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勇者の死霊術  作者: 山本さん
幕間 女神ベラトゥフの懺悔
66/212



 ネロスが辿々(たどたど)しくも“言葉“を話すようになった頃には、身体は異様に丈夫に育っていった。


 熱を出して寝込んだり、傷口が化膿することはなくなり、掠り傷や打撲などの怪我は数時間ですっかりと治ってしまう。

 加えて、身体能力は他の同年代の子どもよりも遥かに勝っていた。

 下級の魔物ならば石で作ったナイフで追っ払う事が出来るほどだ。まだ親にくっついて離れない年頃だろう4歳児が、だ。


 故にネロスの、飽くなき好奇心と探究心を止められる訳もなく――――彼はベラトゥフの心配を他所よそに、タタリ山をすらすらと上り下りする日々を過ごしていた。


「きのこがりなのおーっ」

 刺激が欲しいと両手一杯に毒キノコを持って帰ってきたり

「からだありゃったよ」

 雨上がりには全身滴る茶色で帰ってきたり

「ぼくね、いまこーごーせいしてるの」

 全身に葉っぱを乗せて、大の字で一日中寝ていたり……。

 後ろに体を反らせてブリッヂしたまま歩いたり

 落とし穴ばりに穴を掘って土砂崩れを起こしたり

 熊とじゃれあったり

 魔物に追われたり

 タタリ山に昔から住む、大人しい飛竜“ザブトン“(ネロス命名)にちょっかい出したり……。


 ベラトゥフは日夜頭を抱えた。ネロスはもう少し大人になってから外に出るべきだと彼女は思っていた。何かあったとき、彼女はネロスを助けに行くことが出来ないからだ。

 しかし幸運なことに、ベラトゥフの心配はすべて杞憂きゆうに終わった。



 ネロスが5歳になり、ベラトゥフの言葉の意味を理解し、お座りしていられる時間が長くなってくると、ベラトゥフはネロスに勉学や魔法・魔術を教え始めた。

 だが、ネロスは、サバイバル能力とは打って変わって、勉学や魔法・魔術に関しては覚えが悪かった。何より、彼は文字がほとんど覚えられず、魔力操作を実践して学ばせようとしても、魔力操作が天才的にド下手だったのだ。


 身体強化に掛ける魔力操作ならば無意識に熟せている様だったが、秀でているかと問われれば、ベラトゥフの目には平凡以下だった。改善すべきところは上げていけばキリがない程。それでも、どれだけ口で伝えてもネロスが上達していく気配はなかった。


『今までずっと気にしていなかったけど……ネロスは神国の血筋の可能性もあるのかしら……』

「しんこくの血すじ?」 

『魔術を使うために必要な魔力ってね、人間は体質的にエルフより少ないの。扱い方はどのみち努力と感覚ではあるけど、基本的に血筋に依存していて……つまりね、魔力の量はお母さんお父さんからずーっと遺伝していくものなの。

 タタリ山の北側は王国領土なんだけど、この山の南には、神国って大きな国があるの。そこはね、空気中の魔力がす~んごく少ない地域で、住んでいる人間たちは昔から魔力の量が少ないし、魔法・魔術を学ぶことを普通の人たちは出来ないの。」

『ふーん』

「神国の人間で魔術を普段使い出来るのは本当にごく一部の神官たちだけだから……うーん、そう考えてみると、ネロスは比較的優秀な方なのかしら』

「わきゃんない」

『わきゃんないかぁ……そうよね、わかった。わかり易く言うわ。心して聴くのよ

 ネロス、あなたは魔術がどえらく下手っぴです。たくましく生きましょう!』

「はぁい」


 ネロスが外へ遊びに行くのを見届けてから、ベラトゥフは深い溜息をした。





 そんなある日

「うーん……うーん」

 ネロスは鼻の奥を何度も唸らせて、こう言った。


「ベラ、今日って雨ふるのかな?」

『雨?』


 ベラトゥフは晴天に近い空を見上げて、顔をしかめた。


『ベラ予報では降水確率は0%と見たわ。今日は雨が降りません』

「……よくわかんないけど、あと少ししたらね……雨ふるの」

『関節が痛いとか?』

「ちがうよ」


 その時、ベラトゥフはネロスの言葉の意味をよく分かっていなかった。

 だが、四時間後


『本当に降ってきたわ』


 少し前から急に黒い雲がかかり始め、土砂降りの雨が降り始めた。轟音を立てて雷も落ちてきている。久々の豪雨だ。


「ゆめで見たの。こんな感じ。

 あと、ベラがね、“これはよちむだわ“って言うんだ」

『予知夢? いや、それは……予知は女神の力よ? 

 それに、山の天気は元々変わりやすいし……雨が振るってだけじゃあ、まだまだまぐれだわ』

「じゃあ、もう少ししたらあそこでね、どしゃくずれが起きて、ザブトンがずどーんと落ちてきたらさ、信じてくれる?」

『あの太っちょ寝坊助飛竜のザブトンが?』


 ネロスは東側の山の斜面を指差した。

 そもそも頻繁に土砂崩れが起きるタタリ山にとって、土から噴き出す水を見れば崩れる場所の推定は比較的容易だったが、飛竜ザブトンが落ちてくるかどうかは不確定要素。それを当てるとすれば、予知夢である可能性は高いだろう。


『本当にネロスが出来るとしたら、この私がしこたま大女神に睨み殺されながら必死に会得した予知・予言能力って一体……』

「そろそろだよ。見て見て ベラ見てて」


 ゴゴ………。


 強く降り頻る雨に打たれる土、僅かな振動、斜面から湧き出るように水が流れ出し……間もなく、ゴゴゴゴゴゴッッ!!!

 かなり大きな土砂崩れが発生し、勢いよく下へ流れていく。

 その中に

「ヌォォォォ……」

 飛べない程に太った鈍間な飛竜ザブトンが、大きないびきをかきながら土砂に乗って山の下に落ちていった……ズズズンッ! おデブな飛竜が落下した衝撃が、地面に刺さる聖樹の枝にも伝わってきた。


『――――これは予知夢だわ』

「イェ~イ」


 ネロスはその後も、予知夢を見たと発言した。

 あらかじめその内容をベラトゥフは教えて貰い、その是非を入念に確認していったのだが、ネロスの予知夢が外れる事は一度としてなかった。

 ベラトゥフは心底驚き、困惑した。

 予知・予言は女神だけが使える、唯一無二の力だと思っていたからだ。言うなれば、女神の儀式を介して、魂だけとなった───類い希なる魔術の才を持つ───女神になって初めて見出せる視点なのだと。


(どういうことなの……? 私が近くにいるから?

 それとも……聖樹の魔力で?)


 由来はよく分からないが、ネロスは毎日、予知夢を見ているようだった。

 天気の予報、木の実が熟す日、地震、魔物の往来、風の噂にも流れてこない筈の、遠くの打ち上げ花火。自分が崖から落ちて怪我をする事さえも。


「いててててて……ザブトンめ。

 追いかけてくるから、“また“予知夢通りに落ちちゃったよ……くそー今度こそ頭の上に乗ってやるぞぉ」


 予知夢の解析を始めて数か月。ベラトゥフは何となくネロスの予知夢の傾向を把握してきていた。

 彼が見えているのは“ほぼ確定的な近日中の未来“だった。しかも、彼はそれを断片的に見ていて、起床時には見た予知夢の時系列を整理できていない。時間経過と、現実の状況を目視で確認していく事で少しずつ頭の中の予知夢が整理されて、現実となり……そして、“夢で見た“光景をデジャヴの様に体験する。

 特徴的だったのは、ネロスが見た予知夢に無意識に引っ張られてしまい、怪我することがわかっているのに避けられない事と

 

「あれ? ベラ、ぼくのパンツ……穴があいてるよ?

 ぽっかり、べろべろ……おしりがみえちゃう」

『昨日、枝に引っ掛けてすっぽんぽんで帰ってきて、破けたパンツを明日直す~って言って寝ちゃったのよ、ネロス。

 だから、今から直すんでしょ?』

「そっ、か……そっか そうだったかも」


 記憶の混同があることだった。

 あまりに詳細な予知夢を見てしまうと、それが既に現実に“起きた”事だと誤認してしまうときがあった。


(非常時、選択的に見えるならまだしも、日常的にも未来を見続けるなんて……完全に予知夢に振り回されている状態だわ。

 どうにかしてあげたいけど……もし、予知夢を見るのが聖樹の魔力による副作用的なものだとしたら、それを抜くことに……聖樹の魔力がなくなると、死霊術による魔の蓄積が魂を―――ああ、ダメだ それはダメよ)


 結局、ベラトゥフはネロスに、起床してすぐ昨日までの記憶をお復習さらいさせることで、これから起きる予知夢との区別をつけられるよう癖を付けさせた。日記が書けるのならそれが一番だったが、生憎あいにく、彼は文字が書けなかった。頭の中で整理するしかなかった。




「ベラは木なの?」


 ナイフを使わずとも、素手で下級の魔物を倒せるほど成長したネロスは、ベラトゥフの存在に対して興味を持つようになった。


『女神ですよ』

「女神は木なの? 木が女神なの?」

『女神が聖樹に宿っているの。私たちは魂だけで、肉体がないの。

 だから、体の代わりがないとね、ふわふわ~って魂が流されていっちゃうのよ』

「別のところに移れないの?」

『移れないというか……自分の身体じゃないとこに宿っているのが特殊な状態で

 聖樹が特別なのよ。普通の木にはしがみつけない……そうね、油でツルツルヌルヌルしている感じかしら』

「木ってツルツルヌルヌルしてないよ」

『例え話です』

「じゃあ、ベラは聖樹からはなれられないってこと?」

『うん、そういうこと。此処から離れたら流されて消えていっちゃう

 実に哀しいことね』

「……もしかして、ぼくがこの聖樹の枝を持ちはこべたとしたら、ベラがおまけでついてくるってこと?」

『お、おまけって……けど、そうね、そうなるわ。そうしてくれるなら私も嬉しいわ』


 ネロスの提案は、ベラトゥフにとってまたとない話だった。

 落ち延びた一人の女神として、人々を守り、奉仕する事はベラトゥフの務めでもあった。その為にも、何の情報も入ってこないタタリ山ではなく、やはりカタリの里の聖樹の母木に戻り、予知・予言を用いるのが最適だろう。ネロスに里まで連れていって貰えるならば、それが一番だ。


「よぉーし」


 ネロスは両手で、聖樹の枝を

「ふぐぅああああああっっっ!!!!」

 引き抜こうと試みた―――が、抜けなかった。異様に抜けない。ビクともしない。

 若木を根元から引っこ抜けるほど、人並み外れた力があるネロスが、彼の背丈より少し小さいぐらいの聖樹の枝を地面から引き抜けなかった。


 何日も何日も、手のひらの皮を抉りながら、血豆を作りながらネロスは聖樹の枝を引き抜こうとした。予知夢で抜けない事が分かっていても、彼は真面目にコツコツと聖樹の枝を引っ張った。

 7年もこの場から離れられなかったというのに、ベラトゥフは、たった数ヶ月のほとんど進まない進捗が、途方もなく長く感じてしまった。


 そんなとき、ネロスが意地になって頑張り過ぎた続けたせいで、手から零れ落ちるほど出血したときがあった。それを見たベラトゥフは回復魔術を唱えながら、彼を心配したつもりでこう言った。

 

『ネロス、無理しないでいいからね。例え此処にずっといることになっても……カタリの里に戻れたとしても、私はあなたにかけた死霊術を解いたりしないから』

「え? しりょう?」

『そう、あなたは一度死ん・・・ ―――』


 ベラトゥフは、自分が何を口走ったのかを察し、急いで口を閉ざした。

 彼女はネロスに、まだ何も明かしていなかったのだ。


「何のこと?」

『ごめんネロス ごめんね、なんでもないの 何でも……』

「…………。」


 取り乱したベラトゥフに気を遣ったのだろうか、ネロスはあまり追求してこなかった。

 しかし、いつかは話さなければならない事だ――――不安と重圧でベラトゥフの胸は、ギチギチに張り詰めた。


 どんな言葉で繕っても、彼は少なからずショックを受けるだろう。

 手頃な枝に成り下がっている魂だけの存在が、たった1つの魔術を解くだけで、彼は死んでしまうだなんて。


 それに―――生きとし生けるものの悪意―――“魔”に魂を侵され、魔物に成り果てる危険とも、彼は一生付き合っていかなければならない。

 ネロスを魔から遠ざけてくれる聖樹の魔力だって有限だ。どれだけの期間、彼を守ってくれるのかも分からないし、魔を引き寄せやすい体質は、魔物も引き寄せやすい。人里に降りて暮らすことは他の人を危険に晒す事にもなりかねない……考えれば考えるだけ、彼は“普通の人生”を送ることすらままならないのだ。


 無垢むくな寝顔を見つめながら、ベラトゥフは一人で考え続けた。

 ベラトゥフは独り善がりな感情で、ネロスを生き返らせてしまった……その責任を片時も軽んじていたわけではなかったが、改めて胸にのし掛かる罪悪感と向き合い、孤独な夜を越した。




 ちゃんと話そう。

 そうベラトゥフが決断し、口にする言葉を慎重に選び抜いた翌朝


 しかしながら、起床してすぐ

 “ネロスの口から“突然、切り出された。


「ベラ、ぼくは死んでるの……?

 ベラがぼくを生き返らせた、の?」


 予知夢だ―――ベラトゥフはすぐに察した。彼にその力があることを、彼女はスッカリと失念していた。

 ベラトゥフの頭は真っ白になった。夜通し考えていたことが一瞬で吹っ飛び、咄嗟に返す言葉が出てこない。彼を傷つけかねない無思慮むしりょな言葉を、彼女は口にしたくなかったのだ。

 結果、ベラトゥフは長く黙り

「……ごめん」

 遂には、ただただ謝ってしまった。


 それにネロスは―――くしゃぁと顔をしかめ、涙を溢し、鼻を真っ赤に、鼻を啜り───金切り声で怒鳴った。


「なんであやまるんだっ!!」


 ベラトゥフが慌てて弁解しようと言葉を選ぶ再びの沈黙に、ネロスは堪えきれず


『ネロス! お願い待って!』


 彼はベラトゥフの言葉を待たず、出て行ってしまった。

 まるで予知夢で見聞きした事から逃げるように。


 ―――その日、夕暮れ時になっても

 ネロスはベラトゥフの下には戻らなかった。

2022/12/18改稿しました。

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