第5話 トトリの戦い
ほら~? 言った通りに? なったでしょ~?
いや いやいや待ちなさい ほら~じゃないわよアンポンタン
(ネロス アンンッタさあァ “尻餅”ッて昨日の時点で言ってたわよねぇえ! 私が縄を射る事を予知夢で見てたでしょ知ってたでしょアンタさぁあ……そういうこと先に言えってん バカがァァ……!!!)
腰が抜けて地にへたり込み、ここ数日間緊張したままだった手足の芯が抜けて───安堵と眠気が同時に押し寄せて……立ち直れる気がしなかった……が。
バコンッ!
大広場から爆発音とその衝撃が響き───私は気の抜けた下半身に鞭を打ち、弓を杖代わりにして立ち上がった。
そうだ、大教会の中に上級の魔物たちが残っている。奴らが表に出て来るのは当然なんだ。
私は高台から近くの建物の屋根によじ登ってから、階段様に低くなっていく平屋根を駆け抜け、大広場へ距離を詰めていった。大教会と高台は建物が邪魔で視野に敵が映らないからだ。
爆発音の発生源が見えてきた頃に、奇っ怪な叫び声が響いてきた。
「ふざけるなふっざけんななんだコレはナンなんだコレはァアア!!
俺の 俺のかわいい仲間たちが……魂に……魂にぃィイイイァァアアア!! 皆殺しにしやがったなテメェェエエ!!!!」
赤い布の皮を被っていたソイツは、四つの太く長い腕で化けの皮を四方に引き裂き、窮屈に折り畳んでいた蛇腹状の胴体を解放した。
黒光りする硬質で滑らかな甲殻に覆われ、太いワイヤーのような筋線維が、甲殻の薄い、もしくはない関節部分を隙間無く埋め尽くす。
長く節の多い4本の腕と2本の太く丈夫な足。4本の手の先には、魔物に特徴的な4本指が伸びており、赤く血走った三ツ目と左右に開く顎を持つ頭には、千切れた赤服の一部が頭巾のように垂れ下がっている。
そして……ソイツの図体は、恐れを知らぬ勇者の三倍はデカい……ムカデだ。
「殺してやる……この俺が直々にだッ!」
ソイツは四ツ腕を天高く伸ばし、奴の手の平に魔力がみるみると凝縮されていき……四本の大曲剣が具現化する。
その剣の1本1本は私たちよりも大きく、三日月型に反っており、斧の如く重厚な刀身には同じ魔法陣が刻まれている────魔力を含有する素材を特殊加工して作られる“魔導具”、その大剣だった。
「お前らは手を出すな!
バーブラ様に報告を急げ!!」
その指示に大教会の中にいた赤服たちが、鎧を着込んだ貴族たちに目もくれず一心不乱に走り去っていった。
「なんだ、1人か 多勢に無勢がお前らの戦い方じゃないのか?」
ネロスが尤もな事を言う。
私たち人が上級の魔物を複数人で寄って集って相手取る様に、魔物もまた、数の暴力によって蹂躙する事も出来た筈だ。勇者を確実に倒すつもりがあるのなら尚更だ。
だが、三ツ目を細め、勇者を鋭く睨みつけたソイツは不敵な笑みを浮かべた。
「俺はバーブラ様に見出された 選ばれし“魔族”!
御方より授かりし集魂の大剣がこの手にある限り!
剣豪ヤンゴンの魂は朽ちぬのだ!!」
(ヤンゴン───確か 侯爵が言ってた 最上級の)
魔物のグレード分類に最上級なんてものは、魔王復活前は存在しなかった。あくまで人が勝手に、討伐する魔物を報酬単価別に付けた分類だったから。
女神と、聖樹の力で魔物の発生そのものが少ない時代には見える事もなかった強さ……その力の底を知る者は、ほとんどいないのだろう。
四本の大曲剣に刻まれた魔法陣が妖しく赤い光を帯びると、空中に散りばめられた幾百もの魂を呼び寄せ、剣に纏った。
魂は魔を呼び、魔は魂に引かれる性質がある───大広場に集中していた魔力の流れが全てヤンゴンの大剣へと吸われていく……恐らく奴は、人よりも何倍もデカい図体でいるくせ、敵に下位魔術さえ使わせない状況を作り出し……四本の大曲剣で敵を切り刻むつもりなのだ。
バヂッン──高濃度の魔力が弾け、鼓膜を破きそうな轟音と目を覆いたくなる閃光が縦横無尽に石畳を駆け抜ける───私たちは有無を言わずに本能のまま踵を返し、全速力で瓦礫のバリケードへ逃げ込んだ。
騎士の誇り?そんなものはない!と言わんばかりに甲冑に身を包んだ騎士もバリケードを頭から飛び越えて転がり込んでくる。その背中を魔力の雷が僅かに擦っただけ……白銀の鎧が真っ黒に煤け、炭化した瓦礫のクズが私たちの頭上から降り注がれる。
私も含め、皆の顔は「あんなの勝てっこない」という絶望一色に染まっている。空気中の魔力を奪われているため、魔術から身を守る魔法障壁すらもまともに使えない……生身で奴の攻撃なんて受けようものなら丸焦げが────普通だが。
瓦礫の隙間から見える異次元の戦いが、僅かながら 私たちの希望を繋いでいる。
雷を纏う大曲剣を、囚人服しか着ていない……ほぼ生身の勇者が人間とは思えない身のこなしで紙一重に避ける。勇者の背後から這い回ってくる無数の雷の蛇も、小枝の様にさえ見える白銀に輝く聖剣が弾き返す。
大曲剣は既に大広場中心の魔力を吸い尽くしていて、勇者は魔術も、身を守る魔法障壁さえ使えない不利な環境に追いやられているにもかかわらず、かれこれ数十秒経ってもヤンゴンはネロスに掠り傷さえ与えられていない。
目を眩ませる閃光と赤服の切れ端で奴の表情は窺えないが、ヤンゴンは焦り始めているかもしれない。
魔力によって生み出した武具、もしくは、別の空間に置いてあるものを呼び出して使う武具を召喚武具と呼び、これらには、携帯の必要がないことや、金属武器と比べて魔術との相乗効果を出しやすいこと、詠唱1つで呼び出せる便利さなどのメリットがある。ただ、デメリットの1つとして時間制限が設けられている。一般的にその時間は延長出来ず、再召喚には最低でも数分程度の準備を要する。その為、戦闘に決着を付けるべく、切り札として使用する事が召喚武具のセオリーだ。
ヤンゴンの頭上で身を捻り、振り下ろされた聖剣が奴の顎を切り落とす。溢れ出す血と呻き声、ネロスと距離を取ろうと大きく四腕を薙ぎ払い、その風圧で頭の赤服が剥がれた。露わになる三つの目には、先程までの怒りや自信が見えなかった。ヤンゴンは、一瞬前の勇者の残像を目で追っていたのだ。
「あ! 野郎!」
ヤンゴンは地面を掘り起こすように大曲剣を払い上げ、接近するネロスに土埃の壁を舞上げてすぐ
「ロウ様!お逃げください!!」
大教会から出て来たグランバニク侯爵に向けて雷を放ち、自らも飛び掛かった。
「老いぼれ殺して少しでも傷痕を残したかったか?
格が落ちたなヤンゴンよ!」
だが、侯爵の自前の魔法障壁が雷を相殺し、ヤンゴンの大曲剣を侯爵の大剣が力尽くで弾き返した。
その力が想像以上に強かったか、ヤンゴンは僅かによろめき───ズバッ! 勇者の聖剣がヤンゴンの腕の一本を切り落とし───集魂の大剣と呼んだ 四本の大曲剣が霧散した。
「俺は負けぬ」
だが、ヤンゴンは切り落とされた腕を掴み
「俺は負けてはならぬ」
自らの腕一本を引き千切り───それぞれの腕を魔力の炎で焼き、炎の剣のように握った。
「俺は“二度”も負けぬわァアッッ!」
そう啖呵を切り、振り向き様に振り上げた ヤンゴンの双刀は
「別に負けちゃいないさ
勝負になってないんだから」
下段構えから振り上げる勇者の一閃───ヤンゴンの胴体ごと、斜めに切り離された。
重量感ある音が響き渡り、ヤンゴンの上半身が崩れ落ちた。
集魂の大剣に引き寄せられていた魂たちも解放され、大広場中をふわふわと漂い始める。
歓声はなかった。
強いて言えば、勇者への畏怖だろうか。
「いやはや勇者よ!勇者! た~まげた能力あっぱれだっ!
この腕っぷしに予知夢も使えるだなんて、女神様は本当にあなたを愛しているに違いない!」
グランバニク侯爵はネロスを「ほげぇッ」鎧で絞め殺さんばかりに抱き締めた。殺意を感じる暴力的な抱擁だった。
「こ、ここっ、からがッ 面倒なんだよ侯爵!
急いでみんなを逃がさないと」
「おお!そうだったそうだった、失礼 気持ちが昂ぶってしまったわ」
ここから? 更に何かが来るというの?
しかも、最上級の魔物をほぼ1人で倒した勇者が面倒と言うとは────?
「フッ、どんな奴かと来てみれば、まさかお前のような者が勇者とはな」
何処からともなく……男の声がした。
壮年の声だろうか、落ち着き払った声色で、自信に満ち溢れている。
しかしながら、感情的ではない、確かな威圧感があった。
声が聞こえてきた方向へ視線を上げると、フードを深く被った……赤服が、空中に立っていた。
長身で、体格のいいそいつは……フードをそっ、と外した。
淡い血色の皮、黒檀の角―――3連の赤星を額に埋め込んだ……ただならぬ魔の圧。
「俺の名はバーブラ。
神国を治めし魔族の長 鬼将バーブラである」
一瞬にして大広場の空気が凍り付き、私たちも天を仰いだまま石のように固まった。手足が震えて距離を取らなければ等とも思考が回らない。
「違うわ、あれは幻影よ。本体は別のところにいる」
侯爵の言葉で僅か正気に戻るが、距離があるとはいえ幻影と判っても魔力の乱れがまるで見えない。恐ろしく精度の高い幻惑術を使っているということは……その使い手がいるという事だ。
「勝てないとビビって出て来ないのか? 卑怯者」
勇者の挑発に、バーブラは余裕そうな笑みを浮かべた。
「勇者よ、その無鉄砲な勇ましさは褒めてやる。
だが、この俺も往生際は悪くてな。
この町をそっくりお前たちに返すぐらいなら破壊してやった方がマシだと思い至った」
「なんだって!?」
バーブラが魔術を唱えると、大広場中に漂っていた無数の魂たちが魔力の渦に引かれていき……地面に横たわるヤンゴンの死体に集まっていく。そして、強大に膨れ上がった黒い魔力が、ヤンゴンを呑み込み徐々に液状へ、固体へと作り変わり────。
薄汚れた皮を持つ魔物が姿を現した。
そいつは一対の手足があり……まるで人のようだった。
建物よりも巨大であることを除けば……。
「お前たちよ、この町を破壊しろ―――勇者は“無視”だ」
「はああ!?!」
「精々健闘を祈るぞ、諸君
歴史あるこの町が、更地にならんようにな」
バーブラはそう嘲笑い、幻惑術が解かれると
「「「「アアアアアアアアアアッッ!!!!!!!!!!!!!!!」」」」
濁声の重なった雄叫びをあげながら───巨大な魔物は、町を破壊し始めた!
バーブラが唱えた魔術 あれは死霊術だ。
死霊術は、魂を操る魔術。
奴は無数の魔物の魂を、ヤンゴンの死体を触媒に一体の死霊を作り出したのだ。
────つまり、あれは 最上級の魔物ヤンゴンに、数百の魔物の魂が加わった……化け物だ。
「くそッ 行くぞ、ベラ!」
「待って! ネロス!バカ!戻って!」
私は瓦礫のバリケードを越えて駆け寄るも、ネロスは巨大な死霊に向かって走り出してしまった。流石に彼の足に私は追いつけない。
「侯爵! 町民の避難は」
「昨夜に勇者くんから予知夢を聴き、事前に北東へ避難させている
少なくとも奴を避難先に移動させなけれ あ」
「 ぁ ぁぁ あ ああ゛ッッ! ァダッッ!!」地面を跳ねながら勇者が早速転がって戻ってきた「なんなんだッ! 野郎っ僕に目向きもしない!」
ズズン! 大きな地響きに振り返ると、巨大な死霊の腕が一本、地面に落ちていた。更に、首ももげそうな程に抉れ───あの一瞬でかなりの傷を負わせたにもかかわらず、傷を塞ぎ、元に戻ろうと肉塊が蠢いている。
「ボーイ、私たちも出来る限りあなたのフォローに回るわ」
「くっそー! 今度こそぶった切ってやる!」
「ちょっとぉー」
聞く耳を持たない野郎の足下に「ひッ!?」矢を放って止めさせ
「住民は北東に避難させてる! 奴を南に誘導させて! 私と侯爵があんたのサポートに回るから! 分かった!?!」と捲し立てた。
「南ってどっち!?」
「あ゛っ゛ち゛!!」
指差した方角をしっかり確認したネロスは頷きながら再び駆け出し「南に行かせなければいいのね!!」と言いやがるので「南に行かせろ!!!」思わず裏声が混じった。
「とってもかわいいお馬鹿ちゃんね、ああいう筋肉馬鹿は好きよ、私」
「やだもうなんでこんな人ばっかりなのよホズぅ!早く帰ってきてッ!」
私はホズを北西へと向かわせていた。
少しでも人手をと願って、トトリから山を一つ二つ越えた先にある、レコン川沿いの港町ポートに応援を頼むためだ。
だが、戦いの火蓋は想定よりも早く落とされてしまった上、ポートはトトリと同様、王に見棄てられた町……助けが来ると、過信は出来なかった。
「くらぇえええ!!!」
聖剣から青い稲光が放たれ、巨大な死霊の顔面に風穴を開けた。
だが、顔の半分を抉った大穴すらも瞬く間に塞がってしまう。
勇者の力ですら倒しきれない奴にとって、私たちの細々とした攻撃などは気を散らせる程度の効果しかなかったものの、鬱陶しい攻撃や勇者から避けるように誘導させた結果、巨大な死霊は凶器の腕を縦横無尽に振り回しながらも南へと進路を変えた……それまでは良かった。
人間の身長二人分はある分厚い腕によって放れた建造物の瓦礫、収穫間近の麦畑に教会の鐘が沈み、降り注ぐ煉瓦で水路が枝分かれ、豊富な雪解け水が町中へと溢れ出している。
一刻も早く奴を止めなければ……その焦燥感が貴族たちの苛立ちを助長し怒号が飛び交う。
おまけに、自分を狙っていない攻撃というのは避けにくいらしく、ネロスも思わぬ攻撃を掠めて吹っ飛ばされている。
「このままでは埒があかないわ。核の魂を直接叩くしかない」
グランバニク侯爵は大剣を背に収め、私を近くへ招いた。
「核の魂ですか?」
「魔物と一口にまとめても、様々な種類、種族が存在する。
中でも死霊という類は厄介なのよ。
魔に侵された魂が変性したもの、これが女神教典における魔物の定義。一方の死霊は、核となる魂が原型を留めている魔物とされているわ。
外面の肉体が死者本人だったり、作られた肉体があるのなら、魔物同様に物理的に倒せるけど、死霊術によって核の魂を、他の魂で覆われてしまったら、削っても削っても芯が現れない状態と一緒よ」
巨大死霊の腕に弾かれたネロスが再度「いぃいああっっダッァアッッッ!!!!!」死霊を後方から追う私たちの近くまで飛ばされてきた。受け身をしっかりと取っているようで、骨折などはしていないみたいだが、全身擦り切れて血塗れだ。
「勇者くん、広場で使った技は連続で使えないのかしら?」
「聖剣の魔力は魔物の魂を遊離させる力があるんだけど アイツら魂がぐっちゃぐちゃにひとまとめにされているせいで効かないんだ。
さっきの使っても奴の表面だけしか! 削れないッ!!」と、走り出そうとするネロスに
「表面じゃなく、奴の中にまで聖剣の魔力をぶち込めたら倒せると思う?」私が訊くと、ネロスはしばらく息を荒げたままで、即答しなかった。血混じりの赤っぽい汗が伝う目は手元の聖剣に向けられており、恐らくは聖剣に宿る女神の意見を聞いているのだろう。
「僕が……魂が集まって固まっている……脳天に、聖剣を、柄に近いところまで、深く差し込んだ上で―――魔力を一気に注ぎ込めば 核までいけるかも!」
活路を見出した!
私たちは侯爵の指示に合わせて前進し、先頭を行く勇者の聖剣が暴れ回る巨大死霊の項を斬りつけ、よろけさせ―――その隙に、貴族たちが先回り、死霊の足を短時間拘束する魔術を唱え、よろけた体勢から復帰させないようにしたまま、侯爵が大剣で奴の両足を吹っ飛ばした。
死霊は遂に前のめりに肘をついて倒れ、頭を垂れた。
その瞬間、ネロスが聖剣を持って突撃し、巨大な死霊の脳天に、グサァ、と聖剣を突き刺した───だが、まだ刀身の半分も刺さっていない。
「「「「アアアアアアッッッ!!!!!!!!!」」」」
「わわわわ」
巨大な死霊は自分の頭をゴロゴロゴロと地面に引きずり、刺さった聖剣を握り続けるネロスを振り落とそうと暴れ出した。その暴れっぷりはみるみる過激になっていき、遂には地面に向かって自分の頭を叩きつけ始める始末だ。
「ぐぅうううううんんんんんんんッッッ!!!」
ネロスは意地でも聖剣から手を離そうとせず、幾度も体を打ち付けられながらも、一瞬の隙を突いて奥へ奥へと聖剣を脳天に差し込んでいく。聖剣の刀身が2/3ほどめり込んでいた。しかし、まだ突き刺さなければならない。
「「「「ギィィイイイアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッッ!!!!!!!!!」」」」
巨大な死霊が頭にしがみつくネロスを掴もうと手を伸ばした―――そのときだった。
「行くぞおめぇらああああああああ!!!!!!!」
聞き慣れない野太い声が響き、地響きと共に地面から巨大な死霊と同じくらいの泥人形が現れ、死霊を羽交い締めにした。
(土塊兵の召喚術―――まさか)
「待たせたな!無事か!?ミト!」
「ホズ!」
ホズが帰ってきた! 転移魔術の描かれた魔法陣を持って戻ってきた!
私の視線の先には、ポートから転移してきたのだろう、でっぷりとした体格の3頭身、ドワーフの男たち4人が合わせて上位魔術を支えている。
「ガッハッハァ! とんでもねえ化け物とかち合うたあ少しはやる気あんじゃねぇか“短耳族”!」
「報酬はガッポリ貰うからな!!」
暴れ狂っていた巨大な死霊の動きがようやく止められ、もがく奴の脳天直上に、ネロスは立ち上がった。
そして
「「「「アアアアアアアアアアアッッッッッッ!!!!!!!!!!!」」」」
聖剣が柄の近くまで深々と差し込まれていく。それが致命傷になり得ることを理解しているかのように、暴れようとするが、土塊兵は奴を厳重に締め付けて離さない。
「これで―――終わりだッ!」
カッ―――広場で見せた―――しかし、先程のような甲高い音のしない、眩い光が巨大な死霊を内側を満たしていき、奴の体が風船のように膨張して……奴の体から光が溢れ出し
パァァァッンッッッ!!!
光と共に死霊がはじけ飛び、無数の小さな光の粒が空に飛び散った。
赤い月に向かって昇っていった光の粒は、月明かりに溶け込むように、静かに消えていった……。
ようやく 終わった……。
私は安堵の溜息をつき、見上げていた視線を地面に戻すと、ネロスも大きく息を吐いて脱力したようだった。彼の脱力に合わせるように、聖剣もすぅーっと光が脱けていき、あの変哲のない木剣になった。
「ははは……はあ、僕は君のお眼鏡に適ったかな? なんだか後半は自信なくなってきちゃったね」
ネロスはそう言って顔の血を囚人服の裾で拭い、私の前に右手を差し出した。
「何? この手は」
「僕、ずっと誰かと握手したかったんだ。
こういうときにするんだろ? 初めては君としたいの。ダメかな?」
初めて? やったことないの? 握手を?
変に勘繰る思いが先行したが、私は、彼の手を握った。
その手は見た目よりも大きく感じて、触れたことのある誰よりも凸凹と筋肉質だった。力加減を知らないかのように、彼は痛いぐらい強く握ってきたが────何より。
「アっツ! 手汗がひどいッ!」
「え」
べしっ、蒸し器の如く高温多湿な“魔の手”から逃れ、手をがさつに振って冷ます。私の手が変性しかねない熱と握力に一秒だって堪えられなかった。
「聖剣に宿る女神に同情するわ……あんた、手袋なり籠手なりつけなさいよ!」
「ご、ごめん そんなにひどい?」
「もう二度と素手で私に触れないで」
彼は見るからにしょんぼりと落ち込んでしまった……流石に言い過ぎた気もしたが、かといって自ら悦んで拷問を受ける趣向はない。
「せめて……拭ってからにしてよ」
当然手持ちなんて何もない彼になんて事はないハンカチを渡すと、彼は一度、いいの? とでも言いたげな顔で私の顔色を窺った後、恐る恐る手汗を拭った。
コイツのことだから、ハンカチを返そうとしてきそうなので「あげるわよ」と、一言加えた。案の定、彼はキョトンとしやがって……ただ、私は彼の対応に溜息ではなく、欠伸をした。
ああ、そうだ……ここ数日、私はろくに眠れてさえいなかったんだ。
おまけに
ぐぅー……。
気が抜けたと、彼の腹も主張する。
「ミト……お腹空かない?
僕、昨日から何も食べてなくて……お腹ペコペコなんだ」
「そうね、お腹すいたわ。眠いし、こっぴどく疲れて倒れそう……だけど」
「だけど?」
「今日ぐらいは、いい夢見られそうね」
勇者は、憎らしいほど無邪気に笑った。
この勇者が瞼の裏に見るのは『夢』じゃない。
近い未来。
本来は誰にも判らないもの。
判らないからこそ、選択に責任が付き纏う。
───故に 未来を見通す予知能力が、女神信仰の本質であり
かつて勇者と呼ばれた者の血族───王族は
その血に流れる……果たすべき責任から逃がれるように
女神信仰に傾倒した。
女神の宿る聖剣を持つ 新たな勇者。
彼の存在が 女神からの慈悲なのだとしても
その慈悲の手に
私は……縋るべきではないのだろう。
2022/7/14改稿しました