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勇者の死霊術  作者: 山本さん
幕間 女神ベラトゥフの懺悔
68/212


 ―――勇者の死霊術は……人に使用を許された八竜魔術

 命を支配する傲慢な死霊術の分野でありながら、この術式には、他にはない“唯一無二の長所“がある―――


 女神になったばかりのベラトゥフに、大女神テスラが教えた最初で最後の魔術。


 この魔術による使役死霊ネロスの強みを……ベラトゥフはかなり前から気付いていた――――


 死霊の体質 と 魔を引き寄せやすい体質

 この二つを、勇者の死霊術は使役死霊に与える。


 これに加えて、ネロスの魔力波長は、魔術への強い抵抗力を発揮する、無彩色に等しかった。


(最大限の肉体強化と、無彩色の魔法障壁

 あり得ない戦い方を……ネロスは理論上、両立できるかもしれない)

 ベラトゥフは以前、その仮説に考え至った。


 肉体強化とは、人の筋肉や骨に魔力を注ぎ込み、一過性に強化する魔力操作技術で、魔術から身を守る為の魔法障壁を捨て去る、”捨て身”として知られている。


【魔法障壁:魔法防御力に相当する。

 体内の過剰魔力が呼気に排出された後、魔力から魔へ変化する際に出る魔法学的エネルギーの層。魔力を消費すれば魔法障壁は削られるが、魔力が魔へ変化する速度と体内の魔力量を管理する体内の切り替えに数秒の時間差がある】

【魔力波長:魔力は色で表せることからつけられた魔法学用語。

 各個人の魔力には波長があり、極彩色ほど色に合う魔術を使いやすく、威力を高めるが、無彩色ほど魔術を発動しにくく、威力を弱めてしまう。

 ただし、魔力波長の特徴は魔法障壁にも影響され、無彩色であればあるほど魔法防御力は高まる。】


 何十メートルの高さを跳躍し、岩石を拳で砕く。大砲の鉛弾の直撃に堪え、鋼鉄の剣で川を裂く――――そんな超人的な肉体を手に入れる……一見すると有能に思える肉体強化だが、昔から研究されている分野にも拘らず、一貫して魔力の消費が激しい。加えて、強化状態を維持するには当然、高出力のままいなければならない。その間は、魔法障壁を展開することが出来ないので、魔法学的に無防備になる。


 だが、ネロスには死霊の特徴がある。

 彼は、取り込める魔・魔力の量に上限がなく、取り込んだ過剰分を”肉”と”骨”に貯蓄出来る。多量の魔によって血や肉、骨が腐らない(=魔中毒の概念がない)し、貯蓄不足に陥ることがあれば、魔を引き寄せやすい体質でカバーできる。


 つまり―――ネロスは、肉体強化にかかる消費魔力を差し引きゼロの状態で長時間、維持できるのではないか?



 ベラトゥフがかつて試みた前代未聞な戦法は、しかしながら、根本的な問題で頓挫とんざした。

 ネロスの人格が豹変ひょうへんしたからだ。


 怯える獣を引き裂き、下級の魔物たちの命乞いやベラトゥフの制止に耳を傾けず、ネロスは暴れた。まだ5歳ぐらいの幼い子が、それはもう、血に飢えた獰猛どうもうな獣の様、いや、魔物(死霊)そのものに化けたのだ。


(ネロスは死霊の体質だから―――魂が魔に曝されてしまうんだ!)


 偶々居合わせた怠惰な飛竜ザブトンに踏ん付けられて、ネロスを止める事が出来たものの

 ベラトゥフは何度も何度もネロスに謝り、二度とこんな酷い事はしない固く誓った────いや、こんな力を、使わなければならないような場面に出会さないように……彼女はずっと願っていた―――――――。





 最上級の魔物レグナムに、ネロスはどうやったって、正攻法で勝てる訳がない。

 この状況を乗り越えるため……ベラトゥフはネロスに、聖樹の魔力を自分に移すよう伝えた。


 聖樹の魔力は神聖なもの。魔を浄化し、遠ざける力がある。

 ネロスにとって聖樹の魔力はリミッターであった。魔を引き寄せやすい体質を最小限に抑えるためのかせであり、大量の魔が入り込んだとしても魂を冒さない為の保険。

 それを取っ払ってしまえば、否応いやおうなしに、最上級の魔物の強力無比な魔が、ネロスに吸い寄せられていく。

 だから、ベラトゥフはネロスの魂だけを聖樹の魔力で念入りに包み込んだ。以前の教訓を踏まえて。


「ふゥ……フゥ グゥゥ……」


 まるで、体毛を逆立てて威嚇いかくする子狼だ。

 血流が増えた身体は真っ赤に染まり、隆々と筋肉が強張り……骨は太く厚く、変形する。骨から伸びる青筋(魔力管)が伸びた先で、血に溶けきれない大量の魔力が呼気を待たずに湯気の如く噴き出していく。

 目に見える程、克明こくめいな魔法障壁を纏った小さな死霊は、剣の形となった聖樹の枝―――聖剣を両手で握り締め、赤いフードを深く被った魔物に差し向けた。


「……この俺に刃を向けるなら、容赦はしないぞ」


 レグナムはフードを外した。

 かぶとの如く伸びた牙と三ツ目の人型―――しかし、全く力を発揮していなかったのだろう―――その細身の身体を禍禍しい魔力が包み込み、頭から背中を黒い外殻ですっぽりと覆ってしまった。人の身体を骨ごと切り裂く長い爪からは、尾と同じ緑色の毒が滴り落ちている。


『ネロス 行くよ!』


 ネロスは低く構え、前に飛び出した。そのまま聖剣を横薙ぎに振るい、レグナムの尾が聖剣とかち合い、火花が散る。目にも留まらぬ速さで繰り出されるレグナムの爪にも、聖剣は耐え

 ガキィイン!! 金属のような甲高い音を立て、鍔迫つばぜり合いになった。


(俺の力で弾けない―――なんて馬鹿力だ!)

 大人と子どものサイズ差がありながら、レグナムの攻撃でネロスの剣を弾けなかった。そればかりか、細いレグナムの爪の方が折れ砕けそうな程、ネロスの攻撃が異様に重く、体幹がまるで反れない。

 ゲシッ! ネロスを蹴り飛ばして距離を取ったレグナムは、烈風の風魔術を放った。老木の幹をバターの様に切り裂く風の刃が猛スピードでネロスへ向かうも

「なに?!」

 ネロスの放つ湯気の前で、風の刃は爽やかな風と消え―――レグナムは度肝を抜かれた。彼の全身から噴き出ている湯気が、目に見える程の魔法障壁であることなど常識的にあり得ない―――知る由もなかったからだ。


 接近を阻みたいレグナムの魔術をことごとく相殺しつつ、ネロスは身の丈近くまである聖剣を大剣の様に両手で低く構え、レグナムの懐からすくい上げるように振り上げた。子供の腕力とは思えない速度で空気を切り裂き、避けたレグナムを追うよう空中で身をよじり、自らの体重と遠心力を加えた一撃を放つ。

 ゴォオオオン!! 再び夜の闇に閃光と金属音が走る。


「何故魔術が効かないか知らんが、所詮は付け焼き刃!

 型などない 隙だらけだ!」

 レグナムは物理攻撃に転じた。

 爪と尾から飛び散る毒が地面を焼き爛らせ、鼻をつんざく臭いが噴き上がる。

 細かな毒の飛沫と素早い連撃を避けながら、ネロスは下からレグナムの顎を目掛けて振り上げるが「!?」

 レグナムは聖剣の切っ先を掠らないぐらいの隙間で後方に反り返り、ネロスの空振りを誘い、彼は大きくよろめいた。

「くたばれ!」

 その隙、レグナムの尾がナイフの様に突き出され、ネロスの首を削った。すぐさま傷口が毒に侵され、皮膚から焼け爛れていく。頸動脈まで直接抉れなかったが、毒が太い動脈を腐敗させれば致命傷だ───だが

 ヂヂヂ……肉体強化は高い回復力を伴う。死霊の体質の一つでもある毒の耐性も加わり、ネロスの首の傷口は、少量の血を滲ませてすぐ塞がった。


(毒の耐性はまだしも―――これは 肉体強化か?

 いやそれなら魔術を相殺したのは何だ―――この回復速度も尋常ではない───何だコイツ)


 ネロスは今一度大きく踏み込んで、聖剣をレグナムの外殻がない足を狙って振るうも、剣に振り回されているネロスの攻撃は、レグナムには当たらない。

 ただ、ネロスは戦いの最中、急激に攻撃速度を上げて来ていた。剣の振り方も間合いも素人だが―――バカげた破壊力を持つ奴に、物理的にも魔術的にも押し切れない。

 明確な決め手が見えないことに、レグナムはじわじわと追い詰められていた。


『ネロス! 一撃でいいわ 聖剣を奴にぶち込むの!』

 聖樹の魔力は魔を浄化する。その力を魔物に直接ぶち込めば、魔物の核である―――魔に侵された魂を解き放ち、一撃で葬り去ることができる。例えそれが最上級の魔物であっても変わらない。


 ギィイン!!!

 再びの甲高い音と、魔術の詠唱が響く。レグナムは爪と尾を使った剣舞に合わせ、石鎗の土魔術を用いて、ネロスに畳み掛けた。

 地面から突き上がる石の鎗、ネロスの魔法障壁の外から突き出てくる長いそれは、振るう聖剣の軌道に入り込み、邪魔をする。そして───ガギィン!

「!?」

 石鎗が聖剣の刀身を突き、僅かに削れた。それを目にしたネロスは聖剣を庇うように抱え───レグナムの回し蹴りが頭に直撃した。


『ネロス大丈夫よ! 聖樹はこんな程度で折れたりなんかしない!

 構わずに』

「だ けど ベラが」

『―――優しい子 大丈夫 どんなに荒く扱ったって私は痛くも痒くもない

 だから 大丈夫よ 信じて』


 蹴りを頭に受けてふらついたネロスの「うぎっ」左目に毒液がかかってしまい、彼は痛みでうずくまってしまった。

 その隙に、レグナムは氷魔術の長い詠唱を終えた。


「上位魔術まで防ぎきれるかな!」

『!』


 土が瞬く間に凍るような鋭い冷気が足下を吹き抜け―――広範囲に鋭い氷山が地面を突き上げる上位魔術―――氷剣山の氷魔術が放たれた。

 辺り一帯の空気さえも凍り付き、沈黙が静かに反響する。固まった葉が落ちて砕け散る音が、コォーン……甲高く響く。


「どれだけ厚い魔法障壁があろうと、この氷が放つ冷気を吸い込めば肺から凍り付く。

 ただのガキに防げる魔術ではない」


 レグナムは自信満々に、白く霞む空気の中からネロスの死体を覗き込んだ────が


「なん、だ と……!?」


 レグナムの目に映ったのは、氷剣山の隙間にある―――薄い氷のドーム。その中で、五体満足のネロスが左目を抑え、蹲ったままでいたのだ。


『四大主属性の魔術は術式も応用も簡素でいながら、強力なものが多いの確かよ。

 だけど、魔力の流れに目敏めざとくなれば、属性魔術ほど打ち消すのが簡単な魔術はないわ』


 ベラトゥフは聖剣を介して、ネロスの魔力を僅かに拝借し、足下に入り込んだ氷剣山の氷魔術を難なく打ち消した。そして、剣山から放たれる凍てつく空気を吸わないように薄い氷のドームを張ったのだ。


『魔法障壁に干渉されない純物質や環境因子を利用した攻撃、その発想は魔物らしからぬ視点で、素直に称賛するわ。

 だけど、魔術バカがこんな枝きれにいたのが運の尽きね』

「くそっ! やはり術者が近くにいるのか!?」


 ベラトゥフはレグナムが追撃してこないことを察していた。

 氷剣山の氷魔術は実に強力な魔術であるが、氷剣山によって冷やされた殺人的な冷気は魔法障壁に干渉されない環境因子であるため、術者本人すら見境無く襲い掛かる。レグナムは自らが放った魔術のせいで、せっかく目潰しをしたネロスの目が治るまでの猶予ゆうよを与えてしまったのだ。


『ネロス あなたの手の平で、聖樹の魔力を感じ取って

 そう、その調子……大丈夫 深呼吸して』


 ネロスは深く、ゆっくりと呼吸を整えた。荒れ狂っていた鼓動が、手の平から伝わる波動に同期し始める……それと共に、聖剣が仄かに淡く、光り始めた。

 聖剣の木目が切っ先に向かって流れ出し、聖剣を包んでいた淡い光が刀身に沈み込む。

 まるで雪解け水のように透明感のある、僅かに青みがかった白銀の刀身と化した聖剣は、紅い夜月に照らされて薄く紫がかっていた。


「何なのだ 何だその枝切れは!?」

 毒で焼けた目が治り、血を含む涙を拭ったネロスは、ゆっくりと確実に立ち上がり────横薙ぎに一閃

 無彩色の魔力を纏った剣圧が、自らを守る氷のドームごと氷剣山を砕き、そのまま周囲の殺人的な冷気をも吹き飛ばした。


 レグナムは簡略詠唱した闇魔術を放つと同時に、自らも肉体強化をかけた。

 放たれた闇魔術───前面に黒いヘドロ状の魔力を飛び散らせ

 ネロスがそれを聖剣で真上に弾き飛ばす隙

 間髪を入れずに突っ込んで来たレグナムの拳がネロスの顎を殴る。よろけた隙に続け様、レグナムの尾がネロスの胴体を斜めに切り裂く。毒の耐性を持つ死霊には致命的にはならないが、今までよりも多量の毒が傷口から入り込んだ。それでネロスの動きが緩慢になると思っていたが、レグナムの予想は大きく外れ―――胴体を切り裂いた傷はすぐに塞がり、毒が音を立てて焼けくずれた。

 ネロスは血を含んだ唾を吐き、低姿勢から足の指先で地面を掴んで踏み出し―――レグナムの懐から聖剣を大きく振り上げた。

 レグナムは思わず防御の態勢を取ったが────その左腕は抵抗感なくね飛ばされ、黒ずんだ血が噴き上がる。

「くそがああああ!!!!」

 焦ったレグナムが尾を突き出し「!!」先端が開いて黒いガスを噴き出した。目眩めくらましのガスごとその尾を切り払うと、真っ正面からレグナムの右手がネロスの腹を貫き、背中に貫通した。

「ぐあああああああああ!!!!」

「 なにっ!!?」

 しかし、ネロスは自らの腹を貫くレグナムの右腕を握り締め、片手で握った聖剣をレグナムの胸に突き立てた。僅かに外殻にめり込む聖剣を更に奥へ差し込む為に、ネロスは自らの腹を抉りながら一歩踏み出した。


「離せッ クソがッッ!!!」


 ギギギギギ……! 聖剣が少しずつレグナムの装甲を砕き、貫き、進んでいく。レグナムは身を捩ろうとするも、右腕がネロスの手から抜け出せない。尾や左腕を再生させようとするが、聖剣で切られたせいか、再生出来ていない。

 ガギィン! 装甲が砕け始め、レグナムは焦りだした。


「止めろ!止めろ止めろやめろッ!!俺を倒したところでどうにもならんぞッッ!!

 俺が戻らなければ他の奴が―――バーブラ様がお前を放っておくわけがない!!今なら!今なら俺が!見逃してくれるのなら俺が戻ってお前の存在を隠―――」


 グヂャッ! 聖剣がレグナムの胸を貫いた。


「ベラ!!」

「ぎゃああああああああああ!!!!」


 聖剣から聖樹の魔力がレグナムに雪崩れ込み、そして―――

 レグナムから魔が消し飛び……外殻だけを残して、真っ白に干からびた。






 レグナムを倒した―――たった一体ですら国の脅威となりうる最上級の魔物を、たった7歳の子供がほぼ一人で倒しきった……ベラトゥフは、その衝撃に震えた。


「はあ……はあ、はあ……げほっ うあ…」


 緊張の糸がぷつりと切れたかのように、ネロスは聖剣を握ったまま前のめりに倒れ込んだ。体は震え、息が荒い。心臓の鼓動が狂い、全身から汗が噴き出す。

 細い枯れ枝の様になったレグナムの腕を震える手で腹から抜き、風穴の空いた腹を抱えて小さく蹲る。


 レグナムの長い爪だけが体を貫いただけで、傷口こそ広くはないが、腹を抑える手から少しずつ血が溢れ出してきている。その上、肉体強化が解けたせいか、体内に入り込んだ毒で腹部が変色し始めていた。


『回復魔術を掛けるからね……ごめんね、もう少し頑張って』

「う、ぅっ……げほっ」

『痛いよね……そうだよね……うん、よく頑張ったよ、よく頑張った』

「ベ ラ……ごめん、ぼく すこし、つかれちゃった……」

『うん、大丈夫よ、怪我は治しておくから……ゆっくり、おやすみ』


 ネロスは荒い息のまま目を瞑り、深い眠りに落ちていった。

 ベラトゥフは回復魔術を唱えながら

『…………。』

 干からびたレグナムの残骸を見る。


(死体が残った……どういうこと?

 聖樹の魔力による力は、魔物の身体を消してしまう筈なのに……。

 それに、他の奴、バーブラ“様“……魔物は組織的な行動を取らないとされているけど、コイツはまるで……。)


 死体が残った理由は判らないが、レグナムの死体をそのままにしておくと危険だ。奴の言うよう、最上級の魔物が倒されたことがバレれば、何が来るか分からない。しかし、ネロスはすぐに動けそうにない。


(ネロスが動けるようになるまでどうやって……、……?)


 そのとき、ふっ、と月明かりが遮られ

『ふえっ?』

 ズゴォオオンッッ!!!!


 激しい地鳴りと衝撃、土埃が舞い上がり、巨大なシルエットが現れる。


『ザ、ザブトン!? なんで 急に下山してきたの!?』


 ザブトンは、タタリ山の山頂付近を根城にしていて、いつも脂肪たっぷりな顎を地面にくっつけてくつろぐ、翼の退化した飛竜───大きなカエルのような竜だ。獣を狩猟して喰らうこともなく、ときどき下山しては木の実ばかりを爆食いし、ネロスがその背に乗っても暴れたりしない様から、2人は“ザブトン“とあだ名を勝手につけていた。

 だが、今ばかりは血走った大きな目を見開き、巨大な口から鋭い牙を覗かせている。爪先の丸まった指が地面に食い込み、分厚い皮と思っていた体表は鱗状にヒビ割れ、隙間から朱色に熱せられた溶岩が溢れ出る。退化したと思われた翼の軸に空いた穴からは炎が噴き出し、炎で出来た翼を羽ばたかせた。


 ザブトンは静かにネロスを見下ろし、唸り声と共に火の粉を含む熱い鼻息を吹かした。


『お願いザブトン! うるさくしたことは謝るわ! だけどネロスを食べないで!お腹壊すわよ! 食べるなら私……木だし……あ、いや、私が消滅したらダメじゃん!今のなし!ちょっと待っ』

「ユァーロフヅィバ グェダ

 オル、ティア・スティール、アフ ユァ テ・ゲィヌ」


 ザブトンは言葉を話した。常人に聞き取れぬ波長の、人の使う言語ではない言葉を、ゆっくりと丁寧に話した。

 しかし、ベラトゥフの耳はその音を拾い、言葉の意味を理解した。


 ――――我は紅朱の竜グェダ 銀青が女、我が声に傾聴せよ


 何故理解できたのかも、わからないままに。


『紅朱の、竜…、……ザブトン、あなた……“八竜“だったの!?』

 〈いかにも〉


 八竜……神の化身とされる、八柱の竜。


 魔術の祖ともされている彼らは、世界の運命を左右する一部の人にしか干渉しないとされており、八竜を信奉する宗教は女神信仰よりも遥か昔から存在する――――が。


『ぽよぽよなお腹、ぷるんぷるんなおとがい、カエルみたいなほっぺた、いっつも日なたぼっこしてるザブトンが八竜だなんて……悪い冗談みたいだわ』


 姿は多少凛々しく変わったが、常日頃、呑気に眠ってばかりいる竜がいきなり喋り出して、自分は神であると打ち明けられても俄かには信じられなかったので、ベラトゥフは馬鹿正直にぼやいた。

 〈今此処でこのガキを踏み潰してもいいんだぞ〉

 ぐばっ、と持ち上げられる大きな前足から守るよう、ベラトゥフは咄嗟にネロスを庇ったが、自分に実体がないことを思い出して『ごめんなさい、言い過ぎました』素直に謝罪した。


 ザブトン改め───グェダは鼻息で『うわっ』噴煙を放った後、ガバッと大口を開け―――『あ』ゴリゴリゴリ……レグナムの死体を噛み砕き、呑み込んだ。

『お腹壊しそう……』なんてどうでもいい感想を呟くベラトゥフに、グェダは睨みつけるような鋭い眼光を浴びせた。


 〈貴様は青の賢者から継いだ使命があったはずだ。銀青から下された役目が。

 だが、貴様はしくじった。


 この世を滅ぼさんとする、魔に侵された金の賢者を

 貴様は始末できなかった〉


 その言葉に、ベラトゥフは目を丸め、呆然とした。

 大女神テスラ……金の賢者とも呼ばれていたその人を、性格に難はあるものの、ベラトゥフは心底尊敬していた。いや、人としては最低な部類だったが、その魔法・魔術知識や技術に関してだけは陶酔とうすいさえしていたかもしれない。その人を始末など……どう考え至るというのだろう?

 しかし、全く身に覚えがないのに、思考の引っかかりが拭えない。頭に引っ付いた虫を振り払うように何度も首を横に振り、グェダの言葉を否定した。


『ちがう…違う 私は、そんなこと……そんな訳ないわ!

 確かに、その、女神になる前の記憶はほとんど残ってないけど、それは女神になる為に必要な事で―――大女神が私を……私たちを騙しているなんて、そんな訳ない! 私はそんなこと あなたたちに頼まれた覚えなんかない!

 それに私は、賢者じゃ……賢者じゃ、ない そんなの、“覚えて”ない』


 グェダは鼻を鳴らし〈銀青の従士に我が干渉するのは不義理であるが〉と零しつつも

 〈邪には邪を……アレと相対あいたいすには、貴様の心は温過ぎる〉

 その視線―――罪人をさげすむかのような卑下ひげの目―――は、足下で丸まって眠るネロスに向けられていた。

 ベラトゥフは、それを遮るようネロスの前に立ち、八竜に対して精一杯の見栄を張った。


『……私は女神よ、八竜。

 魔術の祖であるあなたたちへのリスペクトは勿論あるけど、その導きに従う義理は私にないわ。

 少なくとも……、……お願いだから、この子を巻き込まないで』

 〈巻き込むも何も、貴様が”勇者の死霊術を使った”のだろう〉

『それは』

 〈勇者の死霊術とは、定めだ。

 運命を見極める我ら八竜が、世界の行く末を左右する大いなる分岐点の舵、それを握る者を選び出す為の術。選定の儀、そのものである。

 つまり、貴様がさいを投げたのだ〉


 静かに……ベラトゥフの手が強張り、口が震え出した。

 後悔や罪悪感を遥かに超えた重責。漠然とした不安と焦燥が圧し掛かり、どうにも拭えない。


 茫然自失となった若き女神に、八竜は情けとばかりに言葉を掛けた。


 〈だが、貴様も導かれた決断であったろう―――いや、まだ何も終わっていなかっただけかもしれんが〉


 そして、グェダの視線は足下へと向けられた。

 小さく丸まり、眠る幼い子供――――その奥にいる魂に向けて、言葉を放った。


 〈覚えておけ、この道は贖罪。すなわち、苦行である。

 報われることを望むな。

 救われることを望むな。

 許されることを望むな。

 ”お前”の流す血と涙のみが進む道を示し、その苦痛で以てのみ罪は洗われる。


 勇者になりたくば、不撓不屈ふとうふくつである事だ〉


『勇者に……、なる? ネロスが?』


 コゥゥゥ……全身の炎を抑え、空間が歪むほどの魔力がグェダの頭に集中していき───“導き“が放たれた。


 〈このガキが成人する頃、“最後の女神の子“をキヌノ村へ呼び寄せろ

 彼の者と共に行け。その先に分岐点がある〉


『うっ!』

 ベラトゥフの耳から頭の中へ刻み込まれていく言葉。女神の予言よりも力強く、脳裏に走る灼熱感で思わず嗚咽が漏れる。

『最後の、女神の子? ……そうだ、確か、魔王が復活する前に、王国へ下した大女神の予言……けど、待ってよ 女神の子をどうしてキヌノ村に来させる必要があるの?』


 女神の予言と同じように、八竜の導きも、ただ言い渡すだけ。

 ベラトゥフの問いに、グェダが答えることはなかった。






「なんかザブトンがいる……」

『そうなのよ。此処がいいんだって』


 グェダ(旧ザブトン)は、ベラトゥフに導きを与えた後も、呑気に老木の中に居座った。

 だが、グェダがそこに居続けたお陰か────レグナムの言っていたとおりに上級に等しい魔物たちが上空から見下ろして来たものの、レグナムは飛竜に倒されたと勘違いしてくれたようで───更なる追撃や調査が来ることはなかった。


 ネロスは翌日には目覚めていたが、肉体強化の反動と怪我が重なり、しばらくは寝たきりだった。そんな彼に、グェダはしれーっと食事を用意してきてくれていた。

 ベラトゥフはネロスと共にグェダへ感謝を伝えたのだが、導きを言い渡して以降、グェダは竜の言葉を話すことはなく、日中からずーっと日なたぼっこしかしない気怠い飛竜ザブトンへとすっかり変わってしまった。


(私たちも予言を下すのに気力も体力も魔力も使う……八竜にとっても導きは、かなりエネルギーが必要な事なのかも)


 ネロスを蔑視べっしするような八竜の視線に、一時はどうなることかとベラトゥフは内心不安に思っていたが、グェダが動けないネロスを邪険に扱うような感じはなかった。



「ぼく、もっと強くなりたい」


 動けるようになった後、ネロスはそう言った。


「出会いかつらに」

『出会いがしらね』

「出会い頭にたおせちゃうぐらい。スパーンッと。

 そうしたら、みんな困らないよね? ぼくがまもの連れてきても……ぼくがパーンッ!とたおしちゃえばいいんだ」

『ネロス……』


 ネロスは項垂れ、北の方を向いた。

 焦げ臭い、嫌な臭いの黒っぽい煙が王国の方へとゆっくりと流れていく。


「強くなりたいの……みんな、ぼくが守るの

 そうしたらさ、村に降りても、町に行っても大丈夫でしょ?

 おかあ……あ。ごめん」


 彼はわざわざ、ベラ、と呼び直した。その理由を訊くと、ネロスは少し恥ずかしそうに応えた。


「……おばあちゃんが、ね。

 ベラは、ぼくの、おかあさんみたいだって 言ってくれたの」

『…………』

「そうなら……ぼくは、うれしいよ」


 ベラトゥフはふと湧き出てくる涙を溢さないよう一度空を見上げた後、触れられないネロスをそっ……と抱き締めた。


『私ね……あなたの、本当の、お母さんじゃないのよ』

「うん。ぼく、木じゃないし」

『……そうね、そうだね もうわかってたんだ……。

 そっか そっか……。

 けど、許してくれるかな……? ネロスの本当の、お母さん』

「ぼくのおかあさんはね、2人いるの。

 ぼくは、それでよいです」


 ネロスは分別がついている……そう理解したベラトゥフは、彼に隠していたことを……少しずつ時間をかけて、打ち明けた。

 ずっと傍にいた白骨は、彼の本当の母親だったこと。

 死霊術を使ってネロスを生き返らせたこと……。

 ネロスは静かにベラトゥフの言葉を聞いていた。既にその内容を予知夢で聞いていたのだろうか、彼はあまり驚いていなかった。


「ぼくね、ベラ大好きなの」

『あらやだ、私もネロスのこと大好きなんだから』

「だからね、強くなったらベラのお手伝いするの。女神のお仕事、まおうをたおさなきゃいけないんでしょ? だけど、ベラは木だからね」

『そりゃ枝切れですけど……』


 ベラトゥフは改めて、グェダの導きについて考えた。


(グェダの導きでも魔王の事は言わなかった……ただただ、大女神のことだけ……。

 死者の世界にある聖樹を攻撃し、女神たちを滅ぼしたのはタイミング的に魔王とばかり思っていたけど、まさか……、……いや、そんな筈は……。)


 彼女は大女神を信じていた。あの人に限って……と。

 だが、万が一、億が一に、大女神が敵となる可能性があるなら……抱いた憧れや尊敬は、一挙に恐怖へと変わる。

 人類史上最強と名高い彼女をどう倒せというのだろう? 何より、女神信仰が広く浸透した世界で……大女神の裏切りを疑う者など誰がいようか?

 祈る手を解き、剣を握ろうとする者が、この世界にどれだけ残っているのだろうか?


 ───邪には邪を……アレと相対すには、貴様の心は温過ぎる


 ベラトゥフはネロスに問うた。

 

『……ネロス、あなたの気持ちはすごく嬉しい。頼もしくて、縋りたくなる……だけど、……。

 勇者は、不撓不屈……何事にも折れない、強い心と諦めない心を持つ者。

 その道を進むなら……あなたはこれから、もっと、つらい目に遭うかもしれない。苦しい選択を迫られる事も……どれだけ悲しいことがあっても、進み続けなければならない……。

 本当に、それでいいの?』


 彼の真意を訊きながらも、本当の意味での選択肢など与えていない卑怯な質問だ。彼が死霊であることはこの先ずっと変わることはなく、強くならない限り、彼は孤独であり続けるしかないのだから。


 しかし、ネロスは大きく頷いた。屈託も迷いもなく、真っ直ぐと。


「ぼくは勇者になりたい

 ぼく、まおうをたおすよ、ベラ」


 ベラトゥフはその言葉を噛み締め……涙をこらえ、胸の前で指を組んだ。

 神に祈るために鉤状に曲げるべき人差し指など作らず、ただただ指を組み、額に当てて……感情を堪えるような溜息と共に、呟いた。


『この道の果てを見届けたまえ、八竜よ……罪深き我が呪いが祝福に変わる様を』 

「え? なんて?」

『ネロス……愛してる』

「 えへへ、ぼくも」


 ネロスの目に、魂だけのベラトゥフの姿は映らない。だが、ふんわりと温かく、鼻をくすぐる柔らかな香りに、ネロスは頬を緩めた。

 おばあちゃんの胸に抱かれたときと同じような感覚が、見えないけれど、すぐそばにあるのだと……。


『さて、ネロス そうと決まれば日夜特訓よ

 ムキムキにならないと、お母さん、外に出ることを許しませんからね!』



 

『勇者を迎えに行きなさい


 彼の者と共に歩みなさい

 魔王を 倒すのです』


 曇天の空に風穴を開けて差し込む神々しい光を纏い、遙か北の王城に下した……ベラトゥフ一世一代の予言は呆気なく終わり――――確かに届けられた事を、ネロスは理解した。


 迎えに来る一人の女性を、夢に見たからだ。


(目のキレイな人だったなぁ)


 ネロスは、予知夢で見た“最後の女神の子”の目に、一目惚れした。

 鍾乳洞の奥で見かける宝石の様な藍色に、鈍く煌めく金色がちらつく不思議な目をした女性だった。人里に降りないまでも、タタリ山を行き来する僅かばかりの人に遭遇したことはあったが、夢の中の彼女と同じ目をした人はいなかった。当然、獣や魔物にもいない。


『さてネロス、そろそろ準備しなくちゃ』

「ねえベラ、初めて会う人にさ」

『うん』

「よく思われたいときって……どうしたらいいと思う?」


 ベラトゥフはしばらく放心状態になった後

『そうですよねッ!!!』「え、なにが?」『男の子だもんね!!!』

 ネロスの手の中で、彼女は悶絶した。愛しい我が子の急速な成長に。


(そうよベラトゥフ落ち着きなさい当然来るべきめでたい一歩だわ

 泣くな祝えベラトゥフ! 親離れを悲しむことなどないんだわ!)


 ついこの前まで女神の眼前でフル○ンだった彼も、今や立派に服を着込なすナチュラル系イケメ……中の上だ。

 最後の女神の子は、風の噂では現行の王の娘で、ネロスと同い年ぐらいの女性だというし、予知夢で先に彼女と出会っているネロスが自分の第一印象を気にするなんて当然の話だ。


『第一印象……それは、最初だけ使えるサプライズ……』

「はあ」


 ベラトゥフは、己が信じる最高の第一印象をネロスにみっちりと教示した。




 しかしながら、ネロスは―――ベラトゥフ(女神)の教えを当てにしてはいけなかったことを――――知る。



「やあ、君が僕を迎えに来てくれた人だね」

「!?」


 勇者を迎えに来た女神の子は、宝石のような目を大きく丸めた後

 眉間にくっきりと皺を寄せ


「あんたね……」


 鋭く、睨みつけてきた。



          ――――――――女神ベラトゥフの懺悔 完


2022/12/26改稿しました

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