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勇者の死霊術  作者: 山本さん
第一部
63/212

第29話 夢の後で


「魔物より手強かったな……」


 凹んだ床板、クレヨンで描かれた地上絵、吹き飛んだ鼻水とよだれの湖に沈む積み木の城の残骸ざんがい。その前には、手足があらぬ方向に曲がった人形兵士たちが数十転がっており、格子状に編まれた天井の木柱に引っかかる月の如きボールを虚しげに見上げている……無邪気な巨人たちに荒らされた戦場跡。

 わちゃわちゃしてごった返した、グラッパの子供たちの部屋だ。


 子供たちは既に遊び疲れて、狭いベッドへ収まり心地よさそうに眠っている……そのかたわら、彼らの遊び相手を務めたネロスは、トトリとポートでの戦いよりも遥かにゲッソリした顔で、共に戦ったおもちゃたちを労わるよう、布で拭きつつ箱に収めていった。


「壮絶な戦いだったわね」

「勝機が見えなかったよ……ミト」

「子どもはみんなから力を吸い取って大きくなるものよ」

「ひえー」


 部屋の端っこで絵本を読むなどで応戦していたマイティアも片付けに加わり、何とか所定の位置におもちゃたちをセットし終える。その頃には既に土砂降りだった雨は止み、黒い雲の過ぎ去った空には、赤い月が薄っすら怪しげな笑みを浮かべていた。


「ナタリアさんからお疲れ様だって」

「わ、ありがと」

 薬草のリキュールをミルクで割り、人肌に温めた―――やんちゃな子供の相手を成し遂げた英雄に与えられる、グラッパの奥さんナタリア特製の―――“疲労回復薬酒”を啜り、静かな夜をのんびりと堪能たんのうする。


「甘ぁ……この前に頭から掛けられたお酒は凄い味がしたけど、これはほかほかするね」

「甘いお酒だからね 飲みやすいけど、酔うわねこれ……」


 身体もほんわかと暖まって来て「ふわ~」ネロスがあくびをし始めた頃


「この世界はもっと“広かった“って言ったら、あなたは信じる?」


 マイティアはやぶから棒に、ネロスに話しかけた。


「広いって、どのくらい?」

「四方八方を海に囲まれているこの竜の島は 実は、空を飛んでいた島で」

「えっ」

「そこには本来、エルフと八竜だけが住んでいて」

「えええっ」

「人間は、他の大陸から移住してきたとか」

「他の大陸って……他の大陸があったけど、今はないってこと?」

「そう、今は暗い海の遥か下に沈んでいる。

 暗い海が何故かみるみる満ちていって、大陸を呑み込んでしまった。だから、人は空にある竜の島に逃げてきた……そんな逸話いつわ

 昔、王都の大水殿っていう……魔術を使った浄水施設があるのだけど、その地下室で、古いカビだらけの本にそう書いてあったの。すぐに警備の人に見つかって取り上げられたけど、今でもすごく覚えてる」


 マイティアはネロスの冒険心をくすぐった。素直に目を輝かせるネロスの反応を楽しむかのように。


 王城アストラダムスが舟であることや

 地底国の遥か地底深くに眠る地竜遺跡のこと。

 ナラ・ハの森の、世界樹と結晶樹の生存競争のことや

 世界の消えた歴史も遺していると言われる大神殿の秘密の書庫のこと。

 白塔は宙との架け橋だったことも。


 マイティアはそれを日記に残さなかった。

 彼女は酒に強いものの、酔いやすかったのだ。


「かつての勇者は、魔王を封印した手柄で“王”になったけど

 あなたは、各国から褒美ほうびを山ほど貰って

 世界の謎に挑んでみたらいいんじゃない?」

「いいね! そうしようかな

 そのときは一緒に行こうよ、ミト」



 その言葉に、彼女は一度、キョトンとした表情を浮かべたが

「……そうね」



「行ってみたいな」


 ネロスの目に映る、ほのかに赤い頬をしたマイティアは確かに、笑っていた。

 

 ナラ・ハの森に突如現れた巨大な怪物に、様々な憶測が飛び交った。


 多くの人々はアレこそが復活した魔王であると言ったが

 魔王の味方と思っていた四天王の一体、エバンナの牙城であったレンス・タリーパを壊滅状態に陥れたことや

 同じく四天王と並べられていた、エルフ領域を徘徊はいかいするゲドの魔力が消えたことから

 魔物側の仲間割れが起きているのでは?と疑う者もいた。


 だが、魔王はナラ・ハの地に再び現れることはなく……。


 人々はこれを好機とし、次々に動き始めていた―――――。





 タタリ山の南側、神国


「……風向きが変わってきたな」


 ガタイのいい淡い緋色の身体、左右に生えた黒い角、人型の魔物が高貴な衣服を人並みに着こなす。袖も襟もピッチリと締め、背筋に針金でも通っているかの様な立ち姿で腕を組む。


 四天王の一体、鬼将バーブラは、険しい表情を浮かべていた。


 神国の大神殿の執務室で部下たちからの報告書類に目を通していたバーブラは、北から響き渡る咆哮ほうこうに慌ててベランダへと飛び出し、西へ抜ける巨大な魔力の砲撃を目の当たりにした。

 遅れて神国の北西部に押し寄せてきた津波への対応に追われる最中、北へ派遣している魔族から、山をも超える怪物の報告を受けて

「まずいぞ」

 彼は速足で執務室へと戻ってきていた。


「ロロベトよ、勇者の所在は? 掴めないままか?」

 ロロベトと呼ばれた、杖をつく老いた亀のような魔族は「はい……」バーブラの問いに申し訳なさそうに頷いた。

「ご報告しました通り、ナラ・ハで荒れ地の魔女と接触した、正体不明の死霊の情報があったのみです。魔女の幻惑術で視界を攪乱されて以後、恐らくは鉢合わせてしまったゲドに偵察員が殺されてしまったため、未だに状況把握が出来ておりませんが……」

「……無関係とは思えぬな」


 執務室にずらりと置かれた女神教団員やバーブラに歯向かった者たちの尋問記録や、教団の活動記録を漁り「ふむ、これだ」しおりの挟んだページを開いた。


 ~……し、取り出した魔王の魂を、ゼスカーン大神官の部下イアン・ディークの妻エバの胎児に移植。しかし、出生直前にエバが消息を断つ。

 神国全域からタタリ山まで捜索範囲を広げるも、タタリ山の土砂崩れによりイアンら捜索隊が全滅、タタリ山の登山道も封鎖されてしまったことから、ゼスカーン大神官の指示で捜索は打ち切られた。

 ジュスカール大神教主は……~


 そして、栞代わりにしていた添付資料……女神教団の関連施設に所蔵されていた魔王の特徴と経緯をまとめたメモと、今回の騒動を合わせ……バーブラは記録簿の文面を睨みつけた。


「女神を信じられなくなったか、それとも女神が愚か者を見放した結果か……虫唾むしずが走る」

「如何なさいますか、バーブラ様」

「必ず”奴”はこの事態に動き出すだろう。この国から奴らを一人として出すな。

 タタリ山、レコン滝周辺の警戒を強化するよう各位に伝えよ

 国境を越える者あれば殺して構わん」

「はっ」


 それから間もなく「お取込み中失礼します」一人の”エルフ”が執務室に入って来た。

 魔術師の三角帽子を取り、魔術師協会のエンブレムの入った服の、長い銀髪を結ったスノーエルフの男―――かつてポートの戦いでマイティアを襲撃し、ネロスに撃退された───元女神騎士団員のホロンスだった。


「なんじゃホロンス、また単独行動でもする気か?」ロロベトはホロンスに恨めしそうにがんを飛ばした。

「そう何度も何度も我儘わがままをバーブラ様が許すとは思わ」

「魔術師協会がナラ・ハ奪還に向けて結集を掛けました 魔王と思しき巨大な怪物の調査も兼ねて」

「バーブラ様はお前なんぞに構っ―――!」

「静粛にせい、ロロベト」

「し、失礼致しました」

「魔術師協会の結集は、大規模な儀式術で行われる対象特異的な魔術で、神国中に掛けている封印術による結界をすり抜けます。

 魔法陣となるのは、会員証にもなるこの魔導衣のエンブレム。これに転移魔術の魔法陣が配布される。これさえ持っていれば、その転移魔術に乗ればシェールまで飛べるわけですよ。

 “レジスタンス“の連中がこの機会を逃すはずがない」

「神国の神官の中に、エルフ側の魔術師協会に所属していた者がいると?」

「ええ、以前から沢山。

 神国の魔術師協会は封印術しか教えられない能無しですし、間違ったこと教えている連中ですから。

 魔術を使う魔力量のある、高学歴な神官共なんかは、女神信仰のロビー活動も兼ねて王国の魔術師協会に入るなんてよくあることで。

 ええ、そもそも魔術師を殺して魔導衣を奪っている可能性まで考えたら、使わない確率の方が低い」

「……奴らの漏出を防げぬなら、潰すしかないか」

「俺が行きます。どうせ呼ばれてますから」

 ホロンスがそう名乗り出すと「怪しいですぞバーブラ様いよいよ怪しいですぞ!」ロロベトが我慢ならないと言わんばかりに、ホロンスの膝下でバタバタと喚き散らした。


「わしらに協力的なエルフ! しかも元女神騎士団員! 王国のド田舎出身!

 お前こそスパイじゃなかろうか?! 女神騎士団にいた奴が魔術師協会に顔出して知らんぷりされるはずがあるまい!」

「百回訊かれても、千回同じことを答えますよ。

 俺は”バーブラ様に仕えて”いる。魔族にくみしている訳じゃない。

 それに、女神騎士団の下っ端の下っ端の雑用掃除係的な奴の顔と名前を、覚えてる奴なんかいませんよ。それも20年も前の話だ。

 エルフは故郷と魔術と、顔に泥を塗ってきた奴の事しか覚えない」

「ムムムムム!!」

「やめろ2人とも、そのやり取りはいい加減聴き飽きたぞ」


 2人のいがみ合いを諫め、バーブラはホロンスに命令を下した。


「よかろう、ホロンス この件はお前に任せる。

 魔術師協会の様子を窺うにも、魔族が化けるより角も立たぬだろう」


 その言葉にホロンスは口を開かず

『あなたならそう言ってくれると思っていました』とハンドサインを送った。




「バーブラ様はアレに甘すぎます! 裏切る可能性しか感じませんぞ……そもそもあの不可思議な手の動きは何ですか!?」

 ホロンスが執務室を離れてから、ロロベトはイケスカナイエルフめとこぼした。

「ポートの戦いでもそうです! ホロンスが王国人共と言葉を交わしていた姿を見た魔族も何人もいたのです!

 数では優勢だった我々が、勇者1人増えただけで押し負けるなど……きっとアレが我々の情報を奴らに……」

「俺を何と心得るか、ロロベトよ。

 このバーブラは、魔族の“王“となる者だ」


 深く沈む椅子に腰掛け、積み重なった書類に1枚ずつ目を通しながら、バーブラはロロベトの疑念に余裕の笑みで応えた。


「お前たち“親衛隊”は、この俺が高く買った部下。

 俺の目利きに狂いなどあるものか!」





 動かぬ舟、王城アストラダムス


 天にえる巨大な怪物をその目にした王ハサンは


「何故だ女神よ! 何故この私の祈りに応えてくださらぬのか!」


 城の中に作らせた女神教会に引き篭もり、十字架を握り締めて平伏ひれふした。色褪せた金髪が淫らに散るのも、髭が生え散らかすのも、寝不足で弛んだ目元にも構わず、一心不乱に頭を床に擦りつけていた。


 この国の終わり この世の終わり……それを防ぐための女神、その“使命の重大さをしかとわからせてきた”というのに、マイティアを送り出してから数日経っても何も……女神は神官の呼びかけに応じない。

 コレまでと同じように、魔蝋燭に込めた祈りだけが、小さな炭と化した。


「おのれ……マイティア! 何のために 何のためにお前が……ッ!」

「失礼致します陛下、グレースよりポートとの協…」

「ええい!黙れ黙れ黙れッ!!」

 ハサンは血眼で装飾の剥がれた王冠を投げ捨て、声を掛けてきた執事を恫喝どうかつした。

「勇者に首輪をつけておくことも出来ぬ役立たず共め!

 国の精鋭が集まっておきながら! いつになったらドップラーの正体を掴めるのだ!

 王都の民ばかりが魔物の毒で死んでいく! 狂ったように悲鳴を上げて死んでいく―――それを守ることすら出来ぬなど――――戦勲せんくんを立てぬ者共に喰わせる飯などない! 

 グレース!! 次に泣き言をほざけばその舌を引き抜くと伝えろ! その次は貴様の首であがなわせるぞッ!」

「―――しょ、承知、致しました……。」

 重大な急務と言えど、『しかし』などとハサン王に聞かせれば、理不尽な死が待ち受けている……経験的に死を恐怖した新任の執事は逃げるように扉を閉めた。


 それを見届けてから

「何故だ何故なんだ”ジャック”……俺は間違っていたのか? 俺が……」

 ハサン以外に誰もいない教会で”一人”

「ああ、ああ……ああ! そうだな…お前だけだ、お前だけが俺をいつも赦してくれる……」

 王は自分の影に涙を零し、愛らしそうに額を擦りつけた。

「お前だけが頼りだ……“我が息子”よ」

 手垢と錆で汚れた十字架を握り締めるその目はもう、狂っているとしか言い表せない程に血走っていた。





 王都の吹雪が止み、雲のない晴れた空。

 それを跳ね橋近くの兵舎の窓から眺めるのは、壮年の、隻眼の城兵だった。鍛え上げられた体は老いても尚、引き締められており、短い茶色の髪と髭はしっかりと手入れされている。彼は大きな白い息を吐いた。彼はその日、非番だった。


「やっと地獄が終わったと思っていたのに……今度は王の引き籠りだなんて最悪っスね、ジーンさん」

 塩漬けニシンを肴に、水で薄められた酒を嗜む若い城兵は、頬を赤らめて愚痴を零した。


「護送車に同乗していた近衛兵たちも帰ってきていないし、一向に女神の予言が下されないのは……やはり道中で何かあったとしか思えんな……」

宰相さいしょうの指示で捜索隊が出されてますけど、まだ見つかってないらしいっスもんね、護送車。

 あの人、実は生きてるんじゃないですか?」

「……勇者が護送車に乗り込んでいた説が濃厚なのは確かだが……近衛兵共、マイティア様にサルアを飲ませたらしいからな……」

 城兵としては古株のジーンは、まだ幼かった頃のマイティアを幾度も城の中で見かけた事があった。

 あの頃のマイティアは、それはもう大層可愛らしい、健気な子供だった。

 城の見回りを行う城兵たちや召使いたちの顔や名前をすぐに憶え、年の割には知識が多く、大人でも読み切れないような本を何冊も読破。さらに、聞いた言葉のほとんどをそのまま記憶し、一日であれば書き起こすことができたという。

 加えて、貴族たちに物怖ものおじしたりせず、平民たちには言葉と態度を和らげる、器用で快活な……将来が楽しみに思えるような、有能なお姫様の印象だった。


 子供のいないジーンには、マイティアを含めた、王の4人姉妹たちは暗い時代の中でも逞しく生きる明るさの象徴でもあったのだが――――城兵や召使い如きの意見に、王や貴族たちは耳を傾けそうになかった。


「マイティア様は助からないだろう……サルアは鎮痛効果を終えた後に、致死毒になるからな」

「ハッハッハ、女神の子補正がかかってるから死なねぇでしょあの女」

 若者がそう口にすると、「あ」ジーンは彼の前から酒を強引に奪い取った。

「もうやめろ、悪酔いし過ぎだ」

「は? なに怒ってんスか? ジーンさん。

 アイツがさっさと女神にならなかったせいで王の気狂いが起きてるんでしょ? アイツのせいじゃねぇの」

「口を慎まんか愚か者め! ここは王城アストラダムスの中だぞ!

 王都騎士団でなら陰口叩いても赦されたかもしれないが、王城にいるときにマイティア様を侮辱ぶじょくするな……グレースから何も教わらなかったのか?」

「それ、もしかして”鷹王ようおうの過保護”って奴ですか?

 王城でフォールガス王家を侮辱すると鷹王に殺されるって王国七不思議」

「いいか、俺の知る限りそれで七人は死んでる。

 階段から不自然に転げ落ちて死んだ奴、屋上から逃げるように飛び降りた奴、雪掻き中に落下した雪に潰されて首の骨を折った奴……そいつらの首には皆、鉤爪で裂かれた傷があった。そうなりたいか?」

 城兵としては古株ジーンの冗談と思えない口調に、王都騎士上がりの若い城兵は面食らった顔をしたものの「ただのジンクスでしょ」酔いの醒めていないかのようにヘラヘラしながら席を立った。

「待て待て待てどこ行くつもりだ」

「便所っすよ、先輩も行きますか?」

「……ぜってぇ行かねぇ」



 若い城兵が便所に向かった後、窓の外へ再び顔を向けたジーンの目に


 ひゅるるるるるる………。

「ん?」


 不可思議な放物線と煙が南東の跳ね橋に―――ゴゴンッ! 衝突した!

「なんだなんだなんだ!? 魔物の襲撃か!?」

 急いで鎧を着こみ―――ゴゴンッ! 緊急事態のサイレンに急かされながら―――ゴゴンッ! ジーンが外へ出ようとしていた直後だった。

 バゴンッ!! ジーンの目の前―――ちょうど宿舎のかわやが何かの砲撃で吹っ飛ばされた。


「ほれみろ言わんこっちゃない……ッ!

 くっだらねぇ死に方しやがって!!」


 土煙と瓦礫の下から溢れ出る水に混じる赤い靄。それを踏みつけながら外へ飛び出し、ジーンは巡回中だった城兵たちと合流した。

「状況は!?」

「跳ね橋が砲撃で落とされました!」

 煙の立ち込める王城の南東門を鋸壁のこぎりかべから覗き込むと―――跳ね橋前で警備していた城兵が大きな”悲鳴”を上げた。


「む、む、むッむむむむむむむむ謀反むほんだァアアア!!!!

 ”王都騎士が攻めてきた”ぞぉおおお!!!!」


 ――――”鎧”を着た人々 百人近い騎士たちが“緑色の瘴気を吐きながら”

 跳ね橋を渡り、城に向けて走り出していたのだ!





 天竜山脈からひどく冷え込んだ寒波が、山奥の寂れた教会に雪崩れ込む。

 猛吹雪を防ぐ為の壁もガラスも壊れたまま、応急処置で打ち込まれた木の板もべろりと剥がれ、チャーチベンチや祭壇さいだんは雪に埋もれてしまっている。


 王都から北西にある山間の町サンプト。その更に山奥にある女神教団の第一教会。

 町の中に大きな第二教会が出来てからは、誰も使わなくなった廃墟───木の床もボコボコに浮き上がり、絨毯じゅうたんも凍り、女神像も十字架もバラバラに“斬り捨てられて“隙間に放り投げられている、そんな地下に……”彼女たち”はいた。


「外に出ない方が良いわ、ランディ 凍死しますよ」

「サッチ……アンタはよくもこんなところで生活できるよな……今日も昨日も一昨日も吹雪じゃんか! いつ晴れるんだよ!」

「運が良ければ晴れます」

「日を浴びるのに運が必要だってぇ? モヤシになっちまうよ……」


 短い金髪の、引き絞られた筋肉を動かし続けて暖を取るランディアは不満を口にした。彼女は三日も、この狭苦しい地下に閉じ込められていたのだ。

 ただ、狭いと言っても、衣食住が出来る空間は十分確保されていた。

 天然の寒さから食糧は十分量冷凍保存されており、暖炉を使う前提の構造の為、通気性は確保されている。暖炉で料理もできるし、濡れた服も乾かせる。トイレもあるし、永遠と採取できる雪を溶かして土埃を濾過し、煮沸すれば飲み水にも洗濯水にもなる。

 居心地が悪いとすれば、天井が低い事だろう。両手を万歳しきれない高さは、彼女の想像以上に窮屈きゅうくつだった。

「素振りがしたい……汗をかきたい……ッ!」

「腕立てでもしたら? 上に乗ってあげますよ」


 片手交互に腕立て伏せをするランディアの背中に腰かけた、黒肌捻じり毛のサーティアは

「あなたは王都に帰るつもりはなかったのでしょう?」

 鍋を沸かす暖炉の火を見つめながら素っ気なく「そのままポートへ向かう予定だったと、私は聞いてるけど」ランディアに訊ねた。

「……相、変わらず、何処で、情報、得てる、のか、わかん、ねぇな、暗部」

「それが私たちの仕事だもの」


 ランディアは顔をしかめ、片手から両手に切り替え、ゆっくりとした動きで腕立てを始めた。


「勇者とマイティアの健闘で、王国南部がバーブラから解放された……ポートのドワーフたちも以前より遥かに協力姿勢でいるって、南部貴族たちからの進言もあったからさ。

 難民船沈没事件の当時に王都騎士じゃなかった若手で、世話になったマイティアの姉の私は、ある意味で打ってつけで、ナリフっていうドワーフの女町長のところへ訪問する予定だったのは……確かだよ」

「だった?」

「クソ親父が取り合わなかったんだ……“予備“を手元から離さないために許可を降ろしたくないってよ。

 だけど……勇者がどうしてもミトに会いたいって言って来て……ダメだって断る理由を、正当化したくなかったんだ」


 そしてランディアは、勇者ネロスを妹のマイティアと会わせるために、彼を護送車に潜入させ、自らは近衛兵と偽り、同乗した。

 王都へ帰れば殺されかねない罪を犯す覚悟を決めたのは、ネロスの思いが、一つのきっかけだった……が。


「まさか、こんなことに……なるなんて思ってなかったから……どうしたらいいのか、私も混乱中なんだよ……出来ればグレースたちと一度相談したいんだけど」

「少なくとも今、王都に戻るのは自殺行為ですよ、ランディ。

 あなたは勇者とされる者を無断で連れ出して行方不明にし、カタリの里からマイティアを誘拐し、王都騎士の仕事を放棄し、近衛兵二人を熊の餌にして、一人の装備品を奪い、他諸々。

 そんなあなたを匿っている私も含めて、首を吊るされるほどとっても立派な犯罪者です。その死を晒す以外に償い様がありません」

「ごもっともだけど、もう少しマイルドに仰ってお姉様」


 今まさに、彼女たちを温めている暖炉の薪と、野菜と共に煮込まれる薄くスライスした馬肉と化した元護送車。そして、車輪の跡も、魔力の痕跡も、連日降り注ぐ吹雪でスッカリ消えていることだろう。

 証拠隠滅はバッチリだろうが、吹雪が止んだら捜索隊が第一教会まで探しに来る危険は当然ある。


「ただ……あれは勇者とは思えませんね

 もっと危険な、何かです」

 サーティアの脳裏に浮かんできたのは、勇者ネロスから溢れ出ていた”魔”だった。彼の吐く魔を浴びればたちまち魔中毒になってしまうだろう……強烈な瘴気。

「もっと早くに気付いていれば……」

 人並み外れた力の訳を都合よく解釈したりしなければ、もっと勇者を注意深く調査していただろうに……彼女は後悔していた。女神の予言に懐疑的な立場でいなければならなかった筈なのに、いつの間にか勇者を信じて、期待していたことに。

 だが、サーティアの言葉に対し、ランディアは少し楽観的でいた。

「ネロスが危険だって言うなら、クソ親父の方がよっぽど危険さ」

「それはそうですけど」

「ミトを本気で心配してた……アイツの言葉が嘘だったように私は思えないし。

 それに……アイツが本当に悪い魔物なのだとしたら……ミトが報われないだろ」

「…………。」


 2人の哀し気な視線の先、一つしかないベッドに何枚もの毛布を重ね掛けした一人の妹。


 マイティアは……あれから一度も、目覚めていない。


「……ランディ、そろそろ体も暖まったでしょ。

 手を貸して。身体を洗ってあげなきゃ」


 ほとんどの時間、2人はかわりばんこに妹の横に座り、彼女を擦っていた。

 何度も寝返りさせ、傷だらけの身体を洗って、拭いてやり……磨り潰した食事を少しずつ取らせて

 馬車の車輪を車椅子に改造して、地下の中を少しだけ散歩し、帰ってきて……ゆっくりと彼女をベッドに寝かせる。

 吹雪に閉じ込められたこの3日間、彼女たちはそれしか出来ていなかったが……それが最大限にしてあげられる事だった。


「今、どんな夢を見ているのかしら……」

「ホズの視界になりきって空を飛んでたりして」

「そうね、好きだったものね……」

「ミト、そろそろご飯の時間だよ 戻ってきな」

「早く帰らないと、ランディとシャルが全部食べちゃうわよ」

「食い意地が強いのはサッチだろ」

「自分への配当分を死守しているだけです。食い意地とは言いません」

「どうだかなぁ~」


 それでも、マイティアはピクリともしない。

 今にも消えてしまいそうな弱い鼓動と、耳を寄せないと聞き取れない呼吸音のまま。

 か細く小さく……眠り続けている。


 ずっとこのままなのだろうか……そんな不安に駆られる度、お互いに励まし合っていた───そんなとき だ っ た。



 ズズズン!! 地面の下から突き上げてくるような地震!


 サーティアは咄嗟とっさにマイティアを庇う様に抱きかかえ

 ズズズズズン!! 

「普通の地震じゃない!」ランディアは猛吹雪の中で天蓋を開いた――――彼女の目に


 カッ――――吹雪のカーテンを突き抜ける眩い閃光の後 ゴ ァ  地竜山脈を挟んだ反対側から吹き込んでくる衝撃波が映る!

「わぶっ」ランディアは押し寄せてくる風圧に天蓋ごと地下へと押しやられて…………暴風が吹き過ぎていく激しい地響きが止むのを待ってから、恐る恐る外へ顔を出すと


「ふ、吹雪が 吹っ飛んでら……」


 尋常ではない猛烈な風が、教会を三日も閉じ込めた吹雪を遙か遠くへと消し飛ばしてしまったようだ。それも、教会の瓦礫も遠くまで粉々に散乱してしまっている。

 ランディアは呆気に取られたままスッカリ良好になった視界で空を見上げると、分厚く漂っていた雲は不自然に押しやられ、雲に覆われていた赤い月は煌々(こうこう)と照っていた……。


「地底国? ナラ・ハの方角か? 地竜山脈の西側からか……。

 地底国の秘密兵器にでも引火したか?」

「人工的な爆発に、ゲホッ……しては規模が大きすぎる……ゲホッ、ゴホッ、もしかしたら、八竜の攻撃かし……ゴホッ」

「は、八竜? 八竜って……なんだっけ、神様? 御蛇様?」

「ともかく…ゲホッ! ランディア、降りてきて……さっきの地震と爆風が吹き込んできて……ゲホッ、埃と、雪が……暖炉の火も消えちゃったの」

「あ、ああ、今行く」


 ランディアが天蓋を開けたままにして地下への階段を降りると

「ゴホッ すげぇ散らかりようだぁ……」

 元からあまり片付いた空間ではなかったが、そこへ更に、土砂混じりの雪と、壁に吹き飛ばされて半壊した日用品たち……舞い上がる埃で目も開けられない有様だった。

「一端、ミトを外に出そう。

 流石にこんな場所に寝かせていたら肺炎になっちまう」

「そうね、今、階段まで ゲホッ 運ぶから……受け取ってくれる?」

 折り重なるように散乱した日用品を踏み越えていきながら、サーティアが毛布にくるまったマイティアを担ぎ上げ、ランディアへ手渡そうとした……そのときだった。


「……、ぅーん……」

「!!」


 声に驚いて

 ずっと動かなかった指が、ゆっくりと、サーティアの服を、キュッと握った。


「うぅ……へぶぅ」

「へぶぅ?」


 そして、少しずつ 瞼が、開かれた


「  ここ ……  どこ ? 」


 青い瞳が、何処か眠たげに開かれたのだ――――マイティアが目覚めたのだ!


「ミトっ!」 

「マイティア―――良かった 良かったッ! 目が覚めたのね!」


「…… あ なた たち だ ぁ れ ?」



 二人は返す言葉を失い、一度大きく息を吸い、互いに顔を見合った。

 こうなることはわかっていた 落ち着け と 何度も視線で送り合う。

 彼女は記憶を失ってしまった……2人のことを覚えていなくて当然なのだ。


 ランディアに階段の手前へ取り急ぎ毛布を敷かせ、サーティアは動揺と不安が伝わらないようにゆっくりと優しく……マイティアを毛布の上に寝かせた。


「ふわわぁ……」

 毛布の上に仰向けになったマイティアは……しかしながらとても眠そうに、そして、呑気に大きなあくびをした。

 記憶を失っているのだから、彼女は今、見知らぬ土地で見知らぬ人間に囲まれている筈なのだが……危機感を覚えている様子がまるで見られない。

(こんなに警戒心のない子だったかしら……)

 兎にも角にも、マイティアを安心させねば。

 彼女が目覚めたときのために用意していた言葉を、サーティアは丁寧に紡いだ。


「“初めまして”、マイティア

 私はサーティア。この教会で神婦しんぷをしています。」

「私はランディア、王都騎士だよ、ミト」

「…………。」


 マイティアはしばらく2人を見つめながらぼーっとしていた。二人の言葉が良く理解出来なかったのだろうか……もう一度、同じ事を言おうとしたとき、マイティアは自然と「えへへ」くだけた笑みを浮かべた。


「初めまして。私、マイティアです。

 2人とも私の名前を知ってたんだね。

 まだ名乗ってなかったから、どうしてだろうって少しビックリしてたの」

「あ――――」


 なんとも子供らしい、屈託のない笑みを浮かべるもんで、2人はひどく面食らった。

 マイティアは眉間に皺を寄せたりせず―――青く光る宝石のように綺麗な目をまん丸と開け、ぱちぱち、と瞬いていた。人を疑うことを知らないような、初心うぶつぶらな童心。七、八歳の女の子に思えるような言葉遣いと雰囲気。

 ただ、彼女の身体つきはどう見ても大人だった。傷だらけで、痩せこけている事を除けば、至って普通の成人女性である。


「今まで私……かくれんぼでもしてたのかな?

 見知らぬところに勝手に入っちゃって、いつの間にかうとうと居眠りしていたとしたら……私、ずいぶんふてぶてしいことしてるのね、ごめんなさい」

「えーっと、その……うーん、図太い精神は必要だと思います」

「ミト、居眠りする前の記憶、残ってる?」


 そう訊いてみると、マイティアは首を小さく傾げて

「うーんとね……うーん、わきゃんないです」

「わ、わきゃんないかぁ……わきゃんないなら仕方ないねぇ~アハハァ」

 ランディアはアハハアハハと乾いた笑いを口にしながらコソコソとマイティアの周りを大回りして、サーティアの横に立って耳打ちした。

「サッチ……ミトの精神年齢おかしくないか?」

「ショックで童心帰りしちゃったのかしら……それとも、記憶を奪われたから……?」


「そうだ! 私、帰らなきゃ!」

「「えっ」」


 マイティアは突然思い出したようにそう口にして、体を起こそうとパタパタ手足を動かし始めたが

「どうしよう……体、スライムみたい……」

 手足に力が入らないのか、胴体がピクリとも動かないのか、1人で起き上がることが出来ない。

 彼女は途方に暮れたかのような情けない表情で

「私、人間の姿してる……?」眉尻を下げて困り果てた。


「帰るって……まさか城に帰りたいの?」

「お城? お城……ううん、ちがうの。

 お城はね、怖いところだから行っちゃダメなの。あれはね、“魔王”が住むお城なんだよ」

 ランディアは大きく深呼吸した後で、サーティアと顔を合わせ「……ああ、そうだよな」マイティアの言葉を訂正しようとはしなかった。

「何処に帰りたいか、場所わかる?」

「……どこだろう……わかんないけど、あったかいところなの。

 汗っぽくって、みんなわちゃわちゃしてて、ごった返してるの」

「わちゃわちゃしてごった返してるの? そこに帰りたいの?」

「うん。帰ろうって言われたの。それだけは覚えてる」

「誰に言われたの?」

「手が凄く湿っぽい人」

「て、手が湿っぽい?」

「誰かが私の手を、凄く大きな手で、ぎゅーって握ってくれてたの

 すごく あったかくてね

 だけど、やっぱり湿ってた気がするんだ」


 マイティアはふにゃりと笑った。


「へへ、カエルの王子様だったりしてね」


 夢物語を話す、幼気いたいけな少女の様に。




2022/11/23改稿しました

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― 新着の感想 ―
[良い点] キャラクターの登場人数が過去最多では? グレース&ランディア以外は、みんなに第二部が始まるまでは平穏フラグが立って、まず一息ですかね。嫌がられるだろうけど、グレースさんに他の生き方をしてく…
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