第31話② 教会の廃墟にて
「うぅぅげぇえぅろろろろろ…………」
山道は体力を消耗する。それが雪山なら尚更だ。
「新記録よ、ミト
サンプトまであと2時間ってところまで来られたわ」
地図上では、サンプトへ向かうには東へ、山を下るだけで済む。しかし、2人が住んでいる第一教会(※廃墟)がある山は、針葉樹が並ぶ森で、起伏も激しい。かつて使われていた巡礼路も雪崩や崖崩れで形が変形しているため、スキー板やソリで一直線に下る事はできない。
ふかふかな雪に沈まないよう、ブーツに枝とロープで手作りのかんじきを作って、いざ若い女性2人は、もっそもっそ……山を降りていく。
序盤は笑顔を見せていたマイティアだったが、斜面と新雪の厚みに足を持って行かれ、歩き始めて1時間もしないうちに荒い呼吸に変わってしまった。
骨が繋がり、治っているはずなのに彼女の左足のぐらつきが収まない。途中から太い枝を添え木に加えてみても、自身の想像以上に踏ん張りが効いていなかった。
ひとたび右足が雪に取られると途端に抜け出せなくなってしまう。そんな調子でいる為、彼女の体力は人一倍に奪われていたのだろう。
「し、心臓が、ばくばく、してるぅ……ひっく」
目下の町に行ってみたい……それだけの理由に対して過酷なことを強いているようだが、例えサーティアがソリにマイティアを乗せて町に連れて行っても、当然、帰り道までソリには頼れない。
そもそもサンプトで買い物して帰るということは、行きより帰りの荷物が増える事を意味している。マイティアは最低限でも、片道分の体力と筋力が必要なのだ。
「少し頑張りすぎたかしらね……今、薬を用意するから」
サーティアはバッグから、革袋を取り出し、その中に水筒から水を少量注ぎ入れた。すると、しゅわしゅわと革袋の中で泡立ち、甘くもツンとする匂いが革袋から湧いてきた。
その革袋をマイティアに手渡し、ひぃひぃ喉を擦る息をする彼女の口元に近付ける……しばらくすると、弾んでいたマイティアの肩が、徐々に落ち着いていった。
彼女の心臓は、”不本意”に激しく鼓動し続けるときがある。安静にしているのに、走った後のように心臓が弾んでしまう発作だ。
普通は時間をかければ収まってくるものの、寝たきりだったときに一度、そのまま心室細動を起こして死にかけたことがある。発作が起こしたときの為にも、彼女の隣には誰かが一緒にいてあげないといけない。
「いつ、まで経っても……、ゲホッ、町に行ける気がしない……目に、見える位置まで、来てるのに……」
「けど、着実に近づいているわ。体力がついてきてるのよ
前より食べられる量も増えたしね」
「…、これから、帰るのに……登るのよね、いつも通り……」
「はい、そうですよ」
「ぴぇー」「泣いても背負ってあげません」
夕方、ようやく教会へ戻ってきた頃には
「ぷぇ〜」
マイティアは手足をプルプル震わせ「ネロスぅ」雪だるまの許へ四つん這いで向かうほど疲労困憊だった。
「ミト、明日も晴れそうよ。行く?」
「明日は勘弁してぇ……」
この調子なら、街に降りるのに数か月は持ちそうだ。
いや、数カ月しか、持たないのかもしれない。
「もうそんなところまで来られたのか?
発作も出てるのに?
やっぱり根性すげぇな」
その日の夜。
マイティアが疲れて爆睡しているところへ、日用品を担いできたランディアが現れ
「動き回れるぐらい元気なのはいい事だけど、そろそろ町には行っちゃいけないって伝えないと。匿っている訳だからさ」と言った。
サーティアは苦虫を嚙み潰したような表情で
「マイティアをずっと匿い続けるのは無理よ」とぼやき、マイティアの穏やかな寝顔を見つめた。
匿うと二人は口にするも、マイティアからすれば軟禁と同義だ。外に出ようと試みる事を禁じられないだけマシかもしれないが、吹雪で閉じ込められる最低な立地条件の場所で、大した娯楽も得られない廃墟の地下生活を強いられているのは、童心帰りした彼女の好奇心を無理矢理抑えつけているようなものだ。彼女には苦痛に違いない。それこそ、失った記憶の悪い部分が惹起されかねない。
「そう言ったって、何処に行く宛もないだろ。お互い様だけど」
「……ボルコワースたちは何処まで進軍しているの?」
「ポートまで来てんじゃねぇかな。
国道トンネルが使えねぇから、つまり、山越えしてよ。ポートまで来られたなら、トトリに行くのも、時間の問題だろう」
ランディアは顔に陰りを落とし、大きな溜息をついた。
「幻影ドップラーの毒に侵された奴は、死後に生き返り……魔物化する」
幻影ドップラー
魔王復活から間もなく、世界に忽然と現れた強力な魔物・四天王の1体。
毒にかかった状態で死亡した者を魔物化する力を操る、姿無き魔物……それがドップラーだ。
ドップラーの毒は魔物が媒介し、人や動物、毒を持っていなかった他の魔物の血にも入り込む。この血を粘膜に浴びてしまったり、皮膚面に付着してしまうと毒が体内に入り込む。
毒に侵されれば、徐々に衰弱していき最期は血を吐いて死亡する。そして、毒に侵されていた者は誰しも蘇り、生者の皮を被ったまま人に襲いかかる。
魔物と化した者は、手足を失っても、頭を失っても、灰になるまるまで動く。
その中には、ドップラーに直接操られている個体もいる。(ランディアたちはそのとき初めて、ドップラーという元凶が存在していることを認識する。)
現在でもドップラーの毒の解毒方法は解明されておらず、全身に毒が回れば数日と命は持たない致死率100%。
ドップラーの毒に侵された血を浴びたら、王都騎士は自らの四肢を躊躇いなく切り落とす。それが鼻に付けば、即座に鼻を切り落とす。腹に浴びたなら、願うように腹の肉を削ぐ。
そこまでやって、王都はドップラーという、一度広まってしまえば対処できなくなる恐ろしい脅威を、自分たちの町に留め続けてきた。
それが――――決壊してしまったのだ。
「重々、気を付けてきた筈だったのに……操られた王都騎士の”誰か”が団に戻って来て、毒をまき散らしながら仲間討ち……壊れるときは一瞬だった。
あっという間に数十人、古株のボルコワースもベスも、レウスもヌツも、ジュリア、ギドー、マルカン、ペドロ、リリス、オリバーもだ! 南門の奴らがみんなやられた!
あいつらを止めに入った連中も次々にやられて、グレースたちが籠城戦に切り替えて跳ね橋を落としたから……何とか王城は生き残っているみたいだけど、それ以降……情報が入ってこない」
ランディアはその動乱時、教会の廃墟で寝たきりのマイティアの面倒をみていて、日用品を買い出しにサンプトへ降りていったときに、その緊急事態を聞いた。
自分の戻る場所が大変な時に、そこにいられなかった事を彼女は深く悔やんでいた。
今すぐにでも行動を起こしたい衝動に駆られているものの、王国南部へと進軍していく”ドップラーの軍勢”に一人で立ち向かって勝てる算段はつかない。
それに、籠城しているグレースのところへ気安く戻ることもできない。自分が”ドップラーの魔物”ではないことを証明する事が、王都魔術学院とアクセス出来ない状態では恐ろしく難しいからだ。
「サンプトの第二教会には、王都から真っ先に逃げた……シャリス大神官がいる。
王族が女神になれば全て上手くいく、女神経典では女神の年齢の規定はないと王に吹き込んでいた一人だ……。
もしマイティアが生きていることがあのババアにバレたら、女神の御言葉に反したせいだとギャアギャア喚き散らして責任を押し付けてくるだろうさ。挙げ句、晒し上げられるかもしれないぞ。
だから、ミトをサンプトに降ろしちゃダメだ。絶対にダメだ。窮屈だろうがなんだろうが……此処にいるほうが安全なんだ……わかるだろ?」
サーティアもランディアの意見に反論はできなかった。
ランディアが王都騎士団に所属しているように、サーティアもとある派閥に所属している。それが、暗部だ。
暗部は、売国奴の調査や始末を請け負う公安組織であり、女神信仰に傾倒したハサン王ら”女神派”と対立する、右翼団体・”鷹派”の一部だ。
当初、トトリの戦いに参戦した後、サーティアは第一教会に住み込み、特定人物の監視をしていた……しかし、そんなことなどいざ知らず、此処にサーティアがいるという理由で、ランディアが自称勇者と共に瀕死のマイティアを連れてきた。
サーティアも自身の上司にマイティアが生きている事態を報告するわけにもいかず、特定人物の監視も雑になっている。暗部の任務失敗は最悪、裏切りを疑われて殺される可能性もあるものの───発作も抱え、王都の民に見られてもいけないマイティアを一人で留守番させることも、彼女を何処か別のところへ放り出すことも……サーティアには出来なかった。
思い返せば、厄介事を持ってきた張本人がそれどころじゃないと言っている訳なのだが、それは置いといて───悪い方向へ下りつつも停滞していた世の中が、急速に悪化し始めている……そんな状況で、サーティアとマイティアのやっていることは我が儘に思えるのは事実だろう。
それは、頭ではわかっている……サーティアはズキズキと脈打つこめかみに手を当て、深呼吸した。
「ミトが……サンプトに降りられるだけの体力を取り戻したら、”あれ”を彼女に返しましょう。
あとは、自分で選ぶ生き方……、それでいいでしょう?」
ランディアは苛立った様子で溜息をつき「ぐうううー」そんな自分への嫌悪感で頭を掻き毟った。
「女神の儀式がうまくいってればみんなは……」
「ランディ」
「振り返ってみても……それ以外、どうしたら良かったのかわからねぇんだ」
今日は此処で夜を越していきなさいとサーティアが促すも、ランディアは頑なに、吹雪いている夜の雪山に戻って行った。
人に優しく接するには、余裕が要る。
二人はそれを、失い始めていた。
2023/1/19改稿しました




