第27.5話 死者の世界
八竜は、自らの叡智に触れることを許した賢者に、世界を語る―――。
世界とは、神の死によって生まれたものであると。
神に死という概念が生まれた後、その肉体は、生者の地上世界と、死者の地下世界とに別たれたのだと。
しかしながら、八竜は神の魂から別たれた存在でありながら
彼らは自身の死を憂慮しない。
その魂は不滅であり、不死である―――そう、彼らは信じ切っていたからだ。
一柱の”死”を 知るまでは。
第27・5話 死者の世界
地上と地下……二つの世界の狭間にあるのは、圧縮された時空と、魂だけがすり抜ける篩。
死者の世界は、神の抜け殻で出来た籠に、蛍火を集めた様な、空虚な世界である。
「……これは 死んだわね」
エバンナの血に飲み込まれたベラトゥフ、その魂はとても冷静に、自らの死を察した。
自らと同じような蛍火が、白い視界を埋め尽くさんばかりに漂っているからだ。
それに、手や足をバタつかせたところで身動きの取れない───聖剣の中に長く宿っていた頃と同じ感覚もする……。
ベラトゥフは大きく溜息をついた。
「このベラトゥフ・サガトボ・パッチャ、人生二度目の死……。
いや、私……人生の半分ぐらい死んだままね」
女神になったのは、だいたい彼女が22の時だ。
そこから紆余曲折があり、1年ほど女神をした後すぐに魔王が復活、滅びの一撃を喰らって聖樹が枯れて……そこを咄嗟の判断で聖樹の枝に飛び乗って落ち延び、未曽有の大災害、その豪雨からレコン川に流され、どんぶらこっこ、どんぶらこっこ……母木を離れた枝切れは冒険の末、タタリ山へと運ばれ……ネロスを育てて……約20年。
「やっだ! 私40超えてんじゃん!
大人の階段を登らず座り込んでいても意外になんとかなるものね……ふふ、そうよそうよ、ポジティブに考えましょう、ポジティブに♪」
…………。
「独り言でメンタル保つ癖が抜けない……私、羞恥心を取り戻して」
「あんた、随分と活きの良い死者だな」
独り言のやたら多いベラトゥフを面白がるように声を掛けてきたのは、年老いたブルーエルフの魂だった。ふんわりと見える生前の幻影は、銀混じりの白髪を後ろで束ね、頬をしわくちゃにした笑みを浮かべた、気前のいいおじちゃんという雰囲気だ。
「あら、おじちゃん、高等魔術師だったのね」
魔術師協会から配布される厚手の服、その袖裏には、五つ星のエンブレムがしっかりと刺繍されていた。
「あんた、自分が死んだことわかってないのかい?
それとも、死んだつもりなんかないって輩か?」
「うーん、どちらかというと後者ね」
そう聞くと老エルフは長い耳先を丸め「通りでな、生きた目をしている。自ら死者の世界へ飛び込む、物好きな目だ」ところどころ抜けた歯を見せて大きく笑みを浮かべた。喜んでいるかのようだ。
「私、息子を探してるの。
クソ蛇の死霊術で誘拐された人間の男の子で、本当はほっぺたぷにぷにしてる可愛い顔なんだけど、多分今は、骨に見えてるかも……」
「クソ蛇ぃ? 人間の男の子のことは判らんが、クソ蛇ってのはエバンナのことか?」
老エルフが指差した方角、彼の認識がベラトゥフにも伝わった瞬間、彼女の目にもアイツが映った。
蜘蛛の巣を網の様に使い、絡んだ蛍火を次々に喰らう巨大な蛇。
エバンナ……その本体だ。
「え」
おおまかな造形は、ベラトゥフたちが仕留めたエバンナの容姿から大きく変わらないが……先ず、規模が違う。10メートルあるかないかの大きさだったエバンナが、とぐろを巻いた今は……目算 “山”のサイズだ。
そして
「太ってる」
「ん?」
「肌艶良過ぎて鱗みたい」
「お、おう」
「歯が白い、歯肉がピンク、翼膜もピチピチ」
「大丈夫か?あんた」
「なんで呑気に魂食べ放題してんの!? 栄養状態良すぎません!?
第一形態が強すぎたら第二形態は弱いか特殊戦法で勝てるものだって相場が決まってるのに!」
「そんな相場知らんわ」
大女神の言っていた“寄せ集め“の信憑性が増してくる。寄せ集めの身体であの詠唱速度と破壊力だ……無限に思える魔力量、軽い魔術じゃ傷もつかなそうなテリテリした鱗状の皮に覆われ……人の手だった厄介な触手もザッと数えて前より多い……同時多発的に発動できる魔術が数百、いや、数千、万程度ある。
その一方で、ベラトゥフは、死者の世界の仕様がまるでわかっていない状態だ。生身でない制約で戦っていたつい先ほどよりも遥かに弱体化したまま、ベラトゥフは神に喧嘩を売らねばならない……これには、いくら彼女のポジティブ思考でも、まるで勝機が見出せなかった。
「そうよ、私……聖剣のときも、魂だけじゃ魔力を作れなかったじゃない……。
死者の世界の空気の概念もわからないし、魔術がちゃんと使えるのかもわかっていない……。
魔力のない魔術師は無能……魔術の使えない魔術師は肉壁……生ごみ……うぐっ」
「まったく、落ち着きのねぇ母親だな。
ちょっと耳貸せよ、イイコトを教えてやる」
「え……イイコト?
そもそも、どうしておじちゃんピンピンしてるの? 他の魂からは死んでる~って感じで、何も見えないし、喋らないのに」
ようやく自分のことを訊かれた老エルフは、胸の魔術師協会のエンブレムを指で叩き
「俺はメメント・ディアンナ・ファウスト。
“死者の世界を往復する“……黒の賢者一族の一人なのさ」
メメントは、ネロスとマイティアを庇ってゲドに殺された老エルフだ。
そう、解釈しても間違いではないが
精確に言えば、彼の魂は死者の世界へ逃げていた。
幽体離脱……肉体を置いて魂を遊離させる死霊術の一つで。
「死者の魂は普通、地上を一定期間彷徨った後、魔物化しなかった魂は地下世界、通称死者の世界へと向かう訳だが、その際に圧縮時空を通ってくる。そのときの圧縮と負荷が、死者の魂から理性や記憶の大部分が抜け落ちる。
ただ、圧縮時空を通らない裏口の術式ってのがあってな、それさえ知っていれば、肉体を地上に残したまま、魂を地上と地下とで往来させることが可能なのさ」
ただし、本人の意思のない無防備な身体を何らかの理由で破壊され、生命活動を終えてしまえば、幽体離脱した魂は死者と同義となる。
メメントの言葉を受け
「それってつまり……私が無事なのは、もしかしてレキナが」
「そうだな……アイツなら、その術式を知っている。俺が教えたしな」
エバンナの魔術で死者の世界へ送られたものと思っていたベラトゥフの鳥肌が立った。
いや、『カヒャッ』程度の吐息で死者の世界への転移魔術を唱えていた八竜が、短縮詠唱を使わずに、複数の発声で一斉に詠唱する“儀式術”を使ってまで同じレベルの魔術を使う筈がなかったのだ。ベラトゥフはそれにちゃんと気付くべきだった。
【儀式術:詠唱法や魔法陣などの発動術式の一つ。短縮詠唱は使用できず、複数人による詠唱ないし魔法陣、素材の調達他、様々な術式を複合させることが出来る。発動の手間はあるが、その発動や維持の安定性、規模、威力は他の術式とは比べ物にならない】
「私もまだまだ鈍間ね……」
得手不得手の分野があるのは当然だが、前線へ飛び出す武闘魔術師の、出される魔術の推測の誤りは死に直結する。ベラトゥフはしっかりと反省した。
「さて、アンタが一番知りたいのは、魂だけの存在がどうやって魔力を捻り出すかって問題だろう?」
「そう! それが出来ないと私、喋るしか能がない奴になっちゃう……」
「“心”だよ」
ん? 首を傾げるベラトゥフ、彼女の目にもメメントは大真面目に見えた。
「地上世界では空気中の魔が吐いて捨てる程あって、それを吸って取り込み、人は魔力に変換し、魔術なんかに応用する。
だが、この地下世界には空気って概念がないし、魔は漂っていない。一から作るしかない。逆を言えば、作りゃあ使える訳だ。ただ、魔法障壁はないから気を付けな」
「心で魔を……いやいや、待って
魔術に使用するには、魔を魔力に変換しなくちゃ」
「それが必要なのは、空気中の魔が”自分のものじゃない”からさ」
メメントは手元で小さく「わお!」魔力で出来た青い火を生み出した。
「魔はな、心から生まれる力、あるいは、欲だ。
心の摩擦、強い意志、願い、思い……それが、魔。心のエネルギーだ。
だから、邪な思いで作り出した魔、他人の悪意から放たれた魔ってのは、魔中毒の原因となり、魂を侵し、人を魔物へと変えちまう危険なものになり得る。
だが、正しき心から生み出された魔は、魂を守り、その者が望む力へと変わる。
やってみな。
心からの、強い意志をしっかりと認識するんだ。一度できれば、後は感覚と才能の問題だ」
その説明を受け、ベラトゥフは自らの心に焦点を当て
(強い意志……願い……)
ネロスに、思いを馳せた。
───ネロスは……確かに、ベラトゥフの子供ではなかった。
彼は人間で、彼女はエルフ。他人から見ても、血の繋がりなど彼らにはない。
ベラトゥフが流れ着いたタタリ山で、ネロスはへその緒がついたまま死にかけていた赤子だったのだ。
その子を、ベラトゥフは勇者の死霊術を使って生かしてしまった。
死霊であるというつらい現実を背負わせてしまった罪悪感、背徳感を胸に抱いたまま、ベラトゥフは聖剣の姿のまま、ネロスを育ててきた。
聖樹の枝切れを”母”としがみつき眠る彼を見る度に、善意が生んだ残酷な救済、その責任を痛感し……無責任に後悔した夜もあった。
勇者になる、と……奇跡的に純朴で優しく育った彼がそう口にした、その瞬間の複雑な感情を、今でも昨日の事の様に思い出せる。
女神でありながら、世界の危機に力になることのできない歯痒い思い。それも、他の女神が皆、魔王に殺されてしまったのなら自分しかいないのに身動きが取れない―――そんな状況の彼女の務めを、手伝うと言ってくれた感無量。
その一方で
ネロスは魔を引き寄せる体質の為、人里に降りればトラブルを引き起こしかねない……そんな危惧からベラトゥフは彼を孤独にしてきた。
誰かと一緒に生きたい、一緒にご飯を食べたい……そんな当たり前のような事を享受するべく、彼が出した尤もらしい答え―――それが”勇者”。目的に対してあまりに重すぎる使命を、彼に選ばせてしまった事への……謝罪。
結局のところ、ベラトゥフはネロスの意志を尊重した。つらくなったらやめていい、とも言って。
女神としての使命を自らの足で、手で、果たす事の出来ないと悟った彼女は、母として、勇者になろうと志す息子の助けとなることを決めた。
魔物に支配された町、侵略に遭う町。破壊された国の跡、凍り付いた王都。
心は荒み、女神に祈り縋る人々。
勇者を迎えに来た、予言された女神の子……その頼もしくも儚く、壊れかけでも芯のあるマイティアと共に、一歩ずつでも……そう、思っていた矢先。
運命の悪戯とでも言うべきか。
それとも、ベラトゥフがネロスを生かす選択すらも───好きになった人を失う悲しみと怒りさえも、この瞬間の為の、八竜の導きだったのか。
ネロスは魔王の器、肉体を創る為に生まれた“種”でした。
大人になるまでしっかり育ってくれたので、もうネロスの魂は要りません???
はい、左様ですか大女神、魔王は倒すべき敵ですもんね―――なんて
きれいサッパリ”我が子”を切り捨てられる訳がなかった。
バチッ―――内から込み上げてくる、熱。
胸の中いっぱいに膨れ上がってくる熱を吐くような仕草をすると、吐息に”魔力”が混じっていることを、ベラトゥフは理解した。
「流石は女神様だ。魔力の扱いは俺より遥かに上手い……美しいって言いたいぐらいだ」
「やだ、しれっと口説いていらっしゃる?」
「ハッハッハ! 悪いな、人妻は萎える」
「ヒドい! 私は実質的シングルマザーよ!」
そんなしょうもない会話をしつつ
(すごい……こんなシンプルな事だったの―――魔って)
ベラトゥフは心から生み出した魔力の、調整要らずの清く美しい波長に心打たれた。自ら生み出した魔力ではあるが、心の持ち方一つでこんなにキレイな力になるのか、と。
だが、それは言わば、諸刃の剣であることもベラトゥフは察した。
(つまり、死者の世界では、気持ちで負けた途端に魔力が尽きる……もしくは、負の感情からの魔に魂が呑まれる
地上では、自ら生み出す魔を利用する意味すら見いだせない程に、”世界が大量の魔で満ち溢れている”って事でもあるのかしら……、……)
ベラトゥフの複雑な表情から考えていることを悟ったメメントは
「魔術に必要不可欠な魔、魔物の発生や獣人化に関わる魔……それを生み出し続けている八竜の是非。
人は短絡的に結論を出したがる。
八竜のいない、魔術の使いにくい世界の方が正しいのでは、とかな。
本当はただの心の使い方とその術ってだけの話なんだが、悪い方に解釈したり、利用する奴が何時の時代も出て来るもんだ」
「…………。」
「清く正しい心を、鋼の様に強く持つこと。
それ以外の人の素質なんざ、個性に過ぎねぇよ」
そこまで語り、彼はいじらしく笑みを浮かべた。
「しかしまあ、“女神に魔法“を聴かせるなんて、長く生きてみるもんだぜ
ハッハッハ! もう死んでんだっけかな俺も!」
~あとがき~
「ああ、それと レキナと仲良くしてやってくれな、パッチャ
アイツ、魔女なんて言われてるが、本当は清楚で真面目な奴なんだ、元聖職者だし」
「え」
「うそ」
「やだわ、それだけは冗談でしょ」
「ホントさ、レンス・タリーパで神官まで昇進してたはずだ
面倒に巻き込まれた後だったかに、性格捻くれたけどな」
「うっそッ!? あんな人の尊厳踏み躙るような女が神官んんん!?!シンジラレナ――――」
2022/11/14追加しました