第6話 安宿の薄壁
竜の島とも呼ばれるこの大陸には
2つの人間の国
天竜山脈から伸びる大小さまざまな山々に作られた町と、一部エルフ部族が住まうツンドラ地帯を含む、北東部の雪国『王国』
王国とタタリ山を国境に、国土のほとんどを外海に面している南部の『神国』
2つのエルフの国
天竜山脈と地竜山脈に挟まれた窪んだ大地に張り巡らされた地下空間、無尽蔵な鉱脈地帯を持つ、中央部の『地底国』
地底国と隣接した大陸一巨大な森林区域を持ち、数百ものエルフ部族による多民族国家、西部の『ナラ・ハ』
この4つの大国が長らく均衡を保っていた。
だが、20年程前に封印されていた魔王が復活し、放たれた”四天王”によって、王国を除いた三国は滅ぼされた。
残された王国の命も風前の灯火で、四天王との戦いの最前線は王の足下へと差し迫っている───。
そんな中、20年の時が流れてから、唐突に沈黙を破った女神の予言が、かつて魔王を倒した者の呼称───勇者を示した。
王国辺境のキヌノ村から出て来た勇者ネロスは、女神ベラが宿る聖剣と、予知夢を含めた人間離れな能力を持っており、王国南部のトトリを魔物の支配から見事に取り戻した……。
私は何としても、この勇者を王都へ連れ帰らなければならない……のだが。
─────私の足は重かった。
女神期832年 王国夏季 三月十一日
「グランバニク卿に馬車を用意させた」
トトリを解放した翌日、朝日が昇ってきた直後……ぐらいか。
人前に出られるよう最低限の用意をする数分程度の時間すら扉の外で待てない図々しい男が、一夜を共にしたかのような我が物顔で部屋の中にいて「ひっ」私はひどく恐怖した。
確かに、私はコイツと顔見知りだ。そうあって然るべき関係もある。だが、近くに立ち入られても許せる”仲”では決してない。
勿論、前日から会う予定を組んでいて、私が寝坊したのならばあまり文句は言えないが、そんな話も手紙もなかった。
扉は施錠してあるし、突っ張り棒代わりのモップはドアノブにかまされたまま……コイツは入ってきた。恐らくは闇魔術の一種である影潜りを用いたのだろうが……そういう技術的な問題ではない……もっと根本的な、モラルの話だ。確実に致命的な……常識の話だ。
「タナトス……女が一人で寝てる部屋に魔術を使って侵入してくる、魔物並みの非常識について、釈明の1つ言えないの?」
「今更何を言うかと思えば、そんなもの要らないから言わないのだ
そもそも俺の言葉を遮って口を挟むお前こそ非常識だぞ」
タナトス……近衛兵の若き長であり、ハサン王の左腕・宰相アズの息子。親の七光り……その、塊だ。
濁った赤い目と角張った骨格、髭は短く綺麗に切り揃えられ、金の長髪を結び整え……私より頭2つ大きく、年は確か12上。
私は……コイツと”書面だけの関係”があり
肉体関係のある”愛人”が、私の”次に控えて”いる
「あれが勇者とは俄に信じられなかったが、実力がある事は確認した。
俺も侯爵らに父の言伝は伝え済んでいる。一刻も早く王都へ向かうべきだ、マイティア。これ以上は引き延ばせられない」
私が外に出ることを許すに当たって設けられた妥協点がコイツだった。その点で言えば、私の事情に巻き込んでしまった申し訳なさは多少感じているが……。
「こんな”記念旅行”なんぞに付き合っていられるほど俺は暇じゃないんだ「それは」そもそもだ、たかが行って帰ってくるだけの無駄な時間に何の価値があるのかサッパリ理解できん。馬鹿馬鹿しい」
「……あなたに理解して貰うつもりはないわ」
「なんだその言い草は。
お前がのこのこ”カタリの里”から戻ってきたんだろう。
この無意味な時間のせいで、救えた命をどれだけ見棄てているのか。
自分勝手な振る舞いがこれ以上許されると思うなよ」
「…………。」
鏡越しの緋色の目は……昔はもっと、夕日の様に綺麗だった。
だが今は……小さな獣のように、血走った目をしている。
「だいたい、あれ程”叩き込まれて”もまだ自分の宿命を受け入れんとは、恥知らずめ」
「やめて その話を外でしないで」
「お前が……────」
脳裏を過る痛み……胸の奥から湧き上がる感情で頭が満たされ、思考が圧し潰される。喉は焼き爛れ、胸焼けの煙を逃がすよう溜息を吐く……私はひどく俯いたまま、胸から昇る感情の波を飲み込んだ。
「わかった、わかった……もういい、すぐに用意して向かうわ。
だから外に出てて。これ以上、私に話し掛けないで」
王都に行けば……私は、終わりだ。
ただ、戻らないわけにはいかないし、戻るつもりはある。
これは私の……女神から課せられた宿命。運命なのだから。
「トトリの件、俺に責任をなすりつけるなよ」
「心配しないで、あなたがいたことすら忘れてるわ」
受け入れてはいる。
頭の中いっぱいに鬱々したまま、結局外に出て待つことはなかったデリカシー皆無の口うるさい野郎から逃げるべく、髪を解く事もないまま私は部屋を出た。
此処は、私とネロスがトトリに来て当初泊まっていた、北門に近い質素な宿屋で、私たち以外に宿泊客もいない。
私室の延長とばかりに扉の前で立ち止まり、誰もいないことを確認してから素早く着替えた。寝癖も加わった縮れ気味の癖っ毛を手櫛で後ろに、革紐でまとめる。顔も洗いたいところだが、奴の前に戻れる気力がなかった。
フロントへ降りていく途中で、静かな寝息が聞こえてきた。
まだ薄暗いカウンターを斜め上から覗くと、昨日の戦いによる衝撃で破壊されたガラスや皿を片付け疲れたのだろう、ほうきとちりとりに凭れて宿屋の主人が眠っていた。
まだ朝は早い。洗顔の為に水桶を貰いたかったが、その為に起こすには忍びなかった。
「あ、ううんッ! ミト、おはよ」
カウンター横のフロントを覗きにいくと、何故かソファに寝転び、指先で聖剣の花と戯れていらっしゃる勇者がいた……咳払いまでして……どういう状況だ?
「疲れてないの? 昨日、あれだけ戦ったのに」
「うん、食べて寝ればね、だいたい治っちゃうから」
最上級の魔物と、数百体分の魂を集めた強力な死霊との連戦。それ以前に、連れて行かれた先で魔物から一方的な暴行を受けていたらしく、よれよれな囚人服の下は痛々しい無数の痣があった……ただ、一夜明けて見える範囲にはもう、痣もかさぶたも、傷痕すらも見当たらない……羨ましい回復力だ。
「ミトは、大丈夫?」
「……なんで?」
「その……あー、もしかして、昨日僕がミトのお肉まで食べちゃったから? 僕がミトのお肉まで食べちゃったからお腹空いて悲しくなっちゃったの?」
まるで気にしていなかった昨夜の細やかな祝杯でのことを「ごめんなさい」と謝られ「……はっ」煮詰まっていた胸焼けが鎮火し、息が漏れる。
「いいえ、その……ありがとう。何でもないの。少し……疲れを引き摺ってるだけ。
ただ1つ注意しておくと、食べ物の怨みは買うべきじゃないわよ」
「人のお皿に手を出さないよう気を付けます」
悲しそうだと思われている面を両手で挟み込むように均す。気を取り直し……アイツの言うとおりにするのは癪だが、さっさとネロスを連れて王都へ向かわねば。
王都に向かうべく、早めに旅支度をして欲しいと彼に伝えると
「あ、え…、えーと、その……ミト?」
途端に態度が変わり、しどろもどろに彼は口を開いた。
「どうしたの?」
「僕、ね…、…思うんだ」
「何を?」
「まだ王都に向かわない方が いいと思うなあ……うん」
うん、じゃないわよ。
「王都へ行くの、ネロス
冬季になる前に国道トンネルを通らないと、雪に埋もれて使えなくなる。今季を逃したら、地竜山脈の長く険しい背を登る”地竜の背越え”をしなくちゃならなくなるの。
経験豊富な騎士すら殺す山を登る体力なんて私はないし、魔物から逃げられてもクレパスの中で凍死するのが関の山なのよ、私が」
「なんて言えばいいかなあ……え? ベラ、もう一回言って
じきしょーそー?」
「時期尚早? どうして?」
「じきしょーそーだからだよ」
どうしてか 勇者が 王都へ行きたがらない。
その理由も、何故か曖昧だ。
予知夢を見たんじゃないの?
「あんたが王都の戦闘に参加すれば、王都に集められていた戦力を地方に戻す余裕が出るかもしれない。
そうなれば、あんたが後先考えずに解放してしまったトトリの自衛力はある程度確保出来るだろうし、化け物に破壊された町の復興も……各地農村部の奪還や鉱山の解放、国道の安全が確保できてくれば町同士の交易も」
「うーん、そうじゃなくて……そのー」
「そういうことなの。ネロス、敵を倒して終わりじゃないのよ」
うだうだ抵抗するだけのネロスを宿屋から無理矢理押し出し、侯爵が用意してくれた馬車を待たせている大通りへ向かう と────ん?
「おおお!来たぞ来たぞ勇者ァア!
首を長ぁくして待ってたぜ!」
長くなるほどの首などない、胴体と同じぐらい大きな頭と大きな鼻。ピンと伸びた横長の耳と剛毛の髭。日焼けした赤黒く分厚い皮。太く短めの手足と私の前腕並みに大きい指……3頭身のエルフ。
かつてはレッドエルフと呼ばれていた───ドワーフの男性が馬車の前に立ち塞がっていた。
「俺の名はグラッパ。本職は鍛冶屋だ。
なあ勇者、助けて欲しいんだ。お前の力が必要なんだよ」
グラッパは剛毛な赤みのある茶髪を伸ばしていた。胸の下まで伸びている長い髭と髪の境目で、左右一房ずつを三つ編みにして、その先に―――ドワーフたちの故郷―――地底国の紋章が彫られたメダリオンを括り付けている。
私と大して身長差のない彼へ「私たちは王都に向かわないとならないの、そこを退いて」と、強めに言うが、剛毛髭オヤジはまるで動かない。
「鉄鉱山1つ解放してくれりゃあいいんだ!
鉄さえ取れりゃあ武器も防具もありったけ作って俺らでどうにかこうにか戦える。だが、バーブラんとこの魔物共に山を占領されてから、断続的な襲撃で物資は不足するばかり、このジリ貧続きじゃあ守れる命も守れねぇ……。
トトリとポートの間、地竜山脈の爪に当たる王国最大の鉱脈地帯、クロー鉄鉱山をどーにか! そこだけでも魔物共の手から取り返して欲しいんだ! 俺たちに戦うチャンスをくれ!」
「……救援要請に応じてくれたことには感謝してるわ、グラッパ。
ただ、その報酬に関してはグランバニク侯爵と話を」
「頼む!一生の頼みだ!これを聞き入れてくれるってんなら、地底一の鍛冶神ガンテツ7番目の弟子グラッパが! この一生掛けて勇者の武具を格ッ安で作り続けてやる! おまけに姉ちゃんもセットサービスすっぞ!」
グラッパは勇者に嘆願し、勇者も期待の眼差しを私へ寄越してくる────いやいや、グラッパの気持ちは判らなくはないが、困っている人々に手を差し伸べ続けていたら、王都へ向かう頃には数年経ってしまう。
「ダメよ。それが優先順位の高い要望なのだとしても、私個人にそれを決める権利がない」
「なんでぇ!お役所勤めでもしてんのかあんたは! 許可なきゃ何も出来ねぇんか?!」
「そうよ。勇者を王都へ連れ帰るのは王の勅令、最優先事項なの。私にそれを覆す権利も自由もないし、私は装備に困ってない」
「うぐぐぐぐ」
「ミト、ひとついい?」
「何」
「僕ね、”知ってるんだ”。君が折れるって」
「私は知らないの、黙ってて」
「ええーっ!?」
しかし、馬車の前でグラッパ一人と言い合いをしていた真っ只中
国道トンネルへ向かう王都側の北門が「え」目に見えて閉じられていくのが見えてきた。
「まだ夜は先なのにどうして門を閉めるのよ」
「え? あ、あ、えーっとね……ロクゴーメデホーラク、雪崩で入り口が塞がれたって”予知夢”で言ってたよ。
冬季が近いから工事は雪解けまで待つってさ」
この間抜けな勇者に、北門が閉鎖されていく尤もらしい理由をでっち上げる能力があるとも思えない……本当に”見聞き”したのだろう。
さっさとそう言ってくれれば早く”折れる”のに。
「はあ……そうね……。ポート経由で王都へ向かう途次、勇者が王への手土産話を増やす分には、幾日か言い訳は立つと思うわ」
我ながら見事に手の平を返した。
グラッパは不思議そうな顔をしていたが、私の方針転換を歓迎した。
仕方ない。これは、正当な理由なのだから。
「すみません、侯爵。せっかくの御厚意を」
「国道トンネルが潰れたのならば、仕方ないんじゃない?
鍛えた戦士すら殺してしまう地竜の背越えを姫様に強いるのは、流石に酷だものね」
ポートへ出立前、用意して貰ったのにそのまま使わなくなった馬車を返すべくグランバニク侯爵に挨拶をした。しっかりと濃い女装をした侯爵にポートへ向かう事情を話すと、彼……あー、彼女は
「おねえちゃん!」
「あらまあ」
着飾った貴族服を羽織っているナロを連れて来た。
自分の息子と愛人を魔物に売り、勇者の処刑人も務めたナロのパパは、絞首台に吊そうとした者が勇者であることを知るや否や、私たちがヤンゴンと見えている隙に大広場から”南”へ逃亡したらしい。
そして、北へ住民を避難させていた関係上、南に誘導した巨大死霊の進撃に追いつかれ……亡くなったそうだ。
まあ、ナロが後腐れなく侯爵の養子に入れた都合の良い結果だけは、祝福してあげるべきだろう。
「ぼく、おおきくなったら きしになるの!
おねえちゃんたちまもるの おにいちゃんみたいにつよくなるの!」
「そう、期待してるわ」
ただ、願わくば彼が大人になる前に、すべて終わらせてやりたいものだが。
「姫様にお遣いを頼むようで申し訳ないのだけれど、これを、ポートの、ナリフ町長に挨拶がてらお渡しいただけるかしら? 救援の感謝と、提携交渉のお手紙」
「お急ぎならば、ホズに飛んで行かせることも出来ますが」
「ナリフ町長ね、ハサン王に対してすっごーくネガティブなのよ。
王族の遣いとして有名な鷹王が来ても追い返しちゃうかもしれないわ」
「……私が王族なのですが、それはいいんですか……」
「うちの爺様方に言い負けなかったあなたなら大丈夫よ。
ドワーフたちは少し荒っぽいところはあるけど、義理堅い人たちだから。
自分たちの自衛力の要である鉄鉱山を取り返した人を邪険には扱わないでしょう」
勇者が鉄鉱山を取り返す前提とは……まあ、王都からの応援が見込めない以上、トトリがポートと連携を取る事は死活問題だろう。トトリは防衛力を、ポートは急激な人口増加による慢性的な食糧難を抱えている。昔通り、この2つの町の交易が再開すれば、王国南部は比較的安定した日常を送れるはずだ。
「そうそう、話は変わるけどミトちゃん 1つ、気に留めておいて欲しいのだけど……。
勇者くんは、あなたの想像以上に曲者かもしれないわよ」
侯爵の言葉に思い当たる節などなく、私は首を傾げた。
「曲者? 彼が?」
「あの子、普段はあんなに害のない顔してるのに、ときどき好戦的で冷たい、別人みたいな顔するのよ。
そして、その切り替わりのタイミングで、魔力の質がガラッと変わる。
聖剣の神々しい魔力と混ざり合うことでいい具合に釣り合うようだけど、彼自身の魔力はかなり”黒い”部類だわ」
「はあ」
侯爵にそう言われてもあまり実感は湧かなかった。
黒いとは、どういう意味だろうか? 闇属性に魔力の性質が偏る、ということならば一般的によくあることで、大して珍しい事ではないのだが……。
「ま、自分の首を任せるほどあなたのこと信用してるみたいだから、老人の杞憂に終わるでしょうけどね」
2022/7/17改稿しました