32話② その鷹は知っている
「ホズ、お腹空いた?」
ホズは、マイティアたちの言葉を理解しているように「ピイ」と鳴いた。
マイティアは日中ずっと、ホズと遊ぶことに夢中になった。王国の国鳥を飼い馴らしていることをバレてはならず、ホズを連れていく事ができないから――――町に降りたくない理由が彼女に出来たからだ。
ある日、ホズは鋭い爪を研ぎたかったのか、地下の、物置と物置の隙間の、シーツに覆われた床を剥がすかのように力強く引っ掻き出した。
すぐさまマイティアが
「ダメだよ、ホズ。爪研ぎをこんなところでやっちゃ」
ホズを持ち上げるも「ピピピィ」ホズは珍しく抵抗し、埃塗れのシーツの下を削ろうと爪を突き出していた。
「コホッ、ゲフぅ……あら?」
舞い上がる埃にむせながら、ホズから埃っぽいシーツを引き剥がしてみると、引っ掻かれて裂けたシーツの下に、”取手”らしきものが現れた。地下の地下に繋がる階段などではなく、恐らくは床下収納のようだが……鍵穴がある。
食料の貯蔵庫や衣服のタンスなどは場所を教えて貰っていたが、鍵などはついていなかったし、マイティアはこの床下収納があったことを知らなかった。
「サーティアも知らなかったのかな?」
「ピィ」
その日、最近ここを訪ねて来ないランディアの代わり、サーティアが日用品の買い出しとその他の貯まっている用事でサンプトに降りて行っていた。
だから、彼女の帰りは、吹雪いていなければ今日の夜、吹雪いていれば翌日になる。最短でも6時間ぐらいの猶予はある。
「うーん……鍵、やっぱり閉められているね」
試しに取手を引っ張ってみても、ガチャガチャと音を立てて開かない。
「ピー」「ホズ?」
マイティアが力づくで取手を引っ張っていた横で、ホズはサーティアの机にひょいと飛び上がり
「わーわーわーっ」
嘴で卓上本棚から本をばっさばっさ落とし始めた。
「ダメだよホズ! めっ!」
羽ばたいて抵抗するホズを捕まえるも、器用なホズの爪先が最後の本を引っかけ落とし、本棚が遂にがらんどうになってしまった。
「あー、傷までつけちゃって……これは怒られるわね……」
背表紙に啄んだ傷、ページに折り目、落ちた衝撃で丸まった角。隠し通せない程にクッキリした跡だ。隠し通せないだろう。
しかし、溜息をついた後、顔を上げると
本棚の底面に、指の腹でなぞってわかるぐらいの、ほんの僅かな膨らみがあることに気付いた。
「上から薄めの板を張り合わせているのかな……隙間、できそうね……細長いもの、細長いもの……ペンより細いの、あっ、定規」
ペン立てにあった10センチ定規を、底面と棚の間の隙間に差し込み、コッ、手応えのある何かを外へちょっとずつ掻き出していく……カロン。
「取れた!」
それは、”鍵”であった。
ただ、鍵先だけだった。
「これ……あの鍵穴に入りそうだけど、抜けないどころか、回せないなあ」
床下収納の鍵穴とサイズ感は同じであるから、この鍵で開きそうなのだが、このままだと小さな鍵先を鍵穴に入れても回す手元が残らない。
だがまあ、手元が伸びればいいだけともいえる。
「鍵の形さえ解れば、作ればいい訳だ。よーし」
マイティアは鍵先を羊皮紙の隅っこに置き、ペンでその形をなぞった。そして、その形から少し定規を使って手元を伸ばし、鍵の絵をナイフで切り取った。
「今から魔法陣を描くからね、ホズ、大人しくし……ありがとう」
ホズは、探してるのこれでしょ?と革袋に入った”魔法陣セット”を嘴に咥えてきた。
革袋に入った、色様々の粉が入ったガラス瓶のうち一つと、小刀、小皿、細長い金属棒をマイティアは取り出した。
魔力の込められた魔法陣用の淡い黄色のインク粉を少しだけ小皿に落とし、小刀の先で指をちょっと突く。ぷっくりと膨らんでいく血の滴を小皿に加え、先の丸い金属棒でインク粉と血を混ぜる。
しばらく掻き混ぜていると、インク粉が血中の魔力と混ざって緑色の粘り気なインクに変化した。
【インク粉:鮮血をエルフの特殊技術で乾燥させた粉末。その血はその者の魔力波長の色となる。魔法陣を描く際、必要となる魔力波長が自身の波長と合致しない場合、インク粉の色で任意の魔力波長を生み出すことができる。
一般的には、水で溶かすだけで使用できる極彩色のインク粉の方が使い勝手がいいものの、魔法陣に込められるのはインク粉に含有している魔力のみとなってしまう。(インク粉に含有している魔力は、作製時から空気中に離散していってしまうため、使用期限がある)
薄い魔力波長のインク粉では、自身の血と混ぜ合わせることを前提としているため、比較的に保存が利き、魔力を多く込められるが、使用には波長管理の知識と技能が要る。】
魔法陣を描く際に手がぶれないよう支える固定台に右手をセットし、作り出したインクで数センチの羊皮紙の鍵に数ミリ単位の魔法陣を描いていく。
構築、素材質、構成時間の配分などの要求事項の記載を基に、インクに流れる魔力の行き先を定め……循環させるのだ。
「よし……こんなもので出来るんじゃないかな!」
細密なドミノを組み終わり、起点となる魔力を指先から流し込む。
すると―――バチッ! 羊皮紙が蝶の様に舞い上がり青い火花を散らし、カラカララ……金属製っぽい鍵が作り出された。
「強度よし、形よし、長さよし。
ホズ、みてみて
こっちの鍵先と一緒でしょ? 合鍵の錬成術、成功だね
それにしても、記憶がサッパリないのに、悪い知識を意外と持っているんだね、私。正しく使わなきゃ」
「ピーィ」
作り出した合鍵を手に……鍵穴に差し込み、右に90度。
ガチャン。
ドキドキ……わくわくしながら、マイティアは取手を引っ張り―――開けた。
「あら」
中にあったのは――――本だった。
背表紙や表紙にタイトルはない。あるのは表紙に日付だけ。
女神期832年 3月~ となっている。”今年”だ。
「サーティアの仕事の日誌……?
それとも、日記?」
「ピピィ」
彼女の個人的な日記だとしたら、流石に好奇心よりも罪悪感の方が強い。
ただ、サーティアのものなら、こんなに辺鄙なところに隠すだろうか?
(日常的に使うけど人目に触れたくないものなら、鍵の付いたデスクにしまうのではなくて? わざわざ出しにくい場所に隠す意味が、サーティアのものなら、ない……か。
じゃあ……誰の?)
サーティアのものだったら申し訳ない―――そう思う徐々に罪悪感が薄れていき、好奇心が次第に大きくなっていく。
――――誰のものかだけ。
誰のものなのかだけ見て、すぐ閉じよう――――。
マイティアは、少し震える手で、その日記の1ページ目を開いた。
【私はマイティア・レコン・フォールガス
これは私の、これから失う記憶である】
「え」
自分の名前が書かれた覚えのない一ページ。
親しい者にしか名乗らないミドルネームまで記載されており、自分の字癖に合致する筆記体で書かれている。
「私の?」
「ピー」
思わず、マイティアはホズへ顔を向けた。
ホズは、まるで頷くように首を縦に揺らした。
「ピー、ピィ」
ホズはトコトコと彼女に近寄り
「あっ」
マイティアの手に乗った日記を爪でめくり
真ん中のページの間に挟まっていた”契約書”を嘴で掴み
「ピ」
それをマイティアに差し出した。
深青色の目の奥、金色の灯火が揺れる。
彼女は、自然と息を荒げていた。
「ホズ……私を、知って”いた”の?」
ホズは頷かず、ただ真っ直ぐとマイティアの目を凝視した。
保護することを決めたときの、甘える様な目とは違う。マイティアが目を逸らすことを許さない、獲物を逃がさない鷹の目だ。
「…………。」
目を離せないまま、マイティアはホズの嘴に咥えられた羊皮紙で出来た契約書を取り、拡げてようやく視線を落とした。
その召喚術の契約書の名は、マイティアと、ホズであった。恐らくは二人の血判まである。
そして、その契りの魔法陣は今、鋭い何かで切られ、効力を失っている。
「待ってよ……鷹と契約するなんて、王国民じゃ、王族しか認められない事で……。
そもそもフォールガスって……私、お、王族なの……?」
「ピィ」そうだ、と、ホズが頷く。
「王国の? 王族? どうして?
も、もし……そうだとしても、どうしてこんなところに、私は……」
マイティアの戸惑い、それを晴らす答えは両手の上に乗る日記に書いてある。
ホズの目を見ていられず、マイティアは再び視線を落とすが、目の前にある日記の文字を無意識に目で追ってしまう。
何の脈絡もわからない真ん中のページに書いてある
【勇者】と【聖剣】、【女神】の文字。
『君が いいと言ってくれるなら
僕はまだ 君と 一緒に いたいな』
その台詞をなぞる、色の変わった自分の指。
手の甲に、ぽつりと雨粒が落ち出した。
「あなたはだれ……?
どうして、あなたは 私の傍にいないの……?」
熱い目を拭い、鼻をすすって―――日記を、最初に戻す。
覚えのない”私”の記録。
マイティアは日記をめくり始めた。
”勇者” と
出会った頃から――――ときおり、はにかんで
2023/1/23改稿しました